むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、手習 ⑦

2024年08月04日 08時25分58秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・妹尼が奥へ入っている間に、
中将は尼女房の少将といった人を、
おぼえていて呼び寄せた

この少将の尼は、
亡き妻の生前、
婿の中将の世話をしてくれた、
親しい女房であった

「ところで・・・」

中将は声をひそめ、

「さっき廊の端へ入って来たとき、
風が吹き上げて、
簾のすき間から若い女人が見えた
なみなみならぬ美人とみえる
ご出家の方々ばかりのお住居に、
これはどうしたことかと」

(姫君の後ろ姿を、
ご覧になったのだ)

少将の尼は、

「尼君はいまだに、
亡き姫君のことを忘れかね、
お悲しみでいらっしゃるのですが、
このほど、
思いがけぬ方を、
お引き取りになりまして、
明け暮れ心の慰めにして、
いらっしゃいます
そのうちお耳に入ることも、
ございましょう」

少将の尼は詳しく話さず、
中将もあれこれ聞くのも、
ぶしつけな気がして、

「雨がやみました
日も暮れますから」

とせきたてるので帰った

老尼たちは、

「いよいよ、
清らかにご立派になられて」

「同じ事なら、
昔のように婿君として、
お迎えしたいものですねえ」

などというのであった

妹尼はうなずき、

「藤中納言の婿君として、
通っていられるそうだけど、
あまりご熱心でなく、
親御さんのお邸に、
いられることが多いとか
ああいう方こそ婿君に、
と娘を持つ人なら、
望まぬ者はおりますまい
それにしても」

妹尼は浮舟をしみじみと見る

妹尼、老い尼たちの視線を、
一身にあつめて浮舟は、
うつむいてしまう

「ねえ、あなた
まだ私に心を開いて下さらなくて、
よそよそしくなさるのが・・・
気を取り直して、
元気を出して下さい
私はこの五、六年、
悲しい恋しいと思っていた、
亡き娘のことも、
あなたにお会いしてから、
すっかり忘れた気になっています
あなたのことを案じていらっしゃる、
方々も今ではあなたを、
世にないものと、
あきらめていられましょう
どんなことも時が経てば、
薄れるもの
あなたも生まれ変わったおつもりで、
お心を明るく、
取り直して下さい」

浮舟は思わず涙が出てきた

母君も、
今はわたくしのことを、
世に亡いものとしてあきらめて、
いらっしゃるのかしら?

母のことを思うと、
胸がせきあげてくる

「隠し隔てする気は、
ございませんけれど、
あんな風に不思議なさまで、
生き返りましたので、
何もかも夢のようでございます
わたくしを知る人が、
この世にいるのか、いないのか、
何も思い出せません
ただ尼君さまをお頼りにして、
いるばかり・・・」

中将は横川に着いた

僧都も久しぶりのこととて、
喜んで中将と世間話をした

その夜は泊り、
弟の禅師とうちとけた話になった

中将は小野の山荘で垣間見た、
美女の話を話題にせずにいられない

禅師もまた聞きでよく知らないが、

「この春初瀬に詣でて、
不思議ないきさつから見つけた人、
と聞きました」

中将は翌日の帰りがけに、
また小野へ寄った

この度は妹尼に、

「あの方はどういう人なんです」

と聞いた

人に知られるのはわずらわしい、
と妹尼は思ったが、
隠し立てするのもかえって、
妙な具合だと思い、

「亡き娘の代りと思って、
ここ幾月かお世話している人です
何か悩み事のありそうな人で、
誰にも会いたがりません
どうしてご存じ?」

といった

「浮気心で聞くのではありません
亡き人によそえると、
おっしゃるからには、
私だってその関係で、
全く無縁とは申せません
どうして世をはかなんで、
いらっしゃるのか、
お慰めしたい」

中将は好奇心を示しながらいった

帰りがけ、

<あだし野の
風にたなびく
女郎花
われしめ結はむ
道遠くとも>

と書いて、
少将の尼に托した

(ほかの男になびかないで
京からは遠い道ですが、
あなたを私のものにしたい)

妹尼はこの返事を書くよう、
浮舟にすすめるが、
どうしても書かない

それでは失礼になるので、
妹尼は代筆した

「先ほど申し上げましたように、
一風変わった人でございますので、
世間並みのお返事も出来ませず、
お許しを」

中将はそれを見て、
納得して帰った




          


(次回へ)

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