
・笑いを日常の中に取り入れて、
笑うことでコテコテに動脈硬化した人生を解きほぐし、
人間同士のつながりを強めるようになるといい。
それには笑いを受け入れる土壌を耕さなければならない。
今は漫才ブームで、
ちまたに笑いが満ちているように思われるが、
このお笑いブームを誘い水にして、
もっと笑いが社会の隅々まで浸透したら、
日本人はかなり大人になれると信じるものだ。
日本の男や女、自分では大人と思っているけれど、
まだ大人になりきっていないのが多い。
プライドや面目を保つのが大人と思われていて、
笑いといちばん遠い地点にいることが、
大人だと信じている。
笑いは、人間の威厳と相反するものと思っている人が多い。
そういう人たちは、
笑いを「不真面目」と取って笑いの要素を排除するが、
それは昔の侍文化の名残ではないだろうか。
江戸時代の硬直した儒教道徳と、戦国時代以来の侍気質、
男文化の残滓で、笑いをおとしめ、いやしめる。
そういう気持ちが首都の偉いさんに今もあるのではないか。
関西にもそういう人はいるだろうけど、
総体に太い庶民文化、商人文化の流れが底にあって、
決して威張らない。
威張っていては物を買わせることは出来ないから。
そして自分自身を笑う。
そのことで相手の警戒心を解き、会話を成立させる。
そういう時、笑いが媒介になりやすい。
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・大阪の昔の商家では、
新米の店員に大阪弁のシャレ言葉を教えていた。
「夜明けのゆうれい」は、立ち消えで、
「あの商談(はなし)は夜明けのゆうれいでんなあ」と使う。
おとなしい人間のことを「トコロテンの拍子木」
たよりない人は「のれんにもたれて麩ぅかんどる」
ののしる言葉もそのまま言うと角が立つので、
「お前は八月の槍やの」などと叱った。
八月の槍は「盆やり」ボンヤリである。
「まんじゅう屋の臼であきまへん」というのは、
まんじゅう屋の臼は餡をつくので、アンツク。
大阪人は駄じゃれを楽しみ、今も使う。
そういう下地があるから、大阪の人間は若手漫才を受け入れる。
私が私なりに駄じゃれの遊び心を紹介しはじめたのは、
昭和四十年代はじめであった。
その頃は、それを受け入れる土壌が日本になく、
高度経済成長のころで、日本が金儲けに狂奔していた。
また学園紛争が起きて笑いどころではなかった。
それで、ゆがんだ大阪のイメージが出来てしまって、
大阪人は手段を択ばず金儲けだけが生きがい、と思われ、
笑いといえば、どぎつい応酬、
誇張された卑下からくるおかしみがないように思われてしまった。
それにしても、笑いが社会の中に広がり始めたことは、
注目すべきことで、日本も変わった、と思わせられる。
戦時中は、笑うこと自体が罪であった。
戦争が終わっても、働きに働きぬく日本人は、
シビアな方が上等という気が抜けない。
そういう圧迫感に堪えられなくなったのが、
社会的にいちばん弱い「女・子供」ではなかろうか。
若者が若手漫才師のえげつなさにまず飛びついて笑い声をあげる。
女の方もそうである。女の方にもユーモアがわかり、
笑いを愛する人が増えてきた、と私は思う。
格差が出来たら困るから、ほんとは男にも増えて欲しい。
この国を動かしている一握りの男たちが、
みな一流大学を出、エリート街道を歩いているのも、
じつに困る。
人生はバランスだから、
そういうエリートと、一方、漫才好みの男も、
国を動かすグループに入ってもらわなければならない。
「笑い」が循環気流となって、
国の中の風通しをよくさせるというのは、大切なことである。
大阪弁がそうだが、笑いというのは、
人を笑うと同時に、自分を笑うことになる。
そういう女の人に育てられた男の子は、笑いのセンスが磨かれて、
女にとって好もしい笑い相手に成長するかもしれない。


