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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13、カンボジアに何が ⑨

2022年08月10日 08時55分27秒 | 田辺聖子・エッセー集










・ところで、若者の洗脳とか、
人民の農村への大下放とか、人民公社とか、
血の粛清という言葉を聞くと、
我々は中国の文革を思い出さずにいられないが、
ポル・ポト派はまさにその文革をお手本に、
毛沢東思想を教科書に、絵に描いたような、尖鋭化した革命を、
性急に行おうとしたらしい。

周恩来はその死に際に、
ポル・ポトたちカンボジアの指導者を枕元に呼んで、

「革命は急速にやってはいけないよ」

とそのゆきすぎをたしなめた、
という話も伝わっているが、
ポル・ポトやイエン・サリはその忠告を、
歯牙にもかけなかったのだろう。

ポル・ポト時代、顧問という名目で、
二万人に及ぶ中国人がカンボジアにやって来、
農業工業軍事、さまざまの面で指導に当たった。

ポル・ポトたちの中国傾斜も甚だしかったが、
中国の入れ上げもたいへんなものだった。

中国はおびただしいお金とエネルギーを、
カンボジアにつぎ込む。

中国人はカンボジアをほんとの理解と愛で援助しただろうか?

中国にとってはぴったりしたやり方でも、
風土国情民族性の違うカンボジアに、
そのお宗旨はあうものだったろうか?

外国の思想や政策を自国にそのままもってくるには、
充分消化されそしゃくされつくした、
その風土、民族性に適したものになっていなければならない。

これは政治に素人の我々でも考えられることだが、
何しろ、ポル・ポトたちは急いでいた。

赤色クメールは少数派だから、
市民や農民の反乱や反対勢力を恐れた。

ゆっくり革命をやるわけにはいかない。
市民に考える余地を与えず、
文字通り一気にやろうとした。

プノンペン入城後、
全市民に退去命令を出した。

ポル・ポト派は、
全国民の支持を受けて誕生した政権ではなかった。

そのころ、
アメリカはインドシナから手を引きたがっていたし、
シアヌーク殿下の人望はまだ高かったし、
中国の後押しはあり、
ロン・ノル政権から人心は離れており、
隣国、ベトナム解放軍の実力も人気も充実していた。

その影響に便乗してポル・ポトは好機をつかみ、
権力を握る。

しかしまだその力は弱く、
国民を掌握できない。

ポル・ポトたちは恐怖心で民衆を承伏させるしかない、
と思う。

彼らは都市のインテリ、学生、市民が、
反対勢力の温床になることを恐れる。

都市を壊せばよい、と思う。

既成の社会、中国以外の外国の匂いのついたもの、
すべてを抹消し、そのあとに新しい社会、
完全に階級のない、自立自足の平等社会を作る、
とうたいあげる。

言論の弾圧、などという以前に、
一切の言論を封じてしまうため、
インテリや学生を殺すことになる。

ポル・ポトらの猜疑心はやむことを知らない。

民族を寸断して、地方へ大移動させ、
見知らぬ人ばかりの他郷へ投げ込む。

血縁知人友人は離れ離れになり、
家族さえも別れさせる。

人は孤立し、根無し草になる。

強制と服従を全国土にゆきわたらせる。

むろんポル・ポト政権のような、
野蛮で未熟で偏波な思想の政権は、
どんな国にしろ、二度と生まれてはならないが、
もともとその要素はどの国も持っている。

それは人間のふかい心の奥底にとじこめられている、
魔性のものと関連があるからである。

人間は本来、悪魔になりたがっているのかもしれない。

しかしまた、ポル・ポト政権が滅んで、
カンボジア人に生気がよみがえったとき、
人々はまっ先に破壊されたお寺へ集まり、
散らばった仏像の破片を拾い集めてお祀りしたという。

近親者を求めてさがし合い、
結婚式と赤ん坊の生まれたお祝いに、
村びとが再び寄りつどうようになったという。

人と人とのぬくもりをたしかめ、
手をにぎりあい、笑いを交わすことの自由を、
喜び合った。

人間はまた仏性も、あわせ持っていた。

このあいだ、テレビで近年はじめてといってよい、
アンコールワットやトムの取材番組があった。

それらは私が思ったほど荒廃していず、
浮彫も観音像も美しい姿をとどめていた。

私をホッとさせたのは、
カンボジア男性の健康的でたくましい体つきを見たこと。

ポル・ポト時代の栄養失調から、
回復しつつあるのが嬉しかった。

ただ、しんと人影のないアンコールワットの中で、
老僧一人がポル・ポト時代に殺された人の冥福を祈るため、
黙々とお百度をふんでる姿が印象的だった。

いま、カンボジアは人々の生命力が噴出したように、
出産ラッシュだという。

おのずからなる民族の復元力がはたらくのか、
またはこの例のない不幸を経験した民族に、
仏さまが大慈大悲のみ心を寄せて下さったからなのか。

ポル・ポト時代は、
もっと解明されるべき要素をもっている。

謀略まみれの風説として忘れ去られるような、
たぐいのものではないと思う。

二十世紀におきた最大の事件の一つではないか。

そのわりに人々に知られること少ないのも、
私にとっては最大の謎である。






          


(了)

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