むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、受領と平茸  ②

2021年07月16日 08時22分11秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・一同は大喜びでかけはしの上に殿を据え、

「さてもご無事でようございました」

と喜び合ったが、

「それにしてもこの平茸はいったい、
どういうわけのもので・・・」

といぶかしんだところ、
守の答えがふるっていられた。

「いや、かけはしを踏み外して落ちた時、
馬は底の方へ落ちたが、わしはくるくると振り回されて、
木の枝のさし交わした上に落ちての。
その下の二股になった枝にとりついて助かったのじゃ。
ふと見るとその木に平茸がいっぱい生えておった。
いかにも見捨てがたいので、わしは手の届く限り、
平茸をとって籠に入れたのじゃ。
これがたくさん生えておったわい。
まだ残りがあるかもしれん。
それをうち捨てて上ってきたので、
まことにいみじき損をしたような気がするわい。
それが口惜しゅうてのう」

これを聞いて、おれたちは毒気を抜かれてしまった。

「いかさま、それは御損をなされましたな」

というなり、もうたまらない、
みなみな、どっと笑ってしまった。

守というものはみな欲ぼけなものであるが、
ここまでくれば徹底してむしろ愛嬌じゃないか。

おれたちは笑いが止まらない。
木曽の山中にいつまでも笑い声がどよもす。


~~~


・守は気に障られたか、

「ええい、お前らは物の道理の分からん奴らじゃ。
何を笑うことがあろうか。
当然ではないか。
宝の山に入って手ぶらで帰ったような心地がするぞよ。
ことわざにも、
『受領(地方官)は倒れたところの土をもつかめ』
というではないか」

とぷりぷり憤っていわれる。
そこで年輩の分別ある目代(代官)どのがとりなして、

「まことにご尤も。仰せのとおりでございますよ。
物のついでに手近にある獲物を取らぬという法はございません。
誰だってそれは取りましょうとも」

殿はややご気分をなおされ、うなずかれる。
口達者な目代はつづけて、

「殿は本来、沈着で肝が据わっておいででございますゆえ、
かかる生死の境にも動転なさらなんだ。
さながら平常通りのご処置であわてず騒がず、
心静かに平茸をお取りなされたのでありましょうな。
全くもう、これは殿の沈着なご勇気のあかし、
と申すべきでございます」

「むむ、そういうことになるかのう」

殿はご機嫌よろしく、肩をそびやかし胸を張られる。
目代はいよいよゴマをすり、

「されば一国の政治もよく行わせられ、
租税もしっかりとお取り立てになって、
任期満ちて中央へお戻りになられます。
殿に可愛がって頂いた国の者どもは、
まるで父母のようにお慕いし、
別れを惜しまぬ者はございませぬ。
倒れたら土でもつかめというお心で、
必ずや行く末も万歳千秋、
お栄えになるにちがいございません」

この目代の皮肉に気付かれないのか、
殿はいよいよ大きくうなずかれ、

「おお、めでとういうた。
今日は命と平茸と縁起よい拾いものを二つした。
皆のもの、祝い囃せ」

そこでおれたちは、

「おう!おう!おう!」

と声を揚げたが、いやまあ、あとで皆で笑うた笑うた。

谷へ落ちても平茸を取るのを忘れなんだとあれば、
ふだんの機会にはどれだけしっかりと取りこんだことであろうよ。


~~~


・どっと笑う男たちの声に、
縁の端でまどろむ猫も目覚めたようである。

生きかえったような朝涼の風に撫子の花がゆれ、
京の空はみずみずしく明けてゆく。

巻二十八(三十八)






          


(了)


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