むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

24、美女ありき  ①

2021年08月26日 09時41分22秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・「なまけ者を励まして、学問させる方法・・・これはむつかしい」

と老僧は微笑む。

嵯峨野の奥の夕暮れは早く、露じめりした庭に、
くちなしの花が点々と白い。

「本人がその気にならねば・・・というて、
その気にならぬから、なまけ者なのでな」

学識あって有徳の老僧は都の人々から慕われ、
嵯峨野のささやかな僧坊を訪れる人が多い。

老僧は勤行の合間に、人々の話を聞いてやるのだった。

「ふむ、お手前の息子どの、仏縁あって出家され、
あっぱれな善知識にと親御はお望みをかけていられるのに、
若さにかまけて遊び呆けていると?
若い時は自然そうしたものだが、
昔々、わしが叡山で修行していたころ、仲間にもそういう僧がいた。
頭はよいが、なまけ者でな、遊び人で女好き、
身を入れて仏典の勉強をするということもせぬ。
そのくせ、抜け目ない奴でな、常に法輪寺へお詣りしては、

『学才をお授け下さい、悟りを開かせて下さい』

と祈っておった。

法輪寺は虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)、知恵福徳のみ仏よ。
虚空蔵さまにすがりながら、修行することもなく、
遊びたわむれておったのよ。

ある秋の一日、いつものように法輪寺へお詣りしたが、
ついつい寺の僧と話込むうち夕暮れとなり、
急いで帰ったが西の京あたりで日はとっぷり暮れてしまった。

比叡のお山は京の町を横切ってはるかに遠い。
夜の道中は物騒なり、どこぞ泊めてもらえまいかと歩くうち、
唐門の立派な邸があり、若い下女が立っていたので、
僧は一夜の宿を乞うた。

その女はあるじに聞いてみましょうと邸のうちへ入ったが、
すぐ出て来て、『お安いことでございます。どうぞお入り下さい』

と招き入れてくれるではないか」


~~~


・小綺麗な少女が食事や酒を出してくれた。

若い僧は嬉しくそれを摂って、手を洗ったりしていると、
奥の遣戸が開いて几帳の向こうから女あるじらしい声がした。

「どなたさまですか?」

「比叡の山で修行する者ですが、
法輪寺へ詣って帰ろうとしたら日が暮れましたので、
一夜の宿をお願いした次第です」

「いつも法輪寺へお詣りでしたら、どうぞまたお立ちより下さい」

そういって女は遣戸を閉めて奥へ入った。
しかし几帳の手がつかえて、戸は締めきれずすき間ができた。

夜も更けたが僧は寝つかれない。
庭へ出て建物の母屋の前あたりをぶらついていると、
蔀に小さい穴を見つけた。

一条の光が洩れている。
僧は思わず近寄ってのぞいてみた。

空薫もののゆかしい匂いが鼻をうつ。
部屋の調度は豪奢だったが、何より目を奪われたのは、
そこにいる若い美しい女だった。

低い燭台を身近に置き、物に寄りかかって草子を見ている。
年のころは二十歳ばかり、何とも美しくあでやかで、
紫苑色の衣の裾には、つややかな黒髪が流れていた。

几帳の蔭に二人ほどの女房が寝ており、
少し離れたところには、食事を運んでくれた少女が寝ていた。

僧は美しい女あるじに血が騒ぎ、目もくらんでしまった。


~~~


・(こうしてめぐりあったのも、前世の因縁だ。
この思いを遂げないではいられない)

と心がなぎ立ち、自制出来なかった。

邸じゅうが寝静まり、女あるじも寝たと思われるころ、
さっきの少しすき間のできていた遣戸をそっと開け、
忍び足で女の側へ近寄って臥した。

女はよく眠っていた。

近寄ると、女の身にたきしめた薫りも慕わしく、
若い僧は、あたまがくらくらする。

ゆすり起こして言い寄るべきか、
しかし女は何と言うだろう、
驚いて声をあげるかもしれぬ、
厳しく拒絶して恥をかかせ、放り出すかもしれぬ、
僧は自信がない。といって自制して思いとどまることも出来ぬ。

ひたすら仏の加護を念じつつ、
そろそろと女の衣を開こうとすると、
女は目をさまして、僧をみとめ、あっといい、

「驚きましたわ、
尊いお坊さまだと思ったからお泊めしたのに、
こんなことなさるなんて情けないわ」

そうしてかたく衣の前を合わせ、許そうとしない。
僧は欲情に悩乱して苦しんだ。

しかし一片の良心と恥の感覚はあったとみえ、
騒ぎになっては邸の人々にも気づかれるであろうと、
辛うじて耐えて、女の意志を尊重した。

女はそんな様子を見て、やさしくいった。

「あなたをあたまから拒む、というのではないの。
夫に死に別れてからあたしは独り身で、
言い寄る男はたくさんいたけれど、
平凡な、見どころのない男と再婚するのはつまらない、
と思っていた。尊敬できるような男の人と・・・
あなたのようなお坊さまを敬ってかしずく暮らしをしたい、
そう思っていた。だから、いやだ、というのではないわ。
でもあなた、法華経をそらでおよみになれる?
それなら、あなたと睦み合うことも出来るんだけど」






          


(次回へ)

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