・私は後ろから猿に叫んだんです。
「この恩知らずめ。
自分が殺されそうになったときに、
助けられたのは嬉しくなかったのかい。
私の大事な子をとっていくなんて何てこと、するんだよ!
お前を助けてやったんだから、その子を返しておくれ・・・」
猿はその言葉がわからないのか、
どんどん山奥ふかく入り込み、
とうとう大きい木の上へ子供を抱いたまま、
するすると登っていくじゃありませんか。
私は木の根元へ走り寄って、
どうしたらいいかと生きた心地もなく空を見上げていますと、
猿は木のまたに子供を抱いて坐り込んでいるんです。
お隣のおかみさんは、
「こりゃ大変だ、あたしあんたとこのご亭主を呼んでくるよ」
と急いで走っていきました。
私は泣くよりほかのことができなくて、
「その子を返しておくれよ。
お願いだからそこから落としたりしないでおくれ」
と神仏に手を合わせる気持ちでいっぱいでした。
と、猿が変なことをし始めたのです。
~~~
・片手で子供を抱きながら、
子供をゆすりたてて泣かせるんです。
子供が泣きやむとまた泣かせたりするうちに、
そこへ恐ろしいばかりの羽音を立てて、
大鷲が飛んで来たんです。
私は、もうだめだと思いました。
猿に食われなくても鷲にあの子は食い殺される。
鷲は子供の泣き声を聞きつけて飛んできたに違いありません。
泣きながら見上げていますと、
猿は太い枝を引きたわめていて、
鷲が飛びかかろうとするとき、
その間合いを計ったように手を放しました。
バシーン!
と鷲の頭にその枝が命中したものだから、
鷲はまともにそれをくらって、
クルクル舞いながら落ちてきました。
猿はもう一度枝を引きたわめて、
子供をゆすりたて泣かせます。
子供の泣き声にまたもやよい餌とばかり、
飛んできた別の大鷲めがけてたわめた枝でバシーン!
鷲はもんどりうって、クルクル。
猿はまたもや枝を引き寄せ、
たわめて子供を泣かせる。
泣き声につられてやってきた三羽めの大鷲めがけて、
バシーン!クルクル・・・
やっと私わかりました。
この猿は子供を取って食おうというんじゃなかった。
私に恩返ししようとして、
鷲の獲物を私に贈ろうと思いついたんですね。
~~~
・だけど、私、命も縮まるかと思っちゃった。
私は震え声で猿に話しかけました。
「あのね、あのね、お前の好意はわかったからね、
ようくわかったから、もうそれぐらいでいいから、
子供を返しておくれ、ね」
猿はわかったのかどうなのか、
やっぱり、バシーン!クルクル。
とうとう大鷲を五羽も叩き落としたんです。
そうして子供を抱いたままするすると木から下り、
もとのところへそうっと子供を置いて、
また木に登っていきます。
私は走っていって子供を抱き上げ、
すぐおっぱいを飲ませてやりました。
猿は気持ちよさそうにそれを見つつ自慢気でした。
そこへうちの亭主が、
「どうした・・・」
とあえぎながら走ってきたので、
猿は木伝いに姿をくらませました。
私の話を聞いて夫はどんなにびっくりしたことか。
美事な大鷲五羽を夫は引っくくり、
私は子供をしっかり抱いて家へ戻りました。
その尾や羽が手に入ったのはこういう次第だったのです。
けものでも恩を知るってこと、あるものなんですね。
だけど、その間、私がどれだけ心配したか、
そこが分からないのがやっぱり猿ヂエというのかしら?
え?仏さまのご加護?
それもあるでしょうけれど、
でも仏さまだってバシーン!クルクルの知恵は、
お持ち合わせないと思うんです。
あの才覚は猿の気ばたらきだと思うのです。
仏さまって、恩を施すことはお教えになるけど、
恩返しの才覚までは気が働かれないと思うのです。
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・青い秋空のもと、
すすきの穂波のゆれる道を夫婦はむつまじげに、
尾羽を売った価を握りしめて去って行く。
すすきにまじるりんどうの濃紫に秋は深い。
巻二十九(三十五)
(了)