・時雨して、空はどんより曇ったまま夕方になった。
折々、風が烈しく吹く。
壷庭の桜や椋の木の黄色い葉がほろほろと散り、
庭土は思いがけぬ美しい敷き物をのべ広げたよう。
つれづれの憂さばらしに酒を酌み交しているのは若侍たち。
ここは源頼光朝臣の邸、その下屋の一室。
頼光は有名な武者であるが、
いちめん富裕な官吏でもあって、
世の人にはうやまわれている。
されば頼光朝臣の邸は豪勢なもので、
その郎党たちも勢いにはやってみなみな誇りかである。
それを、
「人は誇ってはならぬ。はやってはならぬ」
と諭すのは筋骨たくましい壮年の武者である。
狩衣のしなやかに萎えたのを着、
身には太刀も帯びず温和な物腰であるが、
意志的な顔つきで目つきは鋭い。
これこそ「頼光四天王」の一人、平貞道。
世に豪勇無双とよばれる武者である。
人に勢いにまかせて勇み立ったり、
すずろごとをいうてはならぬ。
まして武者はなおのこと、
力を以て世渡りするものは、
いっそう身をつつしんで謙虚であらねばならぬ。
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・今は昔のことだ。
われらが殿、頼光さまがこのお邸で宴を催された。
客人あまた、酒宴に集うて興じておられたなかに、
殿の弟御どの、頼信さまも一座されていた。
わしも客人の接待に瓶子に酒を満たして座に出た。
するとわしに目をとどめられた頼信さまが、
「貞道」
と高らかに呼ばわれる。
かしこまってお前に手をつかえると、
「駿河の国のなにがしという者、
このおれに無礼なることがあった。
彼奴の首を持ってまいれ」
満座の中で命じられるではないか。
わしは(はて)と内心困惑した。
首を取る、というような一大事を、
酒宴の席でいわれるとは心得ぬ。
しかもわしは頼光の殿にこそ仕えておるが、
頼信さまの郎党ではない。
あるじのご一門の縁につながる方ではあるから、
敬い申すが直々の家来とはいえぬ。
もし、わしを見込んで特に、と思われたなら、
人なきところでそっといいつけられるべきではないか。
かくも人の多い中で高らかに人の首を取れ、
などといわれるとは心得ぬ。
さてもおろかな、心なしのお人である。
わしはそう思うたゆえ、
はかばかしい返事もせずそのままにしておいた。
まして個人的にその男になんの怨みもないわしだからの。
それに侍というものは、
無用の争いは心して避けねばならぬ。
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・話は違うが、わしが若いころ、
郎党どもを多く引き連れて逢坂山を通ったことがある。
そのとき道のそばに裸で死んでいる男があった。
疵もないのに死んでおると黒山の人だかりであった。
わしは怪しいと思い、部下たちをとりまとめ、
「心せい」と声をはげました。
そうして弓を取り直し、
なるべく死人から遠く馬を歩ませ、
目はきっと死人につけて厳重に警戒しつつ通りすぎた。
道ゆく人々はあざ笑うておったよ。
あれほどたくさんの郎党を従え、武装しておりながら、
まだあのように用心するとは、肝の小さな武者よ、
というてな。
ところがわしらが通ったあとで、
今度は武者が一人でやってきた。
その武者は死人に目をとめ、不用心に馬を近づけ、
「ほう、疵もなしに死んでおる」
といいながら、手に持った弓で死人を突いてみた。
と、たちまちその死人はむくっとはねおき、
弓を引ったくって武者を馬から落とし、
その刀を抜いてそのまま刺し殺してしもうた。
着ていたものを引き剥ぎ、弓を奪うて馬に乗り、
あたりにひそんでいた手下どもを集めて狼藉を働き、
近寄れぬ勢いであったという。
これが袴垂(はかまだれ)という天下の大盗人であったそうな。
こういう奴は少しでも隙を見せるとたちまち打ってかかるものだ。
武者たるものは、用心にも用心を重ねるべきものだ。
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・おお、なにがし男はどうしたか、というのか。
それよ。
そののち、
三、四カ月ほどたって、
わしは東国へ出かける用があった。
すると頼信さまのいわれたなにがしという男に、
道中ばったりと出くわしたではないか。
わしは馬を控え、向こうも尋常に会釈して、
双方おだやかに話し、また別れて行き過ぎようとしたときだ、
その男がふといった。
「おお、そういえば頼信の殿が、
そこもとにこの私を討てといいつけられたそうですな。
風の便りに聞きましたが」
それは聞きもしよう、
あのときは人の多いところで言い放たれたのであれば、
この男の耳にもおのずと入ったであろうよ。
(次回へ)