むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「2」 ⑤

2024年09月03日 14時29分55秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「当今(今の天皇)が、
ご即位なさったのは、
花山院がご出家して、
譲位なすったからだ」

と則光はいうのであった

「花山院はみ位にあられること、
二年足らずだった
院は本来、
率直で純粋なお方なのだ
純粋すぎて世の人に、
理解されないのだ
院は癇狂の君と、
見られていらっしゃる
おれから見ると、
若い感受性のするどいお年頃に、
あまりにも深い心のきずを、
受けられたからだと思う」

則光は花山院のことになると、
雄弁になった

「院がもし、おかしいなら、
いまの権門の方お一人残らず、
狂っている
癇狂はあっちの方だ
院をだましすかした連中、
更には東三条の大臣、
(道隆、道兼、道長の父、兼家)
みなみな狂ってる」

弁のおもともいっていたけれど、
東三条の大臣、兼家公が、
いまの九条家の御末の、
栄華を築かれた
強引で苛酷なご性格で、
兄君の堀川殿・兼通公を越えて、
官位がすすんでいった

数年間、
兄弟の間に火花を散らす、
戦いがあったが、
ついに兄の兼通公が関白になり、
弟、兼家の位をとびこえて、
しまわれた

兄弟間の確執は、
ぬきがたい憎悪になってしまった

そのうち、
兄の堀川殿、兼通公が病気になられ、
危篤におちいられた

折から邸前を先払いの声がする

「東三条の弟どのが、
こちらへ参られます」

と申し上げた

兼通公は聞かれて、

(長年、不仲であったが、
さすが弟よ
危篤と聞いて見舞いに来てくれたか)

と嬉しく思われて、
お休みどころを清掃して、
迎え入れる準備をして、
いられたところ、

「東三条殿は、
もはや御門を通過して、
内裏へ参られました」

と人が告げた

兼通公は怒りに燃え狂われた

(来たら関白など、
譲ることもいうつもりであった
あいつがあんな性根だから、
不和の間柄になったのだ)

兼通公は首をもたげて、

「起こしてくれ
車の支度をせよ
前駆の者を用意させよ」

と声をしぼっていわれる

人々が怪しむうちに、
兼通公は冠を召され装束を、
つけられて参内されたのである

ご子息にたすけられ、
清涼殿の障子のほとりに、
出られると、
いましも帝と東三条殿が、
向き合っていられた

東三条殿は、
兄の堀川殿が死んだと聞かれ、
帝に関白のことを、
奉請しようと、
かけつけてきたのであった

東三条兼家公は、
かの「蜻蛉日記」の作者の夫で、
この日記にも、

「夫は家の前を
供人を引き連れて、
乗打ちした
わが家の下人が、
こちらへ来られるものと思い、
門を開いて待っているのに、
素通りして別の女の邸へいった」

と恨めしそうに書かれてある

東三条殿にあるのは、
自分の官位昇進のことだけらしく、
自分に向かって心開く人間の邸前を、
無視して通行するのは、
よくあることだったらしい

東三条殿、兼家公も帝も、
堀川殿、兼通公を見て、
ぎょっとされた

堀川殿はにがりきって、
帝の御前に、

「最後の除目を行いに、
参上しました」

と奏上して、
東三条殿の官を剥奪し、
関白は小野宮家の大臣に譲って、
家へ帰って亡くなられた

その時の帝は、
おん年十六歳の円融帝

東三条殿、兼家公は、
円融帝に、おん娘の詮子姫を、
女御として入内させ、
すでに第一皇子が、
おできになっていた

しかし自身、
関白になりそこねて、
はなはだ面白くなく、
詮子姫と皇子を里にとどめ、
御所へは帰されなかった

帝は女御と皇子に会いたく、
思し召すのであるが、
東三条殿は帝に辛く当たって、
ろくに出仕せず、
女御も帰されないのであった

東三条殿、兼家公には、
もう一つ不満があった

太政大臣の頼忠公が、
おん娘の遵子を、
やはり女御として入内させて、
いられたが、
この方が后の位に、
立たれたのであった

まだお子を、
お持ちになっていないのに、
第一皇子をお生みになった、
詮子女御をさしおいての立后で、
東三条殿は立腹していられた

女御はかず多くいられても、
立后はただお一人であり、
后になられると、
諸事の格式が格段に違い、
めでたいこと一門末代までの、
栄誉である

その心おごりがつい、
頼忠公のご一族にも出たのか、
ご子息の公任卿の失言事件、
というのがあった

遵子姫が立后されて、
初めて入内されるとき、
行列は東三条殿、兼家公の、
邸の前をにぎにぎしく通ってゆく

邸内では、
東三条殿も娘の詮子も、
心外な思いで堪えていられるのに、
后の弟君の十七歳の公任卿が、

「ここの東三条の女御は、
いつになったら后に、
お立ちになるのかね」

と揶揄された

兼家公一族は、
くやしくてたまらなかったが、
なんといってもこちらには、
皇子がいられることだし、
それをたのみにがまんしていられた






          


(次回へ)

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