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Y染色体の遺伝子系図解析から縄文時代後期晩期に急激な人口減少あった

2019-07-04 | 歴史・考古
 縄文時代の終わりに急激な人口減少があった。約2500年前の興味深い現象を東京大学の研究グループが現代の日本人男性のDNA解析から明らかにした(6月17日発表)。
 東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。研究成果はこのほど英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。
 縄文人は、狩猟採集を生業としながらも定住生活を行い、非常に高い人口密度を達成した世界的にも注目される集団である。発見された遺跡数やその規模等をもとに、縄文時代の人口は縄文時代後期・晩期にかけて急減し、弥生時代に入って急増したと推定されている(Koyama. 1979, Senri Ethnological Studies)。しかし、遺跡の発見はそのロケーション等に依存しており、遺跡が無いのか(人口が少なかったのか)、それとも発見できていないのかを判断することは難しい。
 研究グループは、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。常染色体と異なりY染色体は組換えを受けないため、塩基配列の違いをもとにY染色体の系統を区別することができる。そこで、日本人男性345名のY染色体の系統解析を行ったところ、日本人のY染色体は7つの系統に分かれることが示された。さらに、韓国人・中国人を含む他の東アジア人を併せて解析した結果、日本人で35%の頻度でみられる系統1は、他の東アジア人集団ではほとんど観察されないことが示された。
 系統1に属する日本人Y染色体の変異を詳細に解析したところ、系統1はYAPという特徴的な変異をもつY染色体ハプログループD1bに対応していることが示された。YAP変異は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNAの系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。
 次に、系統1に含まれた122人の縄文人由来Y染色体を対象に遺伝子系図解析を行ったところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、人口が急減した後、急増したことが示された。なお、本研究はY染色体を対象としており、厳密には男性の集団サイズの変化を推定したことになるが、男性の数のみが変化したとは考えにくいため、女性の集団サイズも同様の変化を示したと思われる。
 縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられる。
 本研究では、現代日本人のY染色体データをもとに縄文時代の人口の変化を推定した。現代日本人のゲノムデータを調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。本研究は、混血した集団の祖先集団における人口の変化を推定する良いケーススタディであり、本研究がとったアプローチは日本人のみならず他の集団の解析にも役立つことが期待される。
 ◆用語解説
 〇Y染色体
 男性がもつ性染色体の一つであり、性別決定に重要なSRY遺伝子を含む。父性遺伝するため、集団遺伝学的研究ではY染色体の系統は父系を反映する遺伝マーカーとして利用される。
 〇系統解析
 塩基配列またはアミノ酸配列を比較し、配列間の進化的関係(分岐のパタン)を調べる統計学的手法。
 〇YAP
 Y-chromosome Alu Polymorphismの略。Y染色体の長腕部にある約300塩基からなるAlu配列の挿入変異。アフリカ人集団にも観察されることから、アジア人の祖先がアフリカを出る前に誕生した変異と考えられている。
 〇 Y染色体ハプログループD1b
 Y染色体上の多型サイトの組合せによって分類される系統をハプログループといい、YAP変異をもつハプログループDの下位系統の1つ。
 〇ミトコンドリアDNA
 細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNA。母性遺伝するため、集団遺伝学的研究では、ミトコンドリアDNAの系統は母系を反映する遺伝マーカーとして利用される。
 〇遺伝子系図解析
 全ての生物において、親の遺伝子が複製されたコピーが子どもに伝わる。したがって、時間を遡って遺伝子コピーの親を辿っていくと、最終的に一つの共通祖先遺伝子に到達する。この過程を表現したものを遺伝子系図といい、遺伝子系図からその集団の人口の変化を推測することができる。
 ★縄文時代の温暖化・寒冷化
  (参考文献:人口から読む日本の歴史 著者:鬼頭宏)
 縄文時代の気候
 約6000年前から温暖となるが約4500年前に寒冷化し始め、約2500年前には現在の気温より1℃以上低くなった。この気候変動は海面の上昇・下降となり、「縄文海進・海退」となって現れた。
 縄文・弥生時代の人口
  時代   期間(B.C)    人口(万人)
 縄文草創期 10,000~8,000年
 縄文早期   8,000~4,000年    2
 縄文前期   4,000~3,000年   11
 縄文中期   3,000~2,000年   26  温暖化
 縄文後期   2,000~1,000年   16  寒冷化
 縄文晩期   1,000~500年     8
 弥生時代   ~AD3世紀中頃   60  稲作の普及

 朝は土砂降りの雨、次第に止み、昼頃には晴れ間が見える。
 近所の畑の近くで、色とりどりの幟の様に花が咲いている”タチアオイ”が林立している。草丈は人の背より高いのもあり、チョットした花の壁となっている。この花は、古くから夏の花の一つとして親しまれており、最もポピュラーなのは”アルケア・ロセア”という品種で、古くに伝来し漢方薬として使われていた、と言われる。
 花弁の根元が粘着質である。小さい頃の思い出に、この花の花びらをニワトリのトサカに見立てて鼻に付けて遊んだ記憶がある。・・コケコッコ花と呼ばれる(北海道や東北で)。
 タチアオイ(立葵)
 アオイ科アルテア属(タチアオイ属)
 学名:Althaea rosea
 別名:唐葵(からあおい)、梅雨葵(つゆあおい)、ホリホック(園芸種)
   平安時代は「唐葵」と呼ばれ、江戸時代から「立葵」と呼ばれる
 多年草、1~2年草(扱い)
 丈は1.5m~2m、長く真っ直ぐに伸びた花茎に沿ってアオイに似た花が咲く
 開花時期は6月~8月
 花は一重、八重もある
 花径は10cm前後、花色は赤・黄・白・紫・桃と様々


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