要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

【前記事のつづき】祖母の夕食後の状態。

2023-12-07 18:05:00 | 日記
前回のつづき

12/6(水)夜
夕食後、祖母は色々とベッドから訴えてくる。夜だから不安も増すのだろう。

寒い→部屋は暖かいし、電気毛布もしている

水が欲しい→飲ませた

ゔわー→頻度高め 

など。



その度に、私が行く。私はクマの絵柄が入ったパジャマを着ていたからか

祖母:クマちゃんが来てくれた。

と言う。リモコンを見せて温度を上げようとすると、

祖母:上げなくていい。私(祖母自身)が頭が変だから。

と言う。

私:息が苦しい?

祖母:うん。

パルスオキシメーターで測ると酸素濃度は96%、脈は120。脈は昨日から速い。


水は蓋つきのコップに入れて、曲がるストローで飲ませた。150mlくらい、ごくごく飲んだ。そのタイミングで処方してもらい届いたばかりのデエビゴ5mg(睡眠導入剤)を服用させた。そして、祖母に聞かれた。


祖母:あんた、私の脚を見た?

私:うん、見たよ。血栓が詰まって死にかけていたから、切ったよ。命が助かった。

祖母:生きとったけん面倒かけてしまう。死んどったらすっきりしたったのに。

私:そなんこと言わんとって。寂しいやん。

祖母:(涙目になる)ありがとう。

私:◯◯さん(祖母の義父、私の曾祖父)は両脚を切断していたけれど、生きとったやろ。おばあちゃんも大丈夫やで。

祖母:(◯◯さんは〜と説明を始める。)あみちゃんが車椅子を押してくれるん?

私:そやで。


こんな感じの会話がつづいた。祖母は難聴なので祖母は喋りで、私は筆談。なぜか退院前日に覚醒したかのように下肢切断をしたことをはっきりと認識したのだ。だから、今は、まだ頭が混乱しているのだと思う。これは仕方がない。祖母に限らず、多くの人が自分が気がついたときに、体の一部がなかったら、心の整理に時間を要するはずだ。


10月4日(水)に祖母が右脚の大腿部より下の切断手術を受けてから、切断したことを認識していなかった。気がつかないなら、ずっとその方がいいと思っていた。でも、そうはいかなかった。

本当に不思議なことに退院の前日から頭が冴え渡ったのか他にもこれまでと異なることがあった。それは、退院を控え、シャンプーをしてくれたことをはっきりと覚えていた。

それまで、シャンプーをしてもらい、その直後に面会をしても、シャンプーをしてもらったことを全く覚えていなかった。

私:シャンプー、気持ちよかった?

祖母:え、いつしてもらったん?


こんな感じだった。それが退院前日は、シャンプーをしてくれたことをしっかりと認識していた。


よく言えば、認知機能がしっかりとしてきたということなのだろう。しかし、それで右脚がないことがわかり、今の祖母の混乱を招いていると思えば、言葉に表しがたい複雑な気持ちだ。そして、寝る前に母がオムツ交換、私は採尿バッグの尿を排出し、就寝。


しかし、祖母は数時間おきに

助けてください。

お水をください。


と言う。その度に私が起きて対応。助けてくださいのときは、酸素吸入のカニューレが外れかかっていることがあった。お水はよく飲むが、一度かなりむせてしまった。上体を起こしたまま様子を見て、おさまってウトウトし始めたところで横にした。


【メモ】
・処方箋を届けに来てくれた某調剤薬局と玄関先で契約などの手続きを行った。

・夜中、何度も祖母は声を出す。その度に私は目が覚め、起きなければならない。分かってはいたけれども、非常に大変だ。介護する側の体がもたなくなるので、長期間は無理だと思う。

・朝7時ころ、母がいなり寿司食べさせ、メイバランスを飲ませた。その後は、再び私が介護。私は今日は休み。9時台、10時台と20分〜30分おきにお水がほしいと言うときがあった。

・自宅だと少しずつわかってきたかもしれない。とりあえず、自宅だと暴れないし、暴言も吐かない。ありがとうやごめんも言える。

とりあえず、ここまで。



☟今日、サンリオの店舗で買ったもの。


・前開きのパジャマ→素材は綿100%で、介護施設でお世話になる時に持って行く。自宅ではズボンの上げ下げは難しいので他の形にしているが、施設ではズボンもOKとのこと。
ちなみに、パジャマはSALEで30%オフだったので税込3773円。




・ストロー付きの水筒→これなら、夜中に水を自分で飲めるかな?ワンタッチ式なのだが、もしかしたら祖母には難しいかもしれない。こちらは税込1815円。






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容態悪化と急展開。

2023-12-06 18:43:00 | 日記
大事なことを書き忘れていたため追加

12/4(月)
祖母が「脚がこれだけしかない」と言い、脚を切断したことにはっきりと気がついた。退院を翌朝に控えたこのタイミングで・・・と思った。

12/5(火)
午前中退院→母付き添い
たまたま施設の職員さんに香川県出身の方がいて、和気あいあいとしていた模様。ただ疲れていたのか、お昼はお味噌汁だけ飲んだとのこと。そして、おやつ頃、私も様子を見に行ったが、寝ていたのでそのまま帰ってきた。ここまでが昨日の投稿の内容である。


このあと異変が起きた。


夕方、酸素濃度が低いからと往診の先生が祖母のことを診てくれた。酸素濃度は90台前半。酸素吸入を頑なに拒んだそうだ。
→19時頃、往診の医師から電話あり。救急車で病院に運んでもおかしくないレベルとのこと。
→急いで母と私は施設に向かう。
→祖母はものすごく攻撃的。施設の職員にもオムツ交換の際に叩いたり、爪を立ててひねったり、暴言を吐いたりした模様。申し訳ない。脚の切断をはっきりとわかったゆえの混乱か?せん妄によるものか?被害妄想か?

孫の私なら酸素吸入を受け入れてくれるかと思ったが、この日は無理だった。

私に向かって
「お前、だましたな」
「年寄りだからってだましたな」

母に向かって
「嘘つきは泥棒の始まりって子どもに教えておけ」

など。耳が悪くなってからの祖母の気の荒さや強情なところには慣れているのと、ステロイド服用で8月の入院当初にもせん妄が出て攻撃的になっているのを見ていたので、その祖母の姿や言動にはショックを受けなかった。「あー。またか。」という感じ。でも、施設の方に申し訳ない気持ち。これは推測だが、祖母は施設ということがわからず、退院と言われたのに他の病院に移されたと勘違いしている気がした。なぜなら、祖母が攻撃的になったのは、往診の先生が見えてからだからだ。


とにかく昨日は、お昼寝中も感じていたが呼吸が荒い。このやりとりの間も呼吸が辛そうだった。怒ったり叱ったりせず、ポジティブなほうで、

「5分だけ酸素をつけてみよう」
「呼吸が楽になるかも」

などと書いたが、昨日は完全に拒否だった。この辺りで酸素濃度は93。興奮もやや治っていた。ちなみに、母は割と厳しく辛らつなことを書いていたのを私は横目で見ていた。娘、強し。


そして、21時頃、母がオムツ交換をし、翌朝7時半に母が再びオムツ交換に行くことを約束して帰宅。職員さんがすると、また暴力をふるってしまう可能性があるので。


12/6(水)
今朝。聞くところによると、より一層、攻撃的になっていたそうだ。この時点でも酸素は付けてなく、酸素濃度が80だったとか。祖母は大暴れ。看護師さんも診に来てくれて、母が祖母を抑えてとにかく酸素を入れたとのこと。先生の指示で酸素は2リットル。そして、次に11時にも再び母がオムツ交換をしに施設へ行った。そして、ここで母から私に連絡が来た。


母からのメッセージ
「間質性肺炎で容態が良くないから救急車で病院に行ったほうがいいって。」

私からのメッセージ
「行って。病院に。」


(昨夜も往診の先生から電話があった際、私は病院に連れて行ったほうがいいと言った。呼吸が荒かったから。でも、母は「それは可哀想でできない。もう病院に行っても良くなるわけではないから。」と言っていた。その気持ちも痛いほどわかる。祖母も母もここまでがんばってきたから、わかる。私は祖母のことに関しては、一親等の母の意見を優先するよう心がけている。最も面倒を見ているのは母だし、母が祖母を見送ることになった時に少しでも気持ちを楽にしてあげたいから。)


そして、私は「酸素吸入をしているのなら、今日、自宅に連れて帰ってあげるのはどう?」と提案した。本来は仕事など様々なスケジュール調整の関係で来週だった。しかし、老健でもなく、療養型の病院でもなく、有料老人ホームにもしなかったのは祖母が「自宅に帰りたい」と言っていたからだ。手遅れになる前に「少しでも自宅に」と心の底から思った。


そして、今日、帰宅させるために各方面に連絡。特に驚いたのが病院が変わると提携している酸素吸入器の業者が異なり、新しく持ってきてもらわないとならないこと。9月に一度退院した時の綺麗なものがあるが、そちらではダメとのこと。ゆえに、手配してくれ13時頃持ってきてくれた。業者の方は感じが良かったし、早急に来てくれて有り難かった。だから業者に文句はない。
ただ、制度というのか、融通の効かない感じというのか、正直、こういう小さなことの積み重ねが結構負担になる。9月に借りたものは入院していた病院に電話して業者さんに改めて取りに来てもらうことに。つまり、その時間は仕事の調整をして、再び必ず家にいなければならないということ。


そして、15:30。母と私で施設に行った。まずは、寝ていたので起こした。そして、暴れないようにまず私は「今から家に帰ろう」と書いた。祖母はとても喜んだ。この時は、私の言うことをよく聞いたし、私の顔を見ると安心するなど'私に対して"は、いつもの祖母に戻っていた。施設の人には相変わらず攻撃的。ゆえに私が抗生物質を服用させ、歯も磨き、用意を整えた。職員さんの力を借りて、車椅子へ移乗、施設の車で自宅へ帰ってきた。

まさか、こんなことになるとは。退院した途端、間質性肺炎が悪化したのか、酸素濃度が下がることも想定していなかったし、施設でこんなに暴れるとはさすがに思っていなかった。母も私も昨日からてんやわんや。ここまでくると、祖母のことだけでなく、母が倒れないかが心配。私より遥かに祖母の面倒をみているので。


そして、私が今、ショックを受けているのは、祖母が自宅に帰ってきたものの、自宅だと認識できていないことだ。

「おばあちゃん、家に帰ってきたね。」
「久しぶりの家、どう?」

と聞いても

「本当に家?」
「本当に本当?」
「家という感じがしない」

などと言っている。たしかに、元々寝ていたベッドの隣に介護ベッドを入れ、そちらに寝かしたので、転落防止の柵がある。祖母はその柵を見て、

「こんなのあったかな?」

と言っている。それからやたら「寒い」という。電気毛布も入れ、暖房も25度(さすがに暑いので適宜変更している)に一旦した。それでも寒いという。皮膚感覚の衰えもあるだろう。ただ、家では全く攻撃的ではないし暴れない。落ち着いている。


とりあえず、想像にしなかったことが昨日と今日で起こっている。そして、今。祖母の好きなカボチャの煮物(3切れ)といなり寿司(1つ)を食べさせ終えたところである。この後、処方薬が自宅に届き、受け取ったら一旦私も眠りにつきたいと思っている。



【メモ】
・抗生物質を服用し始めたので、痰が出る。その痰を自分で吐き出せなくなったら、早急に施設に電話する。→吸入してもらうため

・祖母がせん妄で攻撃的になった時のためにリスパダール、夜寝られない時のためにデエビゴを処方してもらった。高齢なので最低用量。

・施設で身体抑制はできない。上記のような状態で祖母を病院に運んだら、おそらく身体抑制の対象になっていたとのこと。
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退院しました。

2023-12-05 16:19:00 | 日記
本日の午前中、祖母が退院しました。9月18日に二度目の入院をしてから78日ぶりに病院の外に出ました。そして、一週間お世話になる施設へ介護タクシーで向かいました。距離は短くても手伝ってもらうので高いものですね。1万円を用意しておいてよかったです。

面会に行く時にいつも思っていたことがあります。病院にこそ、チェーン店のドラッグストアや100円均一、コンビニ(コンビニは入っているところもありますね)があればいいのに、と。祖母が入院していた病院は、小さな売店はありましたが、ほぼ原価で販売されていました。入院時に必要な歯磨きセットやミニのシャンプーも巷のドラッグストアより数百円は高かったです。

そして、面会に行く高齢の方々が大きなオムツを運んだり、重いミネラルウォーターを運んだりしているのをほぼ毎日見かけました。弱っているときに経済的にも圧迫されるのは辛い。ドラッグストアや百均は病院にこそあればいいのにとひしひしと感じていました。

話を戻しますが、先ほどオムツやメイバランス、パジャマの着替えなどを持って施設へ行きました。祖母は寝ていました。肩をトントンとしてみましたが、起きなかったので顔だけ見て帰ってきました。移動もあり疲れたのだと思います。

そして、本日のお昼はお味噌汁しか手をつけなかったのこと。さらに酸素濃度が90%。病院では96〜99%を維持できていたので、不安です。少なくとも来週の祖母念願の自宅に一時帰宅できるまで、どうか、このまま何事もなく過ごせるように。私はそれだけを今願っています。



写真:カボチャの煮物
祖母の好物のカボチャの煮物を持って行きましたが、今日は寝ていたのでまた作ります。大きなカットですが、口に運ぶときは食べやすいサイズにして、食べさせています。
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