要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

容態悪化と急展開。

2023-12-06 18:43:00 | 日記
大事なことを書き忘れていたため追加

12/4(月)
祖母が「脚がこれだけしかない」と言い、脚を切断したことにはっきりと気がついた。退院を翌朝に控えたこのタイミングで・・・と思った。

12/5(火)
午前中退院→母付き添い
たまたま施設の職員さんに香川県出身の方がいて、和気あいあいとしていた模様。ただ疲れていたのか、お昼はお味噌汁だけ飲んだとのこと。そして、おやつ頃、私も様子を見に行ったが、寝ていたのでそのまま帰ってきた。ここまでが昨日の投稿の内容である。


このあと異変が起きた。


夕方、酸素濃度が低いからと往診の先生が祖母のことを診てくれた。酸素濃度は90台前半。酸素吸入を頑なに拒んだそうだ。
→19時頃、往診の医師から電話あり。救急車で病院に運んでもおかしくないレベルとのこと。
→急いで母と私は施設に向かう。
→祖母はものすごく攻撃的。施設の職員にもオムツ交換の際に叩いたり、爪を立ててひねったり、暴言を吐いたりした模様。申し訳ない。脚の切断をはっきりとわかったゆえの混乱か?せん妄によるものか?被害妄想か?

孫の私なら酸素吸入を受け入れてくれるかと思ったが、この日は無理だった。

私に向かって
「お前、だましたな」
「年寄りだからってだましたな」

母に向かって
「嘘つきは泥棒の始まりって子どもに教えておけ」

など。耳が悪くなってからの祖母の気の荒さや強情なところには慣れているのと、ステロイド服用で8月の入院当初にもせん妄が出て攻撃的になっているのを見ていたので、その祖母の姿や言動にはショックを受けなかった。「あー。またか。」という感じ。でも、施設の方に申し訳ない気持ち。これは推測だが、祖母は施設ということがわからず、退院と言われたのに他の病院に移されたと勘違いしている気がした。なぜなら、祖母が攻撃的になったのは、往診の先生が見えてからだからだ。


とにかく昨日は、お昼寝中も感じていたが呼吸が荒い。このやりとりの間も呼吸が辛そうだった。怒ったり叱ったりせず、ポジティブなほうで、

「5分だけ酸素をつけてみよう」
「呼吸が楽になるかも」

などと書いたが、昨日は完全に拒否だった。この辺りで酸素濃度は93。興奮もやや治っていた。ちなみに、母は割と厳しく辛らつなことを書いていたのを私は横目で見ていた。娘、強し。


そして、21時頃、母がオムツ交換をし、翌朝7時半に母が再びオムツ交換に行くことを約束して帰宅。職員さんがすると、また暴力をふるってしまう可能性があるので。


12/6(水)
今朝。聞くところによると、より一層、攻撃的になっていたそうだ。この時点でも酸素は付けてなく、酸素濃度が80だったとか。祖母は大暴れ。看護師さんも診に来てくれて、母が祖母を抑えてとにかく酸素を入れたとのこと。先生の指示で酸素は2リットル。そして、次に11時にも再び母がオムツ交換をしに施設へ行った。そして、ここで母から私に連絡が来た。


母からのメッセージ
「間質性肺炎で容態が良くないから救急車で病院に行ったほうがいいって。」

私からのメッセージ
「行って。病院に。」


(昨夜も往診の先生から電話があった際、私は病院に連れて行ったほうがいいと言った。呼吸が荒かったから。でも、母は「それは可哀想でできない。もう病院に行っても良くなるわけではないから。」と言っていた。その気持ちも痛いほどわかる。祖母も母もここまでがんばってきたから、わかる。私は祖母のことに関しては、一親等の母の意見を優先するよう心がけている。最も面倒を見ているのは母だし、母が祖母を見送ることになった時に少しでも気持ちを楽にしてあげたいから。)


そして、私は「酸素吸入をしているのなら、今日、自宅に連れて帰ってあげるのはどう?」と提案した。本来は仕事など様々なスケジュール調整の関係で来週だった。しかし、老健でもなく、療養型の病院でもなく、有料老人ホームにもしなかったのは祖母が「自宅に帰りたい」と言っていたからだ。手遅れになる前に「少しでも自宅に」と心の底から思った。


そして、今日、帰宅させるために各方面に連絡。特に驚いたのが病院が変わると提携している酸素吸入器の業者が異なり、新しく持ってきてもらわないとならないこと。9月に一度退院した時の綺麗なものがあるが、そちらではダメとのこと。ゆえに、手配してくれ13時頃持ってきてくれた。業者の方は感じが良かったし、早急に来てくれて有り難かった。だから業者に文句はない。
ただ、制度というのか、融通の効かない感じというのか、正直、こういう小さなことの積み重ねが結構負担になる。9月に借りたものは入院していた病院に電話して業者さんに改めて取りに来てもらうことに。つまり、その時間は仕事の調整をして、再び必ず家にいなければならないということ。


そして、15:30。母と私で施設に行った。まずは、寝ていたので起こした。そして、暴れないようにまず私は「今から家に帰ろう」と書いた。祖母はとても喜んだ。この時は、私の言うことをよく聞いたし、私の顔を見ると安心するなど'私に対して"は、いつもの祖母に戻っていた。施設の人には相変わらず攻撃的。ゆえに私が抗生物質を服用させ、歯も磨き、用意を整えた。職員さんの力を借りて、車椅子へ移乗、施設の車で自宅へ帰ってきた。

まさか、こんなことになるとは。退院した途端、間質性肺炎が悪化したのか、酸素濃度が下がることも想定していなかったし、施設でこんなに暴れるとはさすがに思っていなかった。母も私も昨日からてんやわんや。ここまでくると、祖母のことだけでなく、母が倒れないかが心配。私より遥かに祖母の面倒をみているので。


そして、私が今、ショックを受けているのは、祖母が自宅に帰ってきたものの、自宅だと認識できていないことだ。

「おばあちゃん、家に帰ってきたね。」
「久しぶりの家、どう?」

と聞いても

「本当に家?」
「本当に本当?」
「家という感じがしない」

などと言っている。たしかに、元々寝ていたベッドの隣に介護ベッドを入れ、そちらに寝かしたので、転落防止の柵がある。祖母はその柵を見て、

「こんなのあったかな?」

と言っている。それからやたら「寒い」という。電気毛布も入れ、暖房も25度(さすがに暑いので適宜変更している)に一旦した。それでも寒いという。皮膚感覚の衰えもあるだろう。ただ、家では全く攻撃的ではないし暴れない。落ち着いている。


とりあえず、想像にしなかったことが昨日と今日で起こっている。そして、今。祖母の好きなカボチャの煮物(3切れ)といなり寿司(1つ)を食べさせ終えたところである。この後、処方薬が自宅に届き、受け取ったら一旦私も眠りにつきたいと思っている。



【メモ】
・抗生物質を服用し始めたので、痰が出る。その痰を自分で吐き出せなくなったら、早急に施設に電話する。→吸入してもらうため

・祖母がせん妄で攻撃的になった時のためにリスパダール、夜寝られない時のためにデエビゴを処方してもらった。高齢なので最低用量。

・施設で身体抑制はできない。上記のような状態で祖母を病院に運んだら、おそらく身体抑制の対象になっていたとのこと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする