「たぬき音楽祭」-ネオ公民館『誉』-「NU」 その他ごくたまに日記が書かれたもの。

8割告知。1割旅行記。1割日記。大橋周辺を歩いてます。

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松江食堂紀行

2014年12月19日 | 松江
2012年 おむすび屋
2013年 喜久屋
2014年 わかくさ



僕の生活の中で欠かせなかった食堂が毎年ひとつずつたたまれていく。

見た目は、ボロボロ テーブルやカウンターの上はベタつき、漫画の登場人物みたいな名前も職種もわからない常連さんが昼間から酔っ払っている。
懐古主義なわけではないけど、家のお風呂や布団と同じくそんな店はおちつき、安心する。

誰が来てもいい。それぞれの事情と間で、無駄に長居もせず、その店にしかない”あ・うん”のルールに従って、独特の時間が流れる。

携帯の電波に例えて、僕はそういう時間が流れてる場所や空間をバビロン圏外と勝手に呼んでいる。



他県、都心の方には原発というイメージが強いであろう松江の海町『鹿島町』。

車を走らせ一見すれば、整備され過ぎた道路や施設が目立つ。
けれど、脇にひとつ入ってみればガードレールもままならない生活者の道路や停泊している漁師の舟を数多散見することができる。

どの町にも独特の景色や時間、空気みたいなものがある。





そんな路地を少し入ったところに、『みなと食堂』という食堂を発見し(教えてもらい)、時間を見つけては通っています。



カウンターには、漁帰りか暇でいく所のない爺さんやオッサンが昼間から堂々と下世話な話を酌み交わし、若女将が適当にあしらっている。

酔いと方言と高齢により、もはや何を言ってるのかさえわからない。

個人的には最高なBGMとして楽しんでいる。





その日釣れた粋のいい焼き魚に、あら汁。
日本昔ばなしみたいな山盛りご飯。加えてバリエーション豊かな惣菜で650円。
他のメニューも美味しそう。





平田という町には『ふるさと』という70歳ぐらいの婆さんが1人でやってるお好み焼き屋。
木次という町には『オクイ』という何を食べても美味しく安い食堂や、『いしだ』という陽気な夫婦が営む魚屋がある。ここのカニクリームコロッケは最高です。




素敵な食堂をひとつ見つけると、その町に足を伸ばす理由ができる。
ぼくらが旅に出る理由というやつだ。



10年、もしかしたら3年も経てば列挙した店は全部なくなっているかもしれない。



その一つ一つの時間を大事にしながら、3年先、10年先には誰かにとっての大事な時間となる場所を少しでも生み出す側になっていたいものだと思う。












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松江大橋拡幅について

2012年07月11日 | 松江
かつて“八百万の神の国”と称されていた日本には 意識的であれ無意識的であれ人々の心や生活の中に神様が居座っていた。


地震や台風、洪水などが他国に比べ多発しているのも自然に対する畏怖の気持ちの芽生えと、その地に住まわせていただいているという尊敬の念から由来したのも多いのではないだろうか。 


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松江市の大橋川の治水事業が本格化しはじめいている。

150年に1度あるかないかの洪水に対する対策とのことだ。
40年以上も前に持ち上がった計画の下、推進と反対とに別れ、上流部では村をダムに埋め立てられ、計画の是非を巡り自殺者まで出している経緯もある一大事業である。



僕らの親の世代までは大橋川で泳ぎ、顔を洗い、洗濯をしてたそうだ。 効率と利便性、生活の発展と引き換えに 今では泳ぐことはおろか浸かることもままならないほどに汚れてしまい、気候の変化も加わり、シジミ漁の水揚げだかは減少し、それに伴う自殺者も自分の知る範囲で発生している。



水辺の昔の家の玄関や床は、現代建築物よりも高く設計されているのをご存知だろうか。 

昔の人たちは地震も洪水も起こることが自然であることをわかっていただのだろう。 そして、それを機械や人の手で何とかしようとは考えず(技術がなかったのかもしれないが)、 起こる災害(自然)に対してどう共存していくかに視点を定め、打ちだしていっただのだろう。

八股の大蛇などの神話を見ても、古くから洪水に悩まされていたことが想像できるし、神や自然に対して祭りを奉納し、祈願していたのかもしれない。


文明の発展と共に、神などに頼らずとも安全安心を勝ち取れる様にもなり、その向こう側で数多くの生態系及び、信仰や文化が消えてなくなった。


勿論どんな物事にも光と影があり、良いも悪いも個々の主観に過ぎない。

しかし、影の部分に蓋をしすぎてしまう行為には疑問が残る。
先日(7月10日)の地方紙の特集をはじめとした紙面をはじめ、PR館を見る限り、治水による光の部分だけがクローズアップされ、そこに本来存在していたはずの文化や暮らしを目にすることはできない。

反対に蓋をされた部分を主張する人々に対しては、○○派という記号を用いて本質を逸らす。本来、モノの見方は人それぞれ異なり多角的であるにも関わらず、紙面や事業主は単純化させ、二極論に運んでいく。そうなれば必然的に「反対」という言葉のイメージは不利であり、ネガティブに世間には映る。
福島の問題一つとっても、良い悪いでは決して論じれないことは容易に想像ができる。残った人がどうとか、疎開した人がどうという話ではなく、それぞれの物語に視点を与えてみること大切である。


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さて、僕が店を構える松江大橋商店街住人の多くは、現時点での治水計画には疑問を抱いており、実に40年にも渡り翻弄されている。

近頃では、市の職員が頻繁に店を訪ね、街づくりのアイデアを聞かせてほしいと言ってくる。
拡幅をどうするかの是非も問わずに街づくりとは可笑しな話で、交際もしてない人に対して家族計画をしている様なものだと言える。


近所の店を尋ねると、思想はどちらでもないけども、長い間やるだやらないだ言っているから、改装することすら出来ないらしい。

何でもないほんの一例の話ではあれど、×(かける)住人の声があるということを立案する側は謙虚に受け止めるべきである。
そうした主権者である住人を後回しに、机上の空論だけで計画だけを進めていくこと事態が理に適ってない様に僕には見える。


また、計画に賛同する住民と何度か話をしましたが、大橋や川が好きだという思いは賛成側も反対側も大差ない様に僕は感じた。

決して賛成=お金の人ばかりではないのである。


世論が知るべきものは、何対何で事業が進み(或は凍結し)という事象ではなく、そこに存在する数多の物語ではないなろうか。

さすれば、簡単に賛成だ反対だとは割り切れない現実が浮かびあがり、はじめて問題と関わる意識が芽生えてくるのではないだろうか。


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