こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

秀吉がナマズ地震の発信源

2018-06-23 | 日記

ナマズと地震を結びつけたのは太閤秀吉だった。
大阪北部地震でクローズアップされた。

メガ震災といわれた天正大地震が発生したのは1586年11月。
当時、秀吉は琵琶湖畔の坂本城にいた。
すでに信長も光秀もいない。
地震発生の4年前に本能寺の変があった。
天下人になった秀吉まだ49歳。

琵琶湖が陥没した激震に慌てふためいた秀吉は大阪に逃げた。
「地震の日本史」(中公新書)に詳しい。
興味深いので、簡単にまとめてみよう。

その時、ナマズが奇妙な行動を起こした、との噂を秀吉が耳にした。
琵琶湖のナマズが暴れた?

後に秀吉は伏見桃山城を築く時、普請大名に直筆手紙を送っている。

鯰大事(ナマズに気をつけろ)」

天正大地震から10年後の1596年9月5日真夜中。

ナマズが飛び跳ねた。

伏見大地震だ。

前の日には豊後大分地震、その前には四国で伊予地震が発生。
断層のドミノ倒しともいわれている。

有馬ー高槻断層帯が動き、M7・5の地震が発生。
60歳になっていた秀吉はすでに伏見城を住まいとしていた。



天守閣は崩壊。
城内だけで600人以上が圧死した。
「伏見の殿中殿舎倒れ崩る。これにより上臈女房73人、中居下女500余人横死す」(家忠日記)
城下の徳川家康の屋敷も半壊するなど、市内の木造町屋長屋はひとたまりもなく壊滅。

東寺、天龍寺、大覚寺なども崩壊した。

有馬ー高槻断層帯を突き動かしたのは他の地震。
それは2つも3つも重なった巨大地震の天正地震や前日発生した豊後大分地震だった。

眠っていたナマズ、すなわち断層帯を刺激したのだ。

大阪北部地震は似通っている。
天正大地震から伏見地震のように大阪北部地震の7年にの東日本大震災。
豊後大分地震にあたるのが熊本地震。
東のプレートと九州断層帯の鳴動が有馬ー高槻断層帯を目覚めさせた。



とにかく1596年9月は大地震が連続した。

≪9月1日:伊予地震M7・0
≪9月4日:豊後地震M7・8
≪9月5日:伏見地震7・1

つながっている上町断層帯(豊中市ー岸和田)のナマズが跳ねなければいいが。



秀吉も、白川郷も震災で悲惨な目に遭っている。

人に歴史あり、地震に歴史あり。
伏見地震からわずか、2年で秀吉はこの世を去った。
天正大地震から10年の間に西日本を襲った3度の被災。
さすがの天下人も天災に降参せざるを得なかったのか?

秀吉の死は、復興への心労で早まった。
ナマズに殺されたのかも知れない。

◆天正大地震:1586年11月29日発生。震度7、M7・9~M8・4。史上最大規模の内陸直下型地震。近畿、北陸、東海の広範囲に被害。
山崩れ、液状化現象多発。京都・三十三間堂、八坂神社などが破損。特に岐阜、飛騨などで甚大な被災。帰雲城や白川郷は山崩れで数百件が埋没。近江の長浜城、岐阜・大垣城、愛知・岡崎城などが崩壊、消失した。内陸型にも関わらず、伊勢湾、若狭湾両サイドで津波の記録もある。震源域が特定できず、複合型の震災といわれ、死は行方不明の数は分からない。


 


コメントを投稿