遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

7月29日(水曜日)から8月1日(土曜日)第3章終わりまで

2007年04月09日 | Weblog
平成10年7月29日 (水曜日)
   
昨日、同室の患者さんが、白内障の手術をした。
 しばらくして、主治医が手術直後の患者さんの
様子を見にきた。手術を受けた患者さんは、
「ごりごり音が聞こえていた」と先生に話していた。

 先日退院した患者さんもいっていたが、レンズを
入れるために水晶体の一部を切っていた音がそのよ
うに聞こえたのだろう。
 私は、まだ目の手術の経験がないのでどのような
状態なのか判らないが、濁った水晶体を手術で切開
して、レンズを入れる手術が白内障の手術だと聞い
ている。

 私も、糖尿病患者である以上、合併症は必ず起こ
るであろうし、腎臓、心臓、目それに主治医に教わ
った、神経障害が必ず表れるであろう。
 その時期を早めるか、遅らせる事ができるかが私
の糖尿病との戦いである。

診療日誌

便秘3日目、今日は何がなんでも、排便しなくて
はと悩む。糖尿病の合併症で目の手術をする場合、
光凝固で黄班部と言われる細かいものを識別する目
の大切な部分を保護するためにわざとレーザー光線
で黄班部の周辺を焼いてしまう療法があると聞く。

 この手術の時期は、目の細かい血管が詰まり、簡
単に新しく非常に弱い血管が増殖し(増殖網膜症)、
弱いがゆえに直ぐ出血をするという悪循環を繰り返
す時期でもあるとのことである。

 放置すれば、網膜剥離に結びつく。私の場合、現
在そこまで悪くなっていない。有りがたい事である。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月30日(木曜日)
    
今日は採血がない日だ嬉しい。昨日は、恐怖の新
米看護婦さんがやって来た。一生懸命がんばってい
るし、早く1人前にしたいと言う気持ちは、暗黙の
うちに我ら211号室の患者から伝わってくる。

 いよいよ、私の採血の番が来た。色々と気を使っ
た言葉が注射針を刺す前にたくさん並ぶ、私も悪か
った。「痛いとワメクかも知れないが、気にせずや
ってね」励ますつもりで言った言葉のはずだった。

 しかしこの言葉が新米さんの心に強く残ってしま
ったらしい。慎重に、腕の血管を探し、(私の血管
はそんなに細くはないし、注射針を刺すのは難しく
ないはずだが...)。

 一応、針は私の腕の皮を通り、肉を左右に引き裂
いて、血管まで届いたかに見えた。でもそこまでい
くのに何故か、非常に痛い。おもむろに注射針の先
端を握り、ポンプ部分を引っ張って我が血を吸引し
ようとするが、何時もの少し黒味がかかったあの赤
い血は全く注射器の中に吸い込まれようとはしなか
った。

 針を突き刺したまま、我が血管をまさぐり始めた。
ご存知の方も多いだろう。あの痛さを。

「痛てててて...!」

それがいけなかった。かの純真な23歳の乙女は、
どうしていいか判らずそこで時間が止まってしまっ
たのだ。
 針を刺したまま沈黙が続く。そこは新米さんであ
る。2日前の夜、同じように血管をまさぐられた事
がある。
 この時はベテランの看護婦さんだった。特有の大
阪弁を使って、

「ああそう、痛い?できるだけ痛くないようにして
 上げようと思って 前の針跡の穴に刺したら、血管
 まで針が届かなかったの」

としゃべりながら、手はグルグルと針をまわして、
休みなく我が血管を探していた。経験とは恐ろしい
ものだ。
 新米さんが可愛そうになってきたので、

「夕方の採血は成功しようね」

と心にもない事をいって慰めた。早く1人前になっ
て、上手に注射をしてくれる事を願いながら...。
        
(私の入院中は無理だね、願わくば、次回あなたが
 来るまでに私は退院をしたい)

診療日誌

昨日は、主治医が次のことを教えてくれた。イン
スリン注射は、膵臓のインスリン分泌の助けを補助
するものであるからそれをする事によりインスリン
注射が習慣づけられ膵臓が怠けて、インスリンを分
泌しなくなる事はない。膵臓の負担を軽減するので
あるから、膵臓はかえって元気を取り戻す。従って、
そうなれば、インスリン注射の量を減らす事ができ
る。 太ることは脂肪が蓄積されることである。
脂肪の蓄積は、インスリンのアクセプタの働きを悪
くする。従って、太る事は糖尿病にとって良くない。

  主治医は時々、私の回診を飛ばしてしまう。でも
私のベッドに立ち寄る時は糖尿病について、ご自分
の意見を話してくれる。これは私にとって病気に対
する知識を増やすとてもいい機会である。主治医の
意見と少し違った考え方を私は持っていたので先生
に次のように話した。

「私は、先生の考え方と少し違います。確かに体を
 休めれば、次への活力が沸いてきますが、使わな
 い事によって筋肉のように退化をすると思います。
  膵臓も、外部からインスリンを補給してやれば、
 自分は生産する必要が無くなるので機能が低下し
 ていくと思います」

  先生のご意見が正しいとか、間違っているとか
の次元で自分の意見をいったのではない。個人的に、
30年間この考え方で薬を拒否し続けた私は、常時
与えることによる「習慣化」から生じる機能の低下
の有無を先生に聞きたかったのである。また、外科
的治療以外はほとんどが対象療法であると思う。

 即ち進行を一時的に食い止める事は薬でできるが
完治させる事はできないと考えるのである。 糖尿
病治療は対症療法治療であると思う。

 それに、薬は必ず副作用があると私自身は信じて
いる。だから、薬を使わなければならない場合以外
は安易に使いたくないのが私の気持ちなのである。

  例外として、膵臓から全くインスリンを出さな
い糖尿病は、膵臓が怠けているわけでもなく、受動
態(インスリンを受け取る組識)の働きが悪いわけ
でもない。生まれつき全く機能しない(真性糖尿病)
のであるから、この場合はインスリンを投与しなけ
ればならない。薬の投与意外に治療の方法が無いの
である。

 自分の体に対して、自分への責任負担で拒否し続
けたのであり、たまたまそれでも糖尿病がそれほど
悪化しなかったという偶然性であるかも知れないか
ら、決して、他人に自分の考えを認めて欲しいとい
うのではない。
 真実を専門家から聞き出したいという気持ちが表
れたのである。運動療法、食餌療法で良好なコント
ロールができる間に頑張って糖尿病を悪化させる事
無く普通の生活が可能である事を示したい。

 そして、すべての物は自然の形が一番いいと私は
信じている。
(しかし、後に、心臓バイパス手術を受けた)


血糖値(自己採血)

7時00分 82(mg/dl)

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月31日 (金曜日)
   
 主治医にハッパをかけられたので、勉強の為の
本を3冊も買ってしまった。家にも糖尿病に関す
る本は持っているけれど、毎回、回診時に何か一
つは糖尿病に関する事を意識的に私に教えていっ
てくれるから、私としても、外交辞令上、何か本
を買って勉強をしている振りをしなければ申し訳
ない気持ちなのである。
 長い糖尿病生活の間に、数え切れない数の先生
方にお世話になった。しかし、すべての先生が良
い先生とは言えなかったと思う。

 例えば、患者が質問すると、頭ごなしに怒る先
生、直ぐにインスリン注射による治療を強要する
先生(それが必要である事を患者に納得させて欲
しいのである)。だから、私はこの病院で私の主
治医の患者に対する対応が好きなのである。少し
難を言えば、患者に対する言葉がぶっきらぼうな
ところだけであるが私にとって、これと治療とは
何の関係も無いのでマイナス要素とはならない。


診療日誌

今日は採血の日、幸い7時の採血は主任さん。
 少し痛かったが無事すんだ。運動量は、9時
30分過ぎから、30分間駆け足を混ぜながら
の運動を試みた。体調の変化としては、左目が
少し変に感じることと、今日は耳が少しツーン
としている。明らかに、散歩的な軽い運動とは
違いがあるようだ。血圧が上昇して、血糖値も
下がっているのかも知れない。

 明日、今日の血糖値が判った時、この体調の
変化が何から来ているのかわかるかも知れない。
 心臓に負担をかけないぐらいの運動量であった
と思うが、変化があると言うことは、運動に無理
があったのだろう。

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年8月1日 (土曜日)
    
今朝7時にはすでに小雨が降っていた。朝の4時
ごろから寒気がしたので、低血糖症状が出たと思っ
た。
 甘いものを食べる程のことでないと判断する。
 また、今まで努力して降下させた値を上げてし
まう不安があったので看護婦さんを呼ぶことをや
めた。
 しばらくして、眠ってしまったのだろう。看護
婦さんに起こされて7時少し前に目が覚めた。血
糖値の自己測定をしたら、76(mg/dl)であった。
やはり下がり過ぎたのだ(正常な人は、この血糖
値は良好な範囲であるのだが・・・)昨日、少し
駆け足を含めた運動をしたが、血糖値に運動をし
たことによる値の変化は現れていなかった。逆に
心持ち血糖値が上がった感じであったが、1日遅
れて、運動の効果が出てきたのだろうか。もしそ
うであれば、運動を続ければ昼間の血糖値が下が
る可能性が大である。

入院2週間目、今日は同室の糖尿病先輩の退院
である。しかし、よくなっての退院ではないので
ご本人もそんなに嬉しくはないようだ。対症療法
であるから、目が悪くなればレーザーで焼き、目
が濁れば、水晶体を人工レンズに変える。

 足が異常に赤くなれば、患部の切断をする。ど
れをとっても患者には嬉しい話ではない。
 入院と退院を繰り返してだんだんと糖尿病は悪
化していく。その間おおよそ、7年から30年の
歳月が流れる。
 この患者さんもその周期の中の1人であろう。
 病気は、ゆっくりと進行していく。しかし私の
ように運のよい糖尿病患者もいる。長崎で、病院
に何の気兼ねもなく通院できた環境が良かったの
だろう。看護婦さんはじめスタッフの皆さんは、
私が若いということから、食餌療法と運動療法で
血糖値を下げるよう指導してくれた。

また、毎年の定期検診は忘れかけていた糖尿病治
療を思い出させてくれたし、海外勤務を希望するが
ゆえの血糖値を下げる努力。あるいは、「お酒」は
1年間の間全く口にしなくても平気だという体質が
カロリーの制限を容易にしたのかも知れない。

 ただ「たばこ」はヘビースモーカーで1日に2箱
は吸っていた時もあった。どうしても禁煙ができな
かったが、この煙草の異常な喫煙量が、心臓に負担
をかける事になったのも事実である。

 私は、「たばこ」を、お医者さんにストップをか
けられる前に止めたことを自慢にしている。しかし、
今まで真剣に糖尿病の管理をしたかというと、心も
とない。

 やはり腹一杯食べて、飲んでいた様にも思う。土
曜日は、「羽目をはずす日」と決めて、アンパン、
ポテトチップスなど腹いっぱい食べていた。それが
何時の間にか週末だけでなく普段の日も食べるよう
になっていたような気もする。

 そのような状態の私を、引き戻してくれたのは
紛れも無い、妻であった。女房の私への管理と献
身は時には、腹立つ事もあったし、食べ物で喧嘩
する事もあったが、つまるところ彼女が行う私へ
の食べ物のコントロールが、私を合併症から救っ
たのだと思う。

 それに、歩くことを実行した。すでにお話した
が、南太平洋の島での生活は、通勤に往復2時間
20分をかけて職場まで歩くなど運動療法は特に
心がけた。

 これらが良い結果をもたらしたのだと思う。

診療日誌

 今朝4時、寒気がした。7時自己測定をすると、
76(mg/dl)と血糖値は健康な人の値である70
(mg/dl)台となった。本来ならとても嬉しい血糖
値であるが、高血糖値を維持している私には、逆に
この値が低血糖値として体に作用するのである。

 昨日の少し過激な運動が、一度は血糖値を上げる
作用をし、血糖値が低下する空服時に効果が現れた
のである。さらに、血糖降下剤を朝と夜に服用して
いるので、この薬の効果と運動によるカロリーの消
費が血糖値を異常に下げたものと思われる。

 このことから、運動をすることが血糖値を下げる
作用があること、血糖効果剤が働いていることが確
認されたことにもなる。
 回診時、主治医にこの事を話し薬の量を1/2錠と
してもらった。

血糖値(自己測定)

7時00分   76(mg/dl)
9時00分 182(mg/dl)
10時00分 264(mg/dl)
11時00分  203(mg/dl)


     第3章終わり  第4章へ

平成10年7月26日(日曜日)から28日(火曜日)まで

2007年04月09日 | Weblog
平成10年7月26日 (日曜日)
   
 「類は類を呼ぶ」、というのか、静かであった我
が211号室のベッドに、思い切り大きな音でオ
ナラを放る人が入った。私が入院して2、3日間
は静かであったが、今朝は、朝っぱらから2発も
洗礼を受けた。

 盲腸の後に待つオナラは別だが...。あまり気持
ちのいいものではない。

診療日誌

 日曜日は、あの注射針の洗礼を受けなくてすむ、
土曜日、日曜日は私の最良の日である。 少し心配
なのはやはり、「便秘」のこと。昔のように簡単
に用を足せない。昼ご飯を過ぎて3回目の挑戦、
体も脳もまだ排便の準備ができていないようだ。

 それに精神的な要素が多分にあるのだろう。便
器に座って待つ事15分、少しその気になってきた。

 ここを逃してはと力む。こうして目的を達成す
る。少し排便できた。
下腹が張っていたので明日は浣腸をしなければ
と覚悟していた矢先でありこれで安心。

午後2時30分頃からいつものようにJRの駅の
そばにあるデパートに行き、ノート2冊とウーロ
ン茶を買って帰る。これが午後の運動を兼ねた買
い物である。

血糖値(自己測定)

7時15分 107(mg/dl)


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  

平成10年7月27日 (月曜日)
   
 朝からさわやかな天気である。月曜日は採血の日
だ。午前7時15分の採血は夜勤明けであるから昨
夜と同じ看護婦さんだ。

 問題は、勤務交代後だ。1日、4回採血されるか
ら両腕の血管は注射針の跡でぶつぶつと小さな点が
残っている。あと半月ぐらい針を刺されるかと思う
とおっくうになるが、もっとひどい患者さんがいる
のだから我慢しなくてはとあきらめる。
 
空腹時の血糖値は落ち着いてきたようだ。大体1
10(mg/dl)前後だから境界値ぐらいまで下がっ
てきた。
 食後2時間ぐらいが最高値であり、300(mg/dl)
に近い値となる。この値は、まだ改善されていない。
 食後3時間後は、正常の人の約3倍以上ある。この
高血糖値が身体に相当な負担となっているものと考え
られる。同室の患者さんをみるとき、再入院される患
者さんの入院回数が多いほど、合併症が重症になって
いる。

 糖尿病は完治しないといわれるが、発病後の期間
が長い程、合併症が重症になっている現実から、糖
尿病治療の難しさを理解した。

 私の場合も正確には出戻り患者である。(以前、
千葉県にあるG病院に2週間ほど「教育入院」をし
た)この時、糖尿病患者で入院された方が、大声
でわめきながら意識も回復せず他界された現実を見
た。

しかし、自身の血糖値コントロールになると良好
に保つのは非常に難しい。今回、目の検査をしたが、
結果は(A2)ランクであり糖尿病患者としての症状
は出ているが、手術の必要はないと言われた。腎臓
も大丈夫なようだ。(平成19年3月現在もA2ラ
ンクであり、状態としては、約年間変化していない)

 ただ心臓が、安静時はどうもないのだが、歩いた
り、負荷をかけたりすると辛い。心臓については、
「心筋梗塞の疑いがあり」とか、「心臓は検査の結
果ネガティブだ」とか、正反対の診断をされている。
お医者さんにより診断がまちまちであるようだ。自
覚症状があるのだからと言う事で、心臓の薬を飲ん
でいるが、気持ちとしてはすっきりしない。

 一時帰国で日本へ戻った時、長男が学んでいる大
学へ行くためJRの四ツ谷駅の側にあるK大学前の道
幅の広い道路を横断しようとしたが渡りきれず中央
近くで立ち往生した。

 次の信号が青になるのを待って渡りきったという
状況であった。入院して直ぐに主治医が、「血糖値
があまりにも高い」という事で点滴をしてくれたこ
とがよかったのか、その1日後心臓がすごく軽く感
じたのであった。

 この時、直にそれを主治医に報告した。この状況
の変化から、心臓疾患を見つけてもらいたかったの
である。主治医はいとも簡単に私に言ったものだ。

「血糖値がさがったからだよ」

点滴をしてから、4日間ぐらいは心臓が普通に機能
していた気がする。この事を家内に

「入院してよかった。もしかしたら心臓が直ったか
 も知れない。負荷をかけても何時もと違うんだ」

と喜んで電話で報告している。しかし、現実はそれ
ほど甘くはなかった。

 横断歩道を渡りきれない状態ではないがまだ心臓
の機能は十分なものではない。私の心臓の状態が、
顕著な症状を示さないので、私は、主治医に心臓の
話をする時は、「心臓があるという事を感じる」と
表現する。不確実な表現であるが、私はこれが一番
正確な伝え方だと思っている。

「難しい表現をする」とたしなまれるのであるが、
「痛くてきりきりする」というような言葉ではっき
りと表せない症状なのである。「心臓が普通でない」。
この表現が一番合っているようだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 トレッドミルと呼ばれる心臓の検査があるが、あ
のベルトコンベアーの上を時間の間隔をずらしなが
ら速度調節をして歩き、身体には電極をいっぱい付
けてその波形がオシロスコープと呼ばれる(電子屋
である自分はそう呼んでいるが、医療現場では何と
言っているのか判らない)複数台の機械で測定され
る検査を何回か受診した。この検査でも、心筋梗塞
の明確な診断は出ていない。また、「24時間心電
図」という一日中、心電図を付けて測定する検査も
あまり顕著な診断結果はでなかった。

 後日、入院先の病院で心臓のエコー検査を受け
たがその時の担当の先生は、「大丈夫心筋梗塞は出
ていない」・・・と。

 以前の経歴として心筋梗塞の後も見られないよう
だ。不整脈も現れていないし心臓については心配す
るような問題はない」と明確に心筋梗塞など私が以
前受けた健康診断結果を含めて今までの診断結果を
否定された。
 以前にも触れたが、27年から30年間糖尿病を
患っていながら、合併症については、目が(A2)
レベルである事以外はすべて否定されたのである。
 (☆ 後日、心筋梗塞で心臓バイパス手術を受け
る事になるのだが・・・・・・・)

ある患者さんが退院前日に私に話しかけてこられ
た。患者さんの血糖値の下がり方が私のそれに良く
似ていたそうである。(主治医から聞かれたのだろ
う)その方は、27年の糖尿病経歴があるとの事、
しかし合併症が出ていないと話しておられた。血糖
値は300(mg/dl)以上は高くなった事が無いとも話
された。私のような症状の糖尿病患者は他にもたく
さんおられるのだと驚いた。

主治医が、「薬でいけますよ」と退院説明の時話
しておられた。糖尿病の怖さをもっと多くの人々に
知ってもらい、諦めず適切なコントロールを行えば、
多くの患者が合併症の苦しみから救われるのではな
いだろうかと、入院してからすごく感じるようにな
った。

診療日誌

 朝食後、20分間力んでみたが、目的達成せず、
又便秘である。今回はあきらめて、もう少し時間を
置いてから試してみよう。肛門と腰のあたりがむず
むずするから便が詰まっているのだろう。

 下剤は使わないように努力しょう。

血糖値(自己測定)

7時00分  86(mg/dl)
11時00分 166(mg/dl)


    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月28日(火曜日)
   
 入院してから便秘に苦しめられ続けている。昨日
も、排便できなかった。3食残さず食べているのに
食物はどこに消えていったのだろう。「備蓄がなく
なった」と看護婦さんに冗談を言っていられるほど
余裕はなくなってきている。

 病院も慣れたもので、大と小の回数は聞いてくれ
るが、「あなたは、薬が嫌いね?頑張ってね」
と冷たく感じるような言葉だけを私に投げかけてく
れる。もう私の薬嫌いが病院スタッフには知れわた
っているのだ。

 入院という環境が便秘の原因だろうかともかく、
下剤を使わなくても良いようにがんばろう。それに
インスリン注射を拒否している以上血糖値の上昇は
絶対に避けなければならない。

そこで、病院食以外は食べない。運動はしっかり
実行する。血糖値の経過は自己測定を含めて記録を
とろう。
(血糖値自己測定は保険が使えない。
 従って、試験紙は、1箱1万5千円(100枚入
り)のものを使っている。測定器は亡くなった兄が
私にくれたものであり、ただ一つの兄の形見となっ
てしまった)

治療日誌

今日は、身体の電解液を調べると言う事で、朝
7時からの採血で多量の血液を採取された。主治
医は検査の結果を教えず、回診の時は、「何も解
かっていないな。本を買ってきて勉強しなさい」
と関係ない事ばかり言って帰る。そういう風に私
を挑発したあとで、糖尿病に関係のあることを教
えてくれるのである。
前にも話したであろうか、眼球は血糖値によっ
てそのレンズが厚くなったり、薄くなったりする。
 従って、血糖値の上がり下がりの激しい場合は
眼鏡が合わなくなることなど、例をあげて説明し
てくれるのである。

その時は医大の講師にもどっているのであろう。
 ここで主治医が今日、私に教えてくれた事を少
しまとめてみよう。


 糖尿病は自律神経が機能しなくなると大変であ
る。糖尿病による突然死は自律神経が機能しなく
なった場合である。
 呼吸は、自分で意識しなくても空気をすってい
るし、立ちくらみは血管の収縮現象が行われなく
なると血液が送れなくなっておこり。自立神経が
侵されると血管の収縮はできなくなり、抹消神経
も麻痺する。つまり、糖尿病性神経障害が起こる
のである。こうなると、足を切っても痛くない。

「糖尿病が発病してから大体7年ぐらいで合併症
がでるのではないか?」

と尋ねたら、医者の立場から言えば、大体15年
から17年ぐらいかかる。7年ぐらいで合併症が
でるのは患者さんが相当むちゃをしている証拠だ。

 水分を取る事は非常に大切だ。それと運動は糖
尿病の治療には欠かせない。それも、筋肉をつけ
る事だ、例えるならば、老人を軽トラックと考え
れば、若いはつらつとした青年は大型ダンプカー
だ。健康な人は、余った糖は脂肪に変えて蓄積す
る。
 大型のダンプはガソリンをたくさん食べる。し
かし、それをほとんどすべて消費する。軽トラッ
クは消費量が少ない。食物を多くとれば老人はそ
れを燃やすだけの力はないので、蓄積される。

 ダンプカーは、燃料を多く確保してもそれを消
費するからよい。消費するのは筋肉だ。つまり、
筋肉をつければ、糖はその筋肉で消費される。
 要約すると、糖尿病で恐ろしいのは、目とか心
臓よりも自律神経がおかされる事である。これに
より、我々が知らない間も動いてくれるすべての
もの、例えば、呼吸や、血管の収縮などに乱れが
生じ、停止する危険性がある。
 運動は、筋肉を作るために必要だ、糖の消費の
為に運動すると言う事より、糖を消費してくれる
筋肉を作ればいいではないか。

 一度にまとめて運動するより間隔をとって運動
するとよい。例えば、食後1時間、2時間という
ように。これによってあなたの血糖値は更に下が
る可能性がある。現在の昼食後の血糖値はまだ高
すぎる。これを正常値に持っていくようがんばり
なさい。

 など、主治医は徹底的に私を教育しようとした。
 できなければ、S先生に叱られるからともいった。
 どうやら、私はS先生からK先生に預けられたようだ。

治療日誌

血糖値(自己測定)

7時00分 88(mg/dl)
11時15分 229(mg/dl)
      (運動量 4、499歩)

17時15分  102(mg/dl)
      (運動量 7、071歩)

22時00分 測定なし
      (運動量 3、964歩)

 今日は、主治医の指導があり、運動量を2倍に
増やした。カロリー制限による体力の消耗がはげ
しく、運動途中でも少し向かい風が吹けばよろける。
 意識的にも足を前に運ぶのが精一杯の感じである。
 それに低血糖症状が出て左目が非常に霞む。

 以前、血糖値を強制的に下げたのと同じ症状がで
ているが、糖の補給をする事は止める。(ジュース
を飲めば、直ぐに楽になると思うが、糖の補給をす
れば、せっかく正常値に近づいている血糖値が悪く
なる)歩くと言う気力もなくただ足を前に運んで、
それも少し風が吹くと立ち止まり、やっと、X駅の
南側までたどり着く。
 そこで、こじんまりとした古本屋さんを見つけた。
 2冊1、000円の本を買って、X駅北側のビル街
を過ぎる頃には疲れはすっかり取れて、はつらつと
歩いていた。本屋さんでの立ち読みと、それによる
休憩、本を買ったという嬉しさですっかり疲れを忘
れているのである。

 運動状況を主治医に報告するかどうか考えるが、
このような状態はすでに幾度も経験しており、対処
の方法を知っているのでこのまま、昼間の食後の血
糖値が下がるかどうか一週間ばかりがんばる事にした。

 これで血糖値が下がれば運動量と血糖値降下の関
係が判り今後の運動療法に役立つと考えた。


  平成10年7月29日へつづく

日記(第2回目)第2章おわりまで

2007年04月09日 | Weblog
第2回目

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平成10年7月23日 (木曜日)  

 今朝0時30分頃は雷雨が激しかった。闇夜の稲
光と轟く雷鳴。雷に起こされて、仕方なくトイレへ
行った。
 その後、いつの間にか眠ってしまった。今朝は快
晴でそう快な気分だ。お隣の新患さんと窓際のベッ
ドの先輩は朝が早い。少し迷惑だけど相部屋だから
仕方がない。それに、私と違って毎日ベッドにいる
だけだから疲かれないのだろう。

  新患さんは、体格がよいからか、昨日も暑い暑
いの連発であった。自分はそんなに感じないが、大
きな声で連発されると、 部屋にエアコンがあるだ
けに辛い気持ちになる。

 エアアコンの風が、直接私のベッドに吹込むので
5分もしないうちに身体が冷え切ってしまうのであ
る。

 それに元来私は、冷房が嫌いなのである。暑い暑
いと連発される時、私は部屋をそっと出て行く事に
している。一呼吸をおいて、部屋に戻って来たら、
何時ものようにエアコンが運転されていた。


 久しぶりに夢をみた。若いとき、たびたび、空を
飛ぶ夢をみたが、不思議と鳥のように手を上下にバ
タバタすると空中に体が浮くのである。

 ただし、小鳥のようにスムーズにはいかない。何
かに追われて、危険を感じ、絶体絶命のとき、死に
もの狂いで両手をバタバタするのである。

 すると、空中に飛び上がり、後はスイスイと飛び
回れる。そんな夢の中で、

 「君に外国へ行ってもらおう」

と会議で決定された。

 「正夢であればいいのにな...」

と、しばらく夢の余韻を楽しんだ。実は、入院を決
意した時、海外で暮らすことは今後なくなるだろう
と覚悟をしたのである。

 「入院しなければならない人間が海外で仕事が出
  来るわけがない」

と判断されると思ったからだ。

 心の中では、海外赴任をしたい気持ちは変わらな
いが、そんな気持ちが、夢にでてきたのであろう。

 糖尿病の状態はすこぶる良好。今朝は、自己測定
で、血糖値94(mg/dl)を記録した。

 「もう外国へでれんな」

と入院願いを出した時、職場でいわれた。

 「すでにあきらめています。入院すると決めたときに」

と答えたがその時、私の心は決まったはずであった。
 しかし、まだ未練があるようだ。「これだけ自己
管理ができるのだから外国行きも問題ないんじゃな
い?」という気持ちがもたげてきたのである。正常
になりつつある血糖値をみて、MクリニックのS先生、
入院先の主治医、それに看護婦さんや補助さん、ベ
ッドを片づけてくれるおばさんや掃除してくれるお
じさん達のお陰を忘れかけている自分に気が付いた。

 糖尿病患者に静かに近づいてくる恐ろしい病気...。
糖尿性網膜症、壊疽。糖尿病性神経障害(これは体
の隅々まで張り巡らされた神経の道路が切断された
と考えればいい)(体をコントロールするためには
脳からの司令が必要となるがこの司令を送る道路に
相当する神経細胞は体の隅々まで張り巡らされてる)。
 
 これに障害が起こると、痛いという感覚もなくな
ってしまうそうだ。足がジンジンしたり、冷えたり
そして痛む症状が現れ始め、それが重くなると麻痺
をしてしまうとのことである。私が、入院した当時、
先生が、脚気の検査と同じ検査をした。ゴム付きの
棒で叩くと、ぴょこん、ぴょこんと足が上がる。

 この検査を受けた時、何故、脚気の検査をするの
か不思議であった。その理由を今、理解した。

 神経の検査をしていたのだ。抹消神経の検査だっ
たのだ。神経障害だけが、糖尿病の合併症ではない。
 心臓は心筋梗塞、腎臓は糖尿病性腎症などがある。

 自分が今、糖尿病のコントロール不良で危険信号
となっているのは、心臓と目である。心臓が、「心
筋梗塞の疑いがある」と診断されたのは、平成8年
8月、南太平洋の島から一時帰国した時であった。

 心臓の変化は、兄、久三の余命が約3ヶ月だとい
う報を日本で留守宅を守る妻から受けた時から始ま
った。
 私は、糖尿病持ちである事を自覚しているし周囲
の人々にも周知しているから、外国でも(ただし、
技術援助国の仲間などには知らせていない。心配と、
誤解それに間違った偏見をもたれないように考えて
そうしていた。)

 職場と住まいの間の移動は運動療法を兼ねて、自
家用車を手に入れるまでの3ヶ月間はバスと歩きで
あった。

 歩いて通う時は、片道1時間10分かかった。こ
の国の習慣か、バスは朝の通勤時間は頻繁に運行さ
れるが、帰りの時間は5時30分を過ぎると極端に
少なくなるし、日中はほとんど運行されない。

 そんな事情であるからおいおい歩くことになる。
 私は、結構おどけ者で仕事場の仲間にダーバンの
巻き方を教わり、頭に巻いて、衣装は民族衣装をま
とい通勤したものだった。バスターミナルは多くの
バスが入っているため、どのバスに乗ればよいのか
わからずキョロ、キョロしているとバスの運転手が
手まねで、「これに乗れ!」と教えてくれた。

 そんな風に、楽しく毎日を過ごしていた。このよ
うな性格が、私の糖尿病合併症を遅らせるのに役だ
ったのかも知れない。

 海外で単身の1年間、食事は中国人のレストラン
(小さな店)で、夕方の食事は自分の好みに調理し
てもらい、土曜日は3食その店で食べ、日曜日は土
曜日夕方に次の日の食材をそのレストランの奥さん
に揃えてもらっておく。という生活が続いた。

 これは、私にとっては、食事制限が実行できるし、
そのお店にとっては固定客が付くという双方にとっ
てとても都合のいいものであったが当然、相手に損
をさせない様に気を配ることが長続きの秘訣であり、
その点は十分に注意を払ったつもりである。

 それに通算6年間という長い海外生活をしていて、
糖尿病患者である私が、それを悪化させなかったの
には一つの理由がある。

 もし持病が悪化し帰国する事になった場合の関係
者にかける迷惑を考えた時、どうしても規則正しい
生活になるのである。ましてや病死し氷詰めで送還
される自分の姿を思い浮かべれば、自然と自分の生
活習慣に気を配るものである。


話は変わるが、血圧の薬とか、血糖降下剤を服用
していると、男性の機能が低下すると、本に書いて
あったので、回診時、先生に尋ねてみた。以下のよ
うな内容である。

 「先生、血圧の薬とか、口径血糖降下剤を使うと、
  男性の機能が落ちるという事が書いてあるので
  すが、勃起はしなくなるのですか?...」

「薬で弱くなる事もあるが、薬より糖尿病で勃起力
 が落ちたのではないか、うまく血糖値をコントロ
 ールしておれば、勃起をする。60歳の患者さん
 から連絡があったが朝立ちするといっていたよ。
 血糖値のコントロールがよければ回復するよ」

 ストレスも糖尿病に悪いのではないかと思う。ちょ
うど、心臓がおかしくなった時、兄、久三が幾ばく
も無い寿命だと連絡を受けてから、約1週間、夜、
部屋で大声をだして泣き明かした。(単身である
から、遠慮するなにもなかったためか)

 私が、薬を飲み始めたのは、この後であったと思
う。元来、薬嫌いの私は、インスリン注射ばかりで
なく、口径血糖降下剤も拒否しつづけていたのであ
るが、病気で死ぬ事があったら、皆さんに迷惑をか
ける。薬も飲んでなくて病死したら、申し訳ないと
いう気持ちが、わたしに薬を飲ませる決心をさせた
のである。 

 30年近く、薬を拒否し続けた私にとっては、本
当にあっけない幕切れだった。もう一つ、あれほど
に止められなかった「たばこ」を何故止められたの
か自分も判らないが簡単にやめてしまった。この
「たばこ」の件で自慢できる事がある。これは、先
生に、「たばこを止めなさい」。と言われる前に止
めた事である。

 従って、先生が、「たばこを吸っていますか?」

と尋ねられた時、「たばこは止めました」。こう答
える時、すごく快感であったものだ。

診療日誌

 今日は、主治医に、「糖尿病のことは全然わかっ
ていない。もっと勉強しなさい」と言われた。

 「蛋白はウイルスだ。だから、脳は蛋白を使わな
  い。蛋白を使うと頭はウイルスで侵される。脳
  が使うのは糖だ」

 「 糖はグリコーゲンとして貯え、それを必要に応
  じて使う」

最後に一言、

 「本を買ってきて勉強しなさいよ」

と言い残して部屋を出ていかれた。一瞬、頭に来た。

 「だって、そういう事は、先生が患者に教える事
  でしょ」

 患者は、その患者のレベルに合った説明を先生か
ら聞くべきだし、先生は、患者の知識の程度を知っ
て、糖尿病を説明する義務があると思う。当病院の
主治医は、その事を実行してくれている。少し皮肉
まじりに...。

 患者は、お医者さんにかかっているという安心感
から、コントロールが悪くなっても「大丈夫だろう」
と考える。

 将来、大変なことになることにも気が付かずむち
ゃをしてしまうのである。

 話の成り行きから、新宿にある大きな書店に糖尿
病の本を買いに行くはめになった。


血糖値(自己測定)

7時15分 94(mg/dl)

    
    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


平成10年7月24日 (金曜日)

 昨日から我が相部屋、211号室は満員御礼となる。
 1名の患者さんは、白内障の手術で入院との事。
 もう1名は、なぜか眠り続けている。
 
 「血糖値が400(mg/dl )だから、インスリンで
  直ぐに値を落して1週間ぐらいで帰りましょうね」

と院長先生が話しておられた。おふたりとも糖尿病
患者には違いない。
 最初の患者さんは発病以来7年が過ぎているとの
事であるから、合併症が現われるのが少し早い気が
する。
 むちゃな事をしたのだろうか。手術をする患者さ
んは、朝食前に何やらボリボリと食べていたようだ。

例によって、看護婦さんが手術前の患者に言う言
葉、

 「お風呂に入って身体を清潔にしておいてください」

こうして、本日の入院生活は始まった。

手術といっても見かけは簡単なものである。看護
婦さんが来て、今から手術しますから下に降りてき
てください。患者は、自分の足を使って手術室に出
向くのである。手術前と、手術後で異なることは、
目に包帯が巻かれている事と3時間ばかり患者のベ
ッドの周りにあるカーテンが閉じられ、眠るよう指
示される事だけである。目の手術を受けた患者さん
の言う言葉は決まって、

 「ゾリゾリという音がするんだよね、手術中に」

 そして、繰り返し入院している患者は、その夜か
ら間食が始まる。初めて糖尿病と診断された患者は、
忠実に運動療法や食事療法をやっている。

 初心を忘れないようにしたいものである。入院か
ら退院までの期間は、大体1週間から10日間ぐら
いである。(糖尿病による眼の手術の場合)

 当時、私の糖尿病を見つけてくれた病院にどのよ
うな理由で行ったのか覚えていない。

 その医院は、本名川(確かそういう名前の大きな
川だった。そこには大きな鯉がたくさん泳いでいた)
の橋を渡りきったところの右下にあった。職場が関
係する病院で治療を受け始めた私は。食餌療法だけ
でがんばろうという事になり、病院の看護婦さん達
には十分大事にされて通院治療を行った。

 看護婦さんは、そのほとんどの人が患者に親切で
ある。ほとんどと書いたのはその後、糖尿病で幾多
の病院にお世話になったが、先生にボロボロに叱ら
れると、看護婦さんからも決まって同じような対応
を受けた経験からそう書いたのである。

考えてみると看護婦さんは医師に逆らった行動を
とる事は職業柄できないのであろう。その頃は、病
気と医師と看護婦さんとの三つ巴で気が変になりそ
うであった。

 人前で叱られたことが幾度もあったし、その度に
病院を換えた記憶もある。(不思議とそんな時は、
私の身体を気遣ってしかってくれているとは感じな
かった)この時のデータ総てを持ち合わせていない
が、空腹時で120(mg/dl)ぐらいだったと思う。

 今、鮮明に思い出すのは、血糖値負荷試験という
検査である。最近は、ブドウ糖を飲む事は無く、通
常食で血糖値検査をするが、当時は、やたらとブド
ウ糖負荷試験の回数が多かったと思う。

 検査は、透明の瓶(約75(mg))にブドウ糖液
がはいっおり、飲む前に血糖値を測る。次に液を飲
んで30分後、1時間後、2時間後と血糖値を測る
のである。

 時間的には、3時間ぐらい検査時間が必要だった
と記憶している。また、木材でできた3から4段ぐ
らいの階段を、登り下りして、(負荷をかけるとい
う)その後、採血をした。現在もこの方法は行われ
ていると思うが、私は、最近は負荷試験をやってい
ない。

 私は、船舶無線通信士をしていた。船員は外国の
港で官憲の求めに応じて船員手帳を提示する義務が
ある。

 そのような理由で、船員手帳を持っているが、そ
の手帳の健康診断のページには、当時乗船した船舶
の船会社の健康診断欄に次のような記入欄があった。

 「...血糖値正常につきよろしい」

 無知というものは、悲しいものである。糖尿病を
知っていたら、あるいは、担当医が糖尿病の疑いを
予知して教えてくれていたら、糖尿病患者にならな
くてすんだかも知れない。乗船前でありかつ、血糖
値が正常であったのだから、健康診断担当医を責め
る事はできないだろう。

 このような経過をへて、27歳のその時、正真正
銘の糖尿病患者になった。

診療日誌

7時15分 115(mg/dl)


    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
平成 10年7月25日 (土曜日)  

 昨日又、便秘になってしまった。体の方はまだ環
境の変化になじめないようだ。今日、女房と長男が
見舞いに来る。朝は晴れていたのに今、大雨。
 
 女房は入院後初めて見舞いに来るのである。実は、
「絶対に病院に来ないように」と約束して家をでて
きたのだが、来るとなると何故か心がさわぐ。

 長男が私に病院で読む本を持って来てくれるのも
嬉しい。昼過ぎに病院に着くように来るとの事だ。

それまでに日記を書いておこう。

治療日誌

 用便したくなった。いつもながらが苦しい、血圧
が上がって倒れそうだ。「そんなにして排便しなく
ても」

と思われるかも知れないが、放置すると便が体内で
固まり排便は更に難しくなるのである。30分ほど
がんばって少しでた。

 話しは変わるが、べテラン看護婦さんであったが、
痛くないように針を刺そうとしてくれたものだから
針が血管まで届かずかえって痛かった。

「思い切りブスッと刺せばかえって良かったかも」

との述懐。この痛さは新米さんの時の痛さに勝るも
のである。頼むよベテランさん。

自己採血
7時15分 135(mg/dl)
7時15分 144(mg/dl)



   第2章終わり      
        第3章へつづく

平成10年7月19日(日曜日)から7月25日(土曜日)(2回に分ける)

2007年04月09日 | Weblog
 ☆☆ 暖かくなり始めました。自家用車(改造済
    み:スズキエブリー)の車内を旅が出来る
    よう整頓等し、((車内のリニュアール)
    を現在しています。今日は朝のうちは雨、
    残す事、アマチュア無線器の配置換えと、
    アンテナの調整を終えれば行動が出来るよ
    うになります)(一昨年:九州、昨年:北
    海道そして、今年は本州を旅したいと考え
    ております。=本当は、今年の冬から、徳
    之島で暖かい冬を過ごしたかったのですが、
    費用の点から無理と判断しました)。

     そんなことから、「糖尿病日記」を旅の
    出発までに終えたいと考えました。

     出来るかどうか判りませんが、今日から
    出発が出来るようまとめて公開します。

     もしかして、出発よりも早く終わるかも
    知れませんし、そうでないかも知れません。

     平成19年4月9日
              伊根杜 航

 
   △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

第1回目

平成10年7月19日 (日曜日)

 昨夜はよく眠れた。夜中にガサゴソと音もなくま
た、突然闇を裂くようなオナラの洗礼を受けること
もないまま、消灯時間の夜10時過ぎから今朝の4
時までぐっすりと眠った。

  はばからずオナラを発する患者さんが退院したの
で、オナラの洗礼を受けなくなるだろうと思い嬉しく
なってきた。

 病気とはいえ自由に歩き回れる患者が人前でオナ
ラを堂々とするのは礼儀外れというものだ。
(当人は、この狭い部屋に詰め込まれているのだ、
 オナラぐらいさせろと、言うかも知れないが...)

 昨夜退院した患者さんは、
 「俺、寂しいんだよな、家に帰っても誰もいないし...」

独り言を言うようにポツリと私に向かって言った。
 後ろ姿を見送りながら、

 「寂しいですね」

と私が答えたら、振り向いて本当に寂しそうに声の
ない笑みを浮かべ、肩を更に落して廊下の向こうに
消えていった。

60歳を超えただろうか、大柄とはいえないその
姿は昔、映画にでていた俳優さんとのうわさである
が、面影はすでにない。声優でもあったと言ってい
たその人は、その言葉の歯切れのよさと、声の大き
さだけがかろうじて昔を思わせた。

 私も54歳になり、我が人生をもう一度振りかえ
る時期であるのかも知れない。

治療日誌
 入院から3日目までは便秘が続いた。昨日やっと
普通に近い通じがあったが、今日はまた便秘である。
排便が苦しい。

血糖値(自己測定)

 7時00分 137(mg/dl)
11時00分 268(mg/dl)
17時00分 141(mg/dl)
22時00分 233(mg/dl)

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月20日 (月曜日)

今日は祭日である。しかし、シャワー室を開放し
てもらえたので、9時からシャワーを浴びた。久し
ぶりに浴びる熱いお湯、心身共にさっぱりした。

 海外生活の時も、お風呂はシャワーで湯船に浸か
ってのんびりするという贅沢は味わえなかった。病
院も身体を洗ってお湯をかぶるだけであるがそれで
も気持ちがいい。

午後10時の消灯時間が決められているので、朝
の目覚めが早い。 今日も4時には目が覚めた。洗
面所で少し洗濯をして屋上に干しに行く。

 他の患者さんのラジオを通して、今日は午後には
雨が降るとの予報を聞く。下り坂に向かうとのこと
だった。それに、梅雨明けが遅れるともいっていた。

 入院から1週間が過ぎる。血糖値の下がり方も、
見当がついてきた。食後3時間の値は300(mg/dl)
に近い、4時間経過すると200(mg/dl)台に、
5時間で150から200(mg/dl)まで下がる
ようだ。

また、夕食後から19時間以上経過した朝食空腹
時では相当に血糖値がさがっている。(血糖値測
定条件は、食後1時間に30分(歩数にして約3、
500歩程度)の運動療法を行い、薬を朝食と夕
食前の1日2回服用している場合の値)

治療日誌
 採血のため6時過ぎに起こされる。今朝の午前
4時30分過ぎから眠ったようだ。今日は運動量
と血糖値降下量を実験するため、最初の採血は運
動療法をしないことにした。

血糖値(昼食後3時間) 249(mg/dl)



 この値から判断して、1時的な運動の不足は血
糖値の上昇につながらないようだ。血糖値を下げ
るために一時的に集中して行う運動は血糖値を1
時的に下げる効果はある。

血糖値

7時00分 139(mg/dl)
11時15分  96(mg/dl)
17時15分 146(mg/dl)
22時00分 211(mg/dl)

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月21日 (火曜日)

 秋口のようなすがすがしさを感じる。この入院期
間をつかの間の休息と考え、仕事の事を忘れようと
するがなかなか簡単にはいかない。
 ドーンと重苦しいものが肩にのしかかってくる。
 昨日、運動の為に書店に行った。このとき大きな
見出しで書かれた本の表紙が目に飛び込んできた。

 「小さな事にくよくよするな」
 
 そのような活字が踊っていたように思う。プラス
思考で行こう。どうせこの世はただ一度。自分の人
生を大切にすること、それが家族を幸せにする事な
のだから。

 新しい患者さんが入院してきた。

診療日誌

血糖値(自己測定1回)

7時00分 127(mg/dl)

(運動量13、834歩)

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年7月22日(水曜日) 

 今朝は朝から曇っている。昨日の新患さんは、ご
そごそしていたかと思とすぐにいびきをかいて眠っ
てしまった。案外、図太い性格の人かも知れない。

 今朝は眠れないのか早くから物音を立てていた。
 私は、環境になじみやすい性格だから、案外と病
院生活を楽しんでいるが、他の患者さんは、早く帰
りたいのかしきりと、ため息をついている。

 仕事中にはやれなかった「C++Builder」(コンピュ
ータプログラミング言語)のプログラムの勉強を一
生懸命やっている。病院生活をそれなりに楽しんで
いると言っておきながら、仕事の準備をしている。

 なんと私は愚かな人間であろうか。仕事で無理を
強いられ、それを当然として月日が流れる。

 その後待っているのは悲しい現実である事が多い。
 私は、その現実が悲しく思えたから入院の道を選
んだ。
 恐らく、職場に戻ったらつらい日々が待ち受けて
いることだろう。そして、それは何時まで続くかわ
からない。
 気持ちのゆとりと体のゆとりがなくなった時、人
は病気に向かって走り込んで行く気がする。

 「ゆとり」であるが、こんなことがあった。私が
がむしゃらに技術移転をしていた国の政府の職員が
私にいってくれた言葉である。

 「そんなにがむしゃらに仕事をしなくても、同じ
  ようにここは動いて行く。いつもと変わりなく...」

 仕事を順調に進める為の努力をしている私は、こ
の言葉に突き放された。

 「俺って、そんなにどうでもいい人間なのかこの
  職場では...」

 それは、過労から高熱を出した時の事であった。
 彼は私に、「自分を犠牲にしてまで仕事をする必
 要はない。

 一番大切なのは自分と、自分を頼って生活してい
る家族だよ」といいたかったのであろう。この時、
私は目が覚めた思いをした。

 個人の幸せの上にすべての幸せがある。そう思え
るようになったのである。
煙草一本買うお金がなくて、草を丸め吸っていた
仲間が帰国のとき、お金を出し合ってパーテイを開
いてくれた。そして、妻も招待されて一刀彫りの大
きなヤシガニの置物をプレゼントしてくれた。

 事務所で1人の女性が時間をかけて木彫りのヤシ
ガニを何度も包み直していた姿が私を諭してくれた
職員の言葉と重なりあのときの事が、鮮明に思い出
される。

治療日誌

 先生が回診、左目の異常を訴える。この異常は海
外にでる前の検査で急激な運動をし(病院のビルの
階段を2階から5階まで、20分から30分かけて
運動)血糖値を下げた時に現れた。それ以来、低血
糖値になると同じ症状が現れる。

 今、目の状態が明らかに低血糖の症状を示してい
るのである。心配だから先生に症状を訴えた。その
結果、先生の診断は、

 「今までの高い血糖値が正常に戻ってきたから違和
  感を感じるのではなか?」

との事であった。即ち、血糖値が高いと濃度の差が生じ、
それによって目の厚さが変化する。先生は、セルロイド
の例を上げて説明してくれた。濃度の異なる液の中にセ
ルロイドを入れると、濃度差による拡散現象が生じてそ
れによってセルロイドの厚みが厚くなる現象が起こる。

 血糖値が上がると、同じ現象で目のレンズの厚みが変
わる。血糖値の上がり下がりの変動が激しい人は、レン
ズの厚みが激しく変わり,眼鏡を幾度作り替えても目に
合わない状態がでてくるとのことであった。

 今日も一つ糖尿病に関する知識を得る事ができた。

 ここで、新米看護婦さんに付いて触れておこう。新米
さんはすがすがしい。何事も新鮮で一生懸命に行動する。

 でもただ1つ我々患者は彼女の洗礼を受けなければな
らない事がある。今日はその日である。入念に腕をチェッ
クして、それも患者の両手を時間をかけて丹念に調べて
くれる。

 「右はものを書くのによく使うから」

と左手を選んでくれた。そして、血管を慎重に調べおも
むろにかつ、ゆっくりと力強く注射針を入れていく。

 「おお!痛い!」

肉が引き裂かれそうな痛さを伴って注射針が止まった。
 
 まだ私の血液は自分から注射器には入っていかない。
 指を動かして手助けをしたが、血液は自分から器に入
ろうとしなかった。看護婦さんが注射器のノブを思い切
り力強く引っ張った。そのとき、かろうじて器に血液が
入ってきた。

 血が吸引された事実は注射針が確かに私の血管に命中
していることを証明した。

 「新米さんおめでとう。あなたは成功したんだよ」

 注射針を抜くときも、針を刺す時と同じぐらいの痛さ
を伴なった。こうして、パソコンのキーを叩いている今
も痛さが残っている。新米さん。二度と私の血を抜かな
いで。でも心と裏腹に、

 「慣れるまで仕方ないね。がんばってね」

と看護婦さんを激励してしまった...。

血糖値
7時15分 135(mg/dl)
11時15分 237(mg/dl)
17時15分 203(mg/dl)
22時00分 195(mg/dl)

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


日記(平成10年7月18日)

2007年04月08日 | Weblog
平成10年7月18日 (土曜日)


快晴である。昨夜もお隣は忙しかった。午前0時、
午前3時と2回、間食をしていた。午前0時の場合
は、暗闇の中で、間食をする音を聞きながら、いつ
しか眠ってしまった。午前3時の場合は悪夢であっ
た。

とうとう朝まで眠れなかった。午前4時まで我慢
して4時から、屋上へ洗濯物を干しに行く。甘いも
のを食べてはいけないと注意してあげたいが、 ご
本人も、 その事は、十分承知しているだろうし、
お年も召して白髪でもある。

失明、足の切断、昏睡も覚悟の上であるかも知れ
ないと思う時、好きなようにさせてあげるのも一
つの方法であろうと考える。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 今日は間食のご老人を含めて3人退院する。2名
の方は目を手術されたようだ。この方たちも間食を
していた。アンパンがお好きなようだ。年を取ると
「あんぱん」を好きになるらしい。

若い頃は、「あんぱん」を食べていたご老人を見
ると私は、「何であんなまずいものを食べるだろう」
と思ったが、最近は私もアンパンが好きである。

 空腹時の血糖値が120(mg/dl)台に落ち着い
てきた。しかし、目が少し霞み、足の先が冷える。

 目はどうすることもできないが、足はマッサージ
を15分間くらいすると暖かくなった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今日は、勇気を出して左隣のベッドの人と話し
をした。糖尿病にかかって10数年が経過してい
るとのことであった。

 左の足の中指から足の半分をえぐりとってある。
 壊疽の手術の後だ。入院直前の状況は、足がし
びれるというような軽い症状ではなかったらしい。

 急に針が刺すような激痛が足に走り、冷や汗を
かいて苦しんだ。我慢できずに病院に行ったら、
すぐ足の切開手術が行われそのまま救急車で運ば
れてきたとのことであった。いつも周囲に糖尿病

患者であることを訴えていたが、見た目は健康そ
うなので仕事に追われ、付き合いの酒も飲み、病
院へ行きたいと言える環境ではなかったとのこと
だった。


 その患者さんの述懐であるが、

「私も頑固だから病院に来なかったですよ...」

 我慢ができなくなったとき、すでに手後れにな
っている事が多い病気である。このような話を聞
く時、「糖尿病の管理は自分でするのだ」という
患者の自覚はあるが、周囲の人たちに押し切られ
る場合もあることがわかる。


 患者さんが病院裏の人通りの少ないところで、
物思いにふけり、切除でなくした足の一部をさ
すっておられる姿を見たら、糖尿病患者と知っ
て酒を勧める人は絶対にいなくなると思う。

 私は、糖尿病患者の一人であり、こんな光景
を見る時、やりきれない気持ちになる。そして、
気付かれないようにそっと回り道をして、運動
療法にでかけるのだ。

 午後から同病室の3人の患者さんが退院する。
 しかし病気が完治して退院するのではない。

 対象療法が終わったから退院するだけのこと
である。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

         第1章 - 終わり -

第2章へ