~ 気ままに歩く 沖縄 ~ |
( 画像;オキナワン・ロック ) |
【 沖縄の文化 】 『 沖縄音楽の心 』を見聞しましょう。 〓 沖縄音楽の根源 〓 ★ 祭祀歌謡 沖縄音楽の基本思想は祭祀歌謡に源を成すと云われる。 人々は五穀豊穣、無病息災、航海安全の懇願を神へ祈り崇めた。 また、生活の喜怒哀楽を神へ告げることでご加護を乞うた。 祭祀では神女が御嶽や拝所の庭で声楽的抑揚を付しながら感謝と祈願の詞を興じた。その時々の音楽的調べが集約され修練されて継承された。 それらが 地唄 と呼ばれて伝承されている。 ◇ 琉歌 生活の喜怒哀楽を八・八・八・六形式で詠む歌謡。 和歌に似ている。 庶民の中には琉歌詠みに優れた才を発揚する者がいた。 ★ 宮廷音楽 琉球王国時代は海外交易が盛んであった。 王府には交易に係わる賓客や使節団などが度々訪れるようになった。 王府は来訪者を歓待する用に音楽・舞踊などの創作活動を推奨した。 王府周辺に音楽、舞踊の創作者や役者を居住させて活動に専念させた。 その活動で宮廷音楽の基本形態が修練され数多くのオリジナル作品が生まれた。 ◎ 宮廷音楽のあらまし ◇ 代表例 : 御座楽 と 路次楽 の概説 使節団や謝恩使を壮行する時に奏でられた。 室内で座って合奏するスタイルの御座楽と屋外で行列して歩きながら合奏するスタイルの路次楽があった。 御座楽は荘重・優雅な雅楽、路次楽はチャルメラや太鼓などを用いた荘厳な鼓吹楽である。 ・ 演奏スタイルの特徴 基本的には唄と三線の絃声一体で奏でる弾き語りの音楽である。 なかには筝、笛、胡弓、太鼓等を添えて音色の和を構成した演目もある。 ・ 音階 基本的に5音(ドミファソシ)で構成される。 それを通称 琉球音階 と称している。 三線楽譜は『工工四:クンクンシ』と称される記譜法を用いる。 記譜は基本的に音程表示ではなく、弦の押さえ処を記号表示している。 ◎ 宮廷音楽 と 地唄・琉歌 宮廷音楽には村々で興じられていた地唄や琉歌が採用された。 それらを音楽形式的に磨いた演目が多くある。 宮廷音楽の旋律はサンパチロク(八八八六)・三十音の歌形式、音階は5音スタイルで修練され、三線楽器の音色を付けて囃されるようになったと伝わる。 ★ 沖縄音楽は伝統的に癒し感の響きあり 沖縄音楽の基本形は宮廷の音楽活動に拠って創造された。 宮廷で修練された旋律・音階は後にても沖縄音楽の基盤となっている。 その響きには五穀豊穣、無病息災、航海安全を祈願する心底からの語りが聴く者に伝わる。 二次大戦の戦渦で街や野山が焦土と化して打ちひしがれてた心に癒しの響きを注いでくれたのが三線の音に揺られる民謡の数々であった。 〓 現代沖縄音楽とベトナム戦争 〓 1965年から激化して1975年まで続いたベトナム戦争は沖縄の音楽活動に少なからぬ影響を及ぼした。 米軍統治下にあって極東最大の米軍基地が張り付いた沖縄である。 その基地全体がベトナム戦争の後方基地化していた。 特に、コザ市(現:沖縄市)と周辺地域は基地中枢機能が集積している。 コザの街は米軍人・軍属や諸外国から商いで訪れる人々が通りを闊歩する姿に溢れていた。 街影は夜明けまで色とりどりのネオンライトが賑やかに塗しジューク・ボックスやライブ・バンドが轟き続ける日常でした。 米本国から送られてくる多くの兵士達は、直近に下される軍命令に従って沖縄から直で激戦地に入り生死を彷徨う任務を負うていた。 彼等の荒む心に束の間の癒しが酒と音楽と女であった。 兵士達は米本国で流行中のミュージック、ドリンク、ファッションを沖縄に持ち込んだ。 ★ オキナワン・ロック 沖縄駐留の米軍を慰問すべく本国から人気バンドが度々来沖した。 当時の米国音楽界ではハードロックミュージックが流行の主役であった。 来沖するエンターテイナーもハードロック系が多かった。 多くの沖縄の若者達はそれらの人気バンドに敏感な反応を示した。 若者達の間ではバンドを結成して処々で演奏する機会が多くなった。 なかには米兵を相手にしたハードロックやR&Bを演奏して彼等の欲求に答える者もあった。 セッションの場は何時にでも戦場に投入される緊張感を内包した若い米兵達の心が吐けるスポットである。 激しい息吹の渦が湧き起こる夜な夜なであった。 ◎ 当時を代表するオキナワン・ロックバンド ハードロックバンド 【 紫 】がある。 コザに住む若者達が結成したロックバンドである。 その奏法は将にハードであり米兵達から絶大な人気を博した。 米本国や東京のミュージックチャートで話題になった。 メンバーは『 団塊世代 』である。 暫らくお休み状態であったが最近から再稼動している。 その他の人気グループに 『 コンディション・グリーン 』がある。 当時の世相の中から醸成された個性的なロックサウンドをオキナワン・ロックと称している。 彼等は1970年代の沖縄の若者達の雄叫びを発揚していた。 ◇ コザ暴動 1969年、日米両国は「 沖縄の72年返還 」に合意した。 1970年、コザ市で米軍車両及び施設に対する焼き討ち事件が発生した。 該事件の契機は米軍人が県民を撥ねた交通事故に対する怒りであった。 米軍統治下での圧政、人権侵害に対する不満の爆発でもあった。 コザの若者達が鬱積していた感情を吐き出したのである。 なかんずく音楽活動に係わる若者達が自発的行動を起こしたのである。 若者達は米軍兵士達とフレンドリーなリレーションを形成しつも政治的統治に対しては不快感を呈した。 この事件は当時の「 祖国復帰運動の前進 」に大きな弾みをつけた。 〓 沖縄が輩出する若きミュージッシャン達 〓 二次大戦の戦渦・米軍統治下・ベトナム戦争後方基地化・祖国復帰と時代の変遷に遭遇しつも沖縄は『 音楽アーティスト 』を次々と輩出している。 代表的なアーティストとして ディアマンテス、オレンジレンジ、ビギン、夏川りみ などなど。 沖縄マインドを磨りこんだサウンドを奏でることで全国へ世界へとメッセージを送り続けている。 個々に手にする楽器や語るテンポは違えども沖縄リズムに滲みる温故知新の心は聴く人々の鼓動を揺らす。 祭祀歌謡に源を成す沖縄音楽はブル-ス、ジャズ、ロック、レゲエ、ラテンなどのテイストを摂りこんで時空を超えた響きを放し続けている。 |
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人が歩けないんですね。驚きました。
群馬は強い雨が少しだけ降りました。
台風だ 余震だと怖いですね。