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沖縄の王朝文化

2011-02-08 | 沖縄の文化
~ 気ままに歩く 沖縄 ~
タイトル

 ( 画像;琉球舞踊 )
琉舞
【 沖縄の文化 】
『 琉球王国の王朝文化 』を見聞しましょう。

〓 琉球王国の隆盛期 〓
琉球王国は1429年に創設され、25代の国王を経て1879年までの約450年間存続した。
なかんずく、初代国王;尚 巴志から12代国王;尚 永(1573~1588年)までの約160年間が隆盛期であったと伝わる。
13代国王;尚 寧(しょうねい/1589~1620年)の代になって薩摩藩と江戸幕府の共謀軍に侵攻・占拠された。(1609年)
以後の琉球王国は、明治政府の廃藩置県施行に伴う「沖縄県設置」まで、約270年間を薩摩藩の支配下にあった。

〓 琉球王国の経済基盤 〓
王国創設以前から各処の豪族達によって海外交易が行われてきた。
統一王国になってからは、その交易を一層拡大強化した。
中国、日本、朝鮮、タイなど東南アジア諸国との仲継交易を展開して海洋王国構築への道を推進した。
交易からは莫大な財益を生む事に成功して、経済的・政治的に安定した国体維持を図り続けた。
中国へは冊封史や進貢船、幕府には慶賀使や謝恩使を派遣するなどして王国の安寧を保った。
薩摩藩に占拠されてからは、交易からの捻出財源を藩に収奪されたうえに税上納を求められるに至り、王府財政は困窮の一途を辿る事になった。

〓 最盛期に醸成された王朝文化 〓
1429~1588年間の隆盛期に王朝文化の基盤が醸成されたと伝わる。
王府には交易に係わる賓客や使節団などが度々訪れるようになった。
王府は来訪者を歓待する用に、音楽・舞踊などの創作活動を推奨した。
首里城周辺に舞踊、音楽の創作者や役者、美術、工芸の職人を数多く居住させて創作活動に専念させた。
海外諸国との交流機会が多くなることによって海外文化の情報に触れる機会も多くなった。
その修練あって、海外の文化情報を採り入れながらもオリジナリティな作品が多種多岐のジャンルに亘り創出されるようになった。
交易蓄財に支えられた文化活動の謳歌を極める華やかな時代であった。

★ その代表的な創作種目
・ 文芸⇒ 歌謡集、琉歌 ・舞踊⇒ 宮廷舞踊 ・音楽⇒ 宮廷音楽
・ 工芸⇒ 紅型、漆器、焼物 ・武芸⇒ 琉球空手 etc.
それらの作品は宮廷内で催行される儀式や宴の場で活用され披露されるのが専らであった。
今日では、その宮廷文化を総じて王朝文化と称している。
うち、舞踊・音楽部門では古典芸能と称している。
この期に醸成された王朝文化の仕様が現代沖縄文化の基盤になっていると云われる。
その王朝文化を継承すべく、数多くの修練所が県内外に存在して活動している。
王朝文化の息遣いは現代沖縄の文化活動に脈々と鼓動を刻んでいる。

◆ 主だった種目と作品の概説
◎ 文芸
≪おもろさうし、琉歌≫
◇ おもろさうし
1531~1623年に王府によって編纂された歌謡集。
古代から伝わる歌謡(1554首)が集録されてある。
王、神女、航海者などを称え、自然、天象、神話について詠われている。
古代琉球の民俗的動態を窺い知る事のできる古典書である。
◇ 琉歌
短詩型の叙情歌謡。
8・8・8・6の30音形式が代表的である。

◎ 舞踊
≪宮廷舞踊≫
王府の儀式や来訪者を歓待する際に宮廷で舞われた踊り。
数百もの演目が存在していると云われる。
なかには貴族の子弟のみによって踊られる演目がある。
宮廷舞踊を総じて、今日では古典舞踊と称される。

◎ 音楽
≪宮廷音楽≫
◇ 御座楽、路次楽
使節団や謝恩使を壮行する時に奏でられる宮廷音楽。
室内で座って合奏するスタイルが御座楽、屋外で行列して歩きながら合奏するスタイルを路次楽と称する。
御座楽は荘重・優雅な雅楽、路次楽はチャルメラや太鼓などを用いた荘厳な鼓吹楽である。
・ 演奏スタイルの特徴
基本的には唄と三線の絃声一体で奏でる弾き語りの音楽である。
なかには筝、笛、胡弓、太鼓等を添えて音色の和を構成した演目もある。
・ 音階
基本的に5音(ドミファソシ)で構成される。
それを通称琉球音階と称している。
三線楽譜は「工工四:クンクンシ」と称される記譜法を用いる。
記譜は基本的に音程表示ではなく、弦の押さえ処を表示している。

※声楽譜の無い音楽であったが、最近では声楽譜を工工四記号で表現するようになった。
※混在していた三線と三味線の表記が三線に統一された。

宮廷音楽を総じて、今日では古典音楽と称される。

◎ 工芸
≪紅型、漆器、焼物≫
◇ 紅型
王族や貴族の衣装として染められた染織物。
は色全般を、は型絵染めの型紙を指す。
染織技法には型染め、筒描き、藍染めがある。
型染めでの特徴は型の上から色を挿すのではなく糊を置いて両面染めにする技法を用いたところにある。

◇ 漆器
宮廷での装飾品や配膳器などに用いられた塗り物。
堆錦 沈金 螺鈿 箔絵 蒔絵などの装飾技法を用いている。
料理用の器は螺鈿や堆錦などの細工で豪華な装飾が施された。
代表的な物に「東道盆(とぅんだーぶん)」の器がある。
盛付け用で六角形の盆状の漆塗器である。

◇ 焼物
荒焼と呼ばれる南蛮焼の系統を汲む物と上焼と呼ばれる朝鮮系の絵付がある。荒焼は14~16世紀頃にベトナム方面から伝わったとされる。
水や酒を貯蔵する甕や魔除けの獅子像などが造作された。
上焼は来訪した朝鮮陶工から修得したと伝わる。
用途は酒器、茶碗、皿、鉢などが造作された。

◎ 武芸
≪琉球空手≫
琉球古来の武術「(ティー)」と、中国伝来の「拳法」が融合して発展したものが琉球空手の原型と云われる。
15~16世紀に施行された「禁武政策」に因り空手の普及が推進された。
武器を持たずに外敵から身を守る武術の規範として空手の推進が図られたと伝わる。

〓 琉球王国崩壊に伴う庶民文化の胎動 〓
明治政府は「琉球の王国制度を解体して、日本国に属する沖縄県を設置する」旨の宣言を発令した。(1875年)
政治制度が日本の府県制度にならって改められることになった。
間も無くの1879年に琉球王国は廃止されて、廃藩置県制度施行に伴う
沖縄県」が設置された。
それまで王府の庇護を受けてきた役者・職人達は生活の糧を得るべく
一般庶民に溶け込んで宮廷文化を伝道する活動を広めるようになった。
宮廷文化に直に触れる機会を得た庶民達の中から、
私生活の喜怒哀楽感を織り込んだ作品を創出するようになった。
それらを総じて庶民文化と区分呼称している。
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◇古典舞踊
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (田沼)
2011-02-09 10:39:30
沖縄には厳しい歴史がある反面、独特の文化がありますよね。
一番すごいと思うのが、沖縄の人たちは圧倒的に沖縄が好きですよね。
誇りを持っていますよね。

もう、何度行ったかな?
また行ってみたいです。
返信する
Unknown (沖縄が心配です)
2011-02-15 08:52:26
沖縄は美しいね。

琉球という読み方は、中国の呼び名だから
やめて欲しいなぁ・・・。

あちらさんがそう呼ぶ前から、沖縄はオキナワですよ。
返信する
おはようございます (大ちゃん)
2011-02-28 07:01:56
おはようございます。
gooにもブログを持ってらしたのですね。
私もこちらで少しお世話になっています。
時々さぼっていますが、興味があったら見てくださいね。
返信する

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