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うつ病!うつ病?で悩む人へ

2003年発症のうつ病患者です。まだまだ寛快しません。うつのことは俺に聞け!

2004年4月

2005-05-03 | 闘病回想
これから時々1年前をうつ病状況を思い出して書いていこうと思います。

繰り返しになりますが、私は2003年9月ごろ発症しました。10月の初めには内科ではありましたが、抗うつ剤を処方してもらい始めました。

2004年3月に専門医にかかり、同時に休職しました。3月の末でした。期間は、医師が3ヶ月と言うのをごねて2ヶ月にしてもらいました。

そして、4月ひたすら眠りました。本当に何時間でも寝られるのです。1日15時間位寝ていました。食事は3食量は多くないものの食べられました。でも体重は増えも減りもしません。風呂は自分では決められず、毎晩妻に促されて入っていました。時には入ったものの、いつ出ればいいか決められず、1時間以上風呂でぼーっとしていたこともあります。

休職することに対する罪悪感ほとんどありませんでした。ずっと以前から専門医にかかれば、当時の症状からして、休職は当然ということが分かっていましたから。

専門医に行くことを決めたとき今までの生き方、価値観ではだめだとも思っていました。以前の仕事上この種の病気にはとても詳しく知っていましたから。

ともかく、最初の1ヶ月は眠りに眠りました。


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セカンドオピニオン騒動(2)

2005-02-15 | 闘病回想
その病院は入院主体で、外来は少ない病院なので、私が行ったときも待合室はがらんとしていました。院長はぶっきらぼうな人と知っていましたので、こんなお願いしたら怒られるかも知れないなあ、と思いながら呼ばれるのを待ちました。そして呼ばれました。
「え~と○○さんか、で、どうしたの?あれ××先生の紹介状があるのか。」と言いながら紹介状を読み始めました。みるみる険しい顔になって、
「そんなの書けるか!大体今日の君の様子なら、薬を出して、仕事を休めとは言えないぞ!」
私がそのときの薬の一覧を見せると、
「たくさん飲んでるなあ。これだけ飲んでてその様子じゃあ飲んでなかったら、もっと悪い症状だろうと思うが、それでも初診のときの様子が分からないから、どちらにしても(診断書は)書けん!」
私は下を向いて涙をながしながら、「私もそう思います。無理を承知でお願いに来ました。」と、やっとのことで話すと、
「分かった。君の会社の健康保険組合に俺が今から話してやる。」
と言って、隣の事務室に行き、電話口で怒鳴っています。
「お前らの会社は病気になったら2箇所も3箇所も行けと言っているのか!・・・!・・・!」

良くは聞こえませんがとにかく凄い勢いです。
そして戻ってきて
「話はつけた。会社もセカンドオピニオン不要と言った。もう泣かなくていいから、帰りなさい。」

私はお礼を言って、家路につきました。辛かったけど、何とか結論出て良かった。

と、思っていたのですが・・・
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セカンドオピニオン騒動(1)

2005-02-14 | 闘病回想
主治医のほかに他の医者に診てもらって病状や処方の妥当性を計ることを言うのだそうです。

私の場合、仕事を休み始めて4ケ月たったとき、職場にセカンドオピニオンの診断書の提出を求められました。

困りました。その頃の私は体調もすこぶる良く、そのときが初診だったら休職にならない程度だったのです。もちろん、薬と休養のおかげですが・・。


主治医には相談しにくくて、掛かりつけ医を拝み倒して知り合いの精神科医への紹介状を書いてもらいました。掛かりつけ医も「そんなのこの状態(投薬と休養4ケ月の成果があった)では、書いてくれないと思うよ」と言われました。私もそう思いました。だからこそ紹介状を書いてもらったのです。

で、紹介状を持ってその病院に行くと・・・。

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苦しく、辛かった日々(4)

2005-01-27 | 闘病回想
2003年11月、今後ますます仕事の能率が落ちるのが目に見えていたので、上司にうつ病であること、しかし当面仕事は続けること、仕事が間違いなく滞るので、誰かにフォローして欲しいことを告げました。
そのときの上司の言葉は、「つまり、君は他の人ならきちんと対処できることができず、負けてしまって病気になった、ということだね。」でした。
同じストレスが原因と言われる胃潰瘍とかだったら、「あの人は超多忙だったからねぇ」と同情することが多いのに、メンヘルだとこんな風に言われるのか。たいへん堪えた言葉でした。今、大地震がおきてみんなパニック状態になったら、そのドサクサにこいつ殺してやる!と本気で思いました。
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苦しく、辛かった日々(3)

2005-01-23 | 闘病回想
必死で仕事を続けていたある日、親戚の伯母が亡くなりました。

血の繋がった伯母ですから、当然通夜にも葬儀にも、さらには初七日まで出なくてはなりません。
この頃は、自分の感情をうまくコントロールできなくなっていましたから、通夜の席で涙が止まらなくなりました。周りの人は、なんて伯母思いの甥だろう。と思っていたかも知れません。

でも、親戚の者から話しかけられてもまともな返事ができないのですから、どうも私の様子が変すぎる、何か病気では?と気づいた人もいました。

とにかくその日は、通夜の席に長居できず、兄弟と妻に体を支えられて帰りました。
葬儀には遅れて行って、出棺までやっとの思いで参列し、早々に帰らざるを得ませんでした。

人から薄情者と思われるのがいやだったし世話になった伯母だったので、何としても居たかったのですが、無理でした。

そこにいて病気のことを親戚じゅうに知られるのもいやだし、いたら体が持たないし、本当に情けない気持ちでした。




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苦しく、辛かった日々(2)

2005-01-19 | 闘病回想
2004年初め頃の私の仕事中の心理は、

同僚が笑いながら話している。→あぁ、自分の言動がきちんとしていないから(自分が笑われている。)

同僚が議論している。→あぁ、自分の仕事が遅いから誰が補助するか言い争っている。

同僚が何も話さずにいる。→あぁ、ろくに仕事ができない自分が目障りなので、無視されている。

と、まぁ、悲観的にもほどがあるぞ、と自分でも言いたいくらいでした。

社内を歩くときも、挨拶もさっとできない状況だったので、知ってる人に会わないことを祈っていました。(会社は大きいほうなので、知らない人のほうが多いです。)

これを書いていて、当時を思い出して、また鬱になってきました。
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苦しく、辛かった日々(1)

2005-01-18 | 闘病回想
専門医に掛かる前、かかりつけ医の処方による抗うつ薬を頼りに仕事もしていました。

その状況は、

病気のせいで判断力が落ちている。→仕事の能率が落ちる。→仕事が滞る。→あせる。→間違える。→仕事の能率が落ちる。→………。

こんな繰り返しで、同僚の助力がなくてはやっていけない状況でした。

同僚等との会話も、頭の中に適当な言葉がでてこず、うまくいかなくなってきました。

こうなるといよいよ重症です。
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