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長谷川テル・長谷川暁子の道 (23)
(長谷川テル その21) ー全世界のエスペランチストへー ⑧
(はじめに)
ここに一冊の本がある。題して『二つの祖国の狭間に生きる』という。今年、平成24年(2012)1月10日に「同時代社」より発行された。
この一冊は一人でも多くの方々に是非読んでいただきたい本である。著者は長谷川暁子さん、実に波瀾の道を歩んでこられたことがわかる。
このお二人の母娘の生き方は、不思議にも私がこのブログで取り上げている、「碧川企救男」の妻「かた」と、その娘「清」の生きざまによく似ている。
またその一途な生き方は、碧川企救男にも通ずるものがある。日露戦争に日本中がわきかえっていた明治の時代、日露戦争が民衆の犠牲の上に行われていることを新聞紙上で喝破し、戦争反対を唱えたのがジャーナリストの碧川企救男であった。
その行為は、日中戦争のさなかに日本軍の兵隊に対して、中国は日本の敵ではないと、その誤りを呼びかけた、長谷川暁子の母である長谷川テルに通じる。
実は、碧川企救男の長女碧川澄(企救男の兄熊雄の養女となる)は、エスペランチストであって、戦前に逓信省の外国郵便のエスペラントを担当していた。彼女は長谷川テルを知っていたと思われる。
長谷川暁子さんは、日中二つの国の狭間で翻弄された半生である。とくに終章の記述は日本の現政権の指導者にも是非耳を傾けてもらいたい文である。
日本に留学生として来ていた、エスペランチストの中国人劉仁と長谷川テルは結婚するにいたったのであった。
長谷川暁子の母長谷川テルについて記す。
長谷川暁子の著作『二つの祖国の狭間に生きる』、『長谷川テルー日中戦争下で反戦放送をした日本女性ー』、家永三郎編『日本平和論大系17』長谷川テル作品集、中村浩平「平和の鳩 ヴェルダマーヨ ー反戦に生涯を捧げたエスペランチスト長谷川テルー」を中心として記す。
(以下今回)
五月
この半植民地、中国の五月には血にまみれた歴史がある。
ー「独立」「民主的」な国ぐににおいてさえ、血を流すことなしに、労働者は自分の日をほんとうに祝うことができないのだ。
だからー
四日(1919年)は、北平の学生が漢奸どもを断罪するためにたちあがった、革命的な反帝国主義運動の日である。
七日(1915年)は、日本帝国主義ときの中国大総統、袁世凱に対して二十一ヵ条の即時受諾を迫って、最後通牒をおくった日である。
九日(1915年)は、袁世凱が日本の要求を受諾した日である。
三十日(1925年)は、一九二五年から一九二七にわたる偉大な中国革命の序曲となった、反帝国主義運動の日である。
中国の五月は「国恥の月」と呼ばれている。
しかし、中国の友よ、あなたがたはまちがっている。勝利はしなかったにせよ、あなたがたの先輩は、あなたがたと同じように、民族のため帝国主義に抗して英雄的に戦ったのだ。
その先輩たちを思い起こすために、いま、この月を「栄光の五月」としようではないか。
そして、彼らの仇を討つために、いつか、きっと「勝利の五月」としようではないか
東京の五月
サクラが散ったあとの、この町の特別な美しさを私は忘れることができない。ちょうど戦争が起こるまで、私の感じやすい少女時代をそこですごしていたのだから。
ときどき、いいあらわしようのない「若葉のころの憂愁」が友人や同志たちを同じように、私をとらえる。
おおー私の祖国では飛行機も大砲も荒れ狂ってはいないけれども、何かべつのものが、重苦しくのしかかっているのだから。
明治45年~昭和14年』(朝日新聞東京本社朝日新聞出版サービス, 1999)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002818154-00
があり、碧川澄も登場します。残念ながら、現在は入手困難のようですが。