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天変地異と地球の浄化、ポセイドンのメッセージ

2019年07月22日 | 情報
いま、地球上は、頻発する地震、大雨、洪水など、いわゆる自然災害の面から見ても混乱しているように見えます。それに、どれ程関連するか分かりませんが、あるチャネラーに語られた、ポセイドンという方のメッセージがありましたのでご紹介します。

(ここから)

我は、ポセイドンなり。

人は、私を「海神ポセイドン」と言っている。
今日、ここに参上出來た喜びは無常のものである。

アテナ(チャネラーのこと?)よ、そなたは、今世、大きな使命を持ち、今、歴史の重要なポイントで、その力を尽くすことを、神々に乞(こ)われているのである。

私も、長い間、海神として、他の神々と相容れぬ時を過ごして来た。兄であるゼウス神とも、互いに歩み寄ることなく、この数千年の時を、別々の世界で過ごして来たのだ。

今、この時、日本神道の神々の、特に、海神の援護を受け、我々、地球世界の海神が手を繋ぐことにより、表の神々とも力を合わせ、今ひとたび、地球救済の計画に参加する要請を受け、表、裏、ともに相力を集わせ、この計画に参加しようとしている。

今、地上を見るに、これほどまでに汚れ切った、この地上の穢れを、かつての私ならば、大洪水を起こし、地上粛正という形で、地上の汚れ切った民人を洗い流す、そのように、考えたかも知れぬ。

だがしかし、天の神々の心は、愛深く、今ひとたびの猶予の時を、忍耐を持ち、待とうとしている。神の、深い、深いお心を知るにつけ、我々も、今ひとたび、洪水により地上を洗い流すことを待とう。

かつて、我々は、地上を、この地球という神の体を穢す、悪い想念で汚す人間達を戒めるために、幾つかの大洪水を起こし、また一から立て直す、そのようなことをして来た。聖書にもあり、そして、ギリシャの神話の中にもある大洪水が、それである。それは、世界各地に起こっているもののはずである。

それが、また、今一度、巨大な津波となり、大きな洪水となり、地上の人々を消し去ってしまう。それ程までに、地上が汚れているのだということ。神々の怒りは、もう限界に来ているのだということ。そのことを、お前達、人間達は、心から反省せねばならない。

そなた達、人間が、どこまで、この穢れ切った波動から愛の波動へと(世の波動を)移すこと、変わって行くことが出來るのか、私達は、まだ分からぬが、しかし、その可能性を、少しは信じてみたいと思う。その要にいるのが、そなた、そして、そなたの仲間達である。

このような巨大な計画の中で、今、地上で、法輪を手にしているそなたは、他の神もおっしゃられていたが、大変な幸せ者であると、慎んでこの命を受けなくてはいけない。

かつて、私と、アテネの町を相争い、また、地上においてゼウスとも戦ったとき、そなたは、常に先頭になり私を屈服させてきた。今思えば、あのような戦いは、小さな、小さなもの。今は、地球規模で、この戦いが行われようとしている。戦うべきは、人間、お前達の心に巣くう、汚れとも迷いともつかぬ、誤った、その物質界に執着した、その心根なのである。

サタンが降り、ハデスが降り、様々な悪霊たちが、人々の心を引っぱり、計画を挫折させようとするが、そなた達の、穢れた、曇った心性に、彼らは巣くうのであって、光輝く神の子の神性には、何も出來ないのである。だがしかし、よくよく注意せよ。よくよく油断するな。

今回の(チャネラー周辺の)事故などを見ていても、それは、そなた達の、皆、不手際、焦り、そのようなものが、戒めとなって降りた形である。このようなものが、もっと酷い単位で起きるぞという計画でもある。

我々も、そなた達を護ってはいるが、自らの心の曇りにより引き寄せてしまう魔の誘いは我々でも防ぐことは出來ない。なぜなら、そなたた達自身が魔を呼び込んでいることになるのだから。

OR(某チャネラー)しかり、TK(某チャネラー)しかり。私は、きついことを言うかも知れないが、厳し過ぎることを言うかも知れないが、サタンが彼らを嵌めたのではない。己が心性の、神になりたい、神にも勝りたいという、その思いが彼らを招き入れたのであると、私はそう思う。

肉体を持ちし者は、所詮、人間なのである。至高の存在である神に対し、心から謙虚に仕える姿勢を持たなければ、あのような姿になってしまうのである。だから、そなた達も、くれぐれも注意をしなさい。

我々が護ろうにも、そなた達自身が、神の手を振りほどき、サタンたちと手を繋ごうと手を差し伸べてしまうのなら、我々は、それを止めることはかなわぬのである。

よいか、全ては、そなた達の心の中にあるのである。だから、神の使徒として、もっともっと、光ある存在として、迷いのない愛の思いを発しなさい。圧倒的な愛と、圧倒的な光の中で周りを照らしなさい。それが今、何より、今の時代の中で求められているのだ。

そなたたちは巨大なかがり火である。神のかがり火である。高く、かがり火を頭上に掲げよ。迷いのない、確信に満ちたかがり火であるならば、真にわかる者達は、そこに寄って来るであろう。

スパイを行う者。そなた達を中傷するために寄って来る者。そのような者も、確かに寄って来るから、気を付けなくてはいけない。しかし、彼らも救われたいのだ。彼らも、神の子としての神性で、救われたくて、救われたくて、傷口が苦しければ苦しいほど、救ってもらいたいという願いは、傷のない者達より、もっと強くなるのだ。だから、寄って来るのだ。

そういう彼らも、その胸元に包み込むように、あなた方の圧倒的な愛の中で癒してあげなさい。それが女性である。あなた方なら出來るのだ。

男性は、なかなかそれが出來ぬ。どうしても、己が意志と意見が食い違う者に対しては、対立し戦ってしまうのである。そういう者達の身も包んで、決して攬乱されることなく、毅然としながら、しかし、その愛の中で癒してあげなさい。愛とは何であるか、決して裏切らないものであるということ。そのやさしい微笑みの中で、傷ついた者達を癒してあげなさい。

私も、本来ならば、海神をする前に、それなりの光の天使であったことは間違いないのである。かつて、神話の時代、神と呼ばれた者たちが数多く出た。そして、人類の芸術と、思想の流れの基盤を造ろうとしたのだ。

その時、ギリシャは、霊的に見ても、知性においても、芸術においても、文明の極みの中にあった。今だに、その燦然と輝くギリシャの、その叡智の光は、今日まで、人々を導き続けているはずである。

そなた達の中で、オリンピックというものがあるであろう。あれも、三千年を超える時の流れの中で、今だにあれを超えるものを、そなた達の社会の中で作れぬではないか。ギリシャで造られた芸術、そして、オペラ、様々な演劇、そのようなものの原形は、その時代に確立されたものである。

ギリシャ神話の中にある、美しい、牧歌的な、しかし、神と人間たちとの関わりについて、人間的であればあるほど、神々は、人々の心の中に受け入れられて行ったのである。地上に降りし神々も、肉を持てば人間と同じであったのだ。ただ、その時代の指導者としての身を持ったという、その時代背景があったのである。

今思うと、とても懐かしい。相争ったこと、全てが愛おしい。そのように思える今の状態を、私は、とても喜びに満ち感動している。そして、また、新たな時代がやってくる。

そなた(チャネラー)が、このような地球規模の計画の中で、白羽の矢が当たったということ。そなたの生い立ちから、そして、高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方が出られた時から、ずっと流れを見守って来た。そして、その人生の中に、その学んだ神理知識を刻んでいるという、本当に僅かの可能性の中で、確実に導かれ、九次元神霊の言葉を胸に刻んで今日を迎えている。

なかなか、この確率は少ないのだ。地球、何十億の人数がおれども、あの時に、あの時の高橋信次の団体を通し、ORという方の初期の頃からの講演を聞き、そして、どのように曲がり、どのように転落して行ったのかを全て見守り続けて来て、且つ、サタンの攻撃が、どこにあり、今、組織がどのようになっているか、正確に、理性的に、間違いなく捉えている者たちは本当に少ないのである。

いないことはない。しかし、私達がその者達の心を見ていると、本当の意味で神に仕えるというよりは、だからこそ我こそは、という思いの中で、皆が力を合わすことよりも、自己主張し、分裂して来ていることの方を悲しく思う。

もっともっと、そなた達の助力者がいてもよいのだ。何のために、あのように法を学び続けて来たのか、神理知識を頭に詰め込んで来たのか、我々、神々は悲しく思う。

先日、兄、ゼウスがおっしゃられたように、難しい神理知識など頭に詰め込み過ぎなくてよいのだ。人間として、神の子として、本来の最も大切な所を、今一度、確かめよ。確認せよ。その光を広げよ。もう一度、原点に戻れ。

愛とは、慈しみであり、優しさであり、許しであり、助け合いであり、そして、謙虚さを伴うものである。そんな簡単なことが分からぬ程に驕り高ぶり、人々の心は、物質的な物の豊かさを求めることだけが人生の最大の興味であり、目的であるかのように、ひた走りに走っている愚か者の軍団である。

崖っぷちに向かって豚の群が突っ込み、崖の上から皆んなまとめて落ちて死んで行くように、我々は、そのように、人類の行き先を見ていて思う。何と愚かな者であろう。

物質文明などというものは、物質文明自体が、時代の中で要請されている役割が終わればそれほど価値のあるものではないのだ。ただ、宇宙文明に行く前に、今、急濾、近代科学というものが進歩発展するということが要請されている時代だからこそ、科学文明が一挙に進歩して来たのである。

それ以外は、人間の真の幸せということを考えたならば、三千年昔のギリシャの地で、我々が、布切れ一枚、体に巻き、そして、音楽を奏で、酒を飲み、神殿の中で、そして、人々も和やかに演劇などに興じながら神の話をしている。そして、日常の生活を、親子、家族、楽しく、仲良く暮らしていく。オリンピックを見、皆んなで、日夜、スポーツに、文学に、演劇にと勤しんでいる。その姿の方が、よっぽど幸福であるということ。

人間が、幸福であるということは、そんなにも変わらないのである。今日の方が、三千年経ったギリシャの時代よりも幸せだと、そなた達、本当に言えるか。ただただ、ちょっとばかり便利になっただけであり、本当の幸せは、夫婦、仲睦まじく、親子、皆、仲良く、健康で助け合って生きて行ける。それが、幸せの原点であるということを、今、そなた達は学んでいるのではないのか。

その幸せを維持するために、社会を幸せにするために、発展させるために、男達は外に行き、仕事をし、女達は愛のために家族を守り、世話をし、生きて行く。その間に、余分な物質などは、そういらないのに、女性達の姿はどうだ。つまらぬブランドだの、つまらぬ華美な贅沢さを求めるがままに、最後は、女性としてもっと大事な貞操というものを軽んじ自らが幸せであるかどうかを分からなくしている。そんなものは進歩したのではない。明らかに、かつての三千年昔より後退したのである。

人間達よ、目覚めなさい。

そなたたちが抱えている大きな心の病を、今、しっかりと見極め、今一度、神の子として神の許へ戻ってくるのだ。そなた達の未熟さが、今日の文明社会の病を引き起こしているのだ。

どれだけ高度な神理知識を学べども、どれだけ難しい学問を修めようとも、どんなに素晴らしい科学技術が高度に進化しようとも、そなた達の心が病に冒されているのならば、幸せなど、どこにもないのだということ。そのことに、もっと気付かねばならぬ。そして、目を地球全体のことに向けて考えなさい。

今回の文明の中で、モーゼ、イエス、ブッダ、ゼウス、そのような神々が中心になって、この文明を支えて来られた、指導して来られたのだ。しかし、まだまだ多くの神々が天上界におられ、その方々も、また別の文明を指導して来られたということ。

地球というものの歴史が、そなた達が考えている二千年や三千年などではなく、何万年という時の流れの中で、様々な指導を受けながら、そなた達が、その大事なものを、神の子としての神性を学ぶために、長い、長い時の間、学習して来たのである。そのために多くの神々の指導を受けて来たのである。

それにも拘わらず、そなた達は、まだ、そのような初歩的なことが分からぬのか。原点が分からねば、その上の積み重ねは、何を乗せたとしても砂上の楼閣なのである。崩れ去ってしまうのである。

(2002.11)

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