『坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る』
という古い唄があります。これは馬子唄であるとされています。
この唄の意味については諸説あるようです。以下のページにまとめられてあります。
http://www.city.koka.lg.jp/6984.htm
昔の東海道を、江戸から京都へ向かって行きますと、今の名古屋から、道は三重県の方へ向かい、鈴鹿峠を越えて滋賀県に入った最初の宿場町が、土山(つちやま)という所です。この唄は、そこのことを唄ったものであるとされています。けれども、この唄の「あい」の意味が、未だによく分からないようですね。
ところが、「伊都能売神諭」を読んでおりますと、この唄の、全く違う意味が出て来て、面食らういっぽう、ある意味、納得させられるものがあります。それは、こういう事なんです(カッコ内は注、所々編集してあります)。
原文→伊都能売神諭、大正八年一月二日
(ここから転載)
「釈迦は照寺、五十鈴川曇る、愛の月照弥満(つるやま)朝雨が降る。」
仏(教)が栄えて、何処も彼所(かしこ)も寺ばかりで、肝腎(肝心)の天照皇太神宮の御宮まで、一旦は奥の院に阿弥陀仏を祭り込み、大神様を有る甲斐なしに致して、日本の国魂までも曇らして了うて、その国魂の精を受けて生れた神国の人民は、大神の御神体なる八咫御鏡言霊までが曇りて来たので、それから生れた人民が、天気の小言を申すように成りて、段々と天地を曇らして来たから、いつも天災地変の起りづめであるぞ。
日本の言霊の幸い天照る国の人民は、第一番に心の立替立直しを致して言霊を清め、善言美詞を用いて、天地の神様と人民の心を和らげねばならない。今の人民は、善言美詞を使うものは無いばかりか、人の悪口を申して歓び勇み、何かの悪事醜行が、新聞にも出ては来ないかと、待ちて居る曇りた人民が多い。
天にまします大神様が堪忍袋を切らし遊ばして、どうしても、世の立替を一度に致さねばならぬと申されるのを、艮の金神が、ここまで開けた世界を潰されては、何にも知らぬ人民が可愛相なり、一人なりとも改心さして残してやりたいと思うて、天の御先祖様に日時を延ばして戴き、この世を潰さずに、大難を小難に祭り替て下さるように、大出口直の体内に憑(かか)りて今まで御詫(おわび)をいたして居りた。
だが、今の守護神、人民が少しも聞いて下さらぬから、やむを得ず大出口の神(出口なおの霊)は、手を引いて天へ帰りて守護を致すように成りた。
いよいよ、仁愛神(ミロク)様の御出ましに成りて、月の大神様の御守護と相成りて、月の大神様が暗の世を隅々まで御照遊ばして、日の出の守護となると、罪悪の深い国々、所々、家々、人々に火の雨が降ると申して、昔から愛の土山雨が降ると申して謳を作りて、神から気が付けて有りた。
これから世界は十二ケ国に約(つづ)まりて日本の一つの王で治まるのであるが、其所へ成るまでには、世界に大混雑が湧いて来るから、よほどしっかりと腹帯を締めておかねばならん。
(後略、ここまで)
あいの(土山の)雨とは、愛の雨という意味で、アセンションの為の、地球の浄化の火の雨のことでした...。まあ、今まさに世界中で起きていることではないでしょうか。
という古い唄があります。これは馬子唄であるとされています。
この唄の意味については諸説あるようです。以下のページにまとめられてあります。
http://www.city.koka.lg.jp/6984.htm
昔の東海道を、江戸から京都へ向かって行きますと、今の名古屋から、道は三重県の方へ向かい、鈴鹿峠を越えて滋賀県に入った最初の宿場町が、土山(つちやま)という所です。この唄は、そこのことを唄ったものであるとされています。けれども、この唄の「あい」の意味が、未だによく分からないようですね。
ところが、「伊都能売神諭」を読んでおりますと、この唄の、全く違う意味が出て来て、面食らういっぽう、ある意味、納得させられるものがあります。それは、こういう事なんです(カッコ内は注、所々編集してあります)。
原文→伊都能売神諭、大正八年一月二日
(ここから転載)
「釈迦は照寺、五十鈴川曇る、愛の月照弥満(つるやま)朝雨が降る。」
仏(教)が栄えて、何処も彼所(かしこ)も寺ばかりで、肝腎(肝心)の天照皇太神宮の御宮まで、一旦は奥の院に阿弥陀仏を祭り込み、大神様を有る甲斐なしに致して、日本の国魂までも曇らして了うて、その国魂の精を受けて生れた神国の人民は、大神の御神体なる八咫御鏡言霊までが曇りて来たので、それから生れた人民が、天気の小言を申すように成りて、段々と天地を曇らして来たから、いつも天災地変の起りづめであるぞ。
日本の言霊の幸い天照る国の人民は、第一番に心の立替立直しを致して言霊を清め、善言美詞を用いて、天地の神様と人民の心を和らげねばならない。今の人民は、善言美詞を使うものは無いばかりか、人の悪口を申して歓び勇み、何かの悪事醜行が、新聞にも出ては来ないかと、待ちて居る曇りた人民が多い。
天にまします大神様が堪忍袋を切らし遊ばして、どうしても、世の立替を一度に致さねばならぬと申されるのを、艮の金神が、ここまで開けた世界を潰されては、何にも知らぬ人民が可愛相なり、一人なりとも改心さして残してやりたいと思うて、天の御先祖様に日時を延ばして戴き、この世を潰さずに、大難を小難に祭り替て下さるように、大出口直の体内に憑(かか)りて今まで御詫(おわび)をいたして居りた。
だが、今の守護神、人民が少しも聞いて下さらぬから、やむを得ず大出口の神(出口なおの霊)は、手を引いて天へ帰りて守護を致すように成りた。
いよいよ、仁愛神(ミロク)様の御出ましに成りて、月の大神様の御守護と相成りて、月の大神様が暗の世を隅々まで御照遊ばして、日の出の守護となると、罪悪の深い国々、所々、家々、人々に火の雨が降ると申して、昔から愛の土山雨が降ると申して謳を作りて、神から気が付けて有りた。
これから世界は十二ケ国に約(つづ)まりて日本の一つの王で治まるのであるが、其所へ成るまでには、世界に大混雑が湧いて来るから、よほどしっかりと腹帯を締めておかねばならん。
(後略、ここまで)
あいの(土山の)雨とは、愛の雨という意味で、アセンションの為の、地球の浄化の火の雨のことでした...。まあ、今まさに世界中で起きていることではないでしょうか。
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