当たり前過ぎることなので、書いていないと思うのだが、今回は取りあえず書いておくことにする。
Vuole aprire la finestra?
(1) あなたは窓を開けたいですか?
(2)窓を開けてもらえますか?
どちらの訳も可。こういうことは日本語ではありえない。
(1)では相手の意思を聞いている。(2)ではこちらの願望を伝えている。
イタリア語に限らず、こちらの願望をお願いするときにも、欧米語では「相手の意思を尋ねる」ということだ。願望をぶつけるのではなく、あくまで相手の意思を問うている。他者の尊重がここまで徹底しているということか?
窓を開けてもらえますか?という日本語は確かにこちらの要求にすぎない。あなたは窓を開けたいですか?という表現は相手の主体を尊重している。
答える方は「自分の気持ちで答えを言えばいい」つまり嫌なら嫌と言える権利を自分が持ち得るということだ。一方日本語の「窓を開けてもらえますか?」は答える方はいきなり相手に要求を突きつけられているという立場に立たされる。常識的に考えて「嫌です」とは言いにくい。日本語は本来控えめな言語であるはずなのに、欧米語に比べて、丁寧とは言え、要求がストレート過ぎないか?他者の尊重が足りなくはないか?
このことに気づいたのは、初めてs'il vous plait, を知った時だった。「お願いします」という日本語訳をあてるが、直訳すると、「あなたがお嫌でなければ」とか「あなたにそうするお気持ちがあれば」とかという意味になる。英語のpleaseにしても本来If you pleaseで「もしあなたにお気持ちがあれば」というニュアンスがある。日本語にすると「お願いします」になるが、なんだか日本語の方が押しが強い。
「何何してください」とか「何何してもらえますか」と依頼・要求をする場合、日本語でも、話すときの気持ちとして「もしご都合がよろしければ」とか「差し障りがなければ」とか「ご迷惑でなければ」とか、口に出さないまでも、そういう気持ちをそっと添えて、言ったほうがいいだろう。