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言語エネルギー論

言語について考えていることを発信していきたいと思っています。共感と励ましのカキコをお待ちしています。

Xの発音

2007年10月10日 15時24分49秒 | フランス語

1961年2月記という「はしがき」のある大学書林刊、長塚隆二著「生きたフランス語会話」P.19をみていた。
Xの発音は、結局一つ一つについて正確に覚えるほかはない、とある。
例えば、George Sandの小説「Le Marquis de Villemer」に登場するXantraillesのXは[S]。Xanrof,Xancourtは[KS]、Xavierは[GZ]、Xeniaはロシア名の場合は[KS],アメリカ名の場合のXeniaは[Z]、などの例が挙げられている。
固有名詞は日本語の場合もそうだが、それぞれ独自の発音があり、同じつづり字でも、発音される言語によっても異なる。

そこでYvette Guilbertの「Le fiacre」などの作詞家としても有名なLeon Xanrofは日本にどういう発音で紹介されていたか気になって、薮内久氏と永田文夫氏、それぞれの著作でチェックしてみた。
どちらもレオン・グザンロフとあった。
このシャンソンの作詞家の場合は例外的にグザンロフ、しかしフランス語としては一般的にはクサンロフということなのだろう。

私の友人のスペインのバスク人Xavierはグザビエではなくてザビエだったが、フランスでは一般的にグザビエと呼ばれるのだろうか。
世界史に登場するアケメネス朝ペルシャのクセルクセス1世のスペリングはXerxes,ギリシャ人の現代音楽家
クセナキスはXenakis。

今までさほど気にならなかったが、調べれば調べるほど混乱が増すだけだ。
複写機メーカーのゼロックスはZでなく、Xerox、そしてこれは起源ののせいもあるが、一番よく知られているところで言えば、Xmasがクリスマス。

いつか時間があれば、同じことをCHででも検討してみたい。キなのかシなのかチなのか、いろいろ出てくるだろう。CHAはチャなのか、シャなのかヒャなのか、などなども、いろいろと。

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Iannis Xenakis par Yuji Takahashi ;
Iannis Xenakis 「Bohor」
Iannis Xenakis 「Pour Maurice」


猿と猪

2007年08月10日 18時03分54秒 | フランス語

今日は手抜きで自分で考えたものではなく、ある本から面白い語源について一部を取り出して要約してみました。

猿はご存知singe. これはラテン語のsimiusから来ている。ラテン語のsimi-とは「似ている」と言う意味。つまり「猿=人間ににているもの」という発想が語源だとか。面白いでしょ。
次は猪。猪はご存知sanglier. これもラテン語からで、本来の意味は「群れを離れて単独でいる豚」=porcus singularis. そこから豚を表すporcusが落ちて、残った「単独の」という形容詞が名詞化して、ついに猪=sanglierとなった。従って、「単独の」のsingulierと猪のsanglierの語源は同じ。
そう言えば、前からどうも似ていることには気づいていた。

出典:「フランス語の社会学ーフランス語史への誘いー」
    駿河台出版社 森本英夫著 P.155~P.156
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  Gribouille : Mourir Demain


複数形は数の区別表記のためではない!

2007年07月06日 18時23分43秒 | フランス語

複数表示に用いられる「-s」「-i」といった接辞は、もともと指示(代名)詞であったらしいことがわかってきた。
つまり名詞をこれらの指示詞で繰り返し、強調あるいは緩和したのが複数の元来の意味なのである。(P.270より抜粋)

日本語の複数接辞「カタ」が「あなた方」「暮れ方、明け方」と時点をぼかしているのは、フランス語の複数の働きと似ているーと続く。

フランス語で二人称単数にVousが用いられるのは、このような文法的数の意味とかかわりを持っているし、もともと複数であった英語のyouが単数形thouを駆逐してしまったのも、複数と言う言語現象が単に数的現象ではないことを示している。
ドイツ語では二人称単数代名詞としてduとSie(三人称)を用いる。(P.270より抜粋)

そして結論として、「数」とか「人称」といった文法的区別が、もともと最初から人間の理性を反映しているものと考えるのは間違いのもとであるーとなる。

何気なく寝転んで読んでいたのでびっくりしてしまった!
思いがけないところに、思いがけない文章。(by 明治学院大学教授 工藤進)
参照: 「世界の歴史と文化ーフランス」新潮社刊

複数形や人称が文法で規定されている言語は理知的だと思ってきたが、そうではなく、日本語が得意とする「あいまいさ=婉曲表現」を元来は希求していたものだったとは! う~ん。
そういえば、ここでは仏語、英語,独語のことしか書かれていないが、伊語も西語も同じで、人称と活用は、はっきり言って矛盾だらけでムチャクチャだ。

ただ、人称を混乱させるまで、対峙を避ける、その必要は何に起因するのだろうか。

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言葉は自分の意見を不特定多数につらつら開陳したり、客観的情報とやらを他に伝達するためにあったのではない。
話すべき相手、意見を聞くべき相手、返事をすべき相手があり、それぞれに応じた強い心情が元にあるのだ。この意味で言語で最も根本的なものは、発話者の心情の表し方だと言える。(P.272より抜粋)
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独語にduとSieの区別、仏語にtuとVousの区別、そして条件法や接続法。日本語はその働きを敬語で機能させているのかもしれない。つまりは、話すと言う行動は、内容伝達云々と言う前に、関係構築、関係確認、心情吐露の行為であったのかもしれない。
そして言葉の進化とは「他者にいかに心地よく自分の話を聞いてもらうか」という工夫の連続の上にあった、といえるのではないだろうか?
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追記: 前々から不思議に思っていたことがある。記憶喪失者は一番の基本である自分の名前や住所さえ喪失してしまうのに、何故しっかり言語能力を完全に維持し得ているのだろうか? 一見無関係なようだが、これは上に書いたことと、何か関係があるのかもしれない。

Les Enfoires 2007 :  Aimer a perdre la raison ;
Florent Pagny : Savoir aimer ;


eひとつ、付くか付かぬか。それだけで...

2007年06月29日 18時43分07秒 | フランス語

自分のサイトに「バルバラの失声について」の日本語記事を出したのが2004年、英訳したのが2005年、仏訳、西訳されたのが2006年。
Les Amis de Barbaraの記事は友人のJeanne SedourがProof ReadingをしているのでJacquesがミススペリングを言ってきた時も「まさか」と思って気にしなかった。
サイトに仏訳を転載する時に、確認することにした。

英訳: You can easily judge it from her records. But since when has her voice changed?
仏訳:  Les disques nous permettent d'en juger aisement. Mais depuis quand au juste la voix avait-elle changee?
西訳:  Podeis comprobarlo facilmente en sus discos. Pero cuando cambio su voz?

La voix だからchangee、これでいいんじゃないかと思ったが、よく考えると助動詞はavoirを使っている。でも直接目的語が前に出ているのだから、やはりこれでいいのだ。でもelleは何、Barbaraかla voixか。changerは他動詞か自動詞か。と考えているうちに混乱してきた。
ダメかなー否、これでいいーダメだー否これでいい
順番に考えよう。Barbaraが自分の声を主体的に意図して変えたわけではないので、elle=Barbaraの可能性をまず消す。そうなると他動詞はまずあり得ない。それとも他動詞を目的語なしで使用する絶対用法の他動詞ではないだろうか?ひょっとすると代名動詞にしないといけないのではないか?否、自動詞ならavoirよりetreを使用しなければならないのではないか。また混乱する。そこでchangerの自動詞の用法を確かめることにした。

Les choses ont un peu change.
(事態は少し変わった)物主構文のchangerの自動詞。これでいける。次に..
Les temps sont bien changes.
(事情はすっかり変わってしまった)とある。やっぱり自動詞だからetreを使うのか。否、解説がある。(状態を強調する時には助動詞はetre)と言うことはetreでなくてもいいのだ。
で結局、ミススペリングと判定した。だから自分のサイトの仏訳では
Mais depuis quand au juste la voix avait-elle change? と訂正している。
ただしいまだにla voix,  changeeでOKだと判断する方が、むしろ自然な気もする。それはきっとavoirという助動詞のせいだ。

お願い: アクサンとさかさまのクエスチョンマークを頭の中で自動付加してお読みください。

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Barbara : 「Attendez que ma joie revienne
私もこれをよくするので、かぶせて歌っている人の気持ちがよくわかる。


ちょっとした書き換え

2007年05月30日 18時45分28秒 | フランス語

今まで読み飛ばしてきた部分だが、今回初めて気になった。
私はこの書き換えを自分のものにしているだろうか?少しドキッとするところを見ると、血肉化してはいない。

Je ne vais pas perdre mon temps a courir apres eux =
Je ne vais pas perdre mon temps a leur courir apres.

(前置詞+強勢系形)が(無強勢形・・・副詞)に変わります、とある。

出典: スタンダードフランス語講座ー4 会話 大修館書店 P.60

3人称複数・間接目的語 leurのこの位置。見慣れてはいるが、書くときに自分でこの位置にスーと置けるだろうか。間接ではあれ目的語が、自動詞につくことが、言語エネルギー論的発想からは、なかなか自己納得させにくいのだ。困ったものだ。いっそのことeuxのままなら、なんとかかんとか自己納得させることが出来るのだけれど。

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昨日偶然Sadeに関する書物を読んだ。これはMan RayのImaginary Portrait of the Marquis de Sade. サド侯爵、実際は、肖像画で見る限り、もっと精細で上品なお顔をされている。彼の父もそして彼の息子もどちらかと言うと美形の部類に入る。

Francois Chalais critique le film de Pasolini 


Chapitreの語源

2007年05月15日 19時39分18秒 | フランス語

今回も自分で考えたことではなく昨日読んだことの二番煎じなのだけれども。今日は語源について。
ひとつの単語にばらばらと思えるような異なった意味がいくつもあると困ってしまう。それを語源から見て覚えこむというのはひとつの有効な手段かもしれない。

Chapitreの一番知られた意味は、本やお話の第何章の章。お芝居で言えば第何場に相当する。全体の中のひとつのまとまった要素。論文なら小見出し。

Chapitreの語源はラテン語のcaput、つまり頭(la tete)。chapitreは小さな頭を意味した。文章の頭に来る文字をlettre capitale(大文字)という、そのcapitaleと語源を同じくする。

中世chapitreは小さな頭、つまりそれまで小見出しだったものが、教会参事会(員、室)という意味を持つようになる。
何故かと言うと、修道院のその場所に修道士が集まり、お話の一章を聞くからでる。そしてその場所がchapitreと呼ばれ、別の意味を持つようになった。納得納得!

辞書を見るとchapitreには、avoir voix au chapitreというイディオムが出ている。当然したがって、本来は教会参事会で投票権を持つ、という意味であった。
そこから、信用がある、権威がある、と言う意味が派生していく様は容易に想像ができる。
この場合,il n'a pas voix au chapitreのように,否定で用いられることが多い。
またそこから、Sur ce chapitre, je suis d'accord avec vous. のように、項目、や主題、問題と言う意味がさらに派生するのも、余裕で納得できる。
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参照:種を明かすと、昨日のRFIの記事で読みました。自分自身の研究ではありません。
今日のお楽しみ: Patricia KaasのL'aigle Noir


J'aime le the leger

2007年05月11日 19時15分00秒 | フランス語

Aimez-vous le the leger?  Oui, j'aime le the leger. (1)
Comment aimez-vous le the? J'aime le the leger. (2)

(1)のlegerは付加形容詞、(2)のlegerは属詞です、という説明を見てギクッとした。(2)も付加形容詞にとれないことはないが Je l'aime leger.と解したら確かに属詞だ。
 (大修館書店 スタンダードフランス語講座-4、会話 P.40:
   アクサンを頭の中で補っていただけたら嬉しいです)

日本語であえて言えば、
(1)薄いお茶が好きです。  (2)お茶は薄いのが好きです。
と言うように区別できると言うところだろうか。

この違いは答えの文よりも質問の文で区別すればいいのだろうか。
それともフランス語が後置修飾だから一瞬幻惑されるのだろうか。
はたまた、aimerと言う動詞の特性に紛らわしさの原因があるのだろうか。

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20年以上前の大昔の話だけれど、マックスファクターのキャンペーン「I like being a woman」という集会に出てチークカラー50色セットをもらった。ゲストのパネリストは、犬養道子さん、村松英子さん、落合恵子さん、さすが素晴らしい女性達でかっこよかった。
当時ある語学学校で英会話を教えていた私は、学監の梶井先生にその話をした。
「Bruxelles先生、そのI like being a woman.というのはおかまの集会ですか?」と言われた。!!
なるほど、それは面白い発想だし、訳としてもむしろその方が正しいかもしれない。

「I like being a woman.」は訳の発想がどちらに転ぶかは、主語の性別に委ねられている。
この紛らわしさは、likeの時間のアスペクトに起因するのか、はたまたbeingの(注)二面性に起因するのか、どちらなのだろう?

(注): たとえばこのB動詞がスペイン語のserなら主語は女性、estarなら主語は男性と発想が固定するのだけれどね。

  
((La Solitudine)) : 絵画参考資料 : Moulin de la Garette


否定のDE

2006年12月18日 17時47分40秒 | フランス語

もう何十年も前、初めてフランス語をスタートした時、不定冠詞、部分冠詞は否定文の直接目的語の前では、DEになる、と言う規則に出会って感動した。

Do you have any pencils?
No, I don't have any pencils.  とこれはわかるのだが
Do you have a pen?
No, I don't have a pen. と言う英文にずっと抵抗を覚えていたからだ。2本持っている場合もNoなのだろうかと。
aが冠詞だけでなく(ひとつの)という数詞も兼ねるせいからかもしれない。
単に持っていないと言う場合はaではなくanyのように0(ゼロ)を含む概念が必要なのだ。本当に随分と時間をかけて悩んだ。
だから、フランス語の否定のDEを見たときは、本当に嬉しかった。

不定のpasは歩、pointは点の意味で、元来は限定する意味で付加されていたものだが副詞的役割に変化したらしい。
ではdeの役割はと言うと、後ろの名詞からpasの限定を外すためにあると言う。
典拠: LANGUE FRANCAISE- Cours de Syntaxe-
       田辺貞之助 著  (白水社刊)

定冠詞の否定は対象を特定しなければならないのでdeに変える必要はない。
不定冠詞、部分冠詞はもともと特定性はないのだからpasで限定したとしても、deに変化させてその限定をわざわざ外す必要はないと、思われるかもしれない。
結論を言うと、不定冠詞にも部分冠詞にも実は、あいまいながら限定はあるのだ。
言語思考に表出するものには、すべて何らかの、ある数、ある量、の概念的枠組みがなければならない。そうでなければ、思考の中の言語としての機能を果たさないのだ。
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C'est du pain.
C'est de la confiture.
C'est de l'eau. についてこういう説明がある。
上の例で言えば、パンはバゲット半分かクロワッサン2個程度、ジャムも多くて一瓶、水もミネラルウォーター一本ぐらいと考えてよいでしょう。
出典:「驚くほど身につくフランス語」 (高橋出版)
    柴田香葉美 Yvette Claudon 共著
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だからゼロの場合、無の場合はpasの限定を外さなければ、かすかに存在感が残ってしまうのだ。否定が完結しないのだ。
C'est , Ce sont,の属詞の場合はdeにはならない。なぜなら、存在を消すのではなく(ゼロを表示するのではなく)、(属詞の否定)そのものを残す必要があるからだ。
対比や強調の場合はdeに変化しないのも、同じ説明ができる。(特定して否定する必要があるからだ)


ではそもそも何故deに限定解除作用があるとみなすのか。
この冠詞deは、前置詞deの転用で、次の名詞の”among化”とでも考えると一番スッキリ納得できるように思う。”among化”とは、たとえば、恋人を群衆の中の一人としてしまう作用だ、と言えば、わかりやすいだろう。


過去分詞の一致

2006年12月07日 16時56分29秒 | フランス語

(アクサンを打てないので省きます。想像で補ってお読みください)

・Quelle belle journee nous avons passee!
・Elle demeurait ravie.
とかこのあたりはわかりやすい。問題は例外だ。

例外(1)   非人称動詞の場合
・Les grandes chaleurs qu'il a fait nous ont ote toute energie.
・Combien de vayageurs est-it arrive ce matin?

例外(2)   使役の場合
・Il nous a fait venir.

例外(3)   放任や知覚の場合は解釈によって両方あり
・Les enfants, je les ai vu(s) sortir.

う~ん、ここまでの(1)(2)(3)の例外は、なんとなくわかる。
それで当然かもしれない。ただ

例外(4)
・Cette maison, je l'ai vu batir. これは?

ひょっとしたら、前から何回か書いているように、建てられるまでは家は出現しないから、つまり見えないから、目的語にはならない・・・と解釈するのだろうか。
(batirは他出動詞)
それとも厳密に言うと、maisonはvoirの目的語と言うよりもbatirの目的語とみるべきだからだろうか。両方の目的語なのだけれど。
それとも知覚というものは、建てられる家よりも建てている人達を見ているのだろうか。殺人現場において目撃者は、被害者に目が行くのか、加害者に目が行くのか。

結論:この例文は本来成立していない。Cette maison ,je l'ai vue batie.と表記すべきものではないだろうか???

例文引用元:「フランス小辞典」 佐藤房吉 大木健著 駿河台出版社

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追加(12月12日):
Takeさんにコメントを頂いた後、少し考えてみました。以下がすっきり結論です。

1)Cette maison, je l'ai vu batir.
2)Nous avons aime la melodie que nous avons entendu jouer hier soir.
3)Cette maison ,je l'ai vue batie.
4)Nous avons aime la melodie que nous avons entendue jouee hier soir.

1) 2)を「言語エネルギー論」的発想から3) 4)であるべきだと”突っ込み”をいれました。英語では
1)I saw the house build.はありえず
1)I saw the house being buit (at that time).である筈で
2)We liked the melody that we listened to、 play last night.はありえず
2)We liked the melody that we listened to,being played last night.である筈です。

そこで昨日、フランス語の代名動詞の受動的用法に思いいたりました。家に帰って考えました。これは間違いない。代名動詞の「seの省略」と見るのが一番すっきり納得できる。
受身形の項目において、過去分詞には完了のニュアンスが出て、代名動詞には未完了のニュアンスが出る、とありました。
建った家ではないので(3)は不成立、演奏されてしまった後に聞くのではないので(4)は不成立。建てられつつある、演奏されつつあると言うニュアンスは(1)(2)の文からしか出ない、なるほどと、納得確信しました。

受動的代名動詞と言うのは「言語エネルギー論」の発想には以前から一番逆行するものでした。
「言語エネルギー論」では物は、限られた動詞しかあてがわれず、したがって本来目的語の役割を持つものだから、つまり本来他動詞を持てないものだから、代名動詞の受身的用法は、許容出来ないんですよね。他動詞を勝手に自動詞に変形させるなどと言うことは。

これをきっかけに、代名動詞の受動的用法を各言語に於いてスポットを当てて考えてみようと思います。
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寄り道 : 英語「have+目的語+過去分詞」


時制のVariete

2006年11月19日 18時19分35秒 | フランス語

 30数年前に時制のドリルを徹底して行ったが、混乱は増えるばかりだった。正しく使用するためには、言語による説明では捕らえきれない例外的なものを見分ける必要がある。

英語には、副詞節の中では未来形は現在形に、未来完了形は現在完了形になる、という文法がある。フランス語では単文でも会話では、これをやってしまう(但し、未来を示す副詞を伴うので誤解を生むことはないが)

(1)A-t-on bientot termine cette besogne?
(その仕事はすぐに終わりますか?) 複合過去形の勇み足用法?

直説法前過去形では、敏速を表す副詞(句)を伴って、ある行為が敏速に完了したことを示す。

(1)En vingt bonds, il m'eut depasse.
 (20とびで、彼は私を追い越した) 副詞句があるゆえに単純過去形ではなくて,前過去形を強いるのだろうか。それは何故? 迅速さを表すためだけに?  
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これで、引越し完了。途中追加原稿もすこし入れた。
今から、後を濁さないために楽天のBLOG登録解除に向かいます。

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寄り道:France 3 ニュース


イディオム(2)

2006年11月17日 17時53分26秒 | フランス語

わかりやすいのをわざわざ書く必要もないので今日は覚えにくい、忘れやすい(4)の例を5つ挙げてみたい。

(1)etre timbre=to be stamped
これがto be nutsという意味。たとえば、
Le conducteur est timbre. Il conduit sans regarder la route.
storyでも作って覚えなければ、すぐ忘れそう。連想は効かない。

(2)etre completement allume= to be completely lit up
なにか博識かと思いきや、これもto be crazy.
Ce type est completement allume. Je crois qu'il n'est pas tres reasonnable.のように使われる。

(3)coincer la bulle= to get the bubble stuck
Nous travaillons dur pour preparer ce barbecue en foret, et lui,il coince la bulle? のように使う。
to hit the hay, to take a napという意味。どこでどうこじつければいいのか、創作の必要がある。

(4)raser les murs= to shave the walls
壁を剃る? ちょっと想像がつかない。
Depuis , il rase les murs, il sors tres peu de chez lui, on ne voit pas sa photo dans les journaux.
これは、to keep a low profileということ。

(5)casser les pieds a quelqu'un=to break someone's feet
Arrete! Tu me casses les pieds! Ton histoire n'est pas du tout interessante.のように使われる。意味はto get on someone's nerves, to bore someone stiff
足を壊されるという感覚がどうもわかりにくい。興味のない人物が興味のない話をうだうだ言ってくる、経験は多いが、それで足を壊されているという感覚は、う~ん、わかりにくい。
時間があれば、もう少し続けてみたい。(つづく)(続くと書きながら、これは続けていません。また後ほどね)

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寄り道:「
Une autre lumiere
 par Marie Paule Belle
(「見えない鳥の存在(9)」の11番目)


イディオム(1)

2006年11月17日 17時38分48秒 | フランス語

 イディオムには
(1)他の言語から類推できるもの
(2)イメージ的にわかるもの
(3)よく考えると納得できるもの
(4)イメージがつかみにくいもの
などがある

(イ)Ce n'est pas le Perou.=It's not Peru
これは(3)か? It's nothing to write home about,it's no great fortune.という意味。

(ロ)Ce n'est pas la mer a boire=It's not the sea to drink.
何も海の水を全部飲めと言っているわけではない、不可能な要求ではない。これは(3)と(4)の間?

(ハ)ramasser une buche=to pick up a log
これは(4)転げ落ちる、転倒するは、なかなか出てこない。覚えにくい。

(ニ)Une truie n'y retrouverait pas ses petites=そこではブタは子豚を見つけにくいだろう。これが散らかっているという意味。なるほど、とも思うけれど、1年もたてば忘れる可能性が大。これは(3)か?

(ホ)appeler un chat un chat
これは(1)英語にto call a spade a spadeと言うのがある。a spadeが
un chatに変わっているだけで後は同じ。言いにくいことをはっきり言うと言う意味。
 もうちょっと続けてみよう。(つづく) 

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寄り道: 
カメルーンの子供の歌、近々Paulの歌声もここでお聞かせします。


KANGOUROU

2006年11月16日 18時55分27秒 | フランス語

ひとつの単語の意味を云々するのはこの場での本意ではないが、今日はKangourouを取り上げる。

男性用のブリーフパンツのことをフランス語でKangourouと言う。なるほど、想像可能な言葉の意味だ。

英語でKangarou courtと言えば,私的裁判、リンチのことである。また英語でKangarou closureと言えば、議長が議題として取り上げる価値を認めた案件のみを討議し、他は討議を打ち切ることを言う。Kangarou courtからこの意味は充分類推できる。

しかしそもそもKangarou courtは何故Kangarou courtなのだろうか?何か語源を辿れそうな気がする。

Captain Cookが1770年にオーストラリアのQueenslandに上陸した時、この飛び跳ねる動物を見て原住民に「これは何か」と尋ねたところ「Kangarou」と答えたと言う。ただ、これは現地語では「あなたの言うことが理解できません」という意味だった、という説がある。

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以前オーストラリア人の同僚でティッシュ(パトリシア)という女性がいた。オーストラリア人女性の同僚は他にも何人もいたが、ティッシュは若くて博学(特に古い音楽に関して)で、食事をしながら、一緒にオールディーズを大声でよく歌った。図鑑を広げて、オーストラリアの珍しい動物について色々話してもくれた。
私にとってKangarouは、やはりイメージ先行で身近とは言えない動物だが、オーストラリア人のティッシュにとってKangarouは、ニュージーランド人のJudy(元同僚)にとってのKIWI(無翼鳥)と同様、きっと一番身近な動物なのだろう。   

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寄り道:
読みながら、
聞きながら


ハイはウイって言うんだよ。

2006年11月16日 18時34分28秒 | フランス語

語学学習には途中に何度か壁がある。それが当然。
野球のルールブックをちらと見て、野球ができると思い込むのは、滑稽というものだ。

今話題の構造計算、をしていたMから電話がかかって来た。
「最近フランス語を勉強したおかげで、フランス映画をみてもよくわかるようになった」
「えぇ!!字幕なしでわかるの?」
「そう、一度会わないか」
・・・吃驚して会うことにした。会ってさらに腰が抜けるほど吃驚した。

久々にノコノコ出てきて驚嘆の眼を向けている私を見て、Mは大満足、終始ニコニコ、ご機嫌であった。
「フランス語ではね、ハイはウイって言うんだよ。ハハハハハ・・・」
「オナカガスイタはジェファンって言うんだよ。ハハハハハ・・・」
「アイアムはジュシだよ。ハハハハハ・・・」
(上機嫌の人に、腰が抜けたとは言えず・・・)

B「フランス語は動詞の活用が難しいから、六ヶ月位じゃ、直説法の一人称を2,3個言えるくらいが、現状でしょうね」
構造計算士M「あのね、フランス語はそもそも動詞の数が極端にすくないんだよ。辞書の後ろを見てごらん」
(私)「えぇ!!動詞の数が少ないって,辞書の後ろって(ひょっとしてそれで全部と思ってるの?)!!!」

30年程前に私がフランスに語学留学したことをすっかり忘れているのだろうか。語学の専門学校で私がフランス語を教えていることを、すっかり忘れているのだろうか。ひょっとしてボケた?

信じられないかもしれないけれど、「語学ができる」という人にMのような人は結構いる

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寄り道:
読みながら、
聞きながら(1)。
読みながら、聞きながら(2)


放置

2006年11月15日 19時39分27秒 | フランス語
なかなか手が出ない活用形がある。あえて覚える必要もないので放置したままだ。
接続法半過去形、接続法大過去形。
覚えようと言う意欲がわかない。フランスの学校でも教えないらしい。
単純過去形もそうだ。もう数十年活用を覚えずにカンで読んできている。
勘で充分読めるようになっている。
覚えるのは簡単だが、何故か覚えたくないだけなのだ。 
今日の寄り道で単純過去の使用見本のようなフランス語をお目にかけます。 
こう使い分ければ、確かに文章にメリハリが利く。

寄り道:
La Voix de BARBARA」日本語からフランス語へ