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朝日記200414 リアリティの射程~それぞれの世代の74年とわたしたち

2020-04-14 20:56:00 | 絵画と哲学

朝日記200414 リアリティの射程~それぞれの世代の74年とわたしたちと今日の絵

絵は 空をとぶあじのひらき です。

徒然ことです。お読みください。

徒然こと 親愛なる友人N氏との対談 リアリティの射程~それぞれの世代の74年とわたしたち

友人N氏 模型関連のツイッターに「そろそろ自衛隊の歴史が帝国陸海軍の歴史を超える」というのがあったので「何?」と思って調べてみた。帝国陸軍史は1871~1945で74年。帝国海軍は1872~1945で73年。自衛隊は警察予備隊創設が1950年だから2016年で66年。あと8年あるから「そろそろ超える」というのにはまだ気が早いだろう。でももうそんなになったかとも思う。

  考えてみれば私の生年1955年から太平洋戦争は10年前だった。日露戦争に行ったお爺さんも子供の頃周りにいた。今年生まれの子供が71年前の終戦を見る距離感って、私に当てはめれば1884年になる。日清戦争の10年前で、『坂の上の雲』の秋山好古の教官だったメッケル来日が翌1885年。そこまで行ってしまうのかと思う。戦後も長くなったものだ。まだやっているのかとも思う。

 

A氏 私にすれば1867年をみる距離感ということになります。 日本をひとことでは言い尽くせないものがあります。(もしかしたら、計算間違えたか、まあいいや)

 

友人N氏 維新の前年ですね。渡辺京二が『逝きし世の面影』で描いた領域に入ります。あの頃日本は別の文明だったそうです

 

A氏 良くも悪くも思い切りがいいですね。負けたからやむを得ないが、屈折した精神をそこに見ます。

 

A氏  岩波文庫の特集で「黎明期の日本」というのがありました。幕末の西洋人たちの日本滞在記のコレクションでいまも大切に所有しています。

そのなかで、オールコックの「大君の都」やペリー提督の「日本遠征記」は、ものを見ることの意味、自分のなかで言語にし、思考のなかに展開し 表現することに大変参考になったとおもいます。 Narrativeというジャンルがひとつの著作体として、構造的な章立ての報告書のようなものとは一線を画するものの存在のあったことに胸をなでおろした記憶があります。 横浜の開港資料館の展示で、ペリーの遠征記の原版が展示されていて、ふと‘ohaguro’という語に目が留まったことをおもいだします。 日本遠征の特記項目として 吉田という青年紳士たちの禁令を冒してまでの知への意志とそれに応えることができなかった人間の自由と民主主義のシャンピオンとしての合衆国代表としての負い目が縷々語られ、その記録が印象的でした。また、黒船で催されたディナーパーティーに日本の招待客たちがスケッチブックをこぞって携えてスケッチしていた様、機関室のエンジンはじめ各機械、配管の威容にも特段おどろくことないことにも印象的であったようです。 料理はいまでいばdoggie bagで懐にいれて持ち帰ってなことなども興味深く記述していました。私としては、自分の進路の過程で、国立商船大学機関科を通過して、ボイラーや摺動式の蒸気機関のビンガムBingham氏やツオイナーZeuner氏弁図などによる構造設計演習などを思い出し、明治近代化への日本人の気概にあらためて感慨にふけるものでありました。 私の少年のころは、日本人が「猿まね」とか「猿」といわれてきたことを知っています。 自虐的に、それを認めてもいたとおもいます。

明治開国で、さっと、断髪してしまったこと、廃仏棄却にまでもして、等々、近隣の諸国からも東洋人の恥として嘲笑されたことでした。しかし、あれよという間に、ある意味出毅然として近代文明社会の混沌のなかに入っていったともいえます。 そして「ひとことではいえぬ」歴史過程のなかで興隆と凋落にあって、そしてその後の大戦後の75年ですね。

わたくしが社会にでた1969年は、東京オリンピックの年でした。新幹線や首都高速道などで話題になりますが、技術の世界はあの輝けるアメリカの大量生産技術の導入期でした。先輩たちは語学のハンディキャップもあったか、新人にとにかく、やりたいことがあったら手を上げろ、かならず道が開けると背中を押してくれていました。 怒涛のごとく文明知がながれこみ、これを必死にとりこみます。石炭、電気、肥料、そして繊維、鉄鋼、造船、石油化学そして自動車、計算機、情報技術、電子デヴィス そして先端ナノ材料革新を経て、世界的水準にまできました。公害、地球環境などの押し戻しもありましたが、それも、自らの力で世界水準を超えてものにしていく厚ささえ蓄えたとみます。 冒頭の固有の文明にあったといわれる、土着vernacularともと評価し、褒められて、此方は俗ものclichéとして 面映ゆく顔を赤らめていたものも、気付けばそれも身辺から世界から消え始めている。馴染んだものの土臭さを厭う世代から、新しい世代が、拘らずにひと皮脱皮した視線で、それらのもつ実質の文化の水源・水脈に目を向けることにもなったといえましょう。ものの原点や基盤を宗教よりも哲学においた旧制高校のデカンショなどは、近代の超克として、いまあたらしい目で、取り組む意味があると考えます。 数学や哲学のような形而上学的な本質知なるものは、思考実験つまりゲームでもあり、言ってはわるいですが、将棋や囲碁なども結構ですが、はるかに世界の本源とつながる、知の大洋へとつながるものと思います。そうですね、藝術はその知の大洋へと背中をおしてくれるものでもあると感じています。

なによりもこの世に生をうけているものが、もっともその能力を発揮し、みずからの生の充実を拓いてくれるともうしておきます。 渡辺京二さんの「逝きし世の面影」は読んでいませんが、Nさんの意味するところにしばらく足を留めさせていただきました。 ありがとうございました。

 

友人N氏  恐縮です。まさにそう言うことだと思います。ありがとうございました。

 


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