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朝日記160612 「moral revolution(道徳革命)」ということと今日の絵

2016-06-12 17:21:50 | 絵画と哲学

 

朝日記160612 「moral revolution(道徳革命)」ということと今日の絵

 

敬愛する友人K.M.から つぎのような問い掛けがありました。

~~~~

「昨日の総合知学会で発表した内容を添付いたします。(貴方)にお聞きしたいことがあったのですが、ご欠席で残念でした。

それは、オバマ大統領の広島演説の中で使われている道徳革命( a] moral   revolution)という言葉です。

 The scientific revolution that led to the  spilitting of an atom requires a moral revolution as well.

 という文脈です。 この言葉を小生は初めて知りました。博学の貴殿なら意味をご存じではないか

と存じます。ご教授のほどよろしくお願いいたします。昨日の研究会に参加した各位はご存じありませんでした。  K.M.

 

五月のばら I

 

~~~~~ K.M.氏(2016・6・13)への返書~~~

 

K.M.様

 ご発表の原稿をお送りいただき ありがとうございました。

先月、原稿資料を添えての質問項目をいただき、そのままご返事もせずに

失礼しております。

 Moralityについての二元問題は、アングロ系は大陸のカントの学派から冷やかされ、「アダムスミス問題」として、いまも

大陸との思想的および実践な距離はあるようです。 ネットでAdam Smith Problemと引くとおもしろい解説がでてきます。 この辺で文献を読んだりして大分あそんでいました。

彼らは、アダムスミスの「国富論」と「道徳感情論」との表面的なかい離を揶揄したようです。

スミスの前提には、ミツバチが分業で一生懸命働いているが、全体としては合目的に調和がとれた社会になっているとして、功利的市場主義を説いていますが、スミスは一方で 「道徳感情論」でモラリティが社会のその前提として存在していることの意味をつよく認識しています。 

そのモラルの前提は「同意」agreementとして問題の共有化をし、解決を見出し、ルール化していくというものです。したがって問題が起きた時に、人間が生きていくうえでのおとしどころ(rationality)優先することになるとおもいます。裁判でも裁判員制度や陪審員制度はすぐれて、アダムスミス的です。

 一方、カントの超越主義的道徳律は、神からあたれられた道徳的直観(道徳律)とこの世を生きる個人の嗜好・傾向からの自分の価値意識(格律)とのギャップを前提にそれを道徳的直観からの律との差を明示的(観念的)に表して位置づける。それを前提としなければかれらは、身動きができない。それを規範のなかに顕にもするといえます(理念拘束型といえましょう) 神の意志という正義rightから出発しますが、それ自身よりも「合法」justificationが結果的に優先します。

 私見をいうなら、メルケルの道徳律に耳傾けるという結論は、いかにもドイツ的ともみています。 その意味では、ドイツは独走し、その価値観をまた押し付けてくることもあります。

 アングロサクソンは、多分 メルケルの結論に対して冷やかであるとおもいます。そんなことを 図式で描いておりました。

 こんなことに着目して 御答えの準備をしているうちに それではわが日本はどうかなどとえていたら、時が過ぎ、5月は過ぎました。 ところで、(4月の総合知学会の)合宿での論議は、原発という対象にたいして、具体的な事象に思考をコミットすべきであるところであったようにおもいました。現にK.M.さんがそうされておられ敬服しています。

そうおもいつつ、ところで、A.I.さんのいわれる原発事故の「べき乗法則」についてこちらがただ、感心しているのではなく、根拠をきちんとみておくべきだなといった気持がおきてきました。

そして、統計数理論的な根拠に興味を懐き、十数年ぶりに数学をレビューすることに集中し、目下、呻吟している状況です。これについても 9月位にはお話したいと思って頑張っていますが、その間、気にはしていましたが、K.M.さんからの宿題のメモ書きが机のわきい積んだまま 失礼申し上げておった状況です。(カントから関数解析ラプラス,そしてフラクタルのマンデルブローまで飛んでしまいました)

 

そして、その五月の末の伊勢志摩サミット、そしてオバマ大統領の広島訪問がありました。日米近代史はもとより、人類の精神史上としてもおそらくながく特筆される勇気ある行為に、深く感じてしばらく 筆をとめて 気持ちの鎮静を図っていたところでもあります。

 

今回のK.M.さんの資料を拝見して、すぐ思い起こしたことはやはり、西洋近代の思考方式のDescriptive(理念を語る)とNormative(ルールとして行動化する)との二元的なmoralityの論理構造をおもいおこしたことです。

この位相を怜悧にとらえておくことは これからも大切であるとみています。

 

今、、話題になっている都知事がルールにのっているか、ないか、態度がどうかなど、感情論的にして、単なる形式的な言行一致次元が先行しています。 そこのなかでみなが逆に身動きができず固まります。 とりあえず、規範に違反しているなら、その違反の程度の罰があってよい。 現在の規範が不十分であるなら、これから改訂する。

私も、あの知事には失望していますが、規範問題を理念問題に一挙に仕上げてしまうのには残念ながら、無理があるように思っています。 

 理念と規範とのズレなどを きちんと見て、これを冷静に埋めていく姿勢が大切であると思っています。

 狭く考えるとトラップ(落とし穴)におちて 形式的な矛盾のなかで 思考のモラトリアムにはいり、呻吟につながり、結局レベルの低い出口へと落ちるようにおもいます。

そして さんざ騒いだあとに けろりとわすれ理念も掘り下げられず、規範も形式的に触る程度で 実質なにも変わらないというところに堕ちます。 あとはなにもなかったかのゆように、さわやかに前向きにいこう!、建設的にいこう!という言辞のもとで忘れられていくようおもいます。いかがでしょうか。

 

とりあえず、合宿のときの荒井メモを添付します。概要は以下です。

 1.Morality = no harm

  人間はfallible(誤りやすい)で、且つ vulnerable(傷つきやすい)存在であることから出発する。

 2.Morality = rationality  

  ひとびとの多くは 理路整然として深く一貫して考えることが得意ではないとする。 それに付け込む悪しき賢い人間(権謀術数)がこれからも支配する。(悪が常に跋扈する) 

  3.The third of persons of rational(超然とした知性的な第三者)の存在の意味

  この役割のひとたちは、上のDescriptiveNormativeとの溝やズレを埋める歴史的な役割りを担う。また 異なる筋道のrationality戦う。(勝ったほうが正当か?)

  

荒井個人の立ち位置としては、核廃絶問題を通じてのDescriptiveな理念の堅持と発信とNormativeな部分つまり現代文明を支える科学技術の役割の推進は 嫌でも並行していくことが人類の存在に課せられた命題として捉えています。

Moralityについて 国民が意識をたかめ、その在り方をつねに矜持していく姿勢は非常に大切です。

その意味で「哲学の時代」あるいあはmoral revolutionの時代になります。一方、似非哲学や独断的な宗教からの誘惑も多くなります。

Normativeな相は Institutionismに徹して 問題の在りかと方向性への公開と論議を進めていく以外にないと考えます。 (オバマもこの筋の表現をしていましたね)

その意味では、情報システム論あるいは総合知社会的情報システム技術論は重要な役割りを担います。

(情操的な道義主義と、利己的な功利主義への「落とし穴」を如何にかわしていくかが、おおげさにいえば人類の死命を画する、知恵の出し合いの勝負です)

 日本のこれからの存在のための立ち位置もここに立っていかないと 存在そのものが危ういものになります。

(トランプ氏が大統領になるかどうかはわかりませんが、日本の国、国民の自律独立が根底から問われきます。)

 

The scientific revolution that led to the  spilitting of an atom requires a moral revolution as well. 

キリスト教的なモラルが前提の西洋近代二元論で キリスト教的な価値の前提が明示的ベースからはずれる。あとに残されるモラルは 無辜の人へのNo- Harmが基盤になります。いま、それに対する道徳的な掘り下げができていない。その意味ではmoral revolutionが求められているといってよいとおもいます。

価値の多元化で文化価値間での共約不可能性 incommensurablityが さらに焦点があてられることになるとおもっています。

 ~~~~~~

資料として

 鎌倉合宿での荒井資料 3点を添付します。(本朝日記では省略)

  荒井資料 まとめ (以下添付しています)

  荒井資料 随想と個人記録。(本朝日記では省略)

  スタンフォード哲学百科 Definition of Morality。(本朝日記では省略)

 

~~~~~荒井資料 まとめ

総合知学会20164月鎌倉合宿研究会)

 moralityについてのaraiメモ 2016/4/15 a7090

                                                                                  荒井康全

1. 「Morality =No harm

  人間および社会は「誤謬をおこしやすい存在(fallible)」で「傷つきやすい存在(vulnerable)」であることを配慮し、常に修正改良されることを旨とする柔軟な社会を指向する理念を共有する。

2. 「Morality = Rationality

 功利主義Utilitarianism Maximum Happiness)と

 帰結主義ConsequentialismMinimum HarmMaximum Happinessのバランス)、

 cf.    カントの 「格律」と「道徳律」

3.「責任の継受について」

  責任とは、 ‘誰が、誰の前で、誰に対して’、 など。

4.「Social Institutionへの期待」

  Agency as rational persons,   ‘Institutional Ontology’

   共約不可能性に対する視点と現象(それが存在している意味)から、問題の同定、

構造、機能、文化、制約条件を合理的な制度システムとして研究し、定言していく機関(agency

5.right(正義)とjustice(合法)

「立法化(合法化)Legislation」  状況変化に対応して改正を可能にする法意識とシステムをめざす。

6.「大口を吐いてもよいか」 

問題の本質的意味を取り上げる機会を大切にする。

7.「超然とした‘第三者’The third as rational person(s)」について 

 

以上

 ~~~~~~

なお ふたつほど朝日記を添付申し上げます。ご笑納ください;

朝日記160607 なるびクロッキー展2016「あらいワールド」と今日の絵

http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/02017789858071a5576fa82c873ed990

 

朝日記160612  五月の薔薇のまとめ と今日の絵

http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/a325086a9f2378ea1d487cbc7d09fb31

 

荒井拝 2016/06/12

 

今日の絵は以下です。

 

 五月のばら II

 

 

 


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