朝日記240325 3.(表紙その1)汎心論Panpsychismについて 報文XVII(表紙その1)
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翻訳 汎心論について
Panpsychism
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荒井康全 2023年11月
原典;https://en.wikipedia.org/wiki/Panpsychism#Panprotopsychism
Not to be confused with hylozoism.
Illustration of the Neoplatonic concept of the anima mundi emanating from The Absolute, in some ways a precursor to modern panpsychism.
Abstract: In the philosophy of mind, panpsychism (/pænˈsaɪkɪzəm/) is the view that the mind or a mindlike aspect is a fundamental and ubiquitous feature of reality.[1]
It is also described as a theory that "the mind is a fundamental feature of the world which exists throughout the universe.[1]"[2] It is one of the oldest philosophical theories, and has been ascribed to philosophers including Thales, Plato, Spinoza, Leibniz, William James,[3] Alfred North Whitehead, Bertrand Russell, and Galen Strawson.[1]
In the 19th century, panpsychism was the default philosophy of mind in Western thought, but it saw a decline in the mid-20th century with the rise of logical positivism.[3][4]
Recent interest in the hard problem of consciousness and developments in the fields of neuroscience, psychology, and quantum physics have revived interest in panpsychism in the 21st century.[4][5][6]
概要: panpsychism (/pænˈsaɪkɪzəm/)汎心論は、 philosophy of mindこころの哲学おいて、mindこころもしくはmindlikeこころらしきものにたいして現実基礎的に、また遍在的様相的[1] に考える理論によって記述する観方であり[2] 、また最も古い哲学理論である。これらは以下の哲学者たちの業績に帰する、すなわち Thales, Plato, Spinoza, Leibniz, William James,[3] Alfred North Whitehead, Bertrand Russell, そして Galen Strawson.[1] である。
19世紀では汎心論は西洋的思考においてこころについての役割りのおわった哲学でもあった、さらに20世紀の中葉では衰退を見たのであるが、それにはlogical positivism.[3][4] 論理的積極主義の興隆と重なるのである。現今での関心は、神経科学、心理学の分野でのいわゆる hard problem of consciousness意識のハード問題およに量子物理学からの展開にあり、今世紀でのpanpsychism汎心論で総合知的関心となっている。[4][5][6]
1.外観 Overview
語源学 Etymology
概念 Concept
術語 Terminology
語源学 Etymology[edit]
用語panpsychism は Greek ギリシャ語でのpan (πᾶν: "すべて、全体")そして psyche (ψυχή: "soul, たましい、mindこころ")であり、[7]: 1 とくに"Psyche"はギリシャ語のψύχω (psukhō, "I blow")から来ている、それはlife,生命、soul,たましい、mind,こころ、spirit, "精神、heart,ハートまたは "life-breath「いのちの息」である。
"psyche"の使用については"soul"と同義語であり、いまだ論争的にある。それは、超自然的ななにかを意味するために通常つかわれる語であることによっている;より一般的語としては文献ではmindこころ、mental propertiesメンタル特性 、mental aspect メンタル視点 およびexperience. 経験を含んでいる。
概念 Concept[edit]
汎心論はこころやこころに似た観方がそのリアリティの基本にして遍在的様相であることを保持する。[1]
それはまた、こころが世界の基本的様相であるという理論として記述する、そのような様相は宇宙をとおして存在するとするのである。.[2]
汎心論者はわれわれの経験をとおして知るメンタリティのタイプがなにかの形式をもっていて、それが自然体の広い範囲において居合わせるということをみとめる。この概念はひろく多様な形式において採用される。
ある歴史的なそして非西洋の汎心論者は生命や精神をすべての実体の属性として帰属する。(animism).[8]
現代の学術支持者はしかしながら sentience や subjective experienceが(自然体に)遍在しているとし、一方ではより複雑な人間のこころの属性とはこのような質を区別している。[8]
それらは従って、メンタリティの原始的形式を物理学の基本的水準での実物に帰属はさせてはいるが、岩や構築物のようなほとんど塊りのようなものへはメンタリティを帰属させていない。[1][9][10]
術語 Terminology[edit]
哲学者David Chalmers, 彼は有力な理論として汎心論を研究してきたひとであるが、microphenomenal experiencesミクロ現象での経験 (microphysical entitiesミクロ物理的実体についての経験)とmacrophenomenal experiencesマクロ現象での経験(人間のような、より大きい実体についての経験).[11]とを区別する。
Philip Goff はpanexperientialism 汎経験主義とpancognitivism.汎認知主義とを区別して線をひいた。
現代の文献で論議にある汎心論の形式では、意識経験は基礎的水準でいたるところに居あっていて、panexperientialism.汎経験主義とよんでいる。
一方、汎認知主義は、思考が基本的な水準でいたるところに居あうという視点である-歴史的な支持があった視点ではあったが、現在の学術界では力が強くない。
現代の汎神論ではミクロ実体が信念、願望、そして恐れのような複雑な精神状態をもつとは信じていない。[1]
元来、汎経験主義は狭い意味をもっていて、David Ray Griffinによって工夫されてプロセス哲学において使われる汎心論の形式に特定化して参照されている。(see below).[8]
2.歴史 History
See also: Anima mundi (World soul) and Microcosm–macrocosm analogy
古代性 Antiquity
ルネサンス時代Renaissance
初期モダンEarly modern
十九世紀 19th century
二十世紀 20th century
現代性 Contemporary
古代性 Antiquity[edit]
ふたつの iwakuraいわくら-これはShinto神道という宗教でのa kami神もしくはspirit精神が留まるといわれる。 汎心論者の視点では前ソクラテス的ギリシャ哲学でのa staple注連縄である。Aristotle, および Thales (c. 624 – 545 BCE)は、最初のギリシャ哲学者であるが、「すべてのモノは神に満ちている」を保持する理論をおいた。[12] Thalesは磁気がこのことを顕示するものであると信じた。これは汎心論者の綱領として解釈されてきた。[4] 他のギリシャ思想家で、汎心論につながるのは、 Anaxagoras (彼は一体となった原理、
nous or mindこころとしてのarche を見た)、そして Anaximenes (pneuma もしくは 精神としてのarche 神を見た) そしてHeraclitus (彼は"The thinking faculty is common to all"「思考する能力がすべてへの共通である」と言った).[8]
Plato プラトンは汎心論をかれのSophist,において論述するが、その著のなかで彼はすべてのモノはthe form of Being 存在するものの形式においてparticipate参加していると記述する、そしてそれはこころと霊魂についての超自然的観方を持つににちがいないと記述した(psyche).[8] 。 かれの著 Philebus および Timaeusでは、プラトンは世界霊魂もしくはanima mundi.というidea理念について論じた。
プラトンによれば;この世界は実に霊魂と知性で裏付けされたliving being生きているモノである...すべてのliving entities生きている外延を含む単純にして可視的なliving entity生きている外延であるとした。
Stoicism は宇宙論を展開して、自然的世界が神のエッセンスpneumaと相溶しているとし、pneumaはuniversal intelligence宇宙的遍在の知性logosロゴスによって差配されているとした。
beings' individual logos生きているものの個々のロゴスとuniversal logos 遍在するロゴスとの間の関係がローマストア派である Marcus Aureliusの中心的関心であった。
metaphysics of Stoicismストア主義形而上学はNeoplatonism新プラトン主義のようにHellenistic philosophiesヘレニズム哲学との連結性を見出す。
Gnosticismもまた anima mundi.の理念を使っている。
ルネサンス時代Renaissance
Illustration of the Cosmic order by Robert Fludd, where the World soul is depicted as a woman
Justinian皇帝が529年に Plato's Academyを閉じて、neoplatonismネオプラトン主義は衰退した。
John Scotus Eriugena,のような中世の神学者がいて、彼は汎心論を呼び込んだようであるが哲学的神学論では支配的雰囲気にはならなかった。しかしイタリアルネサンスでは、つぎのような人物の思考のなかで復活を享受された、Gerolamo Cardano, Bernardino Telesio, Francesco Patrizi, Giordano Bruno, そしてTommaso Campanella. Cardanoは、 soul 霊魂もしくはanima アニマは世界の基本的部分であるという見方について論じる、そしてPatriziは術語panpsychismを哲学的語彙に導入した。 Brunoによると、「霊魂をもたないものはない、そして生の原理をもたないものはない」[8] プラトン主義者の観念はanima mundi (world soul)に似ていてParacelsus, Robert Fludd, そして Cornelius Agrippaのような esoteric 奇妙な系列の思想家の業績のなかにも現われている。
初期モダンEarly modern
SpinozaのMonismモニズムでは、ひとつ単純なinfinite無限なそして外的なsubstance実体は「God神、もしくはNature自然」(Deus sive Natura)である、それはmindこころ(thought思考)とmatterもの(extension外延)のaspects視点をもつ。
Leibnizの視点は無限にたくさんの絶対的単純なるmental substancesこころの実体があって、これをmonads モナドとよび、このモナドが遍在的な基本想像を作り上げるというものである。
George Berkeleyのidealist philosophy観念論者哲学もまた汎心論の形式であると言われてきたが,[4] 、Berkeleyは汎心論を拒否し、mindsこころが経験した物理的世界のみが存在するとしたのである、この場合そのmindsこころとしては人間および然るべき他の特定の機関agentsに限定した。.[14]
十九世紀 19th century
十九世紀は汎心論が頂点に位していた。 哲学者たちはつぎのようなひとたちである;Arthur Schopenhauer, C.S. Peirce, Josiah Royce, William James, Eduard von Hartmann, F.C.S. Schiller, Ernst Haeckel, William Kingdon Clifford そして Thomas Carlyle[15] であり、心理学者としては、 Gustav Fechner, Wilhelm Wundt, Rudolf Hermann Lotze すべて一貫した汎心論者の観念をもつ。[4]
Arthur Schopenhauerは Will 意志とRepresentation (Vorstellung)表象としてのreality事実性の二面的視点を論じた。Schopenhauerによれば、「いうところのmindこころはすべて物質に帰属し、物質すべてはひとしくこころに帰属される。」[citation needed
Josiah Royce,は指導的な米国の絶対観念論者であり、事実性は"world self"「世界そのもの」であること、すべてのものを含む意識的存在であることを説いたのである、かれはこころの特性をこころの"systems"「システム」の最小構成体へ必然的に帰属させることはしなかったのである。
米国の pragmatistプラグマティズム哲学者であるCharles Sanders Peirceは心理-物理的psycho-physicoなるmonismモニズムを支持した、そこでは宇宙がこころによって浸透されている、かれはこころは、自己変化性と自由と結びついているとしたのである。Pierce,につづいて、William Jamesもまた汎心論の形式を支持した。[16]
彼の講義ノートで、Jamesは書く;ある対象それ自身のなかでの知的な概念のみがそれ自身のための対象であるべきであり、そしてこれが汎心論のなかの我々の上に着地する、そしてわれわれの物理的感受性が「心理的」現実の我々の上での効果となるような信念である。[8]
英国の哲学者Alfred Barratt,は、Physical Metempiric (1883),物理学的超経験の著者であるが彼は汎心論の主唱者として記述されている。[17][18] 1893年に、Paul Carus は汎心論に似た哲学を提案した、これが「汎生物主義」"panbiotism"「すべてのものは生命に満ちている;それは生命をふくむ;それは生きる活力をもつ」"[19]: 149 [20]と。
二十世紀 20th century
Bertrand Russellのneutral monist中立的モニストの視点が汎心論になじむのである。[8]物理学者Arthur Eddingtonもまた汎心論の形式を擁護した。[5] 心理学者 Gerard Heymans, James Ward および Charles Augustus Strong もまたさまざまな汎心論に裏書したのである。[21][19]: 158 [22]
1990年に、物理学者David Bohm は「こころと物質の関係性の新理論」を出版した、これは彼の interpretation of quantum mechanics量子力学の翻訳に基づく論文であった。[24] 哲学者Paavo Pylkkänen はBohmの視点をpanprotopsychismとして記述してきたのである。[24] ひとつの広域的にひろまってしまった誤った概念は、評価のゆれる二十世紀の最大の体系的形而上学者Alfred North Whitehead,もまた汎心論のもっとも顕著な20世紀支持者であった。[4]
この誤った読み筋をWhiteheadにもたらしたのはひとつの ontology存在論にあり、これによれば世界の基本性質は原子的精神事象から作られるというもので、これを実効事態"actual occasions".[4][8] と呼んだのである。
そのようなexotic metaphysical objects外からの形而上学的対象-これ(形而上学的対象)はWhiteheadが批判している fallacy of misplaced concreteness誤った位置付け具体性からの誤謬の事実上の例示するものであろう―を意味付けるよりも、 Whiteheadの概念である"actual occasion"は可能なるいかなる感受者の"immediate experienced occasion"「即時的経験occasion」として共有的にrefer参照されることになる、そのoutsetの感受者は彼自身のみ、そのこころのなかに所有しつつあるのである、このことはradical empiricism.[25]への彼のつよい傾注からくるものである。
現代性 Contemporary
Panpsychism汎心論は現今ではこころの哲学の再興となっている、この一連のうごきとしては、 Thomas Nagelの1979 著述 "Panpsychism"[26] およびGalen Strawsonの2006 realistic monist article リアリスティック一元論記述である"Realistic Monism :Why Physicalism Entails Panpsychism."[27][28][29] 「リアリスティックな一元論:なぜ物理主義者は汎心論を継承するのか」によってより鋭い言及があった。 他の現今の支持者は米国哲学者David Ray Griffin[1] とDavid Skrbina,[4][19] を上げる。
英国の哲学者 Gregg Rosenberg,[1] Timothy Sprigge,[1] そしてPhilip Goff,[5][30] さらにカナダ哲学者William Seager.[31] をあげる。 英国哲学者David Papineauは、正統的な汎心論とは距離を置いているが、彼はかれの視点は汎心論的ではないと記述としたのである、それは、かれは自然なこととして「現象が照らす事態と単なる闇の間での線引き」を拒んだのであった。[32][33]
意識の integrated information theory(IIT),は、神経科学者であり心理学者であるGiulio Tononi 2004年によって提唱されそして Christof Kochのような他の神経科学者によって採用されたのであるが、かれらは、意識は広域にひろがり、そしてなにか単純なシステムにでさえ見いだされうると仮定したのである。
2019年に認知科学者 Donald HoffmanはThe Case Against Reality: How evolution hid the truth from our eyes.(リアリティに抗するケース:進化はいかにしてわれわれの目から真実を隠すかを出版した)。
Hoffmanは consensus reality合意からくるリアリティというものは具体的存在性を欠いており、そして 進化したuser-interfaceユーザーインターフェース以外のなにものでもないと論じたのである。彼はリアリティのtrue nature真の性質は抽象化された"conscious agents".[35]意識エージェントであるとした。[35]
編集者Annaka Harris は彼女の2019 年の著 Conscious,(意識的) はそれを十分に裏書するには短い記述であるが[36][37] 汎心論が実用理論であるということを論じたのである。汎心論は心理学者Robin S. Brownによって、"inner"内的と "outer"外的な様相間での理論的関係の仕方として仮説立てられたのである。これは心理療法での文脈でのものからきている。[38]
汎心論は豪州の哲学者 Freya Mathews,[39]による環境哲学での応用がされている、かれはontopoetics[2]の概念を汎心論のひとつの版として推進している。[40] 遺伝学者 Sewall Wrightは汎心論のひとつの版を裏書した。
彼は、意識は物質の複雑性が増大する階層のある水準から発現する神秘的な特性ではなく、それはむしろinherent固有の性質のもので、これにはもっとも要素的粒子の性質を所有していると信じたのである。[41]
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