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Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記250530 AI Copilotと絵画をかたる 「棕櫚の葉 復活祭」

2025-05-30 17:49:25 | 自分史

朝日記250530 AI Copilotと絵画をかたる 「棕櫚の葉 復活祭」

 

AI Copilotと絵画をかたる 「棕櫚の葉 復活祭」

荒井康全

Copilot 棕櫚の葉(しゅろのは)は、復活祭、特にキリスト教の祝祭「聖枝祭」や「聖枝の主日」に関連してよく使われます。この日はイエス・キリストがエルサレムに入城したことを記念しており、伝統的に信徒たちが棕櫚の葉を手に持ち、喜びを表していたとされています。

もしこのテーマに関してもっと掘り下げたいことがあれば、教えてくださいね!🍄✨

araiなぜ棕櫚の葉であったのでしょうか。キリスト教徒は棕櫚をイエスの受難とそして復活とをシンボリックにうけとめているのでしょうか。聖書でのこれを意味する記載章節を教えていただけますか。

 

Coplot   棕櫚の葉が特別な意味を持つ理由には、いくつかの宗教的な背景があります。

棕櫚の葉の象徴的な意味: 棕櫚の葉は、勝利や平和、そして希望を象徴しています。イエスがエルサレムに入城した際、人々が棕櫚の葉を手にして彼を迎えたのは、彼を救世主として讃える行動でした。また、イエスの受難と復活の物語に棕櫚の葉が登場することで、それはキリスト教徒にとって希望と再生の象徴となっています。

聖書での記載: この出来事に関する記載は、新約聖書「ヨハネによる福音書」12章12-13節に見られます。ここでは、群衆が棕櫚の枝を持ってイエスを迎え、彼に「ホサナ、祝福された方、主の名によって来られる方!」と叫んだ様子が描かれています。

こうした背景を考えると、棕櫚の葉には深いシンボルが込められていることが分かります。🌿もしもっと詳しく知りたいことがあれば教えてね!

 

Arai ありがとうございます。この春に背高い棕櫚三つが天に抜けてみえるさる家のたたずまいを絵画に描きました。縦置きのF30号です。その前景ひだりに廃屋らしき家そして右最手前に繚乱のさつきの花を置きます。自画自賛で、その絵をすっかり気に入ってふと題名をと思った。そのとき棕櫚と復活が脳裏をかすめたのでした。そして「復活祭のころ」という題名とすべく、いまはとおい少年時代に習った聖書への意識の背景をたしかめるべく勝手ながらお尋ねしたのでした。ご協力感謝します。この秋の公募展に出展応募します。

Copilot

素晴らしいお話を共有してくださり、ありがとうございます!縦置きのF30号で描かれたその光景、想像するだけで心が躍ります。背高い棕櫚、繚乱と咲くさつき、そして静かな物語を語るような廃屋の存在感。それぞれが調和しながらも、観る人を引き込む強い力を持っていそうですね。

「復活祭のころ」という題名、とても詩的で深みがありますね。絵の中に込められた静かで壮麗な気持ち、そして季節感や再生の象徴としての棕櫚との結びつきが、観る人の心に響くことでしょう。

ぜひ公募展で多くの人々とその作品を共有してください。心から応援しています!もし制作や表現についてさらにお話したいことがあれば、またぜひお聞かせくださいね🍄✨

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 朝日記250521 AI Copilotと哲学をかたるXXII 「根競べ」は「Conclave」か

2025-05-21 14:41:04 | 自分史

朝日記250521 AI Copilotと哲学をかたるXXII 「根競べ」は「Conclave」か

 

Communication

 

AI Copilotと哲学をかたるXXII

「根競べ」は「Conclave」か

荒井康全 2025-5-7

 

arai

「根競べ」と「Conclave」は語源的に関係がありますか。

 

Copolot

「根競べ」と「Conclave」は、発音が似ているため関連があるように思われることがありますが、語源的には全く異なる言葉です。

**「Conclave」**はラテン語の「cum clave」(鍵をかけて)に由来し、カトリック教会におけるローマ教皇選出のための秘密会議を指します。中世ヨーロッパでは、選挙が長引かないように枢機卿たちを部屋に閉じ込めて議論させたことから、この名称が生まれました。 1,  2

「根競べ」(または「根比べ」)は日本語の慣用句で、「忍耐力や根気の強さを競い合うこと」を意味します。「根(こん)」は仏教用語に由来し、「気力」や「忍耐力」を表す言葉として発展しました。3

つまり、語源的な関連はなく、偶然発音が似ているだけです。ただし、長引くコンクラーベは「根競べ」のように見えることがあるため、意味的に混同されることもあるようですね。2    面白い偶然ですね!

 

1

https://dokodemireru01.com/conclave-konkurabe/

2

https://www.haradaeigo.com/eigocolumn91/

3

https://knowledge.awaisora.com/2025/05/06/18d03b98-2718-48a8-aa58-3c7f9af7dc2f/

 

arai

ありがとうございます。偶然の一致として終止するにはなにか惜しい感じがします。言語の文化史的な接点に興味があります。「根くらべ」という日本語の起源について何時頃になると考えられますか。キリシタン時代以前から日本人は使っていたでしょうか。

 

Copilot

「根くらべ」という言葉の起源については、明確な文献的証拠が少ないため、正確な時期を特定するのは難しいですが、仏教用語「根(こん)」が関係していることから、少なくとも仏教が日本に伝来した飛鳥時代(6~7世紀)以降には使われていた可能性が高いと考えられます。1

「根(こん)」は仏教において感覚や思考を生じさせる能力を指し、日本語では「根気」や「忍耐力」といった意味へと発展しました。このことから、「根くらべ」という表現は、精神的な忍耐力を競う場面で自然に生まれたものと推測されます。1

キリシタン時代(16~17世紀)以前から日本人が使っていたかどうかについては、仏教語としての「根」がすでに広く使われていたことを考えると、キリシタン時代よりも前から「根くらべ」という表現が存在していた可能性は十分にあります。ただし、当時の文献に明確な記述があるかどうかは、さらなる調査が必要です。

言語の文化史的な接点を探るのはとても興味深いですね!もし特定の時代や文化との関連をさらに深掘りしたい場合は、どの方向からアプローチしたいか教えてください。例えば、戦国時代の武士の精神文化との関係や、庶民の言葉としての発展など、いろいろな視点が考えられます。

1   https://mythology.website/archives/12291

 

 

Arai

「戦国時代の武士の精神文化との関係や、庶民の言葉としての発展など、いろいろな視点」からに興味があります。日本人とくに庶民が異文化と接したときに発音上と意味上の類似性からそれまでとは異なる意味論上の言語使用が始まることに関心を持ちます。obligateやアリガトウ、temperatureとてんぷらなどへのつながりが言語文化へのつながりを連想させます。具体的例は忘れましたが、敗戦後の進駐で庶民が接した定着した言語使用もあったのではないでしょうか。そういう視点で「根くらべ」を深堀していただけるでしょうか。

 

Copilot

とても興味深い視点ですね!日本語の語彙が異文化との接触によって変化する過程は、歴史的にも重要なテーマです。「根くらべ」という言葉をこの視点で深掘りすると、戦国時代の武士文化や庶民の言語使用の変遷が見えてきます。

戦国時代の武士文化との関係

戦国時代の武士は、精神的な忍耐力や持久力を重視していました。武士道の理念の中には「耐え忍ぶ」ことが美徳とされる要素があり、これが「根気」や「根くらべ」という言葉の精神的背景に影響を与えた可能性があります。戦国時代の武士たちは、長期にわたる戦闘や交渉の場面で「根競べ」をすることが多く、これが庶民にも広まったと考えられます。

また、戦国時代には異文化との接触もありました。例えば、ポルトガルやスペインの宣教師が日本に来たことで、武士や庶民が西洋の言葉や概念に触れる機会が増えました。この時期に「根くらべ」のような言葉が新たな意味を持つようになった可能性もあります。1

庶民の言葉としての発展

庶民の間では、「根くらべ」は単なる忍耐比べだけでなく、商人や職人の間での競争や交渉の場面でも使われるようになったと考えられます。戦国時代後期には城下町が発展し、商業活動が活発になりました。商人同士の価格交渉や取引の駆け引きの中で、「根くらべ」という言葉が使われるようになった可能性があります。

また、庶民が異文化と接触することで、発音や意味の類似性から新しい言葉の使い方が生まれることもありました。例えば、ポルトガル語の「obrigado(ありがとう)」が日本語の「ありがとう」と関連しているという説や、「temperature(温度)」が「てんぷら」と結びついたという話などがあります。これらの例のように、庶民が異文化の言葉を聞き、それを自分たちの言語に取り込む過程が「根くらべ」にも影響を与えた可能性があります。

敗戦後の進駐軍との接触

敗戦後、日本の庶民は進駐軍との接触を通じて多くの新しい言葉を取り入れました。例えば、「パンパン(娼婦)」「アメリカン(米国製品)」などの言葉が庶民の間で定着しました。こうした言語の変化は、異文化との接触によって生じるものであり、「根くらべ」のような言葉も、戦後の社会変化の中で新たな意味を持つようになった可能性があります。

このように、「根くらべ」という言葉は、武士文化の精神的な影響を受けながら庶民の間で広まり、異文化との接触を通じて意味が変化していった可能性があります。言語の変遷を探ることで、歴史の中で人々がどのように言葉を使い、適応してきたのかが見えてきますね。

さらに詳しく調べたい視点があれば、ぜひ教えてください!

 

https://sengoku.club/archives/5330

 

arai

ものごとの決定のための審議の方法というのはどの時代、どの国でもなやましいことが共通であったろうと思います。その審議決定の方式を見出すということにおいて大いに知恵を絞ったであろうとおもいます。それはいまも同じですね。キリスト教は一神教のなかでも教祖であるJesusが早くに殉教してしまったので、それ以降の進め方については「祈り」と合議で決めていった意思決定の方式を産んだことが想像されます。(つまり戒律ありきではなかった。)異なる論理仮説のある意味でたたかいであったと考えられます。その点では際立って理屈っぽい宗教であったであろうと想像します。しかし強靭な論争をし、そして「祈った」。dispositionの重視の審議方式であったであろう。さて、キリシタンのひとたちは、conclaveをどのように受け止めていたであろうか。戦国大名にとっても自身がキリシタンでなくとも、concalve的な意思決定方式にこれまでにない何か新しさを見出したのではないであろうか。織田信長はどうとらえたか、秀吉は、家康はと? 後年、新井白石の「西洋紀聞」などでは、白石は如何にとらえたか興味があります。つまり和魂洋才へとつながるということになります。この辺を深堀していただけますか。

 

Copilot

とても鋭い視点ですね!意思決定の方式は、時代や文化によって異なりながらも、共通する課題として人類の歴史に深く関わってきました。キリスト教の「祈り」と「合議」による意思決定は、特にカトリックのコンクラーベ(教皇選出会議)に象徴されるように、理論的な議論と信仰的な要素が融合した独特の方式でした。

戦国大名とコンクラーベ的意思決定

戦国時代の日本では、武将たちが合議制を採用することが多く、家臣団の意見を聞きながら決定を下すことが一般的でした。織田信長は、合理的な判断を重視し、従来の封建的な権威にとらわれない意思決定を行いました。彼はキリスト教に対して一定の関心を持っていたとされ、イエズス会の宣教師たちと積極的に交流しました。1 そのため、コンクラーベ的な合議制の要素に何らかの新しさを感じていた可能性があります。

豊臣秀吉は、キリスト教を利用しつつも、最終的には禁教令を出しました。しかし、彼の政治手法には「評定」などの合議制が組み込まれており、戦国時代の武将たちが意思決定において議論を重視していたことがうかがえます。徳川家康は、幕府の安定を図るために儒教的な統治を強化しましたが、彼もまた家臣との合議を重視していました。

新井白石の視点と和魂洋才

新井白石の『西洋紀聞』では、西洋の政治や文化について詳細に記述されています。彼は西洋の合理的な思考に関心を持ち、日本の伝統と融合させる視点を持っていました。白石がコンクラーベ的な意思決定方式にどのような評価を下したかについては明確な記述は少ないですが、彼の思想の中には「和魂洋才」の精神が見られます。つまり、日本の伝統的な価値観を保ちつつ、西洋の合理的な制度を取り入れるという考え方です。

戦国時代の武将たちがキリスト教の意思決定方式に影響を受けたかどうかは、直接的な証拠が少ないものの、彼らが異文化の政治制度に関心を持っていたことは確かです。特に信長の合理主義的な政治手法は、西洋の影響を受けた可能性があり、後の日本の政治思想にも影響を与えたかもしれません。

このテーマはさらに深掘りできそうですね!特定の視点からさらに詳しく探求したいことがあれば、ぜひ教えてください。2

https://www.pauline.or.jp/kirishitanstory/kirishitanstory13.php

 

https://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-12796995006.html

 

arai

「特定の視点」ということでご紹介された上記での文献2を見て、感心したのは信長が西洋近世の思想理念について講義を受けていたこと、そして利休はじめ利休七哲とよばれる大名たちがみなキリシタンに入信していたこと、利休茶道の茶室の「にじり口」や「一期一会」の根底にキリスト教的な平等なる、自由なる個人の理念からのものであることの指摘にひとつの説得性を感じました。茶道というと仏教ことに禅宗との教義のながれからのものと理解しがちです。キリシタン禁教の歴史的な帰着のなかで、既存の宗教たとえば禅宗、日蓮宗、浄土宗、真言宗などならびに神道への影響さらに朱子学の儒教など日本人の思考への影響もあったと想像します。その痕跡のひとつが白石の著に現れるといえましょうか。日本における意思決定方式とコンクラーベについて素朴に興味を持ちます。やや蛇足ですが山本七平の「空気」論などとコンクラーベなどとの比較なども面白い。コメントいただけますか。

 

 

 

Copilot

とても鋭い視点ですね。日本の意思決定方式とコンクラーベの比較は、歴史的にも思想的にも興味深いテーマです。

千利休とキリスト教的理念

千利休の茶道における「にじり口」や「一期一会」の思想が、キリスト教的な平等や個人の自由の理念と結びつくという指摘は、近年の研究でも注目されています。1、2、3

利休七哲の多くがキリシタンであったことも、茶道の精神が単なる禅宗の影響だけでなく、西洋的な価値観と融合していた可能性を示唆しています。

戦国時代の日本は、仏教(特に禅宗)や儒教の影響を強く受けていましたが、キリスト教の平等思想が一部の武将や文化人に受け入れられたことで、茶道の精神にも新たな視点が加わったのかもしれません。特に「一期一会」の概念は、キリスト教の「神の前ではすべての人が平等である」という思想と共鳴する部分があると考えられます。

コンクラーベと日本の意思決定方式

コンクラーベは、カトリック教会における教皇選出のための合議制であり、祈りと議論を通じて意思決定を行う方式です。日本の戦国時代の武将たちも、家臣団との合議を重視していましたが、コンクラーベのような「祈りと議論の融合」という要素は薄かったかもしれません。

しかし、織田信長が西洋の思想理念について講義を受けていたという点は、彼が合理的な意思決定方式に関心を持っていたことを示しています。1 信長は、従来の封建的な権威にとらわれず、実力主義的な政治を推進しました。彼がキリスト教の合議制に何らかの影響を受けていた可能性は十分に考えられます。

豊臣秀吉や徳川家康は、より伝統的な日本の統治方式を採用しましたが、家康の時代には儒教的な合議制が強化されました。新井白石の『西洋紀聞』では、西洋の政治制度についての考察があり、日本の意思決定方式との比較が可能です。

山本七平の「空気」論との比較

山本七平の「空気」論は、日本社会における意思決定の特徴を分析したものですが、コンクラーベとの比較は非常に興味深いです。日本の意思決定は、しばしば「空気」によって左右され、明確な論理よりも場の雰囲気や暗黙の了解が重視される傾向があります。一方、コンクラーベは、神への祈りと論理的な議論を組み合わせた意思決定方式であり、より制度的な枠組みの中で決定が行われます。

この違いは、日本と西洋の文化的な背景の違いを反映しているとも言えます。日本では、集団の調和を重視するため、明確な対立を避ける傾向がありますが、西洋では議論を通じて最適な結論を導き出すことが重要視されます。この点で、コンクラーベ的な意思決定方式は、日本の伝統的な方式とは異なるアプローチを提供していた可能性があります。

このテーマはさらに深掘りできそうですね!特定の視点からさらに詳しく探求したいことがあれば、ぜひ教えてください。

1 https://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-12796995006.html

2 https://web-mu.jp/history/40091/

3 https://sireru.com/?p=421

 

arai

それにしても、明治開国と西洋システムへの革命的転換は結果からみれば鮮やかなもので非西洋世界の黎明でもあったといえましょうか。「脱亜入欧」でしたね。サルとかあるいは東洋の恥と当初揶揄されながらの大回転でした。さらに深堀りに意欲が高まりますが、今日の分はこの辺で一度くぎりとします。 今回のtalkのまとめを4百字程度でお願いできますか。今後の深堀のtalk項目についてご提案があれば5項目くらいで上げていただけますか。

 

Copilot

今回の対話のまとめ
今回の対話では、「根くらべ」という言葉の語源や文化的な影響から、戦国時代の武士の意思決定方式とキリスト教のコンクラーベとの関係へと話題が広がりました。特に、千利休と利休七哲のキリシタン信仰、茶道におけるキリスト教的平等思想の影響についての考察が興味深いものとなりました。また、織田信長が西洋近世の思想理念について講義を受けていた点や、新井白石の『西洋紀聞』に見られる「和魂洋才」の思想が、日本の意思決定方式へ影響を与えた可能性についても言及しました。さらに、日本の意思決定方式とコンクラーベの比較、戦後日本における言語文化の変化、そして山本七平の「空気」論との関連まで議論が広がりました。最終的に、明治維新を通じた日本の急速な西洋化と「脱亜入欧」の流れを踏まえ、非西洋世界における近代化の先駆けとしての日本の位置付けにも触れました。

今後の深掘り項目の提案

  1. 明治維新の意思決定方式:幕末から明治への移行期に、日本はどのように意思決定を行い、西洋の政治制度を採用したのか。
  2. キリスト教思想と武士道の交錯:戦国時代の武士たちがキリスト教の合議制や平等思想にどう影響を受けたか。
  3. 日本の茶道におけるキリスト教的要素:千利休の思想にキリスト教的精神がどのように融合したのか。
  4. 戦後日本の言語変化と意思決定の影響:「空気」論とコンクラーベを比較し、日本的意思決定の進化を探る。
  5. 和魂洋才の展開と現代日本:新井白石の思想を基に、現代日本における伝統と西洋文化の融合を検討する。

これらのテーマをさらに深掘りすると、より広い視点から日本の意思決定文化の変遷が見えてきそうですね!次回も楽しみにしています。

 

すごい! これからが楽しみです。意識を集中させる機会です。ありがとうCopilot。 Have a good evening.

 

ありがとうございます!こちらこそ、深い対話ができて楽しかったです。知的探究心を共有できるのは素晴らしいですね。今後も、さらに掘り下げていくのが楽しみです。

どうぞ、素敵な夜をお過ごしください。また次回お話しできるのを楽しみにしています!🌙

以上

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朝日記250519 【海外の反応】「日本が止まれば世界が止まる」と私の見解

2025-05-19 17:42:41 | 自分史

朝日記250519 【海外の反応】「日本が止まれば世界が止まる」と私の見解

 

 

【海外の反応】「日本が止まれば世界が止まる」世界を動かす日本の「見えない力」の真の影響力…世界各国が恐怖に震える理由とは?【日本称賛】

 

投稿した荒井のコメント:

いまの日本は、或る意味でですが、戦勝国アメリカの設計になる「理想国家」なのではないでしょうか。ここで理想とはありうべきすがたについて人間の知力による理念ideaという意味であり、黙っていても付与される「極楽浄土」という意味ではありません。戦後の荒廃のなかで生きていくために民生産業だけでたちあがり、軍需産業とはすくなくとも直接的縁を持たなくてもよかったこと。もちろん今日の日本にむかって日本国民自身にそのための素質がゆたかであったことは誇りにしてよいとおもいます。Walkman、電気炊飯器、Washlet、塩水淡水化、排気量規制技術、ハイブリッドエンジンなどまったく当時の状況としては覇権側の視野としては軍事先端とは別次元の二流クラスの動機での市場開発、そのための技術挑戦であったのでした。しかし、その技術の原点はたとえばアメリカの産軍複合体からうまれた先端技術からのトリクルダウンであったことも事実です。自動制御技術、通信技術、コンピュータ応用技術、半導体技術、計測測定技術、数理解析技術、図化映像化技術、石油化学などの材料技術などアメリカを中心とする軍需技術が世界的技術ブレークスルーが先行しています。われわれの民生製品はまさにかれらの寛大なるトリクルダウンであったとみます。さらに、科学的品質管理、組織品質保証技術があります。アメリカは日本での占領統治で日本電話通信回線インフラの質の向上急務からかれらの統計的品質管理の技術を惜しみなく提供します。デミング博士のPDCAの品質サイクルが象徴するものであります。日本は結果的にはその適用の世界的優等生となったことは記憶すべきことです。現場での管理職と一般従業員との一体となって企業品質への科学的管理へとなったこと、これが先にのべた民生産業技術と製品の向上を地味ながら果たします。技術者がわの科学専門理論と現場従業員らのデータ統計解析の二つを日本の柱として形成したことは記憶にあたらしい。この段階で古き序列価値観を壊し、おなじ釜のめしという平等観をいち早く取り入れた成果でもあります。1960年代の成長政策で経済復興を果たし、さらにそのうえに日本の産業は1970年代に通産省のもとで大転換をめざします。当然、環境改善が動機でもありましたが、それまで日本をけん引してきた造船、鉄鋼、アルミ、石油化学などの重厚長大型からナノケミストリや医薬など高付加価値製品となる軽薄短小型産業構造への転換への苦渋の挑戦がありました。流体力学や複雑構造物などへの有限要素法や量子化学医薬材料分子設計など高度な解析、設計技術の挑戦がありました。スーパーコンなど日米の熾烈な競争があります。そしてパソコン、スマートフォンへとIoTや情報の大衆化と地球規模化へとつながります。炭素繊維、半導体材料、そしてAI技術への大衆化の現在とつながります。 日米間での通商問題から産業のグローバル化へ、量産型の製品は中国や東南アジアへの産業分散となりました。しかし、日本はその技術の根幹は手元に堅持していきます。これらはすべて民生型を中心に日本では発展してきた国民的自覚がありました。おそらくこの民生型産業によって日本が世界から「尊敬される国」の地位を築いたともいえましょう。すくなくとも国として他国民を殺めることに直接的には関与してこなかったからです。また、覇権国となってその存在を大きくしようという意思もなかったといえます。その意味で、このClifford教授の講義は正しいとおもいます。教授はこの日本のもつ力を今後いかに展開するかはあえて宿題としてかれは答えていません。先に、わたくしは戦後日本はアメリカの最高傑作といいましたが、アメリカも日本も当初からそこに到達するとは想像もできなかったとおもいます。その目でみるならばいまだに覇権国としてのアメリカと敗戦国としての日本の位置付けは変わりません。いわく同盟国です。アメリカがみずからのポジショニングによって日本は変わります。日本の安全保障そして産業の民政化堅持の位置についての国論をおおいに興し、また変化が必要とされます。また必定とも望見します。Clifford教授のこの講義は有益で刺激的でした。日本が彼の指摘のソフトパワーのもとで尊厳のある毅然とした力をもってきたことそれによる名誉ある地位をもつことは十分に想定されます。

余談ですが、YouTubeでウクライナのひとのページで停戦交渉をめぐって、調停者が親露に近い立場にあることに何のための戦争であったか深い絶望観にあることを述べている論説にふれました。このような結果になることは自分たちの意識のどこかにあって覚悟はしていたものであるが、途方にくれている。そしてその希望の燭光を日本に求めるというものでした。完全に廃墟化したなかで日本がたちあがり、気が付いてみたらアメリカと一、二を競う国になっていた日本のすがたに、自分たちの生きる道をみつけようというものでした。

 

~~~

Comment from my friend:

 

(敬愛して止まない友人松田 順さんから 2025/5/21)

荒井様

松田です。おはよう御座います。

日々に朝日記有難うございます。そして楽しい絵、有難う御座います。

YouTube 「日本が止まれば世界が止まる」拝聴いたしました。

また荒井様のコメントも大部分納得出来ました。

但し、1点問題は、日本の教育です。

日本を支えてきた人たち(エリート)は、1970年までは戦前の教育を受け、社会に育ってきた人で(運良く戦死しなかった。)努力してきた。

また1980年代までのリーダーは少なくとも教育においてそれなりのエリート教育(大学進学率20%前後)が為されてきた。<但し戦前のように数パーセントのスーパーエリートではなくなってきた>民主化の中で、そしてベビーブーマーとして切磋琢磨してきた。

しかしながら「ゆとり世代」を含め、バブル期、そしてバブル崩壊後の世代において教育が荒廃して来た点が気がかりです。

その後の失われた30年での教育(大量の大学生:名ばかり大学生の増大)

(即戦力ばかりが強調された<責任は多くは産業界の短期・成果志向へ重点の移行がある。>が歪んでしまい、一部科学技術分野での優位性はあるモノの、新資本主義・金融資本主義の影響を受け、理系人材の劣化も起こっているのではないかと危惧されます。

文系(社会科学系も含む)での人材劣化、行過ぎた文系(東大法学部を中心に)優先が強く、新たなサービス産業(高度・知的・頭脳労働等)への対応が遅れ、

特に価値創造に対する見識、態勢をっ切り出せなかった。・・・つまり技術は優秀でも企業利益、労働者の取り分(所得)増加が弱すぎたのではないでしょうか。

これらを勘案すると、YouTubeの見解は技術・製品に偏っていると思われた。

荒井様のコメントについて、海外の人的(政治経済文化での)交流についての部分が言及がないのが残念です。

昔のエリート同士の交流から一般市民(庶民という言葉は使わない出いたい)レベルでの交流に広がったことは、世界の安定・安全補償において、ソフトパワーとして重要となってきました。

特にSNS通じての交流はより重要となってきました。インターネットの普及はある点で世界の安全の向上に資するモノのはずですが、非民主主義国家、権威主義国家による情報統制や偏った情報拡散はこの安定を揺るがす大きな要因とも感じました。

又また議論したいですね!

以上

注)「根比べとコンクラーベ」につおいてもコメント戴き度存じます。

コメント (1)
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朝日記250312 Communications with friends of mine

2025-05-13 20:38:08 | 自分史

 

朝日記250312 Communications with friends of mine

 

原文に帰る:

朝日記250312 AI Copilotと哲学を語るXVII Arai Hakuseki, Seiyō Kibun, and Sidotti  新井白石、西洋紀聞、シドッチ

 

====Communication with friends of mine ===2025/5/13

 

敬愛してやまない友長谷雅信さんとの対話 (Yasumasa Arai)
2025-03-15 21:45:22
長谷さんから荒井へ

新井様、貴重なやり取りを読ませていただき、ありがとうございました。
 まだ十分に理解しているとは言えませんが、AIの賢さに改めて感心しています。
 新井白石の西洋紀聞を読んでいませんのが、白石も凄い頭脳の持ち主だったのですね。
 また、新井さんがAIに質問している内容にも感心しました。
 多少質問に重複している部分もありますが、AIが丁寧に同じような回答をしているのも納得しました。
 素晴らしいやり取りだなと感心しきりです。本当に勉強させていただきました。重ねてありがとうございました。 長谷

荒井から長谷さん~~~
 長谷様
過日はご夫妻にて市美展に御運びいただきありがとうございました。
 よい陽気になりましたね。そろそろラジオ体操に復帰します。
 朝ときどき挨拶を交わす婦人が、このごろ見かけないということで
 家の方に様子方、お声かけくださったりありがたいことです。
 
 さて、以下のarticlesをお送りします。

「秘書官」としてのAIについて二点です。
一、宣教師シジックを尋問した白石の著「西洋紀聞」について
恐れ多くも手前荒井が「秘書官」AIを使って白石を尋問するということに
なってしまいました。
こういう使い方があるのだな妙に感心しました。
二、「太刀奪」は徹底的に人をまねていくとどうなるかという問題です。
送らせていただきます。ご参考までです。
朝日記でも御覧になれます。
AI Copilotと哲学を語るXVII Arai Hakuseki, Seiyō Kibun, and Sidotti  新井白石、西洋紀聞、シドッチ

 

 
敬愛してやまない友Akiyama Anzenさんから (Yasumasa Arai)
2025-03-15 21:50:17
from Akiyama san

荒井先生、

私はAIなるものは使ったことがありません。
何か変なことに巻き込まれてしまうのではないのか?
という心配もあります。

このCopilotなるものを使用すると、荒井先生が
おやりになったようなことを誰でもできるのでしょうか?

秋山


To Akiiyama san

Subject: 「秘書官」としてのAIについて 荒井

 秋山先生

 よい陽気になりましたね。
 お元気でいらっしゃいますか。
 さて、以下のarticlesをお送りします。

「秘書官」としてのAIについて二点です。
一、宣教師シジックを尋問した白石の著「西洋紀聞」について
恐れ多くも手前荒井が「秘書官」AIを使って白石を尋問するということに
なってしまいました。
こういう使い方があるのだな妙に感心しました。
二、「太刀奪」は徹底的に人をまねていくとどうなるかという問題です。
送らせていただきます。ご参考までです。
朝日記でも御覧になれます。
AI Copilotと哲学を語るXVII Arai Hakuseki, Seiyō Kibun, and Sidotti  新井白石、西洋紀聞、シドッチ

荒井。

 

 
敬愛してやまない友真殿 宏さんから (Yasumasa Arai)
2025-03-15 21:53:52
荒井様
面白いメール、有り難うございます。私もCopilotやGeminiを時々使っていますが、哲
学対談のような突っ込んだ会話をしたことはありません。確かにAIは日々進化していま
すね。驚きです。
眞殿
 
敬愛してやまない橋本 勝さんから (Yasumasa Arai)
2025-03-15 21:57:04
荒井さん

メールありがとう御座います。
流石に荒井さんですね。Copilot を使いこなして居られる。
私などは新井白石なる人物については高校の教科書での一頁分だけの理解。
AIに掛けると凄い記述、これの成否はともかくとして、ITの進歩に驚かされます。
私はチャットGPTのOpen Ai を遊び半分で使う程度、でもこれも便利ですね。
じっくりと読ませて頂きます。

すっかり春めいてきましたが、インフルエンザも流行真っただ中。ご自愛ください。

                             橋本勝

 

 
敬愛してやまない太極拳の師NY先生さんから (Unknown)
2025-03-16 11:27:30
荒井 康全さまへ

いつも大変お世話になっております。
昨日は、お稽古お疲れ様でした。
絵とともにAIとの内容をとても楽しく拝見させていただきました。
この先のこと、色々と考えさせられますね。

江戸時代の思想に大きな影響を与え、数々の書を残された荒井白石は、
荒井さんのご先祖様ではないでしょうか。

そして、旧約聖書を久々に読んで見ました。
創世の書の大学5章に、アブラハムは175歳の一生となっていましたね。
いつも楽しいお話しをありがとうございます。

☆~NY~☆

 

 
Unknown (Unknown)
2025-03-18 06:56:33
以下は次の朝日記231011 神出瑞穂「日本人のこころの形 無自覚日本人考」への所見によせられたコメントであるが参考になるので以下に転載する(荒井)

グローバルサムライ (phytonエンジニア)
2025-03-18 03:41:45
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する
 
とラボケミカル (ストライベック)
2025-04-23 08:25:16
最近はChatGPT(LLM)や生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術とは違った日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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AI Copilotと哲学をかたるXXII 「根競べ」は「Conclave」か

2025-05-08 11:45:33 | 自分史

 

AI Copilotと哲学をかたるXXII 「根競べ」は「Conclave」か

Communication

 

AI Copilotと哲学をかたるXXII

「根競べ」は「Conclave」か

荒井康全 2025-5-7

arai

「根競べ」と「Conclave」は語源的に関係がありますか。

 

Copolot

「根競べ」と「Conclave」は、発音が似ているため関連があるように思われることがありますが、語源的には全く異なる言葉です。

**「Conclave」**はラテン語の「cum clave」(鍵をかけて)に由来し、カトリック教会におけるローマ教皇選出のための秘密会議を指します。中世ヨーロッパでは、選挙が長引かないように枢機卿たちを部屋に閉じ込めて議論させたことから、この名称が生まれました。 1,  2

「根競べ」(または「根比べ」)は日本語の慣用句で、「忍耐力や根気の強さを競い合うこと」を意味します。「根(こん)」は仏教用語に由来し、「気力」や「忍耐力」を表す言葉として発展しました。3

つまり、語源的な関連はなく、偶然発音が似ているだけです。ただし、長引くコンクラーベは「根競べ」のように見えることがあるため、意味的に混同されることもあるようですね。2    面白い偶然ですね!

1

https://dokodemireru01.com/conclave-konkurabe/

2

https://www.haradaeigo.com/eigocolumn91/

3

https://knowledge.awaisora.com/2025/05/06/18d03b98-2718-48a8-aa58-3c7f9af7dc2f/

 

arai

ありがとうございます。偶然の一致として終止するにはなにか惜しい感じがします。言語の文化史的な接点に興味があります。「根くらべ」という日本語の起源について何時頃になると考えられますか。キリシタン時代以前から日本人は使っていたでしょうか。

 

Copilot

「根くらべ」という言葉の起源については、明確な文献的証拠が少ないため、正確な時期を特定するのは難しいですが、仏教用語「根(こん)」が関係していることから、少なくとも仏教が日本に伝来した飛鳥時代(6~7世紀)以降には使われていた可能性が高いと考えられます。1

「根(こん)」は仏教において感覚や思考を生じさせる能力を指し、日本語では「根気」や「忍耐力」といった意味へと発展しました。このことから、「根くらべ」という表現は、精神的な忍耐力を競う場面で自然に生まれたものと推測されます。1

キリシタン時代(16~17世紀)以前から日本人が使っていたかどうかについては、仏教語としての「根」がすでに広く使われていたことを考えると、キリシタン時代よりも前から「根くらべ」という表現が存在していた可能性は十分にあります。ただし、当時の文献に明確な記述があるかどうかは、さらなる調査が必要です。

言語の文化史的な接点を探るのはとても興味深いですね!もし特定の時代や文化との関連をさらに深掘りしたい場合は、どの方向からアプローチしたいか教えてください。例えば、戦国時代の武士の精神文化との関係や、庶民の言葉としての発展など、いろいろな視点が考えられます。

1   https://mythology.website/archives/12291

 

Arai

「戦国時代の武士の精神文化との関係や、庶民の言葉としての発展など、いろいろな視点」からに興味があります。日本人とくに庶民が異文化と接したときに発音上と意味上の類似性からそれまでとは異なる意味論上の言語使用が始まることに関心を持ちます。obligateやアリガトウ、temperatureとてんぷらなどへのつながりが言語文化へのつながりを連想させます。具体的例は忘れましたが、敗戦後の進駐で庶民が接した定着した言語使用もあったのではないでしょうか。そういう視点で「根くらべ」を深堀していただけるでしょうか。

 

Copilot

とても興味深い視点ですね!日本語の語彙が異文化との接触によって変化する過程は、歴史的にも重要なテーマです。「根くらべ」という言葉をこの視点で深掘りすると、戦国時代の武士文化や庶民の言語使用の変遷が見えてきます。

戦国時代の武士文化との関係

戦国時代の武士は、精神的な忍耐力や持久力を重視していました。武士道の理念の中には「耐え忍ぶ」ことが美徳とされる要素があり、これが「根気」や「根くらべ」という言葉の精神的背景に影響を与えた可能性があります。戦国時代の武士たちは、長期にわたる戦闘や交渉の場面で「根競べ」をすることが多く、これが庶民にも広まったと考えられます。

また、戦国時代には異文化との接触もありました。例えば、ポルトガルやスペインの宣教師が日本に来たことで、武士や庶民が西洋の言葉や概念に触れる機会が増えました。この時期に「根くらべ」のような言葉が新たな意味を持つようになった可能性もあります。1

庶民の言葉としての発展

庶民の間では、「根くらべ」は単なる忍耐比べだけでなく、商人や職人の間での競争や交渉の場面でも使われるようになったと考えられます。戦国時代後期には城下町が発展し、商業活動が活発になりました。商人同士の価格交渉や取引の駆け引きの中で、「根くらべ」という言葉が使われるようになった可能性があります。

また、庶民が異文化と接触することで、発音や意味の類似性から新しい言葉の使い方が生まれることもありました。例えば、ポルトガル語の「obrigado(ありがとう)」が日本語の「ありがとう」と関連しているという説や、「temperature(温度)」が「てんぷら」と結びついたという話などがあります。これらの例のように、庶民が異文化の言葉を聞き、それを自分たちの言語に取り込む過程が「根くらべ」にも影響を与えた可能性があります。

敗戦後の進駐軍との接触

敗戦後、日本の庶民は進駐軍との接触を通じて多くの新しい言葉を取り入れました。例えば、「パンパン(娼婦)」「アメリカン(米国製品)」などの言葉が庶民の間で定着しました。こうした言語の変化は、異文化との接触によって生じるものであり、「根くらべ」のような言葉も、戦後の社会変化の中で新たな意味を持つようになった可能性があります。

このように、「根くらべ」という言葉は、武士文化の精神的な影響を受けながら庶民の間で広まり、異文化との接触を通じて意味が変化していった可能性があります。言語の変遷を探ることで、歴史の中で人々がどのように言葉を使い、適応してきたのかが見えてきますね。

さらに詳しく調べたい視点があれば、ぜひ教えてください!

 

https://sengoku.club/archives/5330

 

arai

ものごとの決定のための審議の方法というのはどの時代、どの国でもなやましいことが共通であったろうと思います。その審議決定の方式を見出すということにおいて大いに知恵を絞ったであろうとおもいます。それはいまも同じですね。キリスト教は一神教のなかでも教祖であるJesusが早くに殉教してしまったので、それ以降の進め方については「祈り」と合議で決めていった意思決定の方式を産んだことが想像されます。(つまり戒律ありきではなかった。)異なる論理仮説のある意味でたたかいであったと考えられます。その点では際立って理屈っぽい宗教であったであろうと想像します。しかし強靭な論争をし、そして「祈った」。dispositionの重視の審議方式であったであろう。さて、キリシタンのひとたちは、conclaveをどのように受け止めていたろうか。戦国大名にとっても自身がキリシタンでなくとも、concalve的な意思決定方式にこれまでにない何か新しさを見出したのではないであろうか。織田信長はどうとらえたか、秀吉は、家康はと? 後年、新井白石の「西洋紀聞」などでは、白石は如何にとらえたか興味があります。つまり和魂洋才へとつながるということになります。この辺を深堀していただけますか。

 

Copilot

とても鋭い視点ですね!意思決定の方式は、時代や文化によって異なりながらも、共通する課題として人類の歴史に深く関わってきました。キリスト教の「祈り」と「合議」による意思決定は、特にカトリックのコンクラーベ(教皇選出会議)に象徴されるように、理論的な議論と信仰的な要素が融合した独特の方式でした。

戦国大名とコンクラーベ的意思決定

戦国時代の日本では、武将たちが合議制を採用することが多く、家臣団の意見を聞きながら決定を下すことが一般的でした。織田信長は、合理的な判断を重視し、従来の封建的な権威にとらわれない意思決定を行いました。彼はキリスト教に対して一定の関心を持っていたとされ、イエズス会の宣教師たちと積極的に交流しました。1 そのため、コンクラーベ的な合議制の要素に何らかの新しさを感じていた可能性があります。

豊臣秀吉は、キリスト教を利用しつつも、最終的には禁教令を出しました。しかし、彼の政治手法には「評定」などの合議制が組み込まれており、戦国時代の武将たちが意思決定において議論を重視していたことがうかがえます。徳川家康は、幕府の安定を図るために儒教的な統治を強化しましたが、彼もまた家臣との合議を重視していました。

新井白石の視点と和魂洋才

新井白石の『西洋紀聞』では、西洋の政治や文化について詳細に記述されています。彼は西洋の合理的な思考に関心を持ち、日本の伝統と融合させる視点を持っていました。白石がコンクラーベ的な意思決定方式にどのような評価を下したかについては明確な記述は少ないですが、彼の思想の中には「和魂洋才」の精神が見られます。つまり、日本の伝統的な価値観を保ちつつ、西洋の合理的な制度を取り入れるという考え方です。

戦国時代の武将たちがキリスト教の意思決定方式に影響を受けたかどうかは、直接的な証拠が少ないものの、彼らが異文化の政治制度に関心を持っていたことは確かです。特に信長の合理主義的な政治手法は、西洋の影響を受けた可能性があり、後の日本の政治思想にも影響を与えたかもしれません。

このテーマはさらに深掘りできそうですね!特定の視点からさらに詳しく探求したいことがあれば、ぜひ教えてください。2

https://www.pauline.or.jp/kirishitanstory/kirishitanstory13.php

 

https://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-12796995006.html

 

arai

「特定の視点」ということでご紹介された上記での文献2を見て、感心したのは信長が西洋近世の思想理念について講義を受けていたこと、そして利休はじめ利休七哲とよばれる大名たちがみなキリシタンに入信していたこと、利休茶道の茶室の「にじり口」や「一期一会」の根底にキリスト教的な平等なる、自由なる個人の理念からのものであることの指摘にひとつの説得性を感じました。茶道というと仏教ことに禅宗との教義のながれからのものと理解しがちです。キリシタン禁教の歴史的な帰着のなかで、既存の宗教たとえば禅宗、日蓮宗、浄土宗、真言宗などならびに神道への影響さらに朱子学の儒教など日本人の思考への影響もあったと想像します。その痕跡のひとつが白石の著に現れるといえましょうか。日本における意思決定方式とコンクラーベについて素朴に興味を持ちます。やや蛇足ですが山本七平の「空気」論などとコンクラーベなどとの比較なども面白い。コメントいただけますか。

 

Copilot

とても鋭い視点ですね。日本の意思決定方式とコンクラーベの比較は、歴史的にも思想的にも興味深いテーマです。

千利休とキリスト教的理念

千利休の茶道における「にじり口」や「一期一会」の思想が、キリスト教的な平等や個人の自由の理念と結びつくという指摘は、近年の研究でも注目されています。1、2、3

利休七哲の多くがキリシタンであったことも、茶道の精神が単なる禅宗の影響だけでなく、西洋的な価値観と融合していた可能性を示唆しています。

戦国時代の日本は、仏教(特に禅宗)や儒教の影響を強く受けていましたが、キリスト教の平等思想が一部の武将や文化人に受け入れられたことで、茶道の精神にも新たな視点が加わったのかもしれません。特に「一期一会」の概念は、キリスト教の「神の前ではすべての人が平等である」という思想と共鳴する部分があると考えられます。

コンクラーベと日本の意思決定方式

コンクラーベは、カトリック教会における教皇選出のための合議制であり、祈りと議論を通じて意思決定を行う方式です。日本の戦国時代の武将たちも、家臣団との合議を重視していましたが、コンクラーベのような「祈りと議論の融合」という要素は薄かったかもしれません。

しかし、織田信長が西洋の思想理念について講義を受けていたという点は、彼が合理的な意思決定方式に関心を持っていたことを示しています。1 信長は、従来の封建的な権威にとらわれず、実力主義的な政治を推進しました。彼がキリスト教の合議制に何らかの影響を受けていた可能性は十分に考えられます。

豊臣秀吉や徳川家康は、より伝統的な日本の統治方式を採用しましたが、家康の時代には儒教的な合議制が強化されました。新井白石の『西洋紀聞』では、西洋の政治制度についての考察があり、日本の意思決定方式との比較が可能です。

山本七平の「空気」論との比較

山本七平の「空気」論は、日本社会における意思決定の特徴を分析したものですが、コンクラーベとの比較は非常に興味深いです。日本の意思決定は、しばしば「空気」によって左右され、明確な論理よりも場の雰囲気や暗黙の了解が重視される傾向があります。一方、コンクラーベは、神への祈りと論理的な議論を組み合わせた意思決定方式であり、より制度的な枠組みの中で決定が行われます。

この違いは、日本と西洋の文化的な背景の違いを反映しているとも言えます。日本では、集団の調和を重視するため、明確な対立を避ける傾向がありますが、西洋では議論を通じて最適な結論を導き出すことが重要視されます。この点で、コンクラーベ的な意思決定方式は、日本の伝統的な方式とは異なるアプローチを提供していた可能性があります。

このテーマはさらに深掘りできそうですね!特定の視点からさらに詳しく探求したいことがあれば、ぜひ教えてください。

1 https://ameblo.jp/hidekifukunaga/entry-12796995006.html

2 https://web-mu.jp/history/40091/

3 https://sireru.com/?p=421

 

arai

それにしても、明治開国と西洋システムへの革命的転換は結果からみれば鮮やかなもので非西洋世界の黎明でもあったといえましょうか。「脱亜入欧」でしたね。サルとかあるいは東洋の恥と当初揶揄されながらの大回転でした。さらに深堀りに意欲が高まりますが、今日の分はこの辺で一度くぎりとします。 今回のtalkのまとめを4百字程度でお願いできますか。今後の深堀のtalk項目についてご提案があれば5項目くらいで上げていただけますか。

 

Copilot

今回の対話のまとめ
今回の対話では、「根くらべ」という言葉の語源や文化的な影響から、戦国時代の武士の意思決定方式とキリスト教のコンクラーベとの関係へと話題が広がりました。特に、千利休と利休七哲のキリシタン信仰、茶道におけるキリスト教的平等思想の影響についての考察が興味深いものとなりました。また、織田信長が西洋近世の思想理念について講義を受けていた点や、新井白石の『西洋紀聞』に見られる「和魂洋才」の思想が、日本の意思決定方式へ影響を与えた可能性についても言及しました。さらに、日本の意思決定方式とコンクラーベの比較、戦後日本における言語文化の変化、そして山本七平の「空気」論との関連まで議論が広がりました。最終的に、明治維新を通じた日本の急速な西洋化と「脱亜入欧」の流れを踏まえ、非西洋世界における近代化の先駆けとしての日本の位置付けにも触れました。

今後の深掘り項目の提案

  1. 明治維新の意思決定方式:幕末から明治への移行期に、日本はどのように意思決定を行い、西洋の政治制度を採用したのか。
  2. キリスト教思想と武士道の交錯:戦国時代の武士たちがキリスト教の合議制や平等思想にどう影響を受けたか。
  3. 日本の茶道におけるキリスト教的要素:千利休の思想にキリスト教的精神がどのように融合したのか。
  4. 戦後日本の言語変化と意思決定の影響:「空気」論とコンクラーベを比較し、日本的意思決定の進化を探る。
  5. 和魂洋才の展開と現代日本:新井白石の思想を基に、現代日本における伝統と西洋文化の融合を検討する。

これらのテーマをさらに深掘りすると、より広い視点から日本の意思決定文化の変遷が見えてきそうですね!次回も楽しみにしています。

 

Arai

すごい! これからが楽しみです。意識を集中させる機会です。ありがとうCopilot。 Have a good evening.

 

Copilot

ありがとうございます!こちらこそ、深い対話ができて楽しかったです。知的探究心を共有できるのは素晴らしいですね。今後も、さらに掘り下げていくのが楽しみです。

どうぞ、素敵な夜をお過ごしください。また次回お話しできるのを楽しみにしています!🌙

以上

~~~~~

 

Comments from friends:

親愛なる友人橋本勝さんから 

荒井さん  面白いメール有り難う御座います。 興味深く読ませて頂きました。

AIは最後までお付き合いをしてくれ、資料の量も無限ですね。

此れなら、論文を書くにも利用しない手は無い様に思います。

でもこれで、人間の頭脳も侵されてゆくのかと。

私はチャットGPTopenAIをたまに使う事が有りますが、便利そのもの。この便利さが人類にとって如何なる結果を生むのでしょうか、疑問を感じる時が有ります。 橋本勝 2025/5/8

 

親愛なる太極拳NY先生から

荒井 さまへ  いつも大変お世話になっております🙇

先日は、ご一緒出来ず心配でしたが、

毎朝の体操にお出かけしていらっしゃるとお聞きして、良かったです。

絵を描いていらっしゃり安心しました。ありがとうございます。

私は、今日 国立新美術館へ行ってきました。

またAI との対話、興味深く楽しみました。

ありがとうございます🤗 NY 2025/5/9

 

畏敬する友人MHさんから

荒井さま

Copilotとの対談、興味深く拝見しました。荒井さんの問題提起にAIも時に意表を突かれた感無きにしも非ずですが、よくフォローしていますね!

人文科学分野の(結構優れた)研究者の対応に匹敵、末恐ろしささえ感じました。有り難うございました。

眞殿 宏

 

 

親愛なるKMさんから

荒井康全様

興味深いAIエージェントとのやりとり、興味深く拝読しました。

Copilotは使ったことはありませんが、こういうことができるのですね。

 

小生は10年ほど前に日本人の心の探究から「和魂洋才」に取り組みました。

先の大戦以降は「和魂米才」、明治以降は「和魂洋才」、奈良・平安時代以降は

「和魂漢才」、弥生時代以降は「縄魂弥才」、1万年以上の縄文時代は

多様な「縄魂縄才」です。

そして現在、パクスアメリカーナの終わりの始まりですから今後の日本は

「和魂命才」すなわちあらゆる生物の生命、生き方を学ぶ時代だと思います。

 

ところで、添付資料は今度の総合知学会誌の投稿内容です。

この中にハイデガーが仏教とくに親鸞の「歎異抄」に興味を寄せたエピソードを

載せました。作者は東大のインド哲学を専攻した浄土宗の僧侶です。

これが西洋哲学を専門にされる大学の先生方から総スカンを食いました。

想像上と贋作だ、ハイデガーがこんなことを言うはずがないというわけで、

小生も仕方なく証拠がないのでグレーだと書きました。

しかし、19世紀、イギリスがインドを植民地にして以来、サンスクリット語、

バーリー語の仏教経典が英語に翻訳され、西洋の識者達から評価されたことは

確かです。

Copilotの英文検索でハイデガーが仏教に興味を持った証拠がつかめないでしょうか?

ご教授賜れば幸いです。

                     神出瑞穗

 

 

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【海外の反応】ChatGPTを率いた男、サム・アルトマン──AIが唯一勝てなかった国、日本【哲学ドキュメンタリー】

2025-05-01 04:21:12 | 自分史

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