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函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

”猛じゅう使い”でいること

2010-09-26 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
多重人格の三千恵さんは、結婚して25年も自分と一緒にいる私に、「あなたは”猛じゅう使い”なんだから。」と、エールを送る。

それはどういう意味なんだろうと、夏以降考えていた。

先日、「人間が信じられなくなった」という娘を励ましながら、気づいたことがひとつある。

”猛じゅう使い”の私は、オリの外にはいない。
自分は安全地帯にいて、「気の毒ねえ」なんて言わない。
時に猛じゅうのツメやきばに傷つけられながら、一緒の時を過ごす。

一緒の時を過ごすから、時にまた逆に傷つけることやトラブルに巻き込まれる危険も引き受ける。


人と接するときに、オリの外から接する人には、それなりの”猛じゅう”しか見えていかないだろう。
オリの中にいる人には、危険もいっぱいだけれど、伝わってくるものも豊富だ。

多重人格の三千恵さんにだけではなく、やっぱり自分はそんなキョリのとり方しかできないのだと思う。





ボクは心の弱い”猛獣使い”

2010-09-25 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 多重人格の三千恵さんには、時折思いきり傷つけられボロボロになってきた。

 夫婦なんだから、お互い傷つけたり、傷つけられたりは当然あったと思う。
けれど、三千恵さんがケンカの時に繰り出す、「ちゃぶ台返し」にも似た猛烈なワザは相当効いた。特に、それが優しいときに聞いてもらった愚痴などを利用してのものだと、相手をそれ以上信頼する気にもなれなかったりして辛かった。

 この夏、いつものように大ゲンカして、私がボロボロになって車で山奥に引きこもっていたら、三千恵さんから電話がきた。
 三千恵さんは、「とーちゃんは、”猛獣使い”なんだから、そんなことで傷ついたらダメ」なのだと、力説した。
 多重人格の自分を、”猛獣”に例え、私を”猛獣使い”と呼んだ彼女。
 彼女の願いは、多重人格の自分をうまく乗りこなしてくれることなんだと、私は初めて知った。



 人はいくら虐待を受けていようが、他人を傷つけることはしてはいけないことだと思う。
 けれど、それでは虐待で負わされた怪我や怒り・恨みはどこへ向かえばよいのか。

自分に?

どこに?

 結局は、虐待によるトラウマの影響から、少しでも遠ざかるためには、どんな形にせよ、それを繰り返し吐き出すという作業が必要になる。

 子どもでは、プレイセラピーという遊びを通して、
 大人では、語ることや繰り返しトラウマを再現するということを通して。

 そんな過程で、誰しも、程度の差こそあれ、人を傷つけることもあるのだと思う。

 
 そんな中で、彼女にとって、「私が傷つく」ということが、「私が苦しむ」ということが、「私に傷を残す」ということが、必要だったようにも思う。

 誰しも、トラウマを負った人間は、誰かを、すこしだけ傷つけることで、浮き上がる。

 そんな「傷つけられ屋」を、彼女は、”猛獣使い”と呼んだのだと、今の私なら思う。







娘のまー☆さん、かあさんの多重人格さんの性格を語る

2010-09-24 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん

 先週、娘のまー☆さんと久々電話で長話し。
 私のブログに、三千恵さんのカテゴリーを作ったことを報告。すると、
「三千恵さんには、ことわったの?」と聞くので、
「うん、もちろん。」と答えると、まー☆さんすかさず、
「ちゃんと、全員にことわった?」と。 多重人格の他の人格さんにことわったかと聞いてきた。
私「はっ!ほ、ほんとだねえ。汗  だけど、二千恵さんに怒られるようなこと書かないからだいじょうぶじゃない?汗」


さすがです。
父が単身赴任してから、多重の母にはいろいろとてこずってきた、まー☆さんならではの気づきじゃと、深く感心。

で、三千恵さんの副人格のそれぞれの役割・性格について、まー☆先生にうかがった。
「え~~、とうちゃん、ちゃんとわかってないんじゃないの。」
「そ、そんなことないけど。いちおう聞いとく。汗 (そのとおり)」
私は、よくケンカを売られる二千恵さんのことは知っているが、その他の人格さんのことはあまりわかっていない。

で、下記はまー☆さんに聞いた、三千恵さんの多重人格のそれぞれの性格です。

主人格-三千恵さん
副人格-一千恵さん・・・女性。幼いころの三千恵さん。甘えん坊。甘えるときに出てくる。

二千恵さん・・・男性。性を支配。性虐待にあってきた怒りをかかえていて、怒りを吐き出す時に現れる。(三千恵さんは知らないことですが)まー☆さんに馬乗りになって首をしめたり、私に怒りを吐き出したりと、この人に関わるエピソードは豊富です。苦笑
四千恵さん・・・女性。しっかり者。ボランティアで関わるイベントなどになると出てきて、場を仕切る。
五千恵さん・・・女性。四千恵さんにまさるしっかり者。娘の学校との交渉や、問題ごとの交渉に長けている。
六千恵さん・・・女性。スーパーしっかり者。

 こうして書くと、よい人格さんばかりに見えます。
 その点についても、まー☆センセイにご意見をうかがった。

私「なんか、こうしてみると、二千恵さん以外はいい人ばっかりに見えるねえ。」
娘「はぁげ、ばっかじゃないの!多重人格のそれぞれはいい人だよ。二千恵さんだってほんとはいい人なんだよ。だけど、それぞれのバランスがとれていないから、こまってるんじゃん!」
私「なるほどねえ。よくわかってるねえ。」
娘「だれかが、多重人格の母とまーの二人だけにして網走行っちゃったからねえ。笑」
私「大汗!! ん、ん~~。だれ、だろうねえ。汗」

娘は、Kメンタルのドクターのアドバイスも受けたりしながら、母が他の人格になった時の呼び戻しかたなんかも会得していて、今年の夏はとっても助かった。
娘のまー☆さん、えらい!!


結婚しない人・産まない人・虐待の連鎖をさせない人

2010-09-20 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 何度も書くけれど、このカテゴリーを立ち上げたのは、「彼女の”変なとこ”を言い連ねたい」からではない。
 そうではなくて、こんな人もいるんだよ、こんな不器用な仕方で生きて、虐待を連鎖させていない人もいるんだよ、と知ってほしいと思ったから。

 
 幼いころに虐待を受けてきた人たちは、みなそれぞれに真剣に生きている。

 虐待を連鎖させないために、結婚しない人もいる。

 虐待を連鎖させないために、産まない人もいる。

 虐待を絶対連鎖させないようにと思って子育てをしている人もいる。

 それでも、虐待してしまったり、子どもに辛くあたってしまい、後悔している人もいる。

 
 だけど、それぞれにみんな真剣に考えてその道を選んでいるんだと思う。
 まわりからの声に振り回されないで、がんばっていて、みんなえらいと思う。
 それぞれ、方法はいろいろだけれど、願いはひとつ、

 「自分は、虐待を連鎖させたくない」ということ。


 みんなそれぞれ正解だと思う。
 連鎖させないためにも、トラウマのことをもっと知って、対処していくことが大切だと私は思う。


 虐待を受けたこと・不適切な育てられ方をしたということに無自覚な人ほど、
連鎖のワナにはまりやすい。

彼女の人生に現れる虐待・性虐待のトラウマの影響

2010-09-19 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
今、平行して、虐待問題に詳しい山梨県立大学教授の西澤哲(さとる)さんの講演を載せているが、私も西澤哲先生の本や訳書を何冊もそれも繰り返し読む中で、やっとわかってきたことがある。

 私は、虐待や不幸な育てられ方をしてきた人こそ、希望に満ちたすてきな人生を送ってもらえたらと、いつも願っているのだが、それが許されない”しくみ”が、虐待や不幸な育てられ方の中に隠されているようだ。

それは、トラウマ。
「このあいだの、カレーがトラウマになってさ~。」なんて、日常会話にも使われるようになった感のある”トラウマ”という言葉だが、実際にはその”トラウマ”のおそろしさは、まだまだ十分には伝わっていないように思う。

特に、虐待のトラウマ。
暴力を受けてきた子は、暴力に。
性虐待を受けてきた子は、性や暴力に。
ネグレクトを受けてきた子には、愛着や気力に。

それぞれ多くの影響を与えられそれらに振り回される一生を送ることを余儀なくされる。
西澤哲さんの言葉を借りるならば、それらは、トラウマ性の体験から何年を経ても”瞬間凍結されいつでも新鮮さを保たれ”ていく。







三千恵さんのブログ『虐待を生きて』のために、2003年に書いた「おっとのつぶやき 2003」だが、今読み直して見ると、その中にも彼女のトラウマの再現性が現れていると思う。

第1に、身体的虐待による暴力や力での支配・被支配の再現傾向。
三千恵さんは、結婚前から、キツイお話しの仕方をされる方だったが、「つぶやき」の中にも書かれているように、特に相手を攻撃する際にそのパワーが発揮されることが多かったように思う。
また、けんかしたときの挑発もすごく、私も挑発に乗り何度となく手を出したことがある。
しかし、一方でパワハラにあったりということもあったようなので、それらも含めて、力での支配・被支配という虐待的人間関係の再現性が働いていたと言えると思う。
結局、暴力のトラウマをもつ三千恵さんは、トラウマ性の反応として、虐待的・暴力的人間関係を再現する傾向があったと思う。
しかし、彼女の名誉のために言い添えるが、彼女はそれらの再現にただ振り回されてきたのではない。そのたびに、自身も深く傷つきながらも、その都度人生を修正してきたのだと思う。
それと、虐待を受けてきた女性は、暴力を振るう男性とつきあうことが多く見られるのだが、彼女はその点はあまり虐待的人間関係にはつかまっていなかったようだ。
彼女に、「オレ以外に暴力振るわれたりしたことある?」と聞いたら、「あなただけだよ。ハハハ」と言っていた。
彼女曰く、「森田ゆりさんにも言われたけど、私は身体的虐待のトラウマ部分よりも、小さいころから家事をしていたり、弟の面倒をみていたりという”小さい大人”でいた部分の傷つきの方が強いみたい」とのことだった。


第2に、性虐待による抑うつ傾向や性の混乱と、それに矛盾した厚いバリヤー傾向。
 三千恵さんは、『虐待を生きて』に吐露しているように、セクハラとか性的に危ない関係に度々あってきたようだ。
それらも含めて、今掲載している西澤哲さんの話を読んでもらうと、その原因はご理解いただけると思う。

「つぶやき」にも書いたように、2003年ころには、性的なチャットやサイトへの興味というように現れているが、そのサイトは【暴力+性】のサイトであったことは、特徴的だ。
 彼女の話では、そのサイトに集う女性の多くが虐待的な育ちを経験しているとのことであったが、私のかかっていた精神科医は、その傾向を、”癒着の結果”だろうと述べていた。
性虐待の再現性に、同時に体験していた暴力が”癒着”して、そのような興味を呼ぶことになったのだろうと考えられる。

どういう経過だったかは忘れたが、2003年当時、
『性的虐待を受けた人のポジティブ・セックス・ガイド』ステイシー・ヘインズ著
という本に出会い、その本から「性虐待のサバイバーも、もっと性を前向きに楽しみましょう」というメッセージを受けたことも、そのような行動の一因であったかもしれない。

 しかし、同時に、中年にさしかかっていた私への、性的バリヤーも当時同時に存在していたのは、彼女が最後に性虐待を受けた年齢時の実父の年齢を私に投影していたためだろうと思われる。
 

今考えると、多重で、「実父からの性虐待をおそれる人格」と「現在の性を楽しみたいと考える人格」とが、まったく違っていたのだから、それは彼女の中ではまったく矛盾しないことだったのだろう。


私もこのように頭の中ではわかっていることであったが、実際に起ってくることには、いかりやさみしさも多く感じたものだった。

この点についても、彼女は己の努力で人生に修正を加えてきていることを申し添えておきたい。

本当は、「死んでから」

2010-09-17 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 本当は、このカテゴリー、三千恵さんが死んだら書くつもりだったんだわ。

 だけど、なにかの話の拍子にそのことを三千恵さんに言ったら、
「私は命根性いやしいから長生きだよ。あなたの方がぜったい先に死ぬわ。ハハハ」
とか言われて、よくよく考えてみたら私の方が、早く死にそうだな~~と、自分でも思ったから、三千恵さん生きててもかまわないわって思って、書くことにしたんだわ。

 それと、ちょっと前の三千恵さんなら、ちょっと書こうものなら、「バカにして!!」とか言ってものすごくおこったと思うのだけれど、最近三千恵氏ももうだいぶ達観してきたというか、悟りを開いてきたというか、「ほかの性虐待を受けてきた人の役に立つんだったら、私はいいよ。」という、よい意味での開き直りが(以前からあるのだけれど)ますます明快になってきたので、書こうと思ったんだわ。
 それに、私も三千恵さんに対してのいやがらせやいやみで書くのではなく、虐待を受けてきた人の参考にしてもらえるように、書き留めておかなきゃって思ったんだわ。
三千恵さんが先か、私が先かは別としても、後で後悔したくないからねえ。


 なんで、私の方が先に死にそうかって? 
 わし、いい人だし。
 むこうはほれ、「世にはばかる」って言われるタイプだし、勝ち目ないもんねえ。笑


おっとのつぶやき2003、いかがでしたか。
転載するのに、読み直してたら泣けてきた。
我ながらなかなかよくまとめたなあって。
2003からがまたたいへんだっだけど。。。

もう、7年たって、当時「10歳の誕生会」やってた娘が17歳。
娘にも、そのあと、別れるかどうかという中、ずっと心配かけてしまったけれど。


私が虐待していた妹は、ときどきこちらにも登場しているとおり、今や二児の母。
虐待を受けたのに、虐待の連鎖をしないで子育てしていて、とってもえらい母になっています。
おまけに「おにいちゃん大好き」と言ってくれるし。


時の流れを感じます。

だけど、「2003」で終わらなかったんですね。わが家の歴史は。

今の、さらに学習を積み重ねた虐待についての知識の中で読み返すと、「2003」の中にも、虐待のトラウマによる反応による出来事がいろいろ起きていたのがわかります。
次回以降、そんな視点から「2003」の解説を試みたいと思います。

おっとのつぶやき2003-3

2010-09-16 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
2003の1、2003の2に引き続き、kasumiのブログ『虐待を生きて』に書いた文章です。


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かすみの中の「おねえちゃん」との出会い


  その後、西宮でエンパワメントセンターを主宰する森田ゆりさんのところへ、通うようになったことは、かすみが記しているので省略するが、かすみはセラピーの結果、かすみのインナーチャイルドである「おねえちゃん」を家に連れてきた。そのころ、かすみにいろいろな変化が現れてきたので、観察者としてその間のことを報告したい。


 インナーチャイルドと出合ってしばらく、かすみは情緒的にたいへん不安定だった。突然、何かに怯えだしたり、震え始めたりということがよく見られた。本人も、「なんだか人格が入れ替わっているような気がする。」とよく訴えていた。

 二度ほど、「あっ、これは、『おねえちゃん』が、話しているんだな。」と感じることができた発言もあった。
 一度は、父の話をしている時、「くそおやじのことは思い出したくないの!」と、いつもとは口調も、トーンも違う声で、言っていた。

 もう一度は、食事の準備をしろとか私が言った時、「したくないって言ってるでしょ!」と、これもいつもと違う声で言っていた。その時は、かすみ自身も、自分のいつもにない激しい声に驚いていた。


 そんなおねえちゃんの出現のころから、かすみはそれまでにない、解放されたようなのびのびとした表情をすることが多く見られるようになった。それまでは、いつもまゆを寄せ鼻の上に縦じわをつくったきびしい、人を寄せつけない表情をしていたかすみだったが、とても伸びやかな表情をして笑うようになった。

 私からすると、それまで混沌としていた「大人のかすみ」と「かすみの中のおねえちゃん」の世界に、ひとつの秩序が与えられて流れや表出がスムーズになったように思われた。

 「おねえちゃん」が来て、かすみはずいぶん素直になったように感じる。それは、「これは、したくない!」とか、「つまらない!」とか、「あそびたい」とか、他愛のない言葉として現れるのだが、「10歳のおねえちゃん」の発言として聞く時、私は「おねえちゃんのおとうさん」として、素直に聞くことができる。


 このあいだ、娘の10歳の誕生祝いに、ゲームキューブを買った。「娘にだけ買ってあげたら、きっとおねえちゃんがうらやましがるんだろうなぁ。」と漠然と思っていたら、翌日かすみが「つまらない、つまらない。なんだかわからないけどつまらない。」と言うので、「娘にゲームキューブを買ってあげたから、おねえちゃんが『私も、私も!』って言っているんだろう。」と、二人で買い物に出かけ、かすみの服やら靴やらを買ってきた。

 テレビでやっていた「育て直し」とは形は違うが、かすみの中のおねえちゃんもたぶんもう一度10歳から子どもらしくゆっくり育つことを望んでいるような気がするのだ。



うつ病妻を支えきれないダメな夫

 森田ゆりさんのところへ通い始める前後に忘れることができないけんかをしたことがある。

 たしか私がかすみの「奇行」を指摘し責め立てたのがきっかけだったと思うが、言い合いの末、カッとした私は思わずかすみを殴り、投げ飛ばした。そのことに逆上したかすみは、包丁を出してきて、「あんたなんか、くそおやじと同じだ。死んでやる」「もう家を出て行く」と、わめきちらした。
 私は、せっかくそれまで築き上げてきたものを、自分が暴力をふるうという行為ですべてぶち壊してしまったことに、自分自身深く絶望し、半狂乱になって自分の顔をこぶしで何発も何発も殴りながら、かすみに言った。「おれが悪いんだ。おれが悪いんだ。だいじょうぶだから信頼しろって言いながら、つらくなるとすぐかぁちゃんにあたってる、おれが悪いんだ。だから、もう死んでもいいよ。出てってもいいよ。おれが悪いんだよぉ。だめなんだ。やさしくなれないんだよぉ。」
私は、鼻をたらしながら、泣いていた。


 かすみが、本当の意味で前向きになり始めたのは、そのあとからだったと思うのだが、その後でかすみに「大げんかしたよね。」と言ったら、まったく覚えてはいなかった。病人にとっては、「そんなささいなこと、覚えてられない」のだそうだ。

 

その後も、私は優しくなんかなれず、いろいろな問題に追い詰められてはかすみのせいにし、「かすみなんて、いなくなってしまえばいい!」と思い、そう思っている自分に愕然として失望する。

料理をつくってはイライラし、ダメな自分に絶望して落ち込む。

かすみに男から電話が来たといっては、嫉妬してイライラする。

そんなことを何度も何度も繰り返している。

 

 これからも、自分のダメさ加減に絶望したり、イライラしたりしながらも、大好きな家族と、大好きな多くの子どもたちのために、力を合わせていけたらと思っている。


おっとのつぶやき2003-2

2010-09-15 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん

おっとのつぶやき2003の1と同じく、kasumiこと、三千恵さんのブログのために書いたものです。現在の『虐待を生きて』は、他のプロバイダから引っ越したために、2007年の日付となっていますが、最初は2003年8月に始められています。
前回も書きましたが、三千恵さんの、”性”を担当する、いかれる”二千恵(にちえ)”さんが、私の書き方をよしとせず、『虐待を生きて』の方は原稿が一部変えられています。それも含めて、本人はまったく気づいていないことだと思います。
きっと、尋ねたら、「ブログの引越しの時に勝手に消えた。」と言うと思います。
二千恵さんがやったことで、三千恵さんにはなんの悪気もありませんので、申し添えておきます。(笑)

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三千恵さんから、「どこが抜けてるのかわからん。わかるようにして。」というリクエストがあったため、フォントと青色で、『虐待を生きて』の文章から消えている部分を表示しました。(笑)【2010.0922変更】

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かすみのうつ病とかすみの幼いころの出来事


 かすみのうつ病は、私にとっては突然にやってきた。それまでも、時々体調を大きくくずすことがあったので、またそんなものかという程度の思いしか私にはなかった。しかし、かすみにはいろいろ苦しい思いがあったのだろう、やたらうつ病理解のための本を買ってきては、私に読むように勧めていた。本には、「無理はしない、させない」「がんばれ、がんばれと言ってはダメ」というようなことが書かれていた。

互いに多忙だったこともあり、それまでも家庭で夕食をとることが少ない家族だったが、うつになってからは、特にかすみが食事をつくることが減っていった。私は、自分ができることをと、できるだけ家事をするようにしたが、あまりうまくはいかなかった。


 夫婦共稼ぎで、家事も夫婦で分担しておこなっているという人にぜひ聞いてみたいと思うのだが、私の場合は家事をしても、どうしても「やってやった。」という思いが強く出てしまった。

「妻は、料理してあたりまえ。しかし、夫の自分は、わざわざ料理してやったのだ。」という気持ちが、知らず知らずに出てしまい、恩をきせたり、ありがたがることを、妻ばかりか娘にまで強要したりしていたと思う。私は、妻に代わって家事をしてはイライラし、家事をやめてはイライラするという悪循環にどんどんはまっていった。

 

かすみは、家の外では力をふりしぼって、仕事をし、ボランティアを続けていたが、そのうちまわりといろいろとトラブルを起すようになっていった。かすみが書いているように、そこには誤解やねたみもあったように思うが、私の目からするとやはりそこには病気が見えない影を落としていたように思うのだ。
 例えば、かすみは徐々に記憶力を低下させていた。そのことは、一つの問題に対して以前言ったことと違う主張をするといったことにつながっていったり、約束さえ覚えておらずまわりからは「約束さえ守らないマナーの悪い人」と見られるということにつながっていったりしていた。私も、何度かのけんかを経て初めて「なんだか変だな。」と気づくにいたった。


 かすみはまわりには自分から「うつ病なんだ。」と話し、理解を求めていたようだが、そのことがまわりからは甘えに映ったり、逆に「かすみさんが病気だからって、まわりがなんでもがまんしなけりゃならないわけ?」と私が直接言われたりしたこともあった。

そんなまわりと本人との板ばさみのつらさや、「これ以上頑張ってみたところで、まわりからますます悪く思われるだけだ」というあきらめもあり、私はかすみに頭を下げて、仕事を辞めてもらった。しかし、退職はかすみには本当に不本意だったらしく、退職させたことをその後長くうらまれた。

退職し、家事もせず、少しは調子が上向くかと思っていたが、かすみはますます病人になっていった。かすみがその時の心境を書いているので、私はかすみの心境はともかくそのころ見ていたままを書くが、かすみは仕事とボランティアという歯止めを失って、どんどん「おかしく」なっていった。

第一に、外にあまり出なくなりほとんどの時間を家ですごすようになった。

第二に、奇行が目立つようになっていった。

第三に、泣いたり怒ったり、精神的に不安定な様子を多く見せるようになった。

かすみも、そのころチャットにお世話になったと書いているが、家で目を覚ましているほとんどの時間パソコンに向かい、チャットをしていた。それも、なんとなくいかがわしいチャットやホームページを見ているのを、共用しているパソコンの履歴で知ってしまった。その行為は、どんどんエスカレートし、家族がいる時間帯でもそんなホームページを見たり、チャットをするようになっていった。時には、かすみの携帯に見知らぬ男から電話が入り、私の目の前でコソコソと話し出すようになっていった。私は、かすみの中で何かが崩れていくのを感じて、恐れおののいた。

 

仕事を辞めたころ、あるテレビ番組があった。子どものころに、虐待にあっていたり、十分に大人に甘えられなかった人に、もう一度おんぶをしたり、ごはんを食べさせたりして「育て直し」をするというものだった。

当時、私は子どもに接する仕事をしており、ちょうどその時期荒れていた子をもっていたこともあり、その番組にたいへん興味をもった。その荒れていた子も、虐待を受けて育っていたからだった。その番組のビデオを、私はある日かすみに見せた。その時、かすみは初めて「私も父に性的虐待を受けたんだ」と、私に告げた。

私はなぜか「性的虐待を受けていた」というそのことが、かすみという人間の生きづらさに根源的に影響を与えているように直感的に感じた。それから、虐待に関する本やホームページを探し回るようになった。

 

そのころ、かすみの不調に共鳴するかのように、夫である私も突如不調になり、心療内科にお世話になるようになった。詳しいいきさつは省略するが、かすみのことと、職場での荒れていた子の処遇をめぐる人間不信などが背景にあったものだったように思う。その時の私の主治医は、「病気を大切にする」というおもしろい方で、「あなたの抑うつは、あなたの人生に休息を与えてくれる大切なものなのですよ。」と解説してくれ、私は機会を得てそれまでの生き方についてあれこれ考えてみることもできた。そして、何よりも自分自身精神的に不調になることで、妻のつらさ、心細さ、消えてしまいそうな不安を自分のものとして知ることができたことは、何にも換えがたい経験だった。

 

かすみが退職した年の秋に、私はある被虐待児童に関わる研修を受講した。研修受講の直接的な動機は、職場での荒れている子の問題のヒントを得たいというものであったが、私はその研修で、性虐待の悲惨さ、恐ろしさ、むごさを、これでもかこれでもかと知らされたのだった。研修は二日間であったが、二日目の研修が終わるころには、私は身も心もフラフラで、愕然とするような思いで、やっとのことで家に帰り着いた。


 聖書の中に「汝、死の谷の陰を歩むとも。。」という一節がある。聖書の中では、「そのような恐ろしいところにいても、イエス・キリストが共にいますよ」という意味であるが、私が研修で知ったのは、性虐待を受けて生きるとは、まさに「闇の中一人で死の谷の陰を歩きつづける」に等しいことなのだということだった。


おっとのつぶやき2003-1

2010-09-14 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
以下は、kasumiこと、三千恵さんのブログのために、2003年に書いた文章です。kasumiの『虐待を生きて』の文章とは少し違っている部分がありますが、それは”性”を担当するいかれる”二千恵”人格が、私の文章に一部手を入れたためです。笑
それもふくめて、見比べると二千恵さんのひととなりがわかってよいと思います。
(”検閲”にひっかかったのは、2003-2の部分です。)

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私たちの結婚生活

 

 「汝、この者を妻とし、病める時も健やかなる時も、これを敬い、愛するか?」そんな問いに、自信をもって「はい」と答えて始まった、私たちの結婚生活だったが、料理はあまりつくらない、掃除はまったくしない、金銭管理はできない、しょっちゅう病気にはなるの、3拍子、4拍子で私は、結婚してすぐに自分の選択のあやまちに気がついた。

 

 私とかすみは、共通するボランティア活動を通して知り合った。第一印象はお互いに最悪で、私はきつい顔をしてまわりをしきっている彼女を、「うぇ~~、いやな女!あんなやつとつきあう男なんて絶対いないよな~」と見ていた。当時彼女は、ボランティアの場によく小さな小学三年生くらいの歳の離れた妹を連れてきていて、私は直に彼女が妹を引き取って育てている「感心な」女性であることに惹かれ始め、出会って何ヶ月目に結婚の約束をしちゃったのであった。彼女が「妹連れの、感心な、かわいそうなひとである」ということも、結婚を決めた要因の大きな一つであったと思う。私は、わりとそんな境遇には弱い性格で、自分のキャパもないくせに、「よ~し、おじょうさん、その荷物、あっしが一緒にかつぎましょう!」なんてすぐ思ってしまうおばかな人間だった。


 私の方の負い目もあった。私は当時ボランティアか仕事かわからないような待遇の非常勤嘱託の仕事をしていた。その仕事も実は「その仕事、あっしが、。。。。」と前の年にホイホイと引き受けていたのだが、結婚して生活できるだけの稼ぎをもらっていなかった。しかし、「妹連れで、感心な女性」が、そのろくな稼ぎもない男と結婚してもよいというのだから、私にとってかすみは、「妹連れで、感心で、貧乏もいとわない、類を見ない立派な女性」となった。

 そうして、妹、かすみ、私の三人の暮らしが始まった。

 

 しかし、実際はそんなに甘くはなかった。私は、うまくいかないこと、貧乏なこと、失敗することを、すべて「かすみのせい、妹のせい」と、思うようになった。特に、かすみの妹にはつらくあたった。子どもが好きだった私は、最初のころこそ、コロコロと遊びころげるよいお兄ちゃんであったが、共に暮らすとなるとやることなすこと全て気に食わなかった。


 今でも、大きな後悔の念と共に覚えている事件がある。

その夕、かすみは不在だった。私が夕食の準備をしようと家へ帰ってみると、妹が私が夕食の材料にしようと思っていた、焼きちくわとキャベツを、おやつ代わりに食べてしまっていた。私は猛烈に怒った。そして、近くのスーパーへ買いに行くよう妹を責めた。しかし、妹はがんとして反抗し、頭に血が上った私は、妹に何度もこぶしをあげた。

今、冷静に振り返ってみると、妹は冷蔵庫の焼きちくわやキャベツさえも食べてしまうほど、おやつもなく、ひもじかったのだと思う。しかし、うわべだけやさしく思いやりがあるように見せるが、本当はそんなものはもっていなかった私には、まったくそのような妹のひもじさにさえ、考えおよばなかったのだ。

そんなふうにこぶしをあげて、妹にけがをさせてしまったことも数回ある。
 しかし、それでも私は「自分がそんなふうにみにくい自分になってしまうのは、妹がいるせいだ」と、そこでも妹を恨んでいた。「逆恨み」ということばがあるが、まさに自分勝手な理論で妹を逆恨みしていたのだ。

私は、妹にした体罰や虐待を、取り繕おうとは思わない。あのことは、まさに虐待であったし、妹に非があるものではなく、大人である私が犯した大罪であることを、妹と神の前にざんげしたい。

 

かすみともよく殴り合いのけんかをした。私も短気なら、かすみも妹も、勝気でまったく引くということがないのだから、いつもぶつかっていた。

その当時のことを思い出すと、時がさかのぼれないということ、巻き戻せないということに愕然とさせられる。

けんかをして初めて手を上げたときにかすみが言った、「あんたも、くそおやじと同じだ!」という悲鳴を私はその後ずっと忘れることができずにいたが、その悲鳴のもつ闇の深さに私はまだ気づいてはいなかった。


 

かすみも、私も、家の外ではとてもよく働き、活動する人種だったが、お互い家の中は苦手だった。今であれば、夫婦共稼ぎであれば家事も分担が当たり前になってきているのだろうが、20年前の私の頭脳はそのようにはなっていず、「なぜ、結婚したのに、家計やら家事やらに頭をわずらわせなけりゃならないんだ!」と常に思っていた。

かすみは、けんかする以外の時は、私にはとてもやさしくしてくれた。しかし、何かと外でトラブルをよく起していた。言い方がとてもきつく、特に相手の弱点や失敗をつくときには、容赦なく心臓をえぐるような言い方をよくしていた。かすみに言わせると、「私だって、同じように傷ついてきた!」というが、まわりから遠まわしに「かすみさんがいかにまわりの人を傷つけているか」を聞かせられる立場になる私は、徐々に「また、トラブルを起しているのではないか」という疑心暗鬼の目でかすみを見るようになっていったと思う。


 

義理の兄と一緒の生活で、妹は中学、高校と、いろいろなことをしでかしてくれた。

今思うと、私は「しつけ重視」というお題目を掲げて、妹の行動を監視し、鉄槌をくだしていた。後年、子どもと接する仕事をするようになってから、「しつけ」という「押しつけ」に、疑問をもつようになったのは、その時の自分を振り返るからだと思う。


 高校二年の修学旅行の時、宿でタバコを所持していたということで学校から実父に連絡が入り、かすみ、妹の父が遠くの街からすっ飛んでくるということが起きた。その時、父から「おまえたちにあずけたから、こうなった。」と言われ、出迎えの駅で学校関係者、父母が居並ぶ中でとっくみあいのけんかをしそうになった。
 どういう理由だったか忘れたが、たまたまかすみは駅に来ておらず、その出来事を伝えると、「あんなおやじでごめんね、ごめんね。」としきりにあやまっていたが、最後にポソッと、「だけど、あのおやじのこと、全部知ったらあんたは許せなくなると思う。。。」と、つぶやいた。
 その時、私の頭の隅に、ある小さな想像が芽生えた。


インナーチャイルド(連れ合いの場合)

2010-09-13 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法  ジョン ブラッドショー    日本放送出版協会

インナーチャイルドという考え方がある。
現在の大人の自分の中に、小さいころの自分の心があるというのだ。
心理学等専門家の中では意見が分かれるようだが、私は私自身の体験、それと40歳代からうつとなり長く引きこもりながら、インナーチャイルド療法で快復した連れ合いを見ていて、これは本当だ、と思っている。

連れ合いの場合は、全国的に有名な森田ゆりさんのセラピーを受けていたのだが、快復期時々(あ!これは本人ではなく、インナーチャイルドが言わせているのだな)と感じる会話が何度か出てきた。
いわく、「くそおやじには、(郵便を)送りたくないの!」、娘に誕生日プレゼントを買ったら、「つまんない!つまんない!あ~つまんない!」。連れ合いは実父の「くそおやじ」に長い間性虐待を受けていたから、「くそおやじ」発言の時には声までいつもの時の声とは違っていた。
連れ合いはそんな時期を過ごしながら徐々に快復していった。それはまるでインナーチャイルドと実在の連れ合いとの混沌としたぐちゃぐちゃな関係に終止符が打たれ、両者が徐々に秩序を持ち始めたそんな感じだった。


私たちは、何気ない日常のくせや子育ての時に、いかに親や育て主からの影響が強いか思い知らされる。力でねじ伏せられて育った人間は、いつもは(自分のような思いは子どもたちにはさせまい!)と誓っているのに、カッとするとつい同じようにしてしまう。
自分の育て主をモデルにしていることも一因なのだが、自分の中の子ども『インナーチャイルド』が、自分の育てようとしている子どもにやきもちをやいて、カッとさせている面も非常に大きい。

この本の著者は、修道院にいたりあちこちの大学で教えたりしながらも、アルコール依存になったり、薬物依存から抜けられなかった自分自身の経験を交えながら、『インナーチャイルド』のことをわかりやすく説明してくれている。
ただ、挿絵イラストが、アメリカ風なのかちょっとアニメっぽくて、シリアスな内容にそぐわないように日本人の私としては思う。
自分の人生のくせ、習慣にほとほとあきれてしまっている人にお薦めの一冊。