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函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

どんどんクリスタルになっていく三千恵さん

2010-10-25 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
kasumi&ミチエさんのブログに、三千恵さん自身も書いているが、三千恵さん、最近どんどん進化し、トランスフォームしているように感じる。

作詞なんかもして、歌を作っているのも、彼女にいい影響を与えているようにも思う。
そして、なんと言っても、高校娘のまー☆さんが、ボランティアの賞をもらったり活躍してくれ、さらに三千恵さんに喜びを与えてくれている。

 あぁ、家族っていいなあと、思える昨今。
 こんな感覚、しばらくぶり。

 ケアテイカー、まー☆さん、ただのケアテイカーではなかったね、やっぱり。

 あ!字、間違ってました。
孝行娘でした。あ、別に間違ってはいないんだけど、意味違った。。。笑

三千恵さんに、多重人格を疑ったワケ

2010-10-24 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 このカテゴリーの前回に、ちょっとショッキングな三千恵さんの副人格の行動を主・人格の三千恵さんが娘を通して聞いた顛末が書かれた三千恵さんのブログのことを紹介した。

 そもそも、娘と三千恵さんのオットである私が、なぜ三千恵さんが多重人格ではないかと思ったのかについてお話ししよう。

 最初、幼少期の性虐待のトラウマについて、兵庫の森田ゆりさんのところに出かけて、セラピーを受けていたのだが、その過程で明らかに普段の三千恵さんとは違った人格が出てきているのに、気づいた。
 森田ゆりさんのセラピーは、『インナーチャイルド療法』という、自分の心の中にいる、幼き日の苦しい経験を背負った子・インナーチャイルドと、催眠療法の中で出会い、和解するという手法である。
 なぜ、”和解”が必要なのかというと、大概の場合、性虐待や虐待を受けてきた自分に対して否定的な感情を持っている場合が多いからだ。
 虐げられ、誰にも言えず、無力な立場だった自分に、否定的な感情をもつのは当然なのであるが、それはあくまで他者にそのような立場にたたされたというだけであって、幼かった自分の責任ではない、そのことに気づき、幼き日の小さな苦しい体験を背負ってきた自分を抱きしめ、和解する必要があるのだ。

 そのころ出てきた人格については、『オットのつぶやき 2003』に詳しいが、三千恵さんに性虐待をしていた実父の話題を出したときに、子どものような甲高い声で「クソオヤジには手紙出したくないって言ってるでしょ。」と言ったのを覚えている。

 それから、しばらくして、やたら約束したことを忘れているのに気づいた。
また、自分でしていた行為を「そんなことはしていない!やっていない!」と自分のやったことにも気づいていない様子も多くなり、ちょっと混乱した状態が見られるようになった。
 
 いつからか、娘も私も、そんな三千恵さんと付き合うには、現状を認め、「約束しても、約束していない人もいるんだ。」と理解した方がうまくいくことに気づいた。
 本人は、こちらがこそこそと「また『聞いていない』って言う人が出てきた。今は別の人だ。」とか父子で話すので少し嫌がったり、怒ったりもしていたが、いつの間にか、本人も「そう言えば寝るときはいつも声がまわっているんだ。」とか、自覚するようになっていった。

 以前にも書いたが、三千恵さんの多重人格は経済活動にもいろいろな影響を与えていて、人格さんがそれぞれに勝手にお金を使ってしまったりすることもあったようで、「いつの間にかおサイフからお金がなくなっているから、キャッシュカードから降ろさないようにしているんだ。」など、本人なりに自衛をするようにもなっていた。

 そんなことで、三千恵さんと会話したり、約束したりする場合は、「三千恵さんは”多重人格”」と思って対応したほうが、うまくいくし、消耗しないんだなあと、家族で理解して接している。


    けど、二千恵さんには相変わらず煽られ、ボロクソに扱われるから、苦手に思っている。(笑)

三千恵さんも知らなかった副人格二千恵さんの暴力

2010-10-21 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
三千恵さん&kasumiさんのブログ『虐待を生きて』の今日の記事。
母、はじめて現実を知った日

主・人格である三千恵さんも知らなかった、性と力を支配する副人格の二千恵さんの過去の行動を、娘のまー☆さんに、尋ねたことが書かれている。
私は娘のまーさんから聞いて知っていただけに、「やっぱり三千恵さんは知らなかったんだ。。。」と、ちょっと切なくも気の毒に思う。私も二千恵さんには、何度も嫌な目に合わされてきたけど、三千恵さんを実父の性虐待から解離させて守り、性虐待の事実をかかえて生きてきたのが、二千恵さんなのだから、本当に正義と悪を併せもつ性質をもった人格なのだと思う。
二千恵さんの存在なしでは、たぶん三千恵さんはもっとだいぶ前に死んでいたことだろう。
三千恵さんをここまで生き長らえさせてくれたのが、二千恵さんだと思う。
いまわしい性虐待にさえ遭わなければ、出現しなかっただろう哀しい存在。二千恵さん。

「母、はじめて現実を知った日」
 http://abusechildkasum.blog.shinobi.jp/Entry/733/

みなさん、ぜひ読んでください。

そして、あなたのとなりにも、もしかしたらいるかもしれない、自分でも「なにかおかしい」と思いながら、自分でも理由がわからないでいる、同じように人に言えず悩んでいる人に、気づいてほしい。

四千恵さん、ごめんよ。-副人格の四千恵さん

2010-10-12 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 前回のこのカテゴリーで、『多重人格の三千恵さんとお金の問題』という記事を投稿した。
 投稿する時、いつも揺れ動く。
 読む人が読めば、私生活の暴露、恥の暴露のように見られるかもしれない。
 それに、三千恵さんは基本「あなたの判断でよいよ。事前に見せられても困るから見せなくていいよ。」と言ってくれているので、私の思い、私の判断で書いている。

 目的は、同じような境遇で育ってきた人が見て、「あぁ、わたしみたい」と思って、「こんな生き方でもいいんだな。。」って思ってもらいたいということ。


 でも、今回の記事では、副人格の四千恵さんがずいぶん落ち込んだそうだ。

 三千恵さん曰く、「四千恵は、いじめに向き合ったり、いろいろなものに立ち向かったりするしっかり者。だから、「そんなことしていたんだ。。。」って、哀しくなったんだって。

 虐待を受けて生きるとは、哀しいこと。
 
 それが自分の責任ではないのに、結果のみが自分のもとに届けられる。

 四千恵さん、あなたのせいではないのに。
 四千恵さん、いやなことをみんなにしらせてしまってごめんね。
 四千恵さん、あなたがいつもがんばっているのは知っているよ。

 四千恵さん、あなたのせいではないから。
 もう落ち込まないでね。

 知らせることと、身内を守ること、バランスがむずかしいです。

多重人格の三千恵さんとお金の問題

2010-10-11 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 虐待や不適切な育ちを経験してきた人には必ずついてまわるお金の問題。
 三千恵さんにも、やっぱりついてまわった。

 今、結婚25年だが、結婚間もなくから、家庭の金銭管理は私が担当してきた。
 新婚旅行の途中、突然、「もうお金ないよ。」と言われて仰天。
 その前に、「あと○○円くらいしかないからね。節約しようね。」とかの話はまったくなく、突然「もうお金ない。」と言われたのに驚き、それ以来私が担当していた。

 書くと、愚痴みたいに聞こえそうで、躊躇してしまうが、「サイフに合わせて生活する」ということがなかなかできず、「金がなくとも、ボランティア!」みたいな、仙人みたいなところがある。
 三千恵さんから、「ken!あんただってでしょ。」という声が飛んできそうだが、本当に私もそんなとこ、金への依存欲求があるものだから、よけいに困る。

 手話通訳を地域を引っ張ってやっていたころには、金がないのに、全国の研究集会に「行かねばならぬ!」と年に二回は出ていた。
 その後も、うつ病になった、セラピーが必要だと、年に数回兵庫県の森田ゆりさんのところまで通った。それは、「行っておいで。」と最初やさしい言葉をかけたのは、誰でもなく私なのだが、あとで首がまわらなくなってくると、金使いの荒い彼女を恨んだ。
 年に数回、うつ病で「苦しくなるから旅行してくる。」と長崎や大阪に出かけた。
 借金はふくらんだが、私も「生きるための借金だ。仕方がない。」とか軽く考えていた。

 単身赴任する時に、クレジットカードがないと困るだろうと、身近に使えるクレジットカードのファミリーカードを作って渡したのが、それがあだになり数ヶ月でたいへんな金額になってしまった。

 なんとかやりくりしていたが、単身赴任から約1年後、弁護士を訪れ個人再生という法的整理をしてもらうに至った。

 個人再生をしたのは、夫である私だが三千恵さんもこれには相当懲りたようで、それ以降はあまり「お金ない~~」と電話をかけてこなくなった。

 多重人格が顕著になったのは、性虐待のセラピーをした8年ほど前からなのだが、昨年、話していたら、「おサイフにお金入れておくと、誰か他の人格さんがつかっちゃって、記憶ないうちにお金が減ってる。だから、あまりおサイフにお金入れないようにしているんだ。」と言っていた。

 本人なりに、それほど気をつけているのに、その後もやはり金銭管理は苦手だったようだ。
 今年の6月ころ娘のまー☆さんから電話があり、「来月から生活費は、まーに送って。」と言う。
かーさんはなっとくしているのかと尋ねると、「大丈夫。念書書かせたから。」とのこと。
???と思ったが、詳細を聞き納得。

その日の夜、給料日を半月も残してお金がなくなった三千恵さん、途方にくれてシクシク泣き始め、そのうち人格も変わってきた。「もういやだ。死にたい。」とかいう母をなだめながら、話を聞いていた娘のまー☆さん、「じゃあ、今度から、まーがお金の管理してあげる。」というと、うんうんという。娘のまー☆さん、(今は、一千恵が出てるから、あとで三千恵に変わった時に、「そんなこと言っていない」と言い出すだろう。)と思い、念書を書かせたのだそう。

すべての話を聞き終え、娘の手際のよさに感嘆!!
まさに、『理解することで共生できる』んだなあと思った。

次の給料日、間違って生活費を三千恵さんに振り込んだら、まー☆さんが「とーちゃんに裏切られたかと思った!」と憮然としていた。その後は、三千恵さんにもこづかいと生活費少し、まー☆さんにはほとんどの生活費とこづかいを送っている。
父と母の経済困窮を見て育った娘のまー☆さん、なかなかサイフの紐をしっかりにぎっているようだ。


今でも、金にならないことに一生懸命で、料理なんかも気が向いたときくらいしか作らない三千恵さんだが、今はその生き方には不満はない。

いいんんじゃないの。三千恵さんはスペシャルな仙人なんだから。笑


 

”ミチエさんが歌をつくったよ”と、娘のなみだ

2010-10-10 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 バンド?を組んで、歌とミュージックサインを発表している三千恵さん。
 最近は、昔やっていたキーボードやピアノに再び取り組み、最近では近くの大学にヒマさえあれば出かけて練習していた。

 先日、三千恵さんの『虐待を生きて』のブログに、自分の思い、自分に虐待を与えた父母への思いを語った詩を載せていた。

 数日後、夜寝ていたら、娘の”まー☆さん”から泣きながら電話があった。

 すわ、また、副人格の二千恵でも出てきて、泣かされたのかと思ったら、そうではないらしい。「はげ!なんで電話にでないの!泣きやんだでしょ!」と怒る。
私「なんで、泣きやんだの。」
まー「違うでしょ。”なんで泣いたの?”でしょ。聞きなさい。三千恵、ほれ!」と三千恵さんに代わる。

三千恵さんが、ゆっくりピアノを弾き始める。
静かな前奏のあと、三千恵さんの歌声が聞こえてきた。
私は、半分寝ながら、いい心持ちで聞いていたが、曲が終わるころには、左目から涙があふれ、まくらをぬらした。

三千恵さんの母親は、数年前に亡くなっているが、葬儀には私が家を代表して参列した。
けれど、歌には、性虐待をした父に、ネグレクトや心理的虐待をした母に、「パパ」「ママ」と何度も呼びかけていた。
パパとママが、本当は大好きなんだなあと、三千恵さんのその思いが切なくて、泣けた。


娘も、大泣きしていた。
娘は、「人のために生きるって意味がわかったよ。まー☆は、生まれる前、神様のところにいる時に、ミチエさんのところに行って、”あの人の生きがいになりなさい”って言われたんだあ。
だから、死にたいって思った時にも、”死んだらダメだよ”って、死ねないようにされたんだわあ。”ミチエさん、いっぱいがんばってきたから、助けてあげなさい”って言われたんだ。」と泣いていた。

三千恵さん、つぎつぎと、思いを積み重ねて、昇華していて、すごいね。
まー☆さん、三千恵さんと私のところに生まれてきてくれてありがとう。

詩は、『虐待を生きて』に、”生まれて”と題して掲載されています。
彼女のことだから、そのうちYouTubeで、伴奏つきの歌もアップになることでしょう。
歌は、彼女の好きな、う~みさん調でも、谷山浩子調でもあって、伴奏もすてきでした。

三千恵さん、趣味の”夜逃げ”ヘルパー

2010-10-05 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 ある時、三千恵さんから「リコンして、元の夫の家に荷物を取りに行く女の人がいるから、手伝って。」と頼まれた。
 まだ今みたいに夫婦関係も”改善”される前だったから、そんな彼女を「自分だってどうなるかわからないのに、よく他人のリコンにまで首をつっこむよな~~。。。」などと冷ややかに見つめていた。
 私としては他人のゴタゴタに巻き込まれたくはなかったが、「もし、元おっとと鉢合わせした時に、男性がいてくれるだけで心強いから。」とか言われて、渋々付いていって、荷物を運ぶのを手伝った。落ち着き払った三千恵さんよりも、明らかに私の方がドキドキしていた。

 手伝いながら、以前にも、三千恵さんがDVで別れる女性の引越しを手伝いに、勇んで出かけたのを思い出し、いろいろと考えをめぐらした。
 ”考えをめぐらす”のは、虐待の本を読み出してから、以前に増して増えていて、それはもはや”くせ”とも、”趣味”とも言えるものになっているかもしれない。
 しかし、考えもただ”考える”だけではなく、他の現象との関連など、”考えをめぐらして”みると、ときとしていろいろなことが見えてくることがある。

 荷物の運び出しが無事終わり、車に乗り込んできた三千恵さんに、「以前にも”夜逃げ”の手伝いをしたことがあるよねえ。」と切り出した。
三千恵さん、「うん、だいぶ前でしょ。●●さんね。」と応ずる。
「オレ、思ったんだけど、これって、三千恵さんの過去の、『専門学校時代に家に帰ったら、二番目の”お母さん”が、たんすの引き出しだけ持って逃げていた。』っていう、トラウマの再現行動になってるんだと思うよ。」と言うと、
三千恵さん、目を輝かせて、「そうか。そうなんだ!自分でもなんでこんなに気になるのかな~って思ったんだ。」とめずらしく私の説に同意してくれた。

 かように、一度トラウマ体験をすると、その時のショックを和らげるために、なんども同様の体験にこだわり、ときとして呼び寄せてしまうことがあるのです。
 三千恵さんの父親は2度リコンして、3度同居しているが、三千恵さんは、リコンだけはまだ再現行動に出ていない。今のところ。笑
いや、それも再現行動に出ていたのかも。ワシ、にぶいから意図に気づかなかっただけかも。。。笑
 悪妻をもったソクラテスが、「悪妻は夫を哲学者にする」と言ったのは、悪妻はトラウマをかかえていて、それに”考えをめぐらす”からなのかもしれないね。笑

”うらやましいオバケ”-多重人格三千恵さんの母

2010-10-03 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
 精神障がい者支援のメッカ、北海道浦河町にあるべてるの家を側面から支える浦河赤十字病院精神科の川村ドクターに会いにでかけた時、「連れ合いが、実父から性虐待を受けていたのです。」と伝えると、「奥さん(ミチエさん)のお母さんも、フツウの人ではないでしょう?」と言われた。
それで、「はい。でも、なぜわかるのですか?」と聞いたところ、「おうおうにして機能不全な家庭では、夫婦どちらにも不健全性があるものなのです。」と言われ、納得した。


 私からすれば妻の母、義理の母であるその方は、ちょっと変わっていた。
 
 以下は三千恵さんからの話。

 ある時暴力全開の夫婦げんかの末、家の外に追い出された母親を気の毒に思った三千恵さんが、父親に見つからないように家の中に入れてあげた。
 そんな時、フツウなら家にいることを見つかったら娘にも迷惑がかかるのだから、ちょっと音をたてないようにしたり、陰でしばらくは静かにしているだろうと思うのだが、その母親は違った。居間に行き、本棚をガサゴソ。結果的に、父親に見つかりまた外に出され、家に入れた三千恵さんも父親からの暴力を受ける羽目に。

 小学校低学年のころ住んでいた町から1時間ほどの中核都市へ、時々三千恵さんと母親は出かけた。
 その町へ出かけると、行動はそれぞれ。
 「帰りはバスで帰るから、バス停で待っていて。」というので、バス停で待っていると、母親はまったく来ず、日も暮れて家に電話を入れると、すでに母親は家にいて、「『列車で帰るから駅で待って』と言ったでしょ。」とのこと。三千恵さんも、(自分の聞き違いかな?)と思っていたものの、それ以降も同様のことが数回。しまいには、バスの運転手さんのおなじみの存在になり、運転手さんが気の毒に思ってお金持っていないのに乗せてもらったそう。


 三千恵さんと私が結婚して、その母親からは孫にあたる、まー☆さんを見せに、私とまー☆で、母親の再婚相手のところに、年に何度か顔を出した。
 そのころには、すでに三千恵さんは、母親のすることにがまんがならなくなっていて、顔を出さなくなっていた。
 母親は、三千恵の夫である私に、「三千恵は、昔から色が黒くて。」とか「いつも暗い顔をしていて。」と、三千恵さんの短所ばかりを次々あげる。
 私は、聞いていられなくなって、「今は、函館のろうあ者に頼りにされていて、みんなによろこばれていますよ。」と、あえて、よいことを伝えてみた。すると、母親はとたんに不機嫌になり、「そうかねえ。。。」と、なにか不足を探したい様子だった。母親なら娘の活躍を知ったらどんなによろこぶかと思っていた私はなにか不思議な違和感を感じた。


 そのミチエさんの母親も機能不全の家庭に育ったようだったが、自分の不幸を呪い、いつもまわりをうらやみ、そのまわりの欠点・不足を見出すことをわずかな自分の生きる糧にしていたような人だった。

 子ども乱用をする親は、子どもに自分よりもしあわせになることを望まないというが、たしかにあの女性はそうだった。


 そんな中、三千恵さんは、母親からのネグレクト・心理的虐待、父親からの身体的虐待・ネグレクト・性虐待・心理的虐待に遭い、多重人格となったけれど、まわりに愛を届ける人になっている。
 三千恵さんは、その母親のようにまわりをうらやましがることなく、自分の手でいろいろなものを築いてきた。


 仕事をしている私以上に、毎日、お金にはならないことだけれど、まわりのためにがんばっている。

 三千恵さん、それでいいよ。
 ずいぶん、登ってきたね。
がんばれ。三千恵さん。
 

kasumiさんにとっての西澤さんの虐待のお話

2010-09-30 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん

 先日の休日にわが連れ合い、多重人格のkasumiさんと電話で話していたら、「網走探信読んでたら泣けてきた。」というので、ちょっと書き過ぎたかな~と思い、「ごめんごめん。いやなら削除するわ。」と言ったら、「そうではないの。多重人格の中の誰かが、(わかってくれてありがとう!)って、思ったみたい。」と言う。
「西澤哲さんの講演の内容も、『ハイ!わたしのことです!』っていう感じだし、なんかホッとしたんだ。」と言う。

 虐待を受けて生きるという生き難さは、なかなかわかってもらえない。
 それを、西澤哲さんの話は理論的に説明してくれる。
 2002年に初めて西澤哲さんの講演を聴いた時には、西澤哲さんの『子どものトラウマ』の本を、養護施設の子どもたちも読んで自分の問題を理解しようとするのだ、ということを話しておられた。

 西澤哲さんの話は、虐待を受けた子どもたちに関わる大人たちだけではなく、虐待を受けてきた、生きにくさをかかえた大人たちや子どもたちにも、自分の理解を広げてくれる。


三千恵さんの多重人格さんの本当の名前は?

2010-09-27 | 性虐待を生き抜く連れ合いさん
エリアナ・ギルの『虐待を受けた子どものプレイセラピー』(西澤哲先生訳)を半年くらい行きつ戻りつしながら、読んでいる。
その中に、シャーリーンという重篤な性虐待(性虐待と売春強要)を受けた女の子のケースがでてくる。
その子は、
      その行為を受け入れる、ジョシー
      悪い人間をこらしめる、力を誇示するチャックという男の子
      無力感でいっぱいで瀕死の、マーシャ
      性虐待した父を殺そうと待ち構える怒れる、リンダ
    という4人の副人格をもっている。

    ケースを見ていて、三千恵さんの場合と同じように、無力で虚無的な存在と、力を誇示する男性としての存在があることに、いまさらながら納得した。

一方、本のケースのように本来、副人格さんは、どのように呼んでほしいかという”名前”をもっている場合が多いのかなあと思った。



うちの、三千恵さんの場合は、三千恵さんもブログで語っているように、7年くらい前から顕著になってきたこともあり、オットである私と、娘のまー☆さんが、なんとなく会話の中で、二千恵とか四千恵とか呼びはじめてしまって、それが定着してしまった。

このカテゴリーを進める中で、「ご本人たちが、”あんな二千恵とか四千恵とか呼ばれるのは、ダサくてやだな~”とか、思っていないだろうか。」と突然不安に襲われたので、三千恵さんに聞いてみることにした。
三千恵さん曰く、「ん~~? とくにいやだとは思っていないみたい。」とのことで、一安心。




 ひるがえって、赤城高原ホスピタルの、『解離性同一性障害、100人の証言』に出てくる多重人格さんの中には、
・主-人格、雪子に対し、副人格 幼いゆきちゃん、ゆいちゃん、ユカッチ (”ゆ”で、韻をふんでいる)
・主-人格、裕美子に対し、副人格 幼いユミちゃん、大人のユーミン(”ゆ”で、韻をふんでいる)
と、韻をふんでいるものが何例かあります(仮名だと思いますが)。

 上記の2例はいずれも患者の母親からの報告でもあるので、我が家のように、家族が人格交代している様子を、便宜上、本名の韻を踏んだ形で通称として用いていて、それが副人格さんにも定着するということもあるのかもしれません。

赤城高原ホスピタルは、「解離性同一性障害なんて。」と否定的な精神科医が多い中で、この問題に真っ向取り組んでいる病院で、不適切な育ちをしてきた者にとっては、駆け込み寺的な病院です。

 赤城高原ホスピタル
 『解離性同一性障害、100人の証言』
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/did100.htm#人格交代、スイッチング
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