エリアナ・ギルの『虐待を受けた子どものプレイセラピー』(西澤哲先生訳)を半年くらい行きつ戻りつしながら、読んでいる。
その中に、シャーリーンという重篤な性虐待(性虐待と売春強要)を受けた女の子のケースがでてくる。
その子は、
その行為を受け入れる、ジョシー
悪い人間をこらしめる、力を誇示するチャックという男の子
無力感でいっぱいで瀕死の、マーシャ
性虐待した父を殺そうと待ち構える怒れる、リンダ
という4人の副人格をもっている。
ケースを見ていて、三千恵さんの場合と同じように、無力で虚無的な存在と、力を誇示する男性としての存在があることに、いまさらながら納得した。
一方、本のケースのように本来、副人格さんは、どのように呼んでほしいかという”名前”をもっている場合が多いのかなあと思った。
うちの、三千恵さんの場合は、三千恵さんもブログで語っているように、7年くらい前から顕著になってきたこともあり、オットである私と、娘のまー☆さんが、なんとなく会話の中で、二千恵とか四千恵とか呼びはじめてしまって、それが定着してしまった。
このカテゴリーを進める中で、「ご本人たちが、”あんな二千恵とか四千恵とか呼ばれるのは、ダサくてやだな~”とか、思っていないだろうか。」と突然不安に襲われたので、三千恵さんに聞いてみることにした。
三千恵さん曰く、「ん~~? とくにいやだとは思っていないみたい。」とのことで、一安心。
ひるがえって、赤城高原ホスピタルの、『解離性同一性障害、100人の証言』に出てくる多重人格さんの中には、
・主-人格、雪子に対し、副人格 幼いゆきちゃん、ゆいちゃん、ユカッチ (”ゆ”で、韻をふんでいる)
・主-人格、裕美子に対し、副人格 幼いユミちゃん、大人のユーミン(”ゆ”で、韻をふんでいる)
と、韻をふんでいるものが何例かあります(仮名だと思いますが)。
上記の2例はいずれも患者の母親からの報告でもあるので、我が家のように、家族が人格交代している様子を、便宜上、本名の韻を踏んだ形で通称として用いていて、それが副人格さんにも定着するということもあるのかもしれません。
赤城高原ホスピタルは、「解離性同一性障害なんて。」と否定的な精神科医が多い中で、この問題に真っ向取り組んでいる病院で、不適切な育ちをしてきた者にとっては、駆け込み寺的な病院です。
赤城高原ホスピタル
『解離性同一性障害、100人の証言』
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/did100.htm#人格交代、スイッチング
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