戦争が招く悲劇のひとつに食糧難がある。今でもシリアでは内紛で670万人もの人が食糧危機に曝されているという。同じような現実が戦中戦後の日本にもあった。
いま日本は贅沢なまでの飽食時代だが、自給自足で賄いきれない国情を忘れて、のほほんとしているととんでもないことになるかもしれない。
日本の食料自給率は、農林水産省によると、2017年度カロリーベースで38%。自給率が40%を下回るのは8年連続で、過去2番目の低い水準が続いているという。国は2025年度までに自給率を45%に上げることを目標にしているが、達成にはまだ程遠い状況のようである。
さて、戦中戦後の食糧事情について、ゲストの芳村真理さん(83歳)や食糧事情研究家などのお話し、番組への投稿内容から明らかにされていくが、私も戦後間もなくの食糧体験を話してみたいと思う。
昭和19年8月生まれの私は終戦時ちょうど1歳で、終戦直後のことはあまり記憶にないが、少々のことは私の胃袋が記憶している。
すいとん、さつまいも、麦飯は当たり前で、田圃のツボ(タニシ)やザリガニを茹で上げてよく食べた。また、バッタの佃煮や蜂の子も食べたし、川で獲ったフナを焼いて俵にさし、干したものをフナ味噌にしたり、ドジョウやウナギもすぐそばの川でよく獲れた。ウナギがたくさん獲れたときは、うなぎ屋さんに買い取ってもらって小遣いを稼いだものだ。
魚類は骨ごと食べていたのでカルシウムは十分、兄弟5人いたが全員歯は丈夫だったし、私自身も骨太で家業の糸染業のリヤカーに、重い糸の束を積んで自転車を漕いでいたおかげで足腰が強かった。小学校6年の秋、神社の秋祭りで第1回角力(相撲)大会があり、5人抜きで優勝した。ピンク色の優勝旗は虫食っているが、賞品は大きな冬瓜1個で家族でいただいた記憶がある。
とにかく昭和20年代は食べるのにやっとという人も多かったことは確かで、ルンペンといって乞食も多かったし、傷痍軍人さんの社会鍋の姿も記憶している。
何年か前の小学校同窓会で、「あいつはものすごく貧乏でひどかった」「給食費も払えない」などという話も聞かれたが、そういうみんな今は丈夫で元気にやっている。当時は食べたくても食べるものを買えないという時代でもあった。
ゲスト出演していた完熟フレッシュのレイラちゃん(中2)も感想を求められて、食べ物の大切さ有難さを実感したようで神妙な顔つきをしていた。飽食の時代にどっぷり浸かってしまった現代の日本人は、もしも食糧危機に曝されたらあの戦中戦後のような食糧不足には耐えられず、餓死していくしかないのかもしれない。
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