ハチの家文学館

ハチの家写真館(http://hachinoie.exblog.jp/)の文芸版

小林麻央さん逝く

2017年06月24日 05時00分00秒 | ハチパパのひとり言

がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが、22日夜亡くなったとの報道を昨日テレビで知った。34歳の若さだった。

夫の市川海老蔵は会見で、自宅療養中だった麻央さんの容態が急変し、海老蔵や姉の麻耶、長女の麗禾ちゃん、長男の勸玄くんら家族に見守られる中、息を引き取ったという。

麻央さんの最後の言葉は『愛してる』だったそうで、最後の最後まで愛していてくれたことに…なんともいえませんね」と明かした。

昨年6月、麻央さんが乳がんであることを公表、入退院を繰り返しながら、子どもたちの成長、海老蔵の支えなどでがんと闘ってきた。夫の海老蔵さん(39)のコメントを聞いていて、45年前の6月27歳の妻を、原発性肝臓がんで亡くした自分とダブる。同じ境遇を体験した者として、涙が出てとまらない。

治ると信じつつも最愛の妻、幼き子の母を失うことの恐ろしさが、海老蔵さんの脳裏から離れなかったことであろう。歌舞伎役者としての責任を全うしなければいけない環境にあって、妻と幼い子供のために時間を割くことは大変だったと思う。

私の場合は、二男が生まれてすぐに国立横浜病院でがんと判明、余命1ケ月と診断されて、主治医からは病院にいてもなにも出来ないから、自宅で思いきり見てあげなさいと言われた。

諦めきれずに当時勤務していた日本橋の銀行支店隣の丸善書店で、毎日のようにがん治療に関する書物を読み漁り、丸山ワクチンを知って投与を続けた結果、余命1ケ月のいのちが4ケ月に延びた。いまでも丸山ワクチンは延命効果があったと信じている。

職場では支店長が、着任直後にもかかわらず、営業から総務へ配転して下さり、しかも夕方4時半には退社していいと周囲も気遣ってくれた。

毎朝車で病院に行き、手作りの「小松菜と林檎と蜂蜜のジュース」を妻に届け、バスで戸塚駅、横須賀線で新橋下車、烏森口の吉野家の牛丼を朝食とし、地下鉄銀座線で日本橋に通った。帰りは東京駅まで歩き、幕ノ内弁当を買って横須賀線内で夕食、戸塚駅からバスで病院に立ち寄り帰宅するという生活を4ケ月行った。

この間、3歳の長男は東横線大倉山の妻の実家に預け、生まれたばかりの二男は横浜山手の聖母愛児園に預けていたので、息子たちとの面会もこなしていた。いまでもその時の必死の思いと行動は忘れない。

亡くなった翌月、定期人事異動で郷里浜松に転勤させてもらった。以来再婚するまで、20年もの間息子をみてもらった母には心から感謝している。

家族を失うことの悲しみ苦しみは二度と味わいたくない。今でも毎朝家族の安心安全をみ仏に祈るばかりである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿