ハチの家文学館

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月夜

2016年11月16日 17時21分19秒 | 慈しみと悲しみと

        福岡県前原市 大悲王院 雪の夜 月明かりに浮かぶ本堂

68年ぶりという超接近スーパームーンは、曇りで見られなかったが、昨夜の月は満々としてすばらしかった。

秋の夜の月は、白っぽくて寂しい感じがするが、眼(まなこ)より心の奥底まできれいにしてくれる気がする。

月夜と言えば、12年前にカミサンとハチと全国行脚したときの、福岡県前原市の大悲王院の月夜が忘れられない。

4メートル63もある本尊の十一面観音菩薩立像が、月明かりのような青白い光に照らされて神秘的でもあった。

月影の至らぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞ澄む 法然

浄土宗の宗歌と尊んでいるお歌で、"光明遍照十万世界念仏衆生摂取不捨の心を"という前書きがついている。

月影の至らぬ里はない、光明は普(あまね)く照らす。生きとし生けるものをあまねく、ことごとく、すべてに平等にくまなく照らしてくださるという。                                                 

光明は眺むる人の心にぞ澄む。眺むることが決め手である。眺めない人にはこの月影の恵みの存在がわからない。しかし、わからないからといって、気づかないからといって、月影が月の光がその人に当たっていないということではない。

眺める人にも眺めない人にも月影はくまなく、わけへだてなく当たってはいる。当たってはいるけど、眺める人はそれに気づくし、眺めない人にはそのことに気づかないままに一生をすごすという、その違いだ。

だがこの違いは大きい。喜びに充たされて生きる一生か、そうでなくすごす一生かのわかれ目である。生かされている喜び、照らされているうれしさに充たされて、生涯をまっとうしたいものである。 (大法輪閣編 仏教名句・名言集より)

9年前の月夜に書いた詩がある。あらためて読んでみた。

秋の月を背にして歩く
寂しき夜の公園路

耳に劈く 虫の音に
秋のヴィオロンの 不協和音

疲れ果てた この体
家路を急ぐ この足で
早く帰って 横たえて
眠り続けて 癒したい

今日も またまたアルコール
今日は まっすぐ帰ろうと
朝は 心に誓ったのに
夜は 心を裏切った

酒は憂いの玉箒と
よくぞ言われた名言に
己がそうだと言わしめて
言い訳してる己がいる

己が親父が そうだった
己が親父と 同じ道
こんな親父に なるなよと
息子に言った ところとて
言い訳してる 己になる

いやいやそれでもいいじゃない
ボクにはボクの人生がある
息子には息子の人生がある

 

 



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