もりおか自由時間 ogasawarahiromi

日々の出来事を日記風に綴るシニアブログ、コメント大歓迎! 画像はコピーガードされています。

北山史跡巡りとボランティア活動

2011年07月09日 | 寺院

もりおかなぅhttp://now.npo-iwate.jp/center

  
                    (清養院のふすま絵「竹林」)

昨日の7月8日、仁王老人クラブ協議会主催の「史跡巡りとボランティア活動」に参加しました。参加者24人、生憎の小雨模様、梅雨で蒸し暑いが、以信院、龍谷寺、清養院の3寺を訪問して、最後に三ツ石神社の除草作業をしてお昼に解散。
以信院はもともと無檀家の隠居寺で現在は法華寺の傘下にある。
龍谷寺は曹洞宗の報恩寺の末寺で、開創年代は西暦1600年代と思われる。天然記念物の「モリオカシダレ」桜の咲くころには見学者でにぎわう。中学生の修学旅行のスポットにもなっています。石川啄木や金田一京助縁の寺でもあります。

清養院は曹洞宗の東顕寺の末寺で宮沢賢治が中学のころ下宿していた。山門近くにある天気塔は賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する「天気輪の柱」のモチーフであると言う説もある。
また、今回は住職のご好意で、寺宝として伝わっている大書院の竹林のふすま絵や極彩色の美しい聖観音等の解説をしていただきました。
充実した半日でございました。毎回、ガイドをしてくださる村上さんに、この紙面をお借りして御礼申し上げます。

   


1月のお題目

2011年01月07日 | 寺院

  

報恩寺も除夜の鐘打ちに年一度の大仕事が終わり、新しい年へ。世襲のお寺でないので檀家役員による運営、年1回の総会で決定されます。私も数年前に役員を仰せつかったことがあります。よって、戒名料、各種回向料、志納金の金額について少しは理解でき、悩まないで済みそう。
話がそれましたが、1月のお題目が掲示されていましたのでご紹介をしておきます。正しく続けよう、これがなかなかね~ぇ。平和を願うだけでいいのかな~ぁ。

             新らしく生活を正しく続けよう。
            新らしく平和を願い続けよう。


寺の庭めぐり

2010年10月07日 | 寺院
秋も大分深まり、季節もすっかり秋の気配が色濃く。高い山々は色づき始めてたようですが、里の紅葉にはまだ少し間がある。
寺の庭などを巡って見るのも一興と思い、通りすがりに光照寺のお庭にちょっとお邪魔してみました。春に改築された真新しいお寺、本殿の中は春にグログ投稿しておきました。徐々に庭の体裁が整って着ました。花は彼岸花がほんの少し咲いていました。

                

      
              
                     
                             

9月の報恩寺

2010年09月04日 | 寺院
菩提寺の伝導掲示板に目をやると、9月お題目が墨書されている。ちょっとの間、散歩の足を止めて見入る。書かれた言葉の深い意味は、凡夫には理解できないが、なんとなくあり難い気持になる。
寺の角を回り、通用門より境内を一巡りする。早朝に花を手にお参りする老女の腰の曲がりが何故か目に残る朝でした。
   
                      

初夏の恩流寺

2010年06月25日 | 寺院
             


本堂改修工事記念として屋根瓦の一部を保存したもで、御影石の名ばんには平成18年6月と刻まれています。工事記念モニュメントとして山門を入った境内右に設置されている。

           
      

北山史跡めぐり2010

2010年06月15日 | 寺院
         

恒例の史跡めぐり、今年は通称寺町通りと呼ばれている道路沿いの四寺の訪問となった。仁王老人センターのお世話で、浄土宗の大泉寺からスタート。今日の講師は村上俊平 氏で毎年お願いしているようですね。
大泉寺は「おかんの墓」で良く知られてますが、他にも室町期の十一面観音菩薩立像を所有している。以前は自由に拝顔できたが、仏像の管理ということで沢山の仏像を別館で管理しているようです。
さて、次の真宗大谷派の光照寺ですが、見出し画像のとおり今年改築された新しいお寺さんです。金色の本堂、まばゆいばかり。極楽浄土への入り口、そろそろ旅立ちの気分に!? 住職のわかりやすいお話を拝聴する。
次に同宗派の本誓寺に到着、春は天然記念物指定の本誓寺しだれ桜は一見に値します。来年の春にでも、お出かけになったら如何ですか。
ここのお寺は宗祖親鸞聖人の若い時分の黒い木像を所有していますね。本殿の余室に安置されて、檀家や一般にも極力お見せしているとの副住職の弁でした。本来なら本山に安置されてもおかしくない物なそうです。
今日最後の四寺目は曹洞宗の東顕寺でしたが、葬儀があるようで本堂に入ることができませんでした。この寺は盛岡市の現存寺院の中で、最も古い寺として知られています。
最後に鬼の手形で知られている三つ石神社の清掃ボランティアをする。昼のおにぎりがとっても美味しい。今日はありがたいお話を聴いたいい一日でした。 感謝!

北山寺院群(20寺)についての開山・縁起等の寺歴については、このブログのカテゴリー(寺院)で分かりやすく説明してありますのでご覧ください。

        

      

開運神社(榊山稲荷)

2010年06月03日 | 寺院
通称、榊山稲荷と呼ばれている開運神社にカメラを持って出かける。昨日のウォーキングで通ったとき、白の躑躅がとってもきれいでしたので明日は午前中に出かけようと決めていました。
しばし、境内のベンチに腰を掛けて、じっくり観賞。ひと回りしてあちこちを写真に収める。
平日とあって、また4、5月のお払いの忙しい時期が過ぎ、神社の閑散期で訪れる人もまばらでした。静寂な景色に至福の時が流れる。


          
              
     

仏教の宗派(2)  浄土の考えって?

2006年09月21日 | 寺院

                    <写真:浄土宗総本山・知恩院>

 浄土宗=法然  浄土真宗・真宗=親鸞  時宗=一遍   日蓮宗=日蓮

法然(1133~1212年)は南無阿弥陀仏を唱えることによって、誰もが極楽往生できるという教えを浄土信仰の中心にしました。末法思想が盛んになった平安末期、浄土宗として作り直しました。京都の比叡山延暦寺で『往生要集』(源信著)により浄土信仰を学びます。「南無阿弥陀仏」を唱えるだけという平易な教えは急速に普及し、民衆はもちろん、後白河法皇や関白などの知識層、武士にも広がりました。総本山は知恩院(京都)で、増上寺(東京・芝)、善光寺(長野)などが全国的にも有名な寺として知られています。

親鸞(1173~1262年)は法然の弟子で、真宗・一向宗・門徒宗とも呼ばれる「浄土真宗」を起こしました。第3代覚如のときに本願寺の次号を掲げて教団として独立、第8代蓮如の時代に勢力を伸ばし浄土真宗は一部門徒が武装し各地で一向一揆を起こします。第11代顕如は大阪の石山本願寺にあって織田信長と「石山合戦」のすえに和解し、京に本願寺を移すことになる(現在の西本願寺)。しかし顕如の死後、慶長7年1607年顕如の長子・教如の真宗大谷派(東本願寺)と末子准如の本願寺派(西本願寺)に分かれました。真宗の巨大化を嫌った徳川家康が教如の後押しをし、豊臣秀吉が後継者に指名した准如と袂を分かったとも言われています。

浄土真宗のもう一派時宗は一遍(1239~1289年)が開祖し、念仏宗とも呼ばれる。念仏権化のため全国を行脚し、「遊行上人」とも言われます。一遍の思想は熊野に代表される神祇との結びつき強く、「賦算」「踊り念仏」を布教手段とする独特のものでした。

日蓮(1222~1282年)は比叡山で12年修学したが、末法に対処するには「法華経」によるしかないと考えていた。時の実力者北条時頼に「立正安国論」をわたして正法であることを訴えた。他宗に対し激論を望んだが黙殺され、数多くの受難を乗り越えて現在の山梨県身延山久遠寺で日蓮宗の宗祖となる。

 


仏教の宗派(1)  いつ? だれが?

2006年09月20日 | 寺院

                <写真:伝教大師(最澄)>

   天台宗=最澄  真言宗=空海

最澄は近江国(滋賀県)で誕生、15歳で得度、奈良の東大寺で具足戒を受け22歳で正式な僧となる。その後、還学生(げんがくしょう)として延暦23年803年に唐にわたる。浄土信仰の開花と天台宗の礎をつくったとされていて、現在の比叡山延暦寺に受け継がれている。

一方の空海は讃岐国(香川県)で誕生、やはり22歳のとき東大寺で具足戒を受け空海と名乗り、『大日経』を手に最澄と同時に唐へ留学する。帰国後、高雄山寺に入り、真言密教を広め国家安泰の祈祷を修しました。空海のもとには多くの学僧が集まり、最澄さえも高雄山寺に上ったと言われている。弘仁7年816年に嵯峨天皇より賜った高野山(金剛峯寺)に入り、唐で見聞した知識をもとに真言宗の礎をつくり、人々のため文化・技術を惜しみなく伝えています。(一部「いわてのお寺を巡る」岩手日報を参考)


教浄寺(時宗)

2006年09月17日 | 寺院

画像・コメントは自由にお使いください

教浄寺は鎌倉から南北朝時代へ移る頃(1333年)南部十代茂時公の菩提のため、弟信長公が三戸に開創した。茂時公の法名「教浄寺殿正阿清空天心大居士」から教浄寺となったと言われている。三戸での280年を経て、江戸時代前期1612年南部27代利尚直が盛岡へ移城した年に現在地に移転し、寺領二百石を有し、盛岡五ケ寺の一つに名を連ねました。教浄寺には、鎌倉中期の制作とされる阿弥陀如来像が伝来南部家代々の守護尊とされています。

また、山屋家代々の墓があり、皇太子妃雅子さまの曽祖父として知られている海軍大将山屋他人の顕彰碑が建立されている。これと同時に、他人が眠る東京の長谷寺から生まれ故郷の教浄寺へ分骨も行われてい
る。


源勝寺(曹洞宗)

2006年09月15日 | 寺院

 

   源勝寺は、石清水氏(開基)により、天台宗の寺院として開かれましたが、室町時代1454年のころ曹洞宗に改宗開山したとされ、静岡県森町の雲林寺劫外長現和尚が東北を布教した折、紫波町の土館に造られ、南部利直公の時光台寺隣接地に立地しましたが、源秀院御霊屋造立のため、法華寺と共に現在地に移転しました。 源勝寺には、県内最古の仏像である聖観音像が伝来し、この銅製の聖観音像は頭が大きいなど白鳳時代645~709年の特徴をもち、千三百年の歴史を秘めて現存しています


法華寺(日蓮宗)

2006年09月15日 | 寺院

   法華寺は南部の居城が盛岡に定まるころ開かれました。1573~92年開創になった光台寺の隣接地が、源秀院殿の霊朝の地に決まり、源勝寺と共に現在地に1663年移転しました。法華寺では数々の由緒ある法華曼陀羅と数多くの書画や古文書を格護しているとされています。
 昭和29年火災で本堂を焼失したのち、昭和32年に再建されましたが法華寺最古の建物として築造から260年余りを経た山門があります。


真行寺(浄土真宗本願寺派)

2006年09月15日 | 寺院

  同宗派の願教寺の右並びに建っている。開山縁起は、江戸時代前期1690年秋田からはいった宗円和尚が初代住職と伝ええられ、中津川の上流、春木場付近に建立したが水害で流失現在地に移転したが、願教寺と同時代に同一の経過をたどったとされております。  寺宝としては阿弥陀如来像が源信和尚の作といわれているが、制作年代は不明である。江戸末期の絵師が描いた「がま仙人」はどこから見ても自分の方角を見つめる絵といわれ、己の姿を見透かされているようで、心が洗われる思いがするそうです


願教寺(浄土真宗本願寺派)

2006年09月14日 | 寺院

 

  願教寺は江戸時代前期1648~1651年浄信房が浅岸の地に建立したが1670年洪水で流失、南部家から賜った境内地(現在地)に再建したが江戸中期(1816年)と大正13年火災焼失、わずか一年で再建されたようです。
 願教寺の「銅造観音立像」は鋳銅鍍金(白凰期)の金銅仏で環釧や瓔珞で美しく飾られた柔和純潔な表情を持つ本県最古の仏像であります。 
親鸞聖人の伝道に力をいれ、多くの人が参加できる講座を数多く行っている。5月親鸞聖人降誕会、7月夏季仏教講座、歎異抄講座、毎月16日の法座などが上げられる。庭園が本堂までの石畳の両側に広がり、四季折々の庭が楽しめるので、一度足を運んでは如何でしょうか。本堂の向かい側に枝を張る「臥龍の一位」名付けられえた樹齢350年の銘木をはじめ古木が多く、時の流れを感じさせてくれます。


吉祥寺(浄土宗)

2006年09月12日 | 寺院

  吉祥寺は、青森県の貞昌寺の徒弟秀廓和尚によって開かれ、江戸時代前期1665年秀廓が盛岡に来て念仏教化していたときに供米地を与えられて堂宇を建立されたといわれています。 開山の秀廓が迎えた本尊・阿弥陀如来像は「歯生いの阿弥陀」と呼ばれ全国的にも珍しく、わずか四体と言われています。

 (伝説)・・・首なし弥陀 

  吉祥寺開山の際に青森の常年念寺から遷した本尊は首がなかった。二代目良真のころ、みすぼらしい虚無僧に一夜を供したおりに、「我にそが首のみあり。されど、いま路銭乏しければ、二百文にて取り換えたし」と言うので、言う通りにした。翌朝、虚無僧を見送った住職は、その姿が忽然と消え、昨夜渡した銭が山門の松に掛けられているのを見つけた。それ以来、本尊は完成された姿になったと言う。