日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

神社の中の砲台と砲弾

2009年01月14日 | 引っ越しな日々
夏に引っ越す予定のマンションは、
歩いて20分ぐらいのところにある。

仕事もないし、運動不足な私は、
建設中のそこまで
お散歩がてらのウォーキングをしにいくことにした。

実家からもそんなに遠くはないことから、
土地勘もそれなりにはあるけれど、
子供の頃、庭のような親しみを持って遊んでいた、という程、
近くではない場所なので、
「絶対に迷子にはならない、けど、冒険」的気分が味わえるのも、
楽しみで。

     ★

わざと大回りして歩いて、
「この道とこの道は、こんなところでつながっているのかぁ。
……あぁここに、あの小学校があるのかぁ」
と、方向オンチであることも手伝って、
新鮮だけど再発見を楽しんでいたら、神社を見つけた。

宗教的信仰心は薄いほうだと思うけど、神社は好き。
多分、建物と木々の調和に心惹かれるのだと思う。

また、住む土地の近くにあると知ると、ほっとする。
しょっちゅう行くわけでもないけど、
存在があるのとないのとでは、何かが違う。

土地への挨拶を受け付けてくれるような窓口。

初詣も15日までアリだというし、
もうじき新しく住まわせてもらうという気持ちもあって、
鳥居をくぐってお参りする。

     ★

実家の近所にも神社はあるけれど、
ここの神社は、祠が多かった。
3つぐらいあったような気がする。

大黒さんをまつっていたり。天神さんをまつっていたり。
お稲荷さんをまつっていたり。

そんな境内の中に、
『奉納』と書かれている石の土台に乗せられた、
錆びた小さな砲台を見つける。

砲台の近くには、砲弾。

砲弾の方は、
大きさは異なれど、実家の近くの神社でも見たことがある。
子供の頃は意識しなかったけれど、
大人になってから、横にあった石碑のようなものを読んだ記憶がある。

確か、日露戦争時に奉納された、とかいう感じの。

実家の周辺も、
おそらく、
この神社の周辺も、
昔は田畑以外何もなかったと思う。

田畑にポツンと神社、という景色だったんだろうと。

そんな見渡す限り、稲、とでもいうような土地の神社に奉納された、
鉄の砲台、砲弾。

その時は、ある種の豊かさでももたらしたのだろうか。

鎮魂という印象はなく、
逆に誇らしさのような雰囲気を受け取る。

この砲台や砲弾が奉納された頃には、
後の第二次世界大戦のような悲惨さとか、
神社と戦争の結びつきが、
忌み嫌われるような未来が来るとは、
全く想像していなかっただろう。

そんな、とても素朴で純朴な
村(?)の人々のテンションの高さを感じてならなかった。

……勝手な想像(妄想?)だけど。

人の純粋な高揚感と、
その躍動を引き起こしているのが、
戦争であるということの事実の間で、
私は行ったりきたりして、なんともかんとも複雑で。

もしも、
三つほどある祠の空間の中で、
これらを見つけていたら、
戦争の武器が神格化されているようで、
ものすごく嫌だっただろうと思うけど、

祠のある空間よりは、下段にあったから、
こうやって眺めていられるんだろうな、と、
胸の中の波が収まるまで、眺めていた。

神社という存在が、好きです。
あくまで、原始的な意味で。

       
       錆びついた砲台から垂直に伸びる草に、
       何かを見ようとしてしまいます。

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