小さく書いてる方が見えにくいので、もう一枚追加しますね。
たまたま近所で通りかかるお寺無宗派だから今回のはピンとこない
けれど啓発系の本だったか、観音様の話で1つ好きなのがある。それを思い出した。
寺で泣きながら本堂の観音様を必死に拝んでいる、
住職が「どうしました?」と尋ねたら
「辛いことばかり起きる。幸せになりたい、なれるようお願いしていたのです」と答えた
「ならここで拝んでいても幸せになれない、観音様っていうのは自分だよ。、自分で自分を見ることができないから、見えるように形を作っただけ。自分自身に拝んでいるんだから、自分に頼んでいるのと同じ!自分を頼りにして信じてやっていくってことです。」
うろ覚えですが、こんな会話だった気がします。
手で持てる神様もあるけれど本堂にあるのは人間よりも、はるかに大きいですよね
自分では見えないけれど、等身大より力も可能性も大きいのかもしれません
見守ってくださっていますってあるけれど
自分で自分を見放したら、見守ってくれているのも感じにくい気がしました。
周りに支えられ助けてもらい生きている。それは間違いない
けれど自分で自分を見限る、見捨てる、のが不幸の始まりに思います。
宗教に詳しい方が読んだら的外れなことも多いでしょうね
1つの言葉から、こうやって枝別れしながら考えることが好きだからブログ書いてる(笑)
楽しい好きって思えることを多くやって、自分を頼れる(私なら大丈夫という境地)信じられるように
なっていきたいと思います
とりあえず暑さに耐える修行ですかね いってきまーっす いってらっしゃーい
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