goo blog サービス終了のお知らせ 

NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ

2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。

2001・10・15  NY Manhattan 

2012-09-03 12:24:45 | Weblog

 

 

 

 

 

 

お帰りなさい。

WTCのビル、かえすがえすも悔しいですね。

幸い身辺には、被害者はいなかったのですが、怒りが。

会社の事情が違ってきまして、少し仕事が出来ました。

お互いに重い心ですが、頑張りましょう。

息子へ

お元気で。 取急ぎ。


2001・9・27  NY Manhattan 

2012-09-03 12:19:56 | Weblog

 

 

 

 

 

 

お元気ですか。

京都の本、面白く呼んでいます。カルチャーの違いで、髪の毛が立ちそうになった事を思い出しました。
勝てないと思う事、しばしばです。

夫なんかも、くず折れてしまわなければ良いがと思う事しばしばです。

基本的には、人間なのですが、何かが違いますよね。攻められ続けた歴史・とい
われると何かが分かった気がしますが。

あなたはどうでした。関西人だと思いますか。

息子へ

お元気でね。


2001・9・27  NY Manhattan 

2012-09-03 11:58:50 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

お手紙ありがとう。

平常心でいます。

生活は、変わりません。地下鉄には、乗りません。元気です。

狂牛病に気をつけて。
取急ぎ。

> 空爆が、開始され、マスコミを標的にした炭素菌騒ぎ、また、マンハッタンも、騒然としてしまいましたね。
  毎 日の生活は、変らず、不自由なこともなく、おすごしなのでしょうか

ありがとうございます。


日本でも狂牛病の件は大変でしたね。

当地マンハッタンもも、2次テロ・生物化学兵器の話で、大変です。


事実私は、今地下鉄には、乗っていません。NYの地下鉄は、$1.5で、5ボ
ロー( 区 )に行けて本当にたのしかった。

2001・9・11 までのNYは、別天地でした。



涙がでた・・・何かせつなくて・・・

不条理?

でも、人間の歴史って、こんなもの、だとも感じてます。

私達は、平和な時代に生まれ育ってきたけど、親達は、決してそうじゃなかっ
たし、次代に平和をしっかりと継承していかなくてはならないけど。

人間っ て、こんなもの・・・という思いもする・・・うまく言えないけど・・・


胸につかえていた解らないものが、明白に。

平和を壊すのって、もったいないけれど。貧富の差が。

ジハードとはこういう事を言うのではなく、これは、あくまでもテロなのだと思いますが。

今、私は、なまなましい現実の中にいると。

生きて帰ります。と言ったのは テロには、どんなに身を守っても 運次第で。

つまり運がわるければ・・。という事を申しあげたのです。 もはやNYだけでなく
それは、何処にも有りうるのですよね。

生活は、今までと何ら変わりませんが、心情的には、かなりの変化が。
夢のような日々とお別れです。

本当に毎日が変化に富んでいた。

来客や、外出が、大変だと嘆いていたのが、どんなに贅沢だったか。


ニューヨーカーは、前よりやさしくなった、なんて、テレビで報道してたけ
ど、さもあらんと、思うよ。

やはり、神様に守られている人たちは、パニックを起こさないと、実感しまし
た。街は、平静です。祈りと、星条旗は、本当に増えました。


>帰国は、まだまだ先になりそうですか?

このままで、来年の7月くらいと、思います。おっしゃる様に、街ももうすぐに
落ち着くでしょう。ニューヨーカーは、わりと平常心です。
やはり日本のニュースは、センセーショナルに書き立てますね。誰か評論家を
呼んでもっともらしい事を言ってもらったりとか。

日本の取材陣には、ニューヨーカーは、辟易しているとの事。亡くなった人の
家を取材のために、見張っていて、家の人が、外に出られないとか。取材の人
が瓦礫を片づけている人に、インタビューをして邪魔をするとか。

まあ新しい事を言わなければ成らないのは解りますがね。

くれぐれも、皆様、お体をお大切に。 元気です。

From:


2001・9・26  NY Manhattan 

2012-09-03 11:48:11 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

Yさん北京から、電話有難う。
Tさんメール有難う。


2001・9・26 14:00

話が前後している点は、推測で、お読みください。時間が無いので、私自身の心の動きのメモ
を添付していますので。・・・お許しを。

2人ともおばあちゃんの所へ行ってくれるそうで、喜んでいました。ありがと
う。

頭の中がこんがらがっってしまって。

精神と身辺整理のため、日本に帰るとフラワーショップに行って10日程休みを取ってきた。こんな時やる事が他にあるような気がして。

私は、フラワーショップ仕事にどれくらいのウエイトを置くべきか。と。

なにせ・・・・”歴史の生き証人”ですからね。
あなた達もすごい親を持ったものよ! へへへ・・。

「おばあちゃま(ここは、お嫁さん、孫には、「Hさん」と呼んでもらうか
も・考慮中) WTCすごかったの?」
「そうよ・・・だったのよ。」 とかね。

日本帰国取り止め。これは、日本から、会長・社長その他の方の取り止めを受
けたもの。
ニューヨークの長として、危険時に10日も帰国していては? という夫の遠慮もあって。メールのある時代。


忙しさは、勿論ですが、いろいろと 苦痛を伴う判断があって、ここの所大変で
した。
これからは、少し大変になって来るかもしれません。精神的肉体的に。

経費削減で、ここを売りに出すかも。

それに伴う不動産売りの件。売りの前は、メンテナンス。他人が、家には言ってくる事が多くなる気遣い。

はっきりし次第連絡します。

夫とは、時代の流れに逆らわず、欲を捨てて生きていこうと。

こんな精神的な苦痛を伴う時に、なんで転居?と思いますが。今、ニューヨークの長として、上に書類提出中。

人生いろいろ、世の中いろいろ。

Tさん、いつもこんな判断を迫られているのでしょうね。
心中お察し申し上
げます。Mさんの精神的な助けを得て、仲良く頑張ってください。

今度のテロは、要注意ですね。
ラディンのような人間にかかったらどう仕様もありませんよね。
オウムを大きくしたような事件ですね。真珠湾・サリンとこちらでは、JAPAN
が、不名誉なニュースに出てくる事が、多くなりました。

私は、地下鉄N・Rには乗らない事にしました。移動はバス。空からの散布と水
は、避けられませんが。ネ。


2001・9・25  NY Manhattan 

2012-09-03 11:22:49 | Weblog

 

 

 

 

 

 

2001/9/25 9:15

今日も無事でした。

日本も、きょう牛病は大変デスネ。気をつけてください。

日本帰国は、今朝会社からのメールで、取り止めになりました。

「こんな時期、こちらでの業務に専念する。」との夫の申し出への返事で。

今は、公にはされていないようですが、やはり戦争状態なのだと思います。

テロへの制裁は当たり前で、これは報復というのとは、ちょっと意味が違うようで
す。

こんな人間の尊厳を存在すらを無視するやり方は、許しておけない。という事
です。


やはりこちらにいますと、日本という国の特殊さを思わされます。

アメリカの陸・海・空軍を 見る機会がありました。それは見事で、国民の税金
でそれを許しているアメリカという国の、名実共の超大国としてのすごさを実感
しました。NATOの動きもこれを知ってのこと。

私は、戦争は嫌いです。いまだにここに住んでいると、真珠湾攻撃の件で、肩
身の狭い思いがします。元に、このテロの時、ニュウーヨーカー達は、「パールハーバーだ。」と言っていました。

戦争は末代までも尾をひきます。だから、してはいけな
い。

でもテロは、許しては、いけないと思います。今度の事は特殊です。そして、
今後もありうる事なのです。もっと危機感を持って対処しないと。

メディアの方向性の怖さも実感しました。

現にマンハッタン全体がメチャクチ
ャのようなイメージを受けるでしょうが、現場は、ダウンタウンの1部だけ。

悲惨さは、言いようも有りませんが。

テレビ画面の怖さ。湾岸戦争の時のあの水鳥は、”やらせ”だった。とか。

アメリカでは、淡々とニュースを報道していた。

テロの残虐さから言うと、我々もいつ巻き込まれてもおかしくない。

地下鉄、空からなどの毒ガス、水への混入など考えると。

でも今回のような事は、日本も 世界中のどの国でも、いつこんな事があってもおかしくない。

世界中がその危険にさらされているという事です。

今回のようにアメリカが1体化したのは、すごいです。それに諸外国も。
まだまだ書きたい事が、1杯ありますが、今からフラワーショップへ。

アメリカかぶれをしたとお思いでしょうが、私たちは、もう少し世界の中の自
国の位置というものを考えていかなければ。

常に他国からは相手にされない国として、生きていかなければならなくなるかも知れないという事を実感しま
した。

今回小泉さんが、英語で意見を言えたという事は、素晴らしい事でした。

元気です。


メール有難うございました。

> NewOrleansに行った時、小さく見かけも悪いりんごが安くてこくが、あり美味しかった事
を、思い出しました。

あれは、すごくおいしいですよね。直径5センチぐらいで。

> 物流は、元に戻ったのでしょうか。

最初から、不足は有りませんでした。当日は、テロという事で、スーパーが混みましたが。

前にも話しましたが、私のいるアッパーイーストサイドは、WTCよりは6.5キロ位離れていま
す。(Office は、6キロ位。ミッドタウン)

従って、影響は、風向きによって、煙が来たくらい。

テロによっての犠牲の方や、経済その他を考えなければ、生活も風景もいつもと変わり有り
ません。

ご存知 マンハッタンは、きゅうりのように細長い。

WTCは、ダウンタウン・縦のきゅうりの南下の左1部。

主人の会社は、ミッドタウンきゅうりの真ん中。

真ん中より北が・・・セソントラルパークを挟んで、左の部分がアッパーウエスト右がアッパ
ーイースト。

セントラルパークの終わる100ストリートより北がハーレムです。

> ボストンでは、海の物も手に入り易いとききますが、NYでは、いかがですか。中心地なの
で、東京と同じように、よい食材が集まり不自由はないのかも。とにかく旬のもので、疲れを
取って、お二人とも、お大切に。

マンハッタンは、日本食材店(片桐)があり、片桐では、何でも手に入ります。刺し身は、日本と同じ位おいしいです。

但し納豆、トーフ、日本製冷凍食品、寿司パック、等、値段は、日本の2〜3倍はします。

2001/9/25 9:15


2001・9・16 NY Manhattan 

2012-09-03 11:17:37 | Weblog

 

 

 

 

 

 

2001/9/16 20:00

正直言って、すごく疲れました。

テロという見えない相手。もしやの不安。何処にいても、もし・・が頭を過ぎり
ます。

安全は解っていても。

こんな中で、国際的な交渉や、復旧作業にあたっている人には、頭が下がりま
す。

夫も大変なのに良く頑張っています。

日本の事も心配です。テロに対する対策は。

やはりとんでもなく恐ろしい事が起きているのですね。残虐さは、尋常ではあり
ませんよね。

元気でいますので、お知らせいたします。1晩寝たら、又大丈夫。

20日木曜の午後よりKDDのメールがつながりませんでした。
元気にしています。取急ぎお知らせまでにて。


2001・9・15 NY Manhattan 

2012-09-03 11:05:27 | Weblog
2001・9・15 8:05

昨日は、電話もメールもつながらず。
午前は、家に。何事もなし。テレビのニュースは、日本もアメリカも同時と思

ます。

午後は、ブッシュ大頭領がNY入りをしたのをTVで。ファントムなのかコンコル

型の戦闘機が、爆音を立てて飛んでます。4機姿を見ました。後は、音のみ8回位。


生活は、普通。又書きます。


2001/9/15 24:00

昨夜は(金曜の夜)、疲れてへとへとで早く寝た。
神経が疲れていてので、眠れずに起き出して、アラブ関係の勉強をした。完全に
次元の違う人たち。でも難しい。思想・宗教は。

テロとしては、大成功なのだろう。私ですら、関心を持たざるを得ないのだか
ら。
犠牲者の数。怒りと悲しみが沸き上がる。こんな事が・・起こせるなんて。許せ
ない。

昼食の時、夫が、アルバをテーブルに。

ワールドトレードセンターの写真のページを広げた。トレードセンターの上に指
を置き「もうこれが、なくなっちゃったんだよ。」と。

現地で働く者にとって、つらい事は山ほど。

でも日本人の設計によるあの美しい
ビルは、私たちに勇気と希望を与えてくれた。どんなにあのビルに慰めと力を与
えられた事か。
日本からの人も、アメリカの人もそして、世界中の人が。

怒りが体中に走る。

今日は、午後から、セントラルパーク・ブロードウェイに様子を見に。

セントラルパークは、たくさんの人が運動をしていた。

皆かなりのストレスを抱
えているのだと思う。
こちらは、精神面のケアについては、熱心に取り組む。ボランティアも励む。自分のストレスも積極的に取り除く。


ブロードウェイは、異常に人が少なかった。

観光の街。飛行機が飛ばないのだものあたり前か。

ナスダックも星条旗を写しているだけで、動きを止めている。殆どが、星条旗
を。

いつもと違った風景。

ワールドトレードセンター ・・・ ダウンタウン

シーグラムビル(主人のオフィスはこの中)・・ミッドタウン 6キロ位

私の住んでいるビル・・・アッパアーイースト・・・10キロぐらい離れている

というわけで、私達の住まいとは位置的には、離れています。煙が見える程度
で、生活には、支障は有りません。

でもTVで悲惨な様子を見ると憤りと悲しみで。

少し疲れが出てきています。又おしられせします。

2001・9・15 NY Manhattan 

2012-09-03 11:01:56 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

2001・9・15 8:05

昨日は、電話もメールもつながらず。
午前は、家に。何事もなし。テレビのニュースは、日本もアメリカも同時と思い
ます。

午後は、ブッシュ大頭領がNY入りをしたのをTVで。ファントムなのかコンコルド
型の戦闘機が、爆音を立てて飛んでます。4機姿を見ました。後は、音のみ8回
くらい。

生活は、普通。又書きます。


2001・9・15 NY Manhattan 

2012-09-03 10:51:38 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

2001 9・15

今日は、朝メールを打って10:30にフラワーショップに。

途中66ストリートから68ストリートまで軍隊のトラックと迷彩色の軍隊がズラーと。

「 何しているの?」と聞くと、「ワールドトレードセンターのことで待機。」と
のこと。緊張感。

軍隊と市バスが一緒の道路に動いているって、すごい光景。

こんな時に迷彩色の
人を見ると頼もしいしやはり厳戒体制なのだと再認識。

テレビで見ていた中東の市民が軍隊と一緒にいるのを大変痛々しいと見ていた
が、もはやそれ。

大使館へのストリートも閉ざされていた。

やはりアメリカ人の考えでは今は戦争なのだと、実感した。

夫も私の安否より会社の事の方が先だろう。

それなら1人でいるよりフラワーショップにいた方が。

みんなニューヨーカーで、土地感も有るし逃げる時も1諸に逃げれば良い。

「逃げるのを助けてもらえるかもしれない。」と思い花屋に向かう。皆怖さあるし、緊張もしているしで、異様に明る
い。

すぐ帰るつもりが、花のアレンジに時間がかかって、1:30に家に。

すぐにメールを打とうと思いメールを開いた。

金融関係が怪しくなるというので、急いで、1階のシティイバンクにお金をお
ろしに。

カードでは、今朝$10おろしたので、もう防犯のためにおりない。


2階に行って窓口で「国に帰るのでお金が要る。」と言って、多額を下ろした。

当面郊外のホテルに泊まっても良いくらい。または日本への2人の飛行機代の倍
ぐらい。マンハッタンに1ヶ月篭城できるくらい。

免許書とサインで、こんなにたくさんのお金がおろせるとは思わなかった。(ニ
ューヨークで取った私の写真入りの自動車免許・実技の時は英語の指示に従い、
左運転の実技と、本当に大変だったが、泣きの涙のあの努力が、こんな時に本当
に役に立った。)

ID代わりにパスポートがいるなら、家まで引き返さなければならなかった。そ
んなことをしていたら、お金がおり
なかったと思う。

窓口の黒人の姉さんは鼻歌交じりで数えてくれた。

忙しいから受け取って帰
ろうとしたら、その場で数えろと。身体で隠して皆の前で一生懸命数えたよ。

何とぴったりあっていました。 「ありがとう。」 「テイクケア!」だって。この
明るさが、アメリカだよね。

その間私の後ろには、10人ぐらいの人が。

さすがに多額のお金 。腰ベルトに入れて、家に飛んで帰って壷の中。

あの列は、金を持って歩かないアメリカの人が、皆$10以上おろしているっ
て言う事になる。

でも事件の日の、買い物30分待ちは、現金支払、10品以下
の列だったからで、カードだったら、50分は待たされたよきっと。

というわけで、水 食料 金と3種の神器がそろいました。


    そして、「火事場の馬鹿英語(力)!!」


夫は、「グランドセントラル駅に爆弾。」との悪戯電話で、昼頃2時間ぐらい非難さ
せられたとか。

恐かったでしょうね。


花屋にいた時のけたたましいパトカーのサイレンはそれだったのか。

明日は、レノックス・ヒル・ホスピタルに献血に行ってきます。

せめて私の血を、アメリカのために使っていただくつもりです。

最後まで、冷静で、元気1杯気を抜きながら、頑張りますので、心配しないで下
さい。
09/15/01 21:17


2001・9・13 Manhattan 

2012-09-03 10:46:35 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

みなさま優しい言葉とアドバイズありがとうございます。

ここからの感じでは、街は普段に戻りました。

クイーンズ・ボロ・ブリッジから、車が入ってきているので、食料も確保される

でしょう。水もお風呂に張りました。

高層の火事の怖さは、2年前に近くのシナゴグが焼けて、巻き添えになるかな
と、恐かったので身にしみています。

今回はここにいると、何事も無かったようです。が、テレビの映像や、テロとい

う言葉に恐ろしさと怒りを感じます。見えない相手との対決の怖さ。そのやり方

の非法さ。

フラワーショップの仕事の前にスーパーによって様子を見てからにします。

ご心配身にしみて嬉しく。メールが、届くか心配なので、急いで。お元気でね。


2001・9・13 9:40


20019/13 Manhattan

2012-09-03 10:35:03 | Weblog

 

 

 

 

 

 

どうしても納得いかないのですが、

1.パイロットとして、ワールドトレードセンターに飛行機を突っ込むという事は、倫理上許されるものなのでしょうか。


ハイジャックで脅されても、トレードセンターに突っ込まなくても、手前の海に突っ込む事は出来たはず。

航空会社には、パイロットの心得のマニュアルは無いのか。もし無いにしても自分の心得として、アメリカ人なら、自国の

混乱を、経済を救う、混乱を防ぐという気になれなかったのか。

という事。

乗客が刺されたので、機長が客席に出てきたというが、こんな事は機長自らが、やる事ではないのではないか。という事。


夫と「テロリストが、操縦していたのではないか」と、話していますが。



2.何故あんなにきれいにビルが建てに崩れたのかという事。

これは夫と話し会って「多分 上ででつる構造が、つっている部分が衝突で崩されたので、全体が崩れた。」と結論づけたので

すが、これは、やはり柱の構造がそうなっていたという事で納得。

多分テロリストは、このように崩れるのをしってのことだったのでしょう。

無くなった方の冥福を祈って。

お元気でね。春美
2001・9/13

今日も元気でした。ここにいる限り何事も無かったようです。

テレビを見ると、テロの恐ろしさに憤りを感じます。

まあ1昨日の午前中はテロという事で相当恐かったですが、午後になって事態が解ってきたら、少し安心だと思いました。

風向きが変わると、相当きつい科学的なにおいがします。でももう大丈夫です。

無くなられた方の冥福を祈って。
09/13/01 22:37


2001・9・12 NY Manhattan 

2012-09-03 10:34:01 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

09/12/01 22:32
今 街は見えている限り何事も無かったように平静です。

何か昨日の恐怖が嘘のよう。

映画のシーンのような映像に、この映像にこんなに恐怖を感じたのだと改めて思いました。

亡くなくなった方は、本当にお気の毒でした。

でもこんな事を言っては不謹慎ですが、10キロ離れたここでは、あの恐怖は、メデェアの流す映像よりきているの

とテロという事よりきていたのだと思うと、どっと疲れが出ました。

今は何事も有りませんし、今後も大丈夫と思います。取り急ぎ お知らせまで。