2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。
NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ
9.11 NYテロその2
TIME誌より
旅客機2機がワールドトレードセンターに突っ込んだ。
NY Manhattan のみに放映されているTV局の New York 1(One)では、まだ事実のみで、テロとは伝えていなかった。
テレビ画面の向こうにものすごい煙が見える。
何が起こったのか、早く情報がほしい。
でもこんな時メディアは、事実以外は伝えないのだ。
あせりの中でこのことをじみじみと感じた。
・ こんな時、何をすればいいのだろうか。
セントラルパークが、眼前に広がりその向こうには、
アッパーウエーストのオノヨーコの住むダコタハウス、
シュワルツネッカー、メリルストリープの住むコンドミアムが広がっている。
180度の展望のあるマンハッタンでも数少ないコンドミアムで、ただ一人私は、しばし呆然としていた。
この夢のような展望が、恐怖に変わろうとは。
このただならぬ出来事。
次は、このビルが狙われるのではないか。
飛行機が突っ込んでくるのではないか。
急に恐ろしさにいてもたってもいられなくなった。夫への連絡の方法はない。
私は、いまフラワーアレンジメントのデプロマ取得のため、講義合格後の170時間インターンシップが終わり、NYの有名な高級フラワーショップで、個人的な修行に入っていた。
夫の会社からの連絡に立たなくてはならない。
即座にそう思い、フラワーショップに、休みの連絡をした。
パスポートと銀行カード、有り金全部をウエストポーチに入れ、とりあえずエレベーターで、1階に行く。
コンシェルジェに様子を尋ねる。
ドアマンも、コンシェルジェもおろおろしている。
「 Oho!! クレイジィー」と。 「パ-ルハーバーだ!!」と。
(アメリカが攻撃されてのは、パールバー以来の2回目なのだとか。)
とりあえず、帰国のためのお金をおろさなくては。
階下の銀行 City Bank に行く。セキュリティがかかっていて、カードでは、いくらもおりなかった。
窓口に行く。すでに10人くらいの行列があった。$500おろそうとした。
窓口の黒人女性が、ものすごい早口で何かをわめく。「帰国にお金がいるので、$500おろしてほしい」と訴えた。誰もが、パニック状態だった。
2日後に冷静になって数えたら、$50しかなく真っ青。
いくら数えても$50なのだ。銀行記載は確かに$50になっている。
窓口のお姉さんは、「セキュリティ上$50が限界」と言っていたのだ。
当分の食料もいる。
隣のフードエンポリアム(大型スーパー)に行く。
おお何と、ここも長蛇の列だよ。
30人位の列が4列もできている。
仕方なく列の後ろにつく。
9・11 NY テロのトラウマ
あれから4年もたっているのに、何故思いのたけを書けないのだろうか。
数え切れないほどの現場の様子をを、少しでも皆さまに知っていただきたいと思っているのに。
テロが起きた時の事態や、テロへの心構え、また良く言われるトラウマについて、皆さんにお知らせしようと思うのに、何故か心と裏腹に、筆が進みません。
慣れない外国で必死に働く日本人があのテロで、何人も亡くなっているのに、日本住んでいる方々にとっては、全く他人事であったのですね。
とても悲しい気分です。
でも果たしてそうなのでしようか。
あのころのメールを取り出し私の刻々の心のうちを、何とかつづって行こうと思います。
2001年9月11日・あの日私は。
9・11 IN NEW YORK
あの日は、ことのほか青い空だった。
午前8:43分、いつになく遅い出勤の夫を玄関に送り、キッチンに戻ろうと歩いていた。
「エアープレイン・・クラッシュツ・・ウワールド・トレードセンター・・」ラジオから漏れた言葉に思わず足を止めた。
思わず居間のテレビをつける。
「何やってんの。ふざけたセスナ機だよ。あの素敵なビルにぶっつけるなんて。」
そう思いながら。
ワールドトレードセンターに、小さなセスナ機が突っんでいた。
その時は、まさかテロとは思わず、旅客機とは思っていなかった。
観光のセスナ機と思っていた。
どうせすぐに、ビルはすぐに修理されるのだろうと思いながらも
「こんなことがあったよ」と連絡のために、夫に携帯の連絡をする。
何度連絡をしてもつながらない。
こんなことで連絡をしても良いのかと、思いながら会社に、留守電を入れた。
この時にはそのぐらいの気持ちしかなく、テロがおきたのだとは、思っていなかった。
そのうちに、ダウンタウンの方から煙があがっているのが見えた。
テレビを見ながら、テレビの向こうで、ダウンタウンの煙が見える。
アッパーイースト64ストリート・ビットイーンレキシントン アンド サードアベニュー の37階、38階のアパートの部屋からは、7キロ離れた、ダウンタウンの煙も見えるのだ。
15分後、もう1機が、ツインビルのもう一棟に突っ込んだ時には、ただならぬことが怒ったと思った。
NYに住む我々日本人には、日本人の設計によるこのビルは特別の思い入れがあった。
海外生活でつらい時、楽しい時、嬉しい時、その度、あのビルを見上げて、どんなに慰められ、誇りに思ったことだろう。
世界中の、NYへの観光客が、どれほどあのビルに、登ることを楽しみにしたことだろうか。
今この文章を書きながら、私は、ぽろぽろと涙をこぼしている。