がんばって、50ほどで引き継いだ教室を200にまで持っていったら、
近くに教室を新設するという連絡があった・・・・・・
くもん教室なんかやってられないわよ・・・・・・というおたよりがありました。
私が独立を考えたときとおんなじ。
けれど、ここ十年以内の契約なので、禁止事項付きの契約書に同意している、
裁判も辞さないつもりでいるが
どうしたものかというような内容でした。
以前にも新契約書での独立について
何人かの方からおたよりをいただいているのですが
何千にもおよぶおたよりの中から、それを拾い出す手間と時間がとれません。
お心当たりのある方は、《その後》についてご一報いただければ幸いです。
それから、「引継ぎか新設か」という記事に
そうよね・・・・・・と同意できる内容のコメントをいただきました。
新設、ということは市場性がある地域であるということで
今回のおたよりにもつながるのですけれど
つまり、50から200へと教科数を増やした、ということは
市場を開拓し、生徒数を増やせる土壌を作ったということで
研究会としては、「よっしゃ」とばかりそこへ新たに教室をつくるというわけです。
もちろん、当事者として赦せないのは
その市場開拓は自分の教室維持拡大のためであるのに
それまでの物心両面におけるこちらの投資は無視され
研究会のために利用されるということなのですが。
私にしても《来てみてあそぼう》なんてイベントを近くの本屋さんでやったりして
懸命に幼児入会ベースをつくったものです・・・・・・
その時だって書店との交渉などはぜんぶ私がやって・・・・・・
三回目ぐらいにようやく、事務局から若干の費用補助があったくらいで。
それでもその頃は、くもんの発展=自教室発展と考えていたものですから。
まさかそれが自教室の近くへの新教室開設へつながるとは思いもせず。
ただね、
そういう自教室発展のための努力をしてきたこと自体は、ばかげていた、とは
思わないのです。
そういう努力の成果をうちの教室のためにならないことに利用されたということは
いまでも悔しく思っていますけれども。
ま、独立したことで《お返し》はしていますけれど。
くもんの発展=自教室発展
ならば文句はないわけですが、今も昔も、そうはいかない、
という研究会の市場についての考え方がある以上、
新契約がどうであれ
「やってられない」という指導者が続出するのはやむを得ないところでしょう。
近くに教室を新設するという連絡があった・・・・・・
くもん教室なんかやってられないわよ・・・・・・というおたよりがありました。
私が独立を考えたときとおんなじ。
けれど、ここ十年以内の契約なので、禁止事項付きの契約書に同意している、
裁判も辞さないつもりでいるが
どうしたものかというような内容でした。
以前にも新契約書での独立について
何人かの方からおたよりをいただいているのですが
何千にもおよぶおたよりの中から、それを拾い出す手間と時間がとれません。
お心当たりのある方は、《その後》についてご一報いただければ幸いです。
それから、「引継ぎか新設か」という記事に
そうよね・・・・・・と同意できる内容のコメントをいただきました。
新設、ということは市場性がある地域であるということで
今回のおたよりにもつながるのですけれど
つまり、50から200へと教科数を増やした、ということは
市場を開拓し、生徒数を増やせる土壌を作ったということで
研究会としては、「よっしゃ」とばかりそこへ新たに教室をつくるというわけです。
もちろん、当事者として赦せないのは
その市場開拓は自分の教室維持拡大のためであるのに
それまでの物心両面におけるこちらの投資は無視され
研究会のために利用されるということなのですが。
私にしても《来てみてあそぼう》なんてイベントを近くの本屋さんでやったりして
懸命に幼児入会ベースをつくったものです・・・・・・
その時だって書店との交渉などはぜんぶ私がやって・・・・・・
三回目ぐらいにようやく、事務局から若干の費用補助があったくらいで。
それでもその頃は、くもんの発展=自教室発展と考えていたものですから。
まさかそれが自教室の近くへの新教室開設へつながるとは思いもせず。
ただね、
そういう自教室発展のための努力をしてきたこと自体は、ばかげていた、とは
思わないのです。
そういう努力の成果をうちの教室のためにならないことに利用されたということは
いまでも悔しく思っていますけれども。
ま、独立したことで《お返し》はしていますけれど。
くもんの発展=自教室発展
ならば文句はないわけですが、今も昔も、そうはいかない、
という研究会の市場についての考え方がある以上、
新契約がどうであれ
「やってられない」という指導者が続出するのはやむを得ないところでしょう。
しかし社員たちは自分のことで必死ですからね。リクルート担当を充実・増員して、これまでよりも必死で新しい教室を作るようです。
既存の教室(指導者)は勿論、新しい方が借金を抱えて辞める破目になろうとも・・・もはやお構いなしです。
自己責任ですから仕方ないですけどね。
若い局員たちも自分の生活を守るのに必死。
今の時代、公文に限らずそういうことっていっぱいあるから仕方ない。やっぱ自己責任です。
それでもしぶとく公文式教室を30年間やってる我々も
良かれと思い新しく教室を始めた方々も
良かれと思い公文という会社に入社した人々も
みんな自己責任
しかと考えて行動しないと、今のご時世、美味しいことはないということですね。