公文で九年

公文式教室を9年間経営していた学習塾経営者です。
公文教室とはどういうものか私の視点で公開したくなりました。

使用教材 公文式と違うところ

2006-10-06 | 教材について
現在使用している教材は、基本的には、公文の指導法と同じで、必要な箇所は繰り返し学習、
完全個別で、学年設定は関係ありません。
読める子、やれる子はどんどん先の教材へ進められます。
ただ、公文の場合には、教材が一様で、そこからの逸脱はできませんでしたから、
違う形態の問題体験をさせるということができず、できるようになることの範囲が限定されがちでした。三学年も先の教材に進んでいるにもかかわらず、外部のテストでは(あるいは学校の学力テストなど)では、ごく標準的な得点しかできないというような問題もありました。
保護者から、こんなに長期にわたって、お金をかけてきているのに・・・・と不満の声が上がりやすく、
返答に窮するという経験をされた先生方も多いのではないでしょうか。

幼児期から、あるいは小学校の低学年から、学校以外の学習をさせよう、と考える親というのは、
塾に対してどのような期待をしているのか、ということがあります。
うちの教室の場合でいうと、
① 学校で困らないように
② 困っているので
③ よりよくできるように
④ 将来を見据えて学力をつけておきたい
⑤ 家庭で見てやれないので(必要があるが・・・)
⑥ 特に必要とは思わないが本人がやりたいと望むので
⑦ 現在の学校の学習に不安がある
⑧ 学校でのわが子への対応に限界を感じる

などなど、ニーズは様々ですが、いずれにせよ何らかの意味で、現状に満足できていない家庭の生徒が学習を望むことに違いはありません。
つまりは、よりよく、を 望むからこそ会費を払い、送迎等の手間をかけてまで入会していただくわけです。であれば、当教室で学習を継続することで、いかに《よりよく》なっているかを
保護者の方にナットクしていただく必要があるわけです。

ところが、公文式の教材のみで学習をしていく場合、小学校のうちは、通知表へはほとんどといっていいほど反映しません。中には一年生のうちから授業についていけなくなり落ちこぼれのレッテルを貼られてしまったような子が、二年後にはふつうにできる子になっている、という場合もありますが、親としてみれば、お金をかけてきているのだから当たり前で、もっとできるようになっていて欲しいというところではないでしょうか。
研究会では、そういう保護者のご要望に対し、様々のセールストークが用意されています。
というより、指導者自身が、洗脳されてしまう面があるのです。
いわく
「小学校の通知表は絶対評価なので、担任の主観が反映されやすい」
「現在の通知表などでは、こどもの実力はわからない」
「学年を超える学習をすることで、能力の向上がはかれる」
「中学へ行ってから、それまでの学力貯金がものをいう」
「学習内容を絞り込むことで、習熟の度合いを上げ、自信を持たせることができる」
「自信がヤル気を引き出し、ひいては、公文教室で学習していない事柄への興味関心をも高めることに繋がり、学校での学習意欲の向上に繋がる」
どれも、嘘ではありません。
でも、都合の良い面だけを言い立てている、ということもあるのです。
教室で先取り学習をしているので、その内容についてだけは積極的になれるが、やっていないことについては、ほとんど興味を示さない、という生徒もいますし、
子どもの生活の場は、やはり学校がメインですから、そこで評価されえない実力というものはなんなのだろう、ということになってしまいます。

うちの教室では、生徒一人ひとりに付いて、先生方同士
「困ったこと」が話題になります。
「あの子は、これができない」「あの子はここが自立していない」「この子はここが良くない」
百人生徒がいれば百五十の問題があります。
うちの教室での問題解決に向けての合言葉は
「問題のない子は、塾へは来ない」です。
学校での成績に何の問題もなくても、よりよくできるようにしたいと言う《問題》があって
教室を訪れるわけですから。
その都度皆で対応策を検討し、どういうことをさせたらよりよくすることができるかを考えていきます。そのときに、一種類の教材にとらわれないですむ、ということは大きいのです。
この教材でこの回数させてみたが、飽きてしまっているという時には、学習内容は同じでも
形式の違う問題、あるいは、教室での進度とは別に学校での学習にあわせた宿題を選択するなど
様々な選択肢があります。
公文式のフランチャイズでは、以前学習した復習教材をさせることしかできなかったのですが。
それで持ち直す場合も多々あったのですが、それではつまらないし、「また同じの?」という声も上がりやすい・・・・
お決まりのセールストークで、「できることを繰り返し練習することで、今詰まっていることが
できるようになる」と説得するわけですが引っかかる子はまた同じところでひっかかります。
そういうときにも、他の教材を併用することで、理解を深めることが可能なのです。

ただ・・・・採点等は煩雑になりますし、スタッフの能力が高くないと、適切な指導がいきわたるというわけには行きません。解答書どおりの採点ができればいい、というわけには行かないのです。

先日、お仲間と塾用教材を販売している業者を尋ね、補助教材の検討をしてきました。
「いろんなのが自由に使えるっていうのは嬉しいけど、反面、手間隙は何倍もかかるってことよね」
「その点、公文の場合は、それだけをやってれば良かったわけだから、ずっと楽だったわけよね」

そうなのです、公文式の場合には「できること」というのが限定されていて
その範囲内でけっこう、という家庭だけの対応をしていればよかったのです。
けれど、塾がたくさんあり家庭においてのニーズが多様化する中、それでは生徒が集まりにくくなり、ましてや、あれだけのロイヤルティを支払いながら教室を維持することは困難です。

趣味と若干の実益を兼ねて・・・・スーパーでパートで働くよりはマシなので・・・・という方には
公文式の教室というのは、そこそこのやりがいも持てるでしょうし、いいお仕事だと思います。
でも、かかわりを持った子どもたちをとことん伸ばしてやりたい、
適正な労働対価を得たい、という風に考えるならば、
公文の枠の中では、むずかしいのではなかろうか、と思います。
というか、十年近くやってきて、そういう認識に至ったということなのです。

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