公文で九年

公文式教室を9年間経営していた学習塾経営者です。
公文教室とはどういうものか私の視点で公開したくなりました。

発達遅滞のある子8

2023-04-25 | 発達遅滞の子の学習サポート

子どもというのは本来、好奇心のかたまりでしょう、と、私は思っています。

4~5歳頃から始まると言われる「なぜなぜ期」

なぜ?どうして?と際限もなく聞きたがる幼児に辟易したことはおありでしょうか。

いくつかの育児書や児童心理学書などによると、本当に知りたいというより

いわば「かまってほしい症候群」の一つの形で、オトナのそれなりの反応があればそれで満足して、

実際の知識を求めているわけではない、など言う話です。

私はそうは思わず、またたとえそうであったとしても「知りたいのだろう」と、

できる範囲で、多分、当人が求めている以上の詳しい説明をしがちです。

すると中にはその説明のうちに出てきた「自分の知らない言葉」についてさらに聞きたがる子もいて

「お、この子は見込みありそう」とニンマリすることになります。

しかし、学校の授業についていけないとか、特殊学級への移動を勧められたとかいうことで

ご相談に見えた保護者の方に伺ってみると

「うちの子、なぜなぜ期なんてなかったような・・・・・・」ということが多いのです。

ゲーム機を渡しておけば邪魔にならないから、などというご家庭では、そもそも子どもの教育への関心も低いので、

小学生のうちに塾を訪ねて来ることはありませんから論外として。

もっとも、中にはオトナを質問攻めにして困らせることを喜んでいるのではないかというような子もいます。

三歳の頃の入会だった男の子もその類で、次から次へと答えにくいようなことを突っ込んできました。

4~5歳の子に「どうしてあのおばちゃん、あんなに太っているの?」と大声で訊かれてもねぇ。

この子は足し算の練習などは面倒がり、軌道に乗せるにはかなり手間を食いました。

三歳児相手に「あらそう、嫌なの、でも終わらないと帰れないわよ」と

嫌でもなんでもやるべきことはやらなければならないと徹底しました。

宿題をもってこなかった時には、その場でそっくり同じものをそろえてやらせ

そのあとで今日の予定分もさせるというふうにして、うちのルールと練習を強制。

ミスなしでできた時だけ盛大に褒める、一問のミスの時には「惜しかったね」、

それ以上のミスがあっても叱ったり残念がったりする素振りは見せないようにして

淡々と練習プリントを繰り返すということで、小学校入学前には2ケタの筆算程度はできていました。

私はこましゃくれたところのあるこの子をとても可愛いと思っていましたし

同期の女の子二人とも、じゃれあいながら仲良く学習していましたから、

母親から、「たびたび学校から呼び出されている」という話を聞いても「? なんで?」という感じでした。

その後小学校五年生ぐらいの頃に、ADHDの診断が下りたそうです。

学力面では幼児期からの準備が功を奏し、「遅れ」などということはありませんでした。

情緒面で、学校で人を傷つけるような言動が多かったとしても、

うちの教室で、彼に好意的な視線を向ける人たちの中では何の問題もなかったのです。

ただ一度、私がこの子を思い切りひっぱたいたことがあります。

それは東北大震災のあと、「どうしてたの?お兄ちゃんは?ママは?」と尋ねた時の事。

「ママは東京にいたから。ママなんか地震で死んじゃえばよかったんだ」と言ったのです。

彼がそう思うのにどんないきさつがあったのかはわかりませんが

この時ばかりは「これはこのままにはできない」と思いました。

満室の教室の生徒たちの前で、いわゆる横ビンタ。教室はシーンと静まり返りました。

「世の中にはね、言っていい事といけないことがある。震災で子どもを亡くした人、親を亡くした人が

その言葉を聞いたらどんな感じがすると思うの。」

30年近く教室をやってきましたが、後にも先にも生徒を叩いたのはこの時一度だけです。

こういうところがADHDの困ったところなのでしょうが、例え本人にさしたる悪気がなかったとしても

「それはダメ」ということを教えておくのはオトナの責任だと思いました。

私はこの件をママさんには言えませんでした。

その後も教室へは通ってきていましたが、ご家庭の事情などもあり転校。

何年かして、高校進学後、バッタリママさんに会いました。

「あの子が、高校入学が決まった時、ここまで育ててくれてありがとうございましたって

改まって言ってくれたんです、これほど嬉しかったことはありません」と涙ぐみながら話してくれました。

こちらも目元がウルウル。更にそれから3年後。

同期の女の子二人と誘い合わせて大学進学の報告に来てくれました。

この子が、もし、学校の授業がわからない小学校時代を送っていたら、と、ぞっとします。

ADHDではあってもLD(学習困難)ではなかったので、成長するにつれある程度、

「注意欠陥多動」の傾向を自律することができるようになってきたのではないかと思えます。

この子についての思い出話はいくつもあります。

うちの犬(体重40キロを超えるサイズ)に駆け寄ってきて撫でていたこと、

スマホのチャイルドロックをこっそりはずして使ってしまい、30万円もの請求が来てママが激怒した件、

その話が出た時には同期の女の子に

「アンタねぇ、30万円って言ったら家族全員でディズニーランドの前のホテルに二泊ぐらいお泊りして

ランドで遊んでこられるぐらいのお金だよ、バカじゃん」と笑われて

やっとその金額の大きさに気が付いてしょんぼりしていたのを思い出します。

よく、手のかかる子ほど可愛いと言いますけれども、手を掛けたからこそ可愛いのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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