グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

群馬県多文化共生シンポジウム3/3

2019年02月23日 | 国際交流や国際理解
 前々回前回からの続きです。

 最後に、私が今回のシンポジウムを通して感じたことを書き、本稿を終えたいと思います。2点あります。

 1つ目は、「全員が当事者」ということです。今回のシンポジウムも然りですが、主催は日本人で、日本人主導で企画され、進められていたと思います。類似の取り組みも、ほとんどが日本人中心で動いていると思います。しかし、多文化共生は日本人だけが当事者なのではなく、在住外国人も当事者です。出自や国籍など関係なく、住民の1人として、誰もが当事者のはずです。日本人から在住外国人への一方向となっている働きかけを双方向とし、「全員が当事者」という意識を持って取り組む必要があるのではないかと感じました。実行委員会などの主催者が、多国籍(多文化)になるだけでも、違うと思います。

 2つ目は、1つ目とも関連しますが、「日本側も変わる必要がある」ということです。武井昭氏も「在住外国人は、(日本に)支援される側から(日本を)支援する側へ」と指摘されていましたが、在住外国人に「教えてあげる」という上からの態度を改め、在住外国人から「教えてもらう」という態度も必要でしょう。例えば、パネルディスカッションでも出ましたが、外国人向けの旅行商品を考える場合です。この場合は、在住外国人の力を借り、教えてもらい、外国人の視点を取り入れて企画すれば、より魅力的な旅行商品が作れることでしょう。

 そして、私が大連で外国人だった時のことを思い返すと、大連は非常に住みやすい街でした。大連が「住みやすい」とは、多くの日本人が異口同音に言います。それは、治安が良いという点も重要だと思いますが、一番の理由は、日本語人材や知日派の多さだと思います。大連は中国ですが、日本語の通じる場所も多いのです。また、留学などで日本に暮らしていた方々も多くいます。その様な方々は、日本で外国人だったため、海外で暮らす大変さを知っています。ですので、外国人としての日本人に、優しく接してくれるのです。私も、日本経験者の方から「海外生活の大変さは分かるから」と、言われたことがあります。この様な環境が、中国語が不得手な日本人たちにも「大連は住みやすい」と感じさせていると思います。
 では、日本はどうでしょうか。在住外国人の方々に、多くを求めすぎていないでしょうか。日本語が不得手な方にも「住みやすい」と感じてもらえているでしょうか。別に、外国語を流暢に話せとは言いません。それでも、上手や下手は関係なく、相手の国の言葉を習ったり、その国のことを知ったりし、距離を縮める努力は必要であるはずです。大連は「親日的」と言われます。大連は日本や日本文化に関心を寄せていて、日本との心理的な距離も近いのです。この「心理的な距離の近さ」をもっと意識し、日本側も変わる必要があると思います。日本語を覚え、日本に適応してもらうことは、もちろん大切です。ですが、これでは一方向です。これに加え、相手を知り、距離を縮めようとし、双方向の流れを作ることが大切です。

 日本に問題なく適応してもらうことを多文化共生と考えているのなら、再考が必要です。これでは、多文化どころか、一方の価値観の押し付けです。自文化と異文化が共存してこそ、多文化共生への道が開かれるはずです。
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群馬県多文化共生シンポジウム2/3

2019年02月22日 | 国際交流や国際理解
 前回からの続きです。

 それでは、シンポジウム当日の発言などで、いくつか印象的だったことを共有します。

 まずは、「思いやり」と「思い込み」についてです。これは、PTAか町内の自治会でのことですが、フィリピン人の母親(Aさんとします)と日本人の間で、齟齬が生じた例です。ある時、Aさんを自治会の役員にするかどうかで、日本人の役員たちは、「会議資料が読めないだろう」「異文化の中での役員は大変だろう」と考え、Aさんを役員就任から免除しました。悪気はなく、思いやりからの判断でしたが、Aさんは「地域社会からの疎外感」を感じたのです。Aさんは、日本語の会話は問題ありません。夫は日本人ですので、資料は夫からの協力も仰げます。Aさんは、母として地域社会を知り、溶け込みたいと考えていて、母親同士の交流や情報交換も望んでいたのです。Aさんの子は、「外国人だから、仲間外れにされているの」とAさんに言ったそうです。「思いやり」と思っていたことが、実は「思い込み」であり、事前の対話がもっと必要だったのではないか、という事例でした。

 次は、「ハーフ」という言葉についてです。これは、台湾人の方の指摘です。その方も、夫が日本人ですので、子は混血児です。混血児はよく「ハーフ」と言われますが、「ハーフ」ではなく「ダブル」と言いたいという考えです。「ハーフ」は、どっちつかずの中途半端で、どこか負の印象がある。それに対して、「ダブル」は両親の双方の文化を持っているとうことで、「宝」であると。確かに、半分という「ハーフ」よりも、2倍などの意味を持つ「ダブル」の方が、肯定的な響きがありますね。

 3つ目は、「労働力」という概念に関してです。最近は、日本が人手不足であるため、「労働力」として、外国人を受け入れるという流れになっていると感じますが、この考え方に釘を刺す指摘です。「労働力」という概念は、「馬力」などと同じで、人を人と扱っていません。ですが、海外から実際に来日するのは、何かの力ではなく、人なのです。
 これは、パネルディスカッションでコーディネーターを務めた武井昭氏(NPO法人地域総合生活デザイン研究所理事長、高崎経済大学名誉教授)の指摘です。的を射ていると思います。「労働力」としてしか見ていなければ、受け入れも上手くいかないでしょう。この様な差別的な意識は、自然と伝わり、相手も感じ取るでしょう。人として扱ってもらえないなら、外国人も何かしらの行動を起こすかもしれません。ですが、何か起きた場合、いつも外国人が悪いとなってしまいます。これでは、悪循環を断ち切れません。問題が起きた際は、日本側にも、自らを省みる必要があるのではないでしょうか。

 次回に続きます。
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群馬県多文化共生シンポジウム1/3

2019年02月21日 | 国際交流や国際理解
 先日、群馬県多文化共生シンポジウム「身近に増える在住外国人とともに群馬の未来を描く」に参加しました。多文化共生協働活動事例発表とパネルディスカッションの二部構成でした。印象的な発言や新たな発見もあり、有意義な時間でした。



 冒頭では、県庁職員の方が群馬の多文化共生について話されましたので、その内容を簡単に記しておきます。群馬の在住外国人は、2013年から増加し始め、2017年末の時点では、約53000人が109の国から来ているそうです。特に、東毛地域(太田市、桐生市、館林市、みどり市、邑楽郡など)で多いそうです。在住外国人が増えるに従い、生活での摩擦が生じるようになり、また、教育や福祉の面でも、課題が顕在化してきました。この様な状況を受け、「多文化共生推進士」の育成が始まります。これは、群馬大学と群馬県の共同プロジェクトで、多文化共生推進士を群馬大学が養成し、県が認定するというものです。19人の同推進士が輩出され、今は養成を終了したとのことでした。個人的には、なぜ養成を終了したのか、気になりました。19人で十分という判断なのか、予算か何かの都合なのか……

 そして、今回の参加を通し、私自身の問題として、深く考えたい主題が2つ見つかりました。それは、「なぜ多文化共生が必要なのか」という問いと、「多文化共生社会の定義とは何か」という問いです。前者に関しては、「住み分けでもいいのでは」という声もあるかもしれませんが、説得力を持って多文化共生の必要性(あるいは価値)を提示できないと、多文化共生の方向へ進むことすら、危うくなってしまいます。だからこそ、多文化共生の必要性や価値を、深く考えたいと感じました。

 次回に続きます。
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多文化社会と暦 ――大連のウイグル族が示してくれた現実

2019年02月14日 | 国際交流や国際理解
 中国では旧暦で正月を祝います。旧暦の正月を「春節」と言います。最近は、日本でも「春節」という言葉が普通に使われている気もしますね。2019年は、2月5日が旧暦の1月1日でした。

 先程、「中国では」と書きましたが、法定祝日として連休になるというだけで、中国の全ての人が春節を祝うわけではありません。この現実を教えてくれたのは、イスラーム系のウイグル族でした。
 私のいた大連で、ウイグル族の方々は、よくレストランを開いていました。屋台の場合もありました。そこで人気の一品は、羊肉の串焼きです。屋台で、羊肉の串焼きを食べながらビールを飲む、これは大連の夏の風物詩です。ウイグル族でない人も、普通にウイグル族の店で食事はするのです。

 ある年の春節のことでした。春節の時期は、ほとんどの人が地元へ帰るため、大連の様な都市部からは人がいなくなってしまいます。街は打って変わって静かになり、普段の様子から様変わりします。もちろん、多くの店が休業です。そんな春節一色の街の中で、通常営業しているウイグル族の方々を見たのです。それを見て、私はハッとしました。ウイグル族は、おそらくイスラーム暦に従っているのだと思います。春節など、大した意味はないのです。中国の暦は、ウイグル族など違う暦を持っている人たちを、完全に置き去りにしているのでした。

 暦のついでに時差にも触れますと、中国に時差はありません。国土は東西に広がっているのに、中国国内のどこへ行っても、北京の時間が適用されているのです。本当なら、アメリカの様に、国内で時差があるはずです。中国の西の方は、時計の示す時刻と実生活での時刻が、明らかにずれていると思います。中国の地図を見れば一目瞭然ですが、東側にある北京に対し、西の方はウイグル族やチベット族の土地なのです。


 暦に話を戻しますと、日本でも、色々な暦が存在するということを、念頭に置いておく必要があるのではないでしょうか。多文化共生を目指す社会では、なおさらのことと思います。
 私の経験では、春節の話しかできませんが、春節を祝う中国の方々は、とても春節を大切にしています。大連にいた頃、春節に対する人々の気持ち、つまり、どれほど春節を大切にしているかという気持ちを、痛いほど感じました。
 もし、職場や周りに中国の方(または、旧暦で正月を祝う方々)がいらっしゃれば、来年の春節(旧正月)は、ぜひ一緒に祝ってあげてください。日本で暮らしていても、春節(旧正月)は祝いたいはずなのです。そうすれば、相手との距離が、ぐっと縮まるはずです。
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中国と少数民族 ―モンゴル族、朝鮮族、満洲族、回族、ウイグル族2/2―

2019年02月13日 | 中国や大連のこと
 前回からの続きです。

 ウイグル族の人は別ですが、モンゴル族、朝鮮族、満洲族、回族の人たちとは、職場や仕事を通して知り合いました。大連で外国人と接するような人たちは、外国語を操ります。日本風に言うなら、私が大連で知り合った少数民族の人たちは、「外国語を駆使し、外資系で働く人たち」でした。南方の少数民族については分かりませんが、東北部である大連の少数民族は、その言葉から連想されやすいであろう「弱者」ではありませんでした。逆に、都会に暮らす優秀な、力のある人たちでした。

 ですが、「弱者」と感じられないということは、少数民族が抑圧されていないということではありません。モンゴル族は、モンゴル語が母語。朝鮮族は、韓国語(朝鮮語)が母語です。母語は民族の言葉で、外国語として中国語を習うのです。ですので、日本へ留学し、大連でも日本語で仕事をしている朝鮮族の人たちからは、「中国語よりも日本語が得意だ」と言われました。この言葉は、真実に近いでしょう。この様な言語状況は、たくさんの朝鮮族の友人と触れ合う中で、徐々に分かってきたことです。

 しかし、ウイグル自治区の強制収容所が国際的にも非難を浴びている通り、同化政策は着々と進んでいます。中国語しかできない少数民族も、増えているのです。また、中国語の方言すらも、抹殺の対象になっています。大連でも「方言はやめて、普通話(共通語のこと)を話しましょう。それが進歩的な生活です」といった標語を街中で目にします。中国語の方言は、外国語ととらえた方が正確です。中国語の普通話しかできない人は、上海方言や広東方言を理解できません。要するに、「自分たちの理解できない言葉を使わせないこと」を、中国政府は目指しているのではないでしょうか。それが、独裁体制を維持するための手段の1つなのでしょう。
 トルコ外務省の声明が言う通り、同化政策は「人類にとって大きな恥」であり、「人類の悲劇」です。
 進行中の同化政策が中国にはありますが、日本がアイヌや琉球に対して行ったように、また、アメリカのネイティブアメリカンやオーストラリアのアボリジニの例なども然りで、過去の(完了した)同化政策も、世界各地にあるでしょう。進行中の同化政策も、中国以外にあるかもしれません。あらゆる同化政策は、多文化主義の観点からも、批判的に見直されるべきです。

 最後に、回族の人のこと書いて、終わろうと思います。私は、その回族の友人に、翻訳を頼んでいました。正確で、微に入り細を穿つ翻訳をする人で、翻訳家の仕事とはどういうものなのか、私はその友人から教えられました。ですが今は、音信不通になってしまいました。中国と1975年から関わっている私の大先輩は、「隔離されたのではないか」と言います。長年の中国経験から、そう感じるとのことでした。民族が理由なのか分かりませんが、その友人はいじめに遭っていることも、私には話してくれました。漢族に合わせようと、無理している風もありました。前述の通り、回族もイスラーム系です。まさかとは思いますが、ウイグル自治区の強制収容所が、私の頭によぎります……
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