先日、地元の「多文化理解講座」に参加しました。中国出身の方とベトナム出身の方が、自身の故郷や日本での生活について、話してくださいました。中国の方は来日して約20年、ベトナムの方は来日36年とのことでした。
中国のお話は、自分が中国で見てきたことでもありましたので、懐かしく感じました。ベトナムのお話は、初めて聞くこともあり、新鮮でした。ベトナムには58もの少数民族がいると、初めて知りました。また、ベトナムのカトリックは、江戸時代(まはた安土桃山時代)に日本から伝わったのだそうです。日本で迫害された信者たちがベトナムに渡り、その結果、ベトナムにカトリックが伝わったとのことでした。
この講座では、印象に残っている言葉がいくつかありました。
ベトナムの方は、昔は「外人」と呼ばれていたが、今は「外国人」と呼ばれるようになった、とおっしゃっていました。「外人」という言葉には、差別的な響きや蔑視感が含まれているようで、私も嫌いです。ただ、重要なのは、使う言葉を変えることではなく、意識を変えることでしょう。
また、日本で感じた「違い」として、ベトナムの方は以下の4つを挙げられました。
1つ目:言葉
言葉は、分かりあうために必須。言葉(日本語)ができないために、精神障害をきたしたベトナム人も見てきたとのことでした。
2つ目:ゴミ
日本では分別や収集日が細かく定められている。ベトナムではそうではないそうです。中国で私が住んでいた大連でも、分別や収集日は特にありませんでした。
3つ目:音
日本は静かであり、うるさいと苦情が出る。ベトナムはその逆で、にぎやかだそうです。中国もベトナムと同じだと感じます。
4つ目:平和
ベトナムはずっと戦争だった。日本で平和を感じたと。難民として来日した方の言葉ですから、重く響きました。
そして、ベトナムの方が「日本語で一番美しい言葉」と感じているのは、「お互い」という言葉だそうです。つまり、人間としてお互いに話し合い、お互いに交流し、お互いに助け合う、そうすることで、より良い地域社会になるということです。
私が最も複雑な気持ちで聞いたのは、中国の方の「主人公は日本人、外国人は客」という言葉です。
言おうとしていることは、自分たち外国人は、主人公(日本人)に迷惑をかけないようにすることが大事なのだということです。私は、それは違うと思ましたし、そのように感じさせてしまっていることに対し、悲しく思いました。私と同じように、この言葉に違和感を感じた方はいらっしゃったようで、質疑応答では「どんな時に客と感じるのか」という質問が出ました。中国の方がおっしゃるには、自分と日本の違いを意識した時に、自分が客だと感じるのだそうです。謙虚さの表れとして、そのように思っていると。全てを理解すれば、「住めば都」となるが、まずは「客」から始まるのだと回答されました。
私は、主人公も客もなく、同じ所(市町村や都道府県、国)に住む人は、誰もが「住民」として等しいと考えています。
最後に、発言内容とは関係ありませんが、私が気になったのは名前です。ベトナムの方はベトナム名でしたが、中国の方は日本名を名乗っていました(帰化したのか、通名なのかは分かりません)。聴衆にはベトナム出身の方が2名いらっしゃいましたが、ともに日本名を使っていました(同じく、帰化したのか、通名なのかは分かりません)。なぜ、日本名を使わなくてはいけないのか。
同化を強いることではなく、違いを受け入れる、認め合うことが大切だと思います。出身地に関係なく、誰もが住民として主人公であり、出自を気にせず暮らせる社会が、目指すべき方向ではないでしょうか。色々な文化が共存し、多様性に富んだ社会。「違いがあるから面白い」とも言えます。
中国のお話は、自分が中国で見てきたことでもありましたので、懐かしく感じました。ベトナムのお話は、初めて聞くこともあり、新鮮でした。ベトナムには58もの少数民族がいると、初めて知りました。また、ベトナムのカトリックは、江戸時代(まはた安土桃山時代)に日本から伝わったのだそうです。日本で迫害された信者たちがベトナムに渡り、その結果、ベトナムにカトリックが伝わったとのことでした。
この講座では、印象に残っている言葉がいくつかありました。
ベトナムの方は、昔は「外人」と呼ばれていたが、今は「外国人」と呼ばれるようになった、とおっしゃっていました。「外人」という言葉には、差別的な響きや蔑視感が含まれているようで、私も嫌いです。ただ、重要なのは、使う言葉を変えることではなく、意識を変えることでしょう。
また、日本で感じた「違い」として、ベトナムの方は以下の4つを挙げられました。
1つ目:言葉
言葉は、分かりあうために必須。言葉(日本語)ができないために、精神障害をきたしたベトナム人も見てきたとのことでした。
2つ目:ゴミ
日本では分別や収集日が細かく定められている。ベトナムではそうではないそうです。中国で私が住んでいた大連でも、分別や収集日は特にありませんでした。
3つ目:音
日本は静かであり、うるさいと苦情が出る。ベトナムはその逆で、にぎやかだそうです。中国もベトナムと同じだと感じます。
4つ目:平和
ベトナムはずっと戦争だった。日本で平和を感じたと。難民として来日した方の言葉ですから、重く響きました。
そして、ベトナムの方が「日本語で一番美しい言葉」と感じているのは、「お互い」という言葉だそうです。つまり、人間としてお互いに話し合い、お互いに交流し、お互いに助け合う、そうすることで、より良い地域社会になるということです。
私が最も複雑な気持ちで聞いたのは、中国の方の「主人公は日本人、外国人は客」という言葉です。
言おうとしていることは、自分たち外国人は、主人公(日本人)に迷惑をかけないようにすることが大事なのだということです。私は、それは違うと思ましたし、そのように感じさせてしまっていることに対し、悲しく思いました。私と同じように、この言葉に違和感を感じた方はいらっしゃったようで、質疑応答では「どんな時に客と感じるのか」という質問が出ました。中国の方がおっしゃるには、自分と日本の違いを意識した時に、自分が客だと感じるのだそうです。謙虚さの表れとして、そのように思っていると。全てを理解すれば、「住めば都」となるが、まずは「客」から始まるのだと回答されました。
私は、主人公も客もなく、同じ所(市町村や都道府県、国)に住む人は、誰もが「住民」として等しいと考えています。
最後に、発言内容とは関係ありませんが、私が気になったのは名前です。ベトナムの方はベトナム名でしたが、中国の方は日本名を名乗っていました(帰化したのか、通名なのかは分かりません)。聴衆にはベトナム出身の方が2名いらっしゃいましたが、ともに日本名を使っていました(同じく、帰化したのか、通名なのかは分かりません)。なぜ、日本名を使わなくてはいけないのか。
同化を強いることではなく、違いを受け入れる、認め合うことが大切だと思います。出身地に関係なく、誰もが住民として主人公であり、出自を気にせず暮らせる社会が、目指すべき方向ではないでしょうか。色々な文化が共存し、多様性に富んだ社会。「違いがあるから面白い」とも言えます。