グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

中国と少数民族 ―モンゴル族、朝鮮族、満洲族、回族、ウイグル族1/2―

2019年02月12日 | 中国や大連のこと
 モンゴル族、朝鮮族、満洲族、回族、ウイグル族。私が大連で出会った少数民族の名を列記してみました(気が付かなかっただけで、他の民族の方とも出会っていたかもしれません)。おそらく、出会ったのもこの順番だったと思います。中国には55の少数民族がいるとされていますが、少数民族の人口は中国の全人口の約5パーセントのみです。残りの95パーセントは、漢族が占めています。ただし、55という数は、中国政府が認定している少数民族の数ですので、本当はもっと多くの少数民族が中国にいます。私の知る限りでは、四川省の濾沽湖や雲南省には、摩梭(モソ、Mosuo)という民族がいます。が、少数民族として認定されていません。モソの人たちは、ナシ族やモンゴル族として区分されているようです。検索してみたら、ナショナルジオグラフィックにも、モソ族の記事がありました。

 なぜ少数民族のことを書くのかと言いますと、私の大連生活を通して、少数民族は「少数」ではなかったからです。本当に大勢の少数民族の方々と知り合ったのです。大連に行く前から、中国には55の少数民族がいるとは知っていました。ただ、たったの5パーセントですから、滅多に会えないだろうと思っていたのです。ですが、すぐに少数民族の方々と知り合えたのです。

 最初は、モンゴル族の人との出会いでした。これによって、単なる知識でしかなかった少数民族が、実体験として私の人生に入ってきたのです。その人には、私が大連に着いたばかりの頃、外国人登録の手続きなど、色々な面でお世話になりました。確か、何かの手続きに行った待ち時間だったと思います。その人は、「日本にはないと思いますが、中国には身分証があるのですよ」と言って、自分の身分証を見せてくれました。中国の身分証には、「民族」という項目もありますが、見せてもらった身分証には「蒙古」(モンゴル)と書かれていたのでした。

 ここで、冒頭で挙げた少数民族につき、簡単に紹介します。
 モンゴル族は、血筋で言えば、モンゴル国のモンゴル人と同じです。朝鮮族も、血筋で言えば、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国の人たちと同じです。満洲族は、ダイチン・グルン(いわゆる清朝)を建国した人たちです。「ラストエンペラー」として知られる溥儀の姓は、アイシンギョロ(愛新覚羅)。アイシンギョロの姓を、聞いたことのある方はいらっしゃるのではないでしょうか。回族は、イスラーム系の民族です。ウイグル族も、同じくイスラーム系です。私の印象では、回族の顔立ちは東洋系で、外見からでは分かりません。ウイグル族は、中東系の顔立ちです。同じイスラーム系でも、ウイグル族の方が厳しく戒律を守っており、回族は状況に応じて、柔軟に対応している気がします(もちろん、個人差はあると思います)。

 次回に続きます。
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国際人材、グローバル人材とは ――カルロス・ゴーン氏が気付かせてくれたこと

2019年02月08日 | 国際交流や国際理解
 先日もカルロス・ゴーン氏に触れましたので、今回もゴーン氏に関連することを。現在のゴーン氏の状況がどうであろうとも、私にはゴーン氏を信じたい気持ちがあります。それは、ゴーン氏から受けた衝撃が、これからもずっと、私の中から消えないと思うからです。

 その衝撃とは、ゴーン氏の日本語でした。
 確か、2007年か2008年だったと思いますが、私は偶然、ゴーン氏が日本語でスピーチしているのを耳にしました。「この世界的な経営者が日本語を!?」、その時の驚きは、本当に大きいものでした。その理由は、だんだんと分かるようになりました。

 ゴーン氏の姿に反して、私の頭に去来するのは、大連にいる日本人の会社員でした。私が大連に渡ったのは2006年。当時、中国語のできる日本人は、非常に珍しい存在でした。実のところ、大連には日本語人材が豊富ですので、中国語ができなくても仕事はできます。社内も、日本語で通用する場合が多々あります。

 あのゴーン氏が、日本の社員へ日本語で語りかけているのに、大連で現地の社員へ中国語で語りかけようとしている人は、何人いるだろうか……
 ゴーン氏と日本人会社員の違いは、いったい何なのか……

 日本から来ている会社員が中国語を覚えないのは、前述した大連の優れた日本語環境も影響していると思います。中国語ができなくても、特に困らないのは事実です。
 また、企業のグローバル化の発展段階には、「本国志向」(重要な意思決定は全て本国の親会社が行う)、「現地志向」(戦略的な意思決定は本国が行い、些末な決定は現地でできる)、「地域志向」(主要な意思決定も、現地で行える)、「世界志向」(本国の親会社と世界各地の子会社はパートナー関係)という4段階があり、「本国志向」から「世界志向」へ発展していくという考えがあるそうです。
 大連には「本国志向」や「現地志向」の段階にある日系企業が多いと思います。また、中国法人の本社は上海や北京にあり、大連はその下に位置し、決定権は上海か北京にあるという例も見られます。つまり、現地の言葉を覚えて積極的に取り組もうと思っても、決定権がなく、日本や上海、北京の命令下でしか動けないのであれば、士気も低下し、言葉を覚える気にはならないかもしれません。帰任の日まで何もなく過ぎてくれればと、消極的になってしまっても、仕方ないかもしれません。

 ですが、悲しいことに、差別意識、あるいは優越意識から中国語を学ぼうとしていないと思える人もいました。そういった人たちは、全てを日本の基準で判断し、違いがあると「日本のやり方が正しい。中国のやり方が間違っている」と常に考えています。順調に進まないことがあると、「ここは中国だから」と原因を述べます(実際は、原因を指摘しているのではなく、事実を述べているだけですが)。
 最近は変わってきていると思いますが、以前は中国のGDPが日本よりも下でしたので、見下しの意識は強かったと思います。「自分に合わせろ。日本のやり方が正しい」という態度でいれば、現地の人たちが自分に合わせて日本語をしゃべるのも、当たり前と思えてくるのでしょう。意思疎通の問題は、現地社員の日本語力の問題という甚だしい考えも生まれます。

 眼前にはこの様な事実があるため、ゴーン氏の日本語がずっと忘れられなくなっていたのです。またゴーン氏は、自著の中で「自分たちは宣教師でない」とも語っています。この言葉は、ルノーから日産へ出向する社員たちへ語ったものです。日産には、自分たちのやり方(宗教)を広めに行くのではないと、自文化至上の考え方を戒めているのだと感じます。そして、ゴーン氏自身は、日本語で日本の社員へ語りかける。ゴーン氏が差別意識を持って日本を見下していれば、日本語など話さないはずです。

 「国際人材」や「グローバル人材」という言葉は、よく言われています。これらの言葉の定義は何でしょうか。
 私は、「相手に歩み寄る姿勢」が、絶対条件の1つだと思います。このことを体現し、私に気付かせてくれたのが、正にゴーン氏でした。
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日本に住む外国人は「客」なのだろうか?

2019年02月05日 | 国際交流や国際理解
 先日、地元の「多文化理解講座」に参加しました。中国出身の方とベトナム出身の方が、自身の故郷や日本での生活について、話してくださいました。中国の方は来日して約20年、ベトナムの方は来日36年とのことでした。

 中国のお話は、自分が中国で見てきたことでもありましたので、懐かしく感じました。ベトナムのお話は、初めて聞くこともあり、新鮮でした。ベトナムには58もの少数民族がいると、初めて知りました。また、ベトナムのカトリックは、江戸時代(まはた安土桃山時代)に日本から伝わったのだそうです。日本で迫害された信者たちがベトナムに渡り、その結果、ベトナムにカトリックが伝わったとのことでした。

 この講座では、印象に残っている言葉がいくつかありました。

 ベトナムの方は、昔は「外人」と呼ばれていたが、今は「外国人」と呼ばれるようになった、とおっしゃっていました。「外人」という言葉には、差別的な響きや蔑視感が含まれているようで、私も嫌いです。ただ、重要なのは、使う言葉を変えることではなく、意識を変えることでしょう。

 また、日本で感じた「違い」として、ベトナムの方は以下の4つを挙げられました。

1つ目:言葉
 言葉は、分かりあうために必須。言葉(日本語)ができないために、精神障害をきたしたベトナム人も見てきたとのことでした。

2つ目:ゴミ
 日本では分別や収集日が細かく定められている。ベトナムではそうではないそうです。中国で私が住んでいた大連でも、分別や収集日は特にありませんでした。

3つ目:音
 日本は静かであり、うるさいと苦情が出る。ベトナムはその逆で、にぎやかだそうです。中国もベトナムと同じだと感じます。

4つ目:平和
 ベトナムはずっと戦争だった。日本で平和を感じたと。難民として来日した方の言葉ですから、重く響きました。

 そして、ベトナムの方が「日本語で一番美しい言葉」と感じているのは、「お互い」という言葉だそうです。つまり、人間としてお互いに話し合い、お互いに交流し、お互いに助け合う、そうすることで、より良い地域社会になるということです。

 私が最も複雑な気持ちで聞いたのは、中国の方の「主人公は日本人、外国人は客」という言葉です。
 言おうとしていることは、自分たち外国人は、主人公(日本人)に迷惑をかけないようにすることが大事なのだということです。私は、それは違うと思ましたし、そのように感じさせてしまっていることに対し、悲しく思いました。私と同じように、この言葉に違和感を感じた方はいらっしゃったようで、質疑応答では「どんな時に客と感じるのか」という質問が出ました。中国の方がおっしゃるには、自分と日本の違いを意識した時に、自分が客だと感じるのだそうです。謙虚さの表れとして、そのように思っていると。全てを理解すれば、「住めば都」となるが、まずは「客」から始まるのだと回答されました。

 私は、主人公も客もなく、同じ所(市町村や都道府県、国)に住む人は、誰もが「住民」として等しいと考えています。

 最後に、発言内容とは関係ありませんが、私が気になったのは名前です。ベトナムの方はベトナム名でしたが、中国の方は日本名を名乗っていました(帰化したのか、通名なのかは分かりません)。聴衆にはベトナム出身の方が2名いらっしゃいましたが、ともに日本名を使っていました(同じく、帰化したのか、通名なのかは分かりません)。なぜ、日本名を使わなくてはいけないのか。

 同化を強いることではなく、違いを受け入れる、認め合うことが大切だと思います。出身地に関係なく、誰もが住民として主人公であり、出自を気にせず暮らせる社会が、目指すべき方向ではないでしょうか。色々な文化が共存し、多様性に富んだ社会。「違いがあるから面白い」とも言えます。
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お題「2019年の抱負を教えて!」

2019年02月05日 | 雑記
2019年の抱負は、正にこのgooブログ。
ブログを始め、ブルグを続けていくことが、2019年の抱負です。
始められたので、これからは継続を心がけていきます。
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カルロス・ゴーン氏の逮捕に関する雑記

2019年02月04日 | 雑記
フランスのAFP通信がゴーン氏へのインタビューを配信しました。
記事によると、「逮捕後初の外国メディアとのインタビュー」だそうです。
また、記事には「1月31日、東京拘置所でAFPと仏日刊紙レ・ゼコーの取材に英語で応じた」ともあり、なぜフランスのメディアの取材に英語で応じたのか疑問でした。
また、「発言全文」にしては内容が少ないのではとも感じました。

「これは裏切りの物語だ」 ゴーン被告の発言全文、AFPインタビュー

上記の疑問は、AFPの以下の記事で、解決しました。

役員室から拘置所へ ゴーン被告、勾留中もCEOの威厳変わらず


この記事によると、「立ち会った拘置所職員2人のうち1人は木製の机でメモを取り、もう1人は所定の面会時間15分を正確に計っていた」とのことですので、拘置所職員がメモを取るために、英語だったのでしょう。
インタビューできた時間が15分だけだったならば、内容が少ないのも仕方ないでしょう。

私は、個人的に日産自動車に思い入れがあり、ゴーン氏逮捕の帰結が、ずっと気になっています。
言われている容疑が事実であれば、確かに然るべき罰を受けるべきです。
ですが、裁判も始まっていないのに、ゴーン氏は悪人の様になっています。
「私はなぜ、有罪を宣告される前から罰せられているのか?」というゴーン氏の言葉にも、耳を傾ける必要があるのではないかと感じました。
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