グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

方方日記(1月28日) 日本語訳4

2020年05月10日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月28日) 日本語訳

 昨日から天気も良くなり、雨も降っていない。今日の午後は外に出て太陽を浴びた。澄んだ空は、気持ちも明るくしてくれる。ただ、家に閉じ込められている人は、イライラも募ってくる。いずれにしても、都市封鎖の日から、すでに人々は6日くらい閉じ込められているのだ。この間、親しく語り合う機会も多かったが、言い争いの機会も少なくはない。各家庭では、老いも若きも、毎日毎日、寄り添いあって過ごすなんて、過去に想像もしなかっただろう。特に、家の小さな家庭では。そのほか、ずっと外出しないと、大人は何とかなるかもしれないが、子供は本当につらいだろう。心理学を学んだことのある人たちには、何かしら武漢市民を慰める方法があるのか、私には分からない。ともかく14日間、私たちは自分を閉じ込めておかなければならないのだ。聞くところによると、ここ最近で、感染の状況は爆発期に入ったようでもあるのだ。このように念を押している医者もいる。「家に米があるなら、米を食べ、外出はいけない」。はいはい、医者の言うことを聞こう。

 この日は、相変わらず憂いと喜びが半々といった感じだ。昨日、中国新聞通信社(China News Agency)の編集長で私の同窓生でもある夏春平さんからWeChat(訳注:中国のSNS、LINEに似ている)で取材を受けた。今日の午後は、スタッフと写真を撮りに来た。意外だったのは、彼が20枚もN95マスクをくれたことだ!正に雪中に炭を送るがごとく、本当に助けられ、私は本当に嬉しかった。ちょうど私たちが文聯大楼の入口で写真を撮って話していた時、同級生の耿さんが米を買って帰ってきた。彼は不思議そうな目で私たちを見ていた。私は、彼が河南人(訳注:河南は中国の省)らしく真に受けて、「どちら様?なんで我々の文聯大楼の入口に立っているんだ?」と叫んでくると思い、彼のあの様子を見て、すかさず声をかけた。すると、彼の眼はすぐに親しみやすく優しくなり、久々の再会を喜ぶようであった。とは言っても、私たちは毎日、同級生のチャットグループで交流してはいるが。夏春平さんは歴史専攻だった。当時、中国文学専攻と歴史専攻は宿舎が同じだった(訳注:中国の大学では、基本的に学生たちは学生宿舎に暮らしている)。そのため、私が紹介すると、彼ら2人もすぐに打ち解けた。耿さんは武漢と海南(訳注:海南は中国の省)で、ともに私と同じ敷地内に住んでいる。彼は今年、海南には行けず、私たちは同じ運命で、ともに家に閉じ込められているのだ。耿さんが言うには、団地の8号棟の感染者2人はすでに入院したそうだ。そうならば、近所の人たちも一安心といったところだろう。病院での治療は、家での隔離よりもずっと良い効果があると、信じている。やはり、彼らの1日でも早い回復を祈るばかりだ。

 夏春平さんを見送って家に戻ると、私が昔に書いた「盧山で古い別荘を見る」(訳注:盧山は江西省にある山)と「漢口租界」の編集主幹であった袁さんが私のWeiboを読み、マスク3袋を送ってきてくれた。感動だ!古い友達は心強い!私は一気にマスク長者となった。そこで、昨日マスク不足で共に頭を悩ませた同僚たちへ分けることにした。たった今、ある同僚がマスクを取りに来たが、私に野菜を持ってきてくれた。私は、今回は共に困難に臨んでいる感覚があるねと言った。この同僚の家は、老人から子供までの三世代だ。また、病人もいる。彼女は、隔日で野菜を買いに出なければいけない。そういえば、彼女は1980年代生まれでもあり、全く簡単なことではない。さらには、仕事にも気を配っている。彼女たちのオンラインでのやり取りを聞いていると、「今号の原稿は送ったでしょ?」などだ。考えてほしい。武漢にはこのような人たちがいる。乗り越えられないことなどあるだろうか?

 悪い知らせも、至る所に飛び交っている。先日、百歩亭の4万人会食(訳注:人数が4万人ではなく、「4万の家庭」としている報道もある)の知らせを見た時、私はモーメンツ(訳注:WeChatの機能、LINEのタイムラインやFacebookの投稿機能に相当)で批判を加えた。きつい言い方にならざるを得ない。このような時に、地域で大型の会食を開くなんて、「基本的には犯罪行為である」。この発言は1月20日だった。思いもよらなかったのは、引き続き21日に省が大型の懇親会も開いたことだ。人々の常識はどこへ行ってしまったのか?こんなにも硬直化し、愚かしく、融通も利かず、事実を重視しない状態で、何ができるというのか?随分と甘く見ていますね、とウィルスは思っているだろうに!この類のことに関して、私は多くを語りたくはない。悪い知らせは、正に百歩亭から聞こえてくる。参加者の中には、感染が確認された人もいるのだ。より詳しく確認したわけではないが、直感的に判断して、このことを知らせてくれた人が、嘘を言っているとは思えない。考えてみてほしい。あんなにも多くの人が集まる会食で、感染しない人がいるなんてあり得るだろうか?ある専門家が言うには、今回の武漢肺炎(訳注:原文も「武漢肺炎」という漢字を使っている)の死亡率は決して高くないとのことだ。皆がこの話を信じたいと思っているし、私もそうだ。ただ、思い出すと怖くなることもある。1月10日から20日までの間、頻繁に会議をしていた人たちは、注意が必要だろう。ウィルスは、社会的身分など考えないはずだ。

 ついでに周市長の帽子の話も。昨日から今日にかけて、この件はインターネット上で批判の的になっている。いつもなら笑って終わりだ。ただ今回、周市長は市の職員たちと感染症対策のために奔走している。彼の疲れや焦りは、見ればすぐに分かる。私が推測するに、彼は事態が落ち着いた後、自分にどんな結末が待ち受けているのか考えたのだろう。人はこのような時、後ろめたさや自責、もう間に合わないという後悔、気が気でない不安などを持ち、彼だって同じだ。だが、彼は市政府の首脳であり、どんなことがあっても、気持ちを奮い立たせて目の前の大事件に臨まなければいけない。その一方で、彼は普通の人でもある。周市長は分をわきまえて実務にいそしむ人であり、評判は良いと聞いたことがある。彼は、鄂西(訳注:鄂西は湖北省の西部、周市長の出身地も湖北省西部の建始で、彼は建始で政治の仕事を始めた)の山間部から着実に仕事をこなしてきたのだ。おそらく人生の中で、今回のような大事件に遭ったことはなかったはずだ。そのため、私たちは思いやりを持った角度から、この帽子事件を捉えなおす必要があるのではないかと、私は思う。例えば、もしかしたら、彼は寒い天気だったので帽子をかぶったが、総理はかぶっていなかった。彼は総理より若く、帽子をかぶったままだと無礼にあたると考え、帽子をとって助手に渡した。このように考えると、少しは良いのではないか?

 こんな感じで、少しずつ記録していく。
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方方日記(1月27日) 日本語訳3

2020年05月07日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月27日) 日本語訳

 皆さんの武漢や武漢市民に対する関心や心遣いに、引き続き感謝。私も引き続き、事実を伝えていこうと思う。

 現在、大きな問題は、多くの人があまり心配しなくなったということだ。心配しても意味がない。感染していなければ、楽観的だ。

 目下のところ、市民が憂慮しているのは、相変わらずマスク不足のことだ。今日、ある動画を見た。ある上海市民がマスクを買いに行くと、薬局で1枚30元(訳注:約450円)で売られていた。これに彼は怒り、スマートフォンで全てを記録し、薬局を指弾した。しかも、どうしても買う必要があるため、領収書を要求した。彼は、私よりずっと賢いし、ずっと勇気もある。敬服した!

 マスクは消耗品で、使用量も多い。また、専門家の話では、ウィルス防止に効果的なのはN95マスクだけだそうだ。しかし現実では、この様なマスクは全く買えない。オンラインで買ったとしても、届くのは旧正月明けになってからだ(訳注:感染拡大を受けて期間は延長されたが、当初の予定では1月24日から1月30日までが旧正月の法定連休だった)。弟(訳注:年下の男のいとこだと思われる)は幸運だ。彼らの団地では、ある家族の親戚が1000枚ものN95マスクを送ってきてくれたのだ(なんて良い親戚だ!)。弟の家族は、10枚を分けてもらった。「心の優しい人はいるんだよ」と彼は感慨深そうに話してくれた。しかし、兄(訳注:年上の男のいとこだと思われる)の家でこんな幸運はなかった。彼らは、N95マスクを1枚も持っていない。ただ、私の姪が持ってきた使い捨てマスクがあるだけだ。こんな状況で、数も限られている。こうなると、家で洗い、アイロンで高温消毒し、再利用するしかない。これでは少し惨めだ(そういえば、シンガポールのチャーター機の件だが、姪の話では、まだ最終確定に至っていないようだ。Weiboで触れてほしいとのことだったので、ここに報告する)。

 私自身も、大して変わらない。1月18日はお見舞いで病院に行く必要があり、どうしてもマスクをしなければならなかった。しかし、家には1枚もなかった。突然、あることを思い出した。12月中旬に成都へ行った時、後輩の徐旻君が「成都は空気が悪いから」と言って、私にマスクをくれたのだ。実のところ、武漢の空気も良くはないので、私は悪い空気に慣れていて、徐君からもらったマスクは使っていなかった。今回は救われた。幸運なことに、それはN95マスクでもあった。私はこのマスクで病院へ行き、空港へ行き、マスクを買いにも行った。何日もこのマスクを使っていたが、これは仕方がない。

 私の家には、私のほか、16歳の老犬がいる。1月22日の午後、ふとドッグフードが無くなっていると気付いた。急いでペットショップへドッグフードを買いたいと連絡し、ついでにマスクも買ってこようと考えた。そこで、家から近い東亭路の某薬局へ行った(薬局の名前は出さなくてもいいだろう)。ちょうどN95マスクはあったが、1枚35元(訳注:約525円)だ(上海より5元も高い)。1袋は25枚入りで875元(訳注:約13,100円)。私は、この様な時になぜこう腹黒くなれるのかと言った。彼らは、卸業者が値上げをしたので、自分たち小売りも値上げするしかないと答えた。急を要しているので、高くても買うしかない。私は、とりあえず4枚だけ買い、また考えることにした。ここのマスクは個包装ではないため、なんと、店員は手で直接つかんだ。これを見て、こんな衛生条件なら、つけないのと変わらないと思った。結局、私はマスクを買わなかった。

 大晦日(訳注:旧暦)の日、私はまたマスクを買いに出かけた。全ての薬局は、閉まっていた。ただ、家族経営の小さな売店が開いているだけだった。ある売店で、N95マスクを見つけた。ブランドは「沂蒙山」で灰色、個包装。1枚10元(訳注:約150円)。4枚を買った。ようやく気持ちが少し落ち着いた。兄の家にマスクがないと分かり、2枚を明日には届けると約束した。しかし明日になると、やはり外出は避けろと兄は言う。不幸中の幸いだろうか、外出はしないので、マスクもあまり使わないのだ。

 先程、同僚とWeChat(訳注:中国のSNS、LINEと似ている)で話をした。多くの人が、現在の最大の問題はマスクであると言う。結局のところ、たまには外に出て、買い物をする必要がある。ある同僚は、友人が郵送してくれたが、届かなかったとのことだ。また、非正規品を買ってしまうこともあるそうだ。インターネット上でマスクを回収し、処理を施してまた売るという例もあり、こんなのは使う気にならない。誰もが1~2枚しか残っていない状態で、お互いに励まし合うしかなかった。大事に使おうと。ある笑い話は、全く的を射ている。マスクは豚肉に取って代わり、年越し(訳注:旧暦の)で最も売れ筋の商品となった。

 私は、マスク不足が兄や同僚たちだけのことではないと考えている。武漢の一般市民たちは、多くがマスク不足であると思う。また、私はマスクが足りなくなっているのではないと信じる。足りないのは、市民の手元へ届ける方法だ。ここに来て、ただただ運送会社が早く通常勤務に戻り、武漢の物資に対しては対応速度も上げてほしいと願う。危機の克服を助けてほしい。(訳注:旧正月の連休中は運送会社も休むため、物流には大幅な遅れが生じてしまう。)
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方方日記(1月26日) 日本語訳2

2020年05月06日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月26日) 日本語訳

 皆さんのフォローと感心に感謝。武漢市民にとってこの重要な時、人々は初期の混乱や孤立感、焦燥感、緊張から抜け出し、現在はかなりの程度で落ち着いて安定している。だが、依然として皆さんからの慰めや激励は必要だ。今日までのところ、多くの武漢市民はすでに驚き慌てる状態ではなくなった。実は、12月31日の時点から回想し、この期間に私自身が体験した警戒から安堵までの全過程を記そうと思っていた。しかし、それを書くと長すぎる。そこで、まずは随時に日々の感想を書き、その後でゆっくりと「都市封鎖の記録」を書こうと思う。

 昨日は1月2日で(訳注:旧暦の1月2日)、雨と風で寒かった。良い知らせもあれば、悪い知らせもあった。良い知らせとは、国の支援の程度がますます大きくなり、より多くの医療関係者が武漢へ来てくれたこと、そのほか諸々だ。これで、武漢市民がどれほど安心できたことか。これらは、周知の事実だろう。

 そして、私自身の良い知らせとは、今のところ、家族に感染者がいないことだ。弟(訳注:年下の男のいとこだと思われる)は、感染症の中心地に住んでおり、彼の家は華南海鮮市場と漢口中心病院(訳注:漢口は武漢市の区、武漢市漢口区)の近くなのだ。弟の体調は良いとは言えず、前からあの病院には出入りしていた。だが幸いに、彼ら夫婦に大事はない。弟は、10日分の食料は確保しており、全く外出しないと言っている。私と私の娘、兄一家(訳注:年上の男のいとこだと思われる)は、武昌(訳注:武漢市武昌区)に住んでいる。長江を隔て、危険の程度は、漢口と比べて低く、(武昌は)落ち着いている。家から出られないとはいえ、つまらないという感覚もない。私たちの多くは、外出自粛に慣れた人とでも言えるだろうか。ただ、他の都市から帰省してきた姪と姪の娘は、やや気をもんでいる。もともとの予定では、23日に高速鉄道で武漢を離れ、広州へ行き夫と夫の両親と会うこととなっていた(実のところ、広州へ行けたとしても、日々の生活が武漢より良いとは言えなかったかもしれない)。しかし、都市封鎖となり、武漢から出られなかったのだ。都市封鎖がいつまで続くのか、仕事や子供の学校に影響するのか、全てが問題だ。だが、彼らが持っているパスポートはシンガポールのもので、昨日シンガポール政府から通知があった。それによると、近日中に武漢へチャーター機が飛び、シンガポールへ帰れるようだ(シンガポールの華人や華僑は、武漢に少なくないようだ)。彼らは帰った後も、14日間は隔離される。この知らせがあり、みなは一息つくことができた。もっと良い知らせもある。娘の父親(訳注:夫のことだが、中国語ではこのような言い回しもする)は上海で入院しており、レントゲンで肺に影が見られたが、昨日は警報も解除され、普通の風邪であり、新型コロナウィルスには感染していなかった。そして本日、退院となった。ついこの間、娘は彼と一緒に食事をしていたが、陰性が判明したため、自宅での厳しい隔離を受けることもなくなった(旧暦の12月30日、私は雨の中、車で彼女へ食事も届けたのだ!)。この様な良い知らせが毎日あるようにと、どれほど願っていることか。外出できないとはいえ、少なくとも、私たちの心は少し楽になっている。

 悪い知らせももちろんある。昨日の昼間、娘が私に告げた。彼女と親しい人の父親(肺癌を患っている)に感染の疑いがあり、病院へ送られたのだが、応急手当を受けられず、3時間で亡くなったそうだ。これはおそらく、2日前のことだ。電話で、彼女はとても感傷的なっていた。昨晩は仲間の李さんから電話があり、私の暮らしている文聯大院(訳注:団地のような居住区の名前)でも2人の感染者が見つかったと言われた。30歳代で、家族感染らしい。(李さんからは)気を付けるように促された。彼らの家は、私の家から200~300メートルの距離だ。しかし、私の住んでいる所は独立しているので、それほどの心配はいらないだろう。とは言っても、彼らと同じ建物に暮らしている人たちには、やや緊張感がある。今日は、また同僚から話を聞いたが、彼らは軽症の感染者で、自宅隔離で治療するとのことだ。若いし、(治療)体制もしっかりしており、感染も軽症、きっとすぐに症状を克服できるだろう。彼らの早い回復を願う。

 昨日、湖北省の記者発表は、話題となった。かなりの言われようだった。政府職員3人の表情は、悲しみと疲労に満ち、間違いも多く、心の乱れを物語っていた。実は、かわいそうでもある。彼らだって、家族が武漢にいるはずだ。彼らの自責の念は真実であると、私は信じている。どうして事態がここまで来てしまったのか、正常に戻れば、それも自然と分かるだろう。武漢政府は、初期の段階で感染症を軽く見ており、また都市封鎖の前後で職員は対応に窮していた。それが、市民に大きな恐れを与え、全ての武漢市民が傷つけられる結果となった。このことは、細々と文章にしていきたい。しかし今、私が言いたいことは、湖北省職員の対応の良しあしは、実のところ、中国の政府職員としては平均的ということだ。彼らが、他と比べて劣っているなどということは決してない。彼らは、運が悪かったのだ。職員たちは、書類に従って業務を行う。しかし、書類がなければ、なす術もない。今回の事態が、同じ時に別の省(訳注:省は日本の都道府県に相当)で起これば、そこの職員たちの対応が武漢より良いなどということはないだろう。官界が不運にも淘汰された悪しき結果、政治の正しさについて空論を述べ、事実に即して問題に対処しなかった悪しき結果、真実を口にすることを許さず、真相を報道させなかった悪しき結果、私たちはこれらを1つ1つ味わっているのだ。武漢がまず最初に、大きなものを食らったというだけだ。
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方方日記(1月25日) 日本語訳1

2020年05月05日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月25日) 日本語訳(意訳の部分もあります)

 私のWeibo(訳注:中国のSNS、中国版Twitterと言われることが多い)がまだ発信できるか分からない。先日、若者たちが街で集り悪口を繰り返すことに反対したら、Weiboがロックされてしまったのだ(しかし、私は今でも自分の観点を堅持している。つまり、愛国を表現するのであれば、街頭での罵詈雑言を良しとするわけにはいかない。これは文化水準の問題だ!)。訴えても意味がなかった。そのため、Sina(訳注:漢字では「新浪」、Weiboの運営元)には大変に失望し、二度とWeiboなどするものかと考えていた。

 しかし、武漢がこのような重大な事態になるとは思ってもいなかった。武漢は全国的な注目の中心となり、都市封鎖が行われ、武漢市民はいたるところで毛嫌いされ、私もこの街から出られなくなるなんて。今日、政府は改めて指示を出した。それによると、中心区域は、本日の深夜0時から自動車の通行が厳禁となる。私は正に中心区に住んでいる。たくさんの人が私たちを案じ、また個人的に連絡をくれた人もいた。皆さんからの関心や問いかけは、私たち家から出られない人たちを温かい気持ちにしてくれた。先程、雑誌「収穫」の程永新氏から連絡があり、「都市封鎖記」を書いてみたらどうかと言われた。これを聞き、もし私のWeiboがまだ文章を発信できるのであれば、続けるべきだと感じた。それはまた、武漢の真の近況を伝えることにもなる。

 ただ、この文章を発信できるのか全く分からない。もし、誰かがこの文章を見たならば、コメントを残し、発信できると私に知らせてほしい。Weiboには、発信できたと思っても、実は誰も見ることができない、という技術がある。この技術を知ってから、私は思い知った。「高度な科学技術が悪をなせば、急性伝染病の比ではない」と。

 では、まず発信してみる。
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封鎖下の日々をつづった「武漢日記」、海外出版で中国人作家に国内から批判

2020年05月04日 | 中国や大連のこと
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/afpbb/world/afpbb-3280534

方方氏の日記が記事になっていました。
(ここでは「武漢日記」となっていますが、「方方日記」の方が一般的だと思います。)
私はまだ読んでいませんが、確かに中国のSNSなどでは批判の対象となっていましたので、どのような内容なのか気になっていました。
検索したところ、「方方日記」が見つかりました。
「方方日記」に目を通し、今後のブログで抄訳などを載せていければと思います。

【追記】
Wikipedia(中国語)によると、方方氏については次の通りです。
1955年5月の生まれ。本名は汪芳。江蘇省南京市で生まれ、湖北省武漢市で育つ。武漢大学を卒業(中国文学を専攻)。湖北省作家協会の首席などを歴任。代表作は「風景」「軟埋」などで、受賞歴もあり。
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