GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 AKIRA、ホコ天でGLAYに出会う

2009-09-21 | アマチュア時代




 1992年5月3日。憲法記念日。この日は、朝から五月晴れの空が広がっていた。

 その日、俺(AKIRA)は助っ人として加わったバンド「猫来(ねこ)」のメンバーとともに、原宿の『ホコ天』にやって来た。俺は、18歳のころから地元のバンドに参加してドラムを叩いてきた。

 「やるなら、トコトンやってみたい」という俺は、バンドで自分の生活を立てていく、そんな気構えでバンド活動を続けていた。

 しかし、それまで俺が加わってきたバンドには「面白いしいいじゃん。時々ライブして、打ち上げでパーッと酒飲んで、可愛い女の子がファンについたら、その子たちと付き合ったり・・・」 というようなメンバーが多かった。

 それが俺には我慢ならなかった。そのため、特定のバンドに長く参加することもなかった。この日の猫来のように、いくつかのバンドで助っ人ととしてドラムを叩く日々を送りながら、プロへの夢を追いかけていた。


●ホコ天到着

 代々木上原方面から車を入れ、積んであったギター、ドラム、アンプ、そしてアンプなどの電源となる発電機などを路上におろした。

 代々木体育館の正面に自分達が演奏する場所を探し当てると、そこまで荷物を運んだ。背中に代々木公園を背負うようにしてセッティングに入る。ロックグループ・猫来の演奏が開始された。

 「どうせホコ天でやるんだからさ、今日は大いにノッてやろうぜ!」 「ほかのバンドに負けないようノイズを効かせて、ギンギンにやったほうが、いいと思わない?」

 俺は猫来のメンバーとそんな会話を交わしながら、ドラムを叩き始めた。

 空からは、5月とは思えないほどの強烈な日差しが降り注いでいた。1曲、2曲。力一杯、俺はドラムを叩き続ける。みるみる間に汗がしたたり落ちてきた。

 俺たちの演奏している正面で、ほかのバンドも演奏し始めた。あまりにも暑い。6曲か7曲、多くても8曲ほどやると、ヘトヘトになってしまう。「ちょっと休もうか」 見てみると、どのバンドも7~8曲で休みを入れ、再び演奏し始める。


●GLAYとの出会い

 その日、初めて休憩をとった時のことだ。目の前のバンドがふと目に入った。せつなく甘い、そして独特のボーカルが聞こえてくる。

 猫来の紅一点であるボーカルの子が言う。「あっ、GLAYだ。ねえねえ、GLAYが目の前にいるよ。こんなの偶然としか思えない!」 俺がGLAYという名を耳にしたのは、この時が初めてだった。

 猫来のメンバーはGLAYの存在を知っていた。八王子にある音楽スタジオ「サウンドステーション」を使っていたGLAYと猫来が、クリスマスイベントで共演していたというのだ。

 俺に強烈な印象を与えたのは、なんといってもTERUのボーカル。160cmそこそこしかなく、けっして大柄とはいえない。

 しかし、体全体から出るその声はあまりにも激しく、そして甘く、メロディアスに俺の耳に飛び込んできた。しかし、正直言ってこの時のGLAYの演奏は、ボロボロで聞けたものではなかった。


●メロディーラインと歌声に衝撃

 俺たちが一休みを終えて、演奏を再開しようとしたとき、GLAYの演奏が終わった。

 メンバーがそれぞれ、「つらいよな。ぜんぜん酒抜けてねぇよ」 そう言うと、TERUは、「俺なんか、まだ胃の中にビールが半分残ってる状態だよ」と言っている。

 メンバーたちの話を聞いていると、前日、夜の10時頃までライブハウスでライブをやり、そのあと打ち上げに繰り出したようだ。そして明け方頃まで飲み続け、2~3時間だけ眠り、すぐホコ天にやって来たということだった。

 ヨレヨレのシャツや洗いざらしのジーンズ。TERUの髪は金髪に染め上げられ、ツンツンにどんがっている。全員がサングラスをかけ、どう見ても田舎から出て来た、ロック大好きのちょっとイモが入ったバンドにしか見えなかった。

 音そのものは決してほめられたものではなく、むしろ、俺の加わっていたバンド・猫来のほうが、よっぽどしっかりしていた。しかし、メロディーラインの良さは、グンを抜いて素晴らしかった。

 それにTERUの声のツヤ。1曲1曲、あまりにも激しく、一生懸命歌うその姿。当時デビューし、メキメキと頭角を現していたLUNA SEAの河村隆一の声を彷彿とさせる甘さがあった。

 当時の音楽シーンでは、LUNA SEAがメジャーへ行き、ビジュアル系バンドが注目されてきた時期だった。


●GLAYに興味をもつ

 その日、8曲ほどの演奏を計4回ほど終えたころには、夕方5時ごろになっていた。「もういいから、八王子に帰って打ち上げしようよ」 メンバーは、それぞれ思い思いの演奏を堪能したという満足感で胸がいっぱいだった。

 早々と機材車に自分たちの楽器などを乗せ、一路、首都高を抜け、中央自動車道を八王子へと向かった。

 帰る途中、車内で気になっていたGLAYについて、それとなく猫来のメンバーに聞いてみた。「GLAYっていうのは、結構古くからやってるバンド?」 すると、猫来のリーダーが教えてくれた。

 「うん、函館から来たらしいよ。メンバーはすごくやる気があるんだよ。だけど東京ではコネがないから、結構苦労してるみたいだよ」

 俺が続けて、「あのバンドって、すごいと思わない? オリジナル曲のメロディラインもいいけど、なんたってボーカルがいいじゃん」と、感じたことを口に出してみた。

 すると、「そうなんだよ。GLAYって、曲やボーカルは結構注目されてるんだよ」 猫来のリーダーは俺と同じ意見を持っていた。


●GLAYのデモテープ

 「今日の演奏はボロボロだもんな。メンバー全員が二日酔いでヨレヨレだったけど、いつもはあんなんじゃないと思うんだよね。一回、GLAYのライブの音を聴いてみたいよ」

 そう言うと、「あっ、そう? ちょうどいいや。1週間後に神楽坂のエクスプロージョンに出演するから、AKIRA、よかったら行ってみたら?」 猫来も何度かエクスプロージョンに出演していて、GLAYとも対バンしたことがあったらしい。

 その場で決めた。「うん。行ってみるよ。なかなか興味があるバンドだから」 ライブに足を運ぶ前、猫来のリーダーがGLAYのデモテープ 『LOVE SLAVe』 を俺に渡してくれた。

 「これを聞けば、GLAYの曲がどういうものかよくわかるよ。見に行くなら、これ聴いてから行ってみたら?」 このテープは、GLAYが函館時代に録音したものだという。

 A面に『LOVE SLAVe』が入り、B面には『POISON』が入っていた。函館時代にとったテープとなると、彼らが高校生の時に録音したものだ。今考えると、高校生が作った曲としてはなかなかのものだった。

 こうして俺は、GLAYと出会った。それから2年間、これまでの人生で一番長いようで短く、そして充実した時間を、TAKURO、TERU、HISASHI、JIROと共有することになる。





【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス


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