ツアー中もいろいろなアクシデントが起きた。広島のチンチン電車衝突事件など、今考えてもお腹を抱えて笑いたくなるほど珍妙な事件だった。
94年9月30日、広島『ネオポリスホール』でステージを終えた僕たちは、その夜、広島の『お好み焼き村』に出向いて、メンバーおのおのが自分の好きなお好み焼きに舌鼓を打った。
●機材車の荷台に衝突
10月3日には松山『サロンキティ』でのステージが予定されていたため、翌日、昼過ぎには四国・松山への移動を開始した。僕たちメンバーは、移動用のマイクロバスに乗る。その前をスピーカーやアンプ、ギターやドラムセットなどを乗せた機材車が走っている。
広島には路面電車が走っている。道路は混んでいた。僕たちの前を走っていた機材車は路面電車の線路にかかるように止まった。そこに路面電車がやってきた。
機材車は渋滞で身動きがとれない状態だ。当然、路面電車は止まるものと思っていた。しかし、まったくスピードを落とさず、機材車の後ろに走り込んでいった。
僕たちは車に乗りながら、「やぱいよ。電車がぶつかるよ。車にぶつかるよ。ほら、ほら、ほら。」そんなことを言っているうちに、路面電車はブレーキをかけることもなく、渋滞で止まっていた機材材車の後ろに本当に「ガシャーン」と衝突してしまった。
路面電車に追突された機材車は、その勢いで前に止まっていた軽自動車に玉突き衝突をした。
機材車は頑丈なトラックだ。路面電車にぶつけられた部分が少しへこんだだけだったが、機材車の前に止まっていた軽自動車の窓ガラスは粉々に壊れてしまった。ほどなく、サイレンの音がしてパトカーが来た。
「どうしてくれるのよ、あんたたち。車のガラスが粉々じゃないの。私だってむち打ちになってるかもしれないし、このままじゃおさまらないわよ。」 機材車の運転手さんに向けて、軽自動車に乗っていたオバサンがえらい剣幕で怒鳴り込んできた。
まさか、機材車の後ろに路面電車が衝突して、玉突きでぶつけられたとは軽自動車のオバサンもわからなかったに違いない。
「そんなことより、うちだって被害者ですよ。路面電車がぶつかってきて玉突きになったんですからね。ちょっと待ってくださいよ。事情は警察に話しましょう。」
●路面電車の脇見運転
警察が到着すると、「どういうことですか。ちょっと運転手さん、降りて下さい。ちょっと話を聞きますから。」ということになった。僕たちは前日のライブでかなり疲れていた。車の中にいても気が滅入るだけだ。
「だったら、みんなでコーヒーでも飲みながらこの話が終わるまでそっちで休んでいようよ。」 僕たちは道路脇にあったファーストフードの店に飛び込み、コーヒーを注文してハンバーガーなどを頬張っていた。機材車の運転手さんが警察に説明をしている。
「GLAYというバンドの機材を積んでいるんですよ。これから四国の松山に渡るんです。フェリーボートの予約も取ってありますから、急がなければならないんです。車の修理に関してはまた連絡を入れますから、なにとぞ穏便にお願いします。」 こう言うと、警察も事情がわかったようだ。
「わかりました。あくまでもあなた方は被害者ですから、警察のほうでちゃんと取りはからいます。後で連絡取らせてください。」
その場はそれで終わったが、とにかく路面電車が線路の上にはみ出している車の荷台に気づかず衝突してしまった。理由は路面電車の運転手さんの脇見運転ということだった。
TAKUROやTERUに言わせると、「函館にも路面電車が走ってるんだよね。何年も見ているけど、路面電車と道路を走っている自動車がぶつかったなんて初めて見たよ。」 これは本当に驚いた経験だった。
【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス」