今日の日刊スポーツにこんな記事が載っていた。
「ヨッシャと思えなかった鬼崎」(たしかこんな見出しだった)
CS中日-ヤクルト2回戦。
7回1死2塁、2-2同点、中日の攻撃。
井端、遊ゴロ。
ヤクルト遊撃鬼崎は一塁送球。
二塁走者の谷繁に三塁進塁を許し、次の荒木に決勝の適時打を打たれた。
…その場を見ていたわけではないので、どんなゴロがどこにとんだのかはわからない。
鬼崎は「三塁送球が走者に当たりピンチが広がるのを恐れた」と述べている。
あるいは次の荒木と館山の相性を考えてのプレイだったかもしれない。
すべては結果論だ。
だが、記事によれば同じヤクルトの宮本が「あのゴロで走者が進塁しようとしたらうまい遊撃手なら“ヨッシャ!”と思うはず」とのコメントが載っていた。
鬼崎の判断が間違っていたかどうかは別として、ここから僕は君たちに言おうとしていたことがあるいは正解なのではないかと思って、今日この記事を書いている。
かつて…前の代だが、練習試合の相手校が挟殺で「よっしゃ!」と声を出しアウト一つもうけたとばかりに嬉しそうにプレイしていたことを述べたことがある。
今僕は君たちにもっと余裕を持って試合に臨んでほしいと思いつつ連日更新しているのだが、やはり平凡な内野ゴロやフライは「よっしゃラッキー!!」と上から目線でさばいてほしい。
「ピンチをしのがなければならない」というプレッシャーもわかる。
「“今”に集中しろ」と述べていることと矛盾するかもしれないのもわかる。
だが、どんなにうちがピンチに追い込まれていても、凡打を打ってくれたことはわれわれにとっては限りないチャンスなんだということは忘れてはいけない。
苦しいのは相手なんだということは忘れてはいけない。
ポジティブシンキング。
必死に球を追いかける姿は美しいものだが、その中でもゴロをさばくとき、フライを捕るとき、それがノックの最中であっても「ヨッシャ!ラッキー!」と相手を上から見下ろして捕ってほしい。
そういう意味でもA捕手の試合中のポジティブキャッチング「はいラッキー!!」みたいなのはすごくいいんだな。
…では、明日からの中間テスト、しっかりやれよ。
「ヨッシャと思えなかった鬼崎」(たしかこんな見出しだった)
CS中日-ヤクルト2回戦。
7回1死2塁、2-2同点、中日の攻撃。
井端、遊ゴロ。
ヤクルト遊撃鬼崎は一塁送球。
二塁走者の谷繁に三塁進塁を許し、次の荒木に決勝の適時打を打たれた。
…その場を見ていたわけではないので、どんなゴロがどこにとんだのかはわからない。
鬼崎は「三塁送球が走者に当たりピンチが広がるのを恐れた」と述べている。
あるいは次の荒木と館山の相性を考えてのプレイだったかもしれない。
すべては結果論だ。
だが、記事によれば同じヤクルトの宮本が「あのゴロで走者が進塁しようとしたらうまい遊撃手なら“ヨッシャ!”と思うはず」とのコメントが載っていた。
鬼崎の判断が間違っていたかどうかは別として、ここから僕は君たちに言おうとしていたことがあるいは正解なのではないかと思って、今日この記事を書いている。
かつて…前の代だが、練習試合の相手校が挟殺で「よっしゃ!」と声を出しアウト一つもうけたとばかりに嬉しそうにプレイしていたことを述べたことがある。
今僕は君たちにもっと余裕を持って試合に臨んでほしいと思いつつ連日更新しているのだが、やはり平凡な内野ゴロやフライは「よっしゃラッキー!!」と上から目線でさばいてほしい。
「ピンチをしのがなければならない」というプレッシャーもわかる。
「“今”に集中しろ」と述べていることと矛盾するかもしれないのもわかる。
だが、どんなにうちがピンチに追い込まれていても、凡打を打ってくれたことはわれわれにとっては限りないチャンスなんだということは忘れてはいけない。
苦しいのは相手なんだということは忘れてはいけない。
ポジティブシンキング。
必死に球を追いかける姿は美しいものだが、その中でもゴロをさばくとき、フライを捕るとき、それがノックの最中であっても「ヨッシャ!ラッキー!」と相手を上から見下ろして捕ってほしい。
そういう意味でもA捕手の試合中のポジティブキャッチング「はいラッキー!!」みたいなのはすごくいいんだな。
…では、明日からの中間テスト、しっかりやれよ。