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Mental Blog

2006年からメンタルトレーニングの勉強を始めたMT初心者によるエッセイ。

想定内の失点を笑い飛ばせ

2011-04-22 10:20:46 | ポジティブシンキング
逆転されても大きくリードされても、最後まで気持ちを切らずに戦える。
そんな精神的な強さが春の敗戦を経て身についてきたように感じている。
君たちのワンゲームを通じての集中力はすごいと思う。
よく育ってくれている。

しかしながら。
このチームの…というより高校生のどのチームもそうだと思うんだが…ベンチの雰囲気は浮き沈みが激しいのが難点。
いちいちへこんだり、いちいち喜んだりする感情表現の大きい選手は大概メンタリティが弱い。
まぁ、僕もそうなんだがね…。
監督時代は常に平静をよそおっていたが、やっぱりことあるごとに涙も笑顔も出てしまっていた。

「一喜一憂するな」
そう言うのは簡単だが、実現するのは難しい。
人間だし。教員として君たちには感情豊かに生きて欲しいし。
MTの見地に立てば、大事なのは「一喜」しても「一憂」しても切り替え作業を行うことなんだが、サイキングアップにつながる「一喜」はいいとして、「一憂」はしないにこしたことがない。

たとえば、先週の試合でT投手が本塁打を打った後、ベンチはおおいに盛り上がった。
が、すぐその裏に逆転された。
点を取った後の守備は締めてかからないと大けがするってのは誰にでもわかることだ。
だからこそ切り替え作業をしっかりと行って欲しいんだが、野球はえてして取った後に取られるもの。
それもみんなわかっているな?
ここが難しいんだよな…。
サイキングアップにつながるから「一喜」はしてもいい。
でも「一喜」の後には必ず「一憂」の要素が襲ってくる可能性が高いってことだ。
いくら締めてかかっても、面白いほど高校野球では【得点の直後】と【最終回】は点が入りやすい。
高校生のメンタリティの弱さを証明するいい材料だ。

そこで、発想の転換。
必ず点が取られやすいケースというものがあるのだから、しっかりとした切り替え作業ができないうちは、点を取られても気にしないことだ。
そう、想定内ってことで割り切ればいい。
「取られちゃいけない」(これが一憂だな)って考えて取られるよりは、取られて「あ、やっぱり」と思うポジティブシンキングをお勧めする。
その方が心理的ダメージも少ないどころか、想定内ってことでむしろ心理的余裕を保つことができる。
やっぱり点をとられちゃったか…ってペロって舌を出して苦笑いするくらいの余裕を見せて欲しいものだ。

2死における心理分析

2011-04-19 20:31:42 | ポジティブシンキング
最近、ネガティブな言葉を禁じているね。
日本には「言霊信仰」というものがある。
日本人は太古から「言葉」には大きな力があると信じてきた。
【言葉を発すれば、それが現実のものとなってしまう】…そんな神秘性についての畏れがうみだしたものだ。
いかにも非科学的な考えのようにうつるかもしれないが、スポーツ心理学の観点からみればこの「言霊信仰」は簡単に説明がつく。
姿勢と心理が連動する…とは散々述べてきた通りだが、ネガティブな言葉を吐くという行為は当然心理的に暗い影を落とす。
心に暗い影が落ちれば、パフォーマンスは低下する一方である。
その先には不幸しか待っていない。

さて、このネガティブの禁止…というよりもポジティブな思考を生み出す作業は、試合においてこそ発揮されるべきだ。
このチームは2死後の失点がいかにも多い。
そこには2つの原因があるように思う。

ひとつはピンチになってから2死をとった後。
こちらはポジティブシンキングは関係ないが、ようやく2死にこぎつけたその安心感…油断が集中力を妨げる。
ピンチをしのいでも、まだ通過点。通過点で集中力を切るのは愚の骨頂だ。

もうひとつは、2死後の失策や四死球からいっぱいいっぱいになり、点を取られるパターン。
これは間違いなくネガティブシンキングの産物。
2死までとっておきながら、いっぱいいっぱいになるのは間違っている。
2死から点を取るのがいかに難しいか、君たちも経験上わかることだろう。
だから、2死という状態は、相手にとってのピンチなのであり、われわれにとってはピンチでも何でもない。
むしろ内野は後に下がれるわけだから、その分守備範囲も広がり、もっともアウトのとりやすいシチュエーションになるのだ。

うらを返せば…相手も同じような心理を抱くとすれば、2死後のチャンス継続・あるいは2死後の相手のミスからの出塁は、われわれにとっては大きな得点の機会となる。
そのような心理を抱かせるために、チャンス継続中の2死はひそかにほくそえみ(盛り上がると相手も警戒する)、次打者はゆとりをもって打席に入る。
逆に2死後の幸運な出塁では大きく盛り上がる(相手をいっぱいいっぱいにさせる)…そんな雰囲気の作り分けができるとよい。

次の試合、僕は2死後に注目しよう。

恐怖と向き合う② ~臆病は天下を獲らせた

2010-01-22 18:31:57 | ポジティブシンキング
今日は昨日に続いて、恐怖とどう向き合うべきかの話をしたいのだが、そもそも恐怖を感じるのは正か邪か…つまり、臆病であることはいいことであるのかどうかという話をしたい。

たびたび徳川家康の話をする。
僕が最も好きな歴史上の偉人の一人である。
彼は臆病であるが故に戦国の世を生き抜き、ついには天下を獲った。
同時代の織田信長・豊臣秀吉とよく比べられるが、二人と異なって家康は独創性に乏しく、いわゆる「天才」と呼ぶにはふさわしくない人間だ。
彼は独創というものを極端に嫌った。
独創には安心感を与えてくれる根拠がないからだ。
独創とは自分を神のごとく信じることのできる人間か、天才のみにゆるされた才能であるのかもしれない。
戦国最強とうたわれた武田氏の滅亡後は信長がその遺臣を殺戮したのに対し、彼は旧武田家臣団を保護し、信玄の軍法をそのまま受け継いだ。
あるいは、秀吉と対決した際、足利義昭の構築した反織田信長包囲網をそっくりそのままコピーし、秀吉包囲網を構築する。
このように家康が極端に独創性を嫌い、過去の事例を真似たのは、彼が根本において臆病だったからであるらしい。
なるほど、家康は信長や秀吉に対し猫のように臣従している。
しかも信長に対しては妻子の命を奪われておきながら…。
本能寺の変の際には信長の後を追って自殺しようとしたし、大坂夏の陣でも真田幸村の猛攻に、やはりすぐに自害しようとして家臣になだめられている。
窮地に追い込まれるとすぐに恐怖に飲み込まれてしまう彼の臆病さ加減を象徴するできごとだ。
(もっとも。根本的には臆病、ではあるのだが、武田信玄の西上作戦の際、必ず負けるとわかっていながら「ここで城の前を素通りさせては武士の面目にかかわる」と、信玄に決戦を挑み、糞を垂れ流しながら城に逃げ帰ったという三方原合戦のエピソードあたりに家康の人間らしさが出ていて、僕は臆病と大胆さが共存しているこの徳川家康という「人間」をこよなく愛しているのだが)

さて、歴史上の伝記ではなかなかイメージがつかみにくいと思う。
そこで、昨日の『メンタルコーチング』から、メキシコ五輪で金メダルに輝いたボクシングの金子正明の談話を紹介しよう。
引用開始。
僕は臆病というか、妙に慎重なところがあった。試合前にはマットの上に転がって、そこから見える風景、たとえば時計やら国旗やら場外のラインやらを自分の目線で確認してました。試合のときに見える風景をあらかじめ確認しないと、どうも落ち着かないところがあったんです。
でも、アスリートというのは、臆病のほうが成功しているんですよ。というのも、臆病だからこそ万全を期すからです。大胆というのは意外と勝てないんですね。

引用終了。

注目してもらえるだろうか。
臆病は決して悪いことではない。
むしろ、臆病であるがゆえに準備に万端を期す。
ただ、勘違いしてほしくないのは、大胆さが必要ないと言っているわけではない。
「正しい判断」よりもときに「迷いのない判断」が結果を生み出すことが多い。
迷いのない大胆なプレーは、セオリー的には正しいが迷った上での判断よりも優先されることを覚えておいてほしい。

恐怖を恐怖として受け入れる臆病さは悪いことではない。
ただし、恐怖と向き合っていかにその恐怖を消し去るための準備ができるかどうかが大事になってくる。

相手を褒めてネガティブ思考を一掃せよ

2009-11-02 16:07:58 | ポジティブシンキング
いつ崩れるか…とハラハラしていたが、よくねばった!
相手の拙攻に救われたとはいえ、それでも1-0という形で、しかも無失策で試合をものにしたのは大きな収穫だ。
小技を使えばもっと点が取れたかもしれない。
でも、プラスにとらえよう。
プレッシャーの中で最終回を守りきれたその部分を財産としよう。
しかも相手は県大会3回戦のチームだ。
スタート地点がわれわれとは違う。
自信をもってほしい。

だが。
これで君たちがメンタル的に強くなったとはあえて言い切らない。
問題は次の試合だ。
ピンチを迎えてもそれを跳ね返すのがMTの醍醐味だと述べたよね。
いかに試合を、勝負を、ピンチを楽しむか。
常にポジティブに、挑戦する心を忘れないでほしい。
ピンチになっても相手を褒めれば心はネガティブに向かない。
打たれたら相手の打撃を素晴らしいと思い、捕られたら相手の守備を素晴らしいと思う。
そのことによって、こちらのネガティブシンキングを断ち切れればいい。

ピンチで崩れないこと。
残り数試合。
ポジティブシンキングで乗り切ろう。

先週金曜のトレーニングレクチャーで、「野球においてはメンタルが一番大事」と手を挙げてくれた諸君、僕は嬉しかったよ。
たしかに技術がないと野球はできないが、その技術(の習得も発揮も)を支えるのは体力でもありメンタルでもあると僕は信じている。

MTの醍醐味

2009-10-24 19:02:35 | ポジティブシンキング
君たちにどうしてほしいのか。
それまでのオープン戦の内容を思い出し、学校閉鎖中にずっと考えてきた。
僕は君たちの心を楽に楽にしようと思って一連の記事を書いたつもりだ。
ニュアンスが難しいのだが、楽に…といっても、抜いていいというものではないし、チャチャラともやってほしくはない。
ミスによって崩壊してしまうこの負の連鎖をなんとしても断ち切りたいってことなんだが、ここの弱さはすなわちメンタルの弱さであって、僕の責任であることを痛感している次第だ。

今日、久々にビデオを見せた。
君たちは何を感じたであろうか。
数々のスキルを機械的に覚えたとしても、それではメンタルの向上は望めない。
リラクゼーションやサイキングアップ、セルフトーク、イメージング…。
僕もこれまで紹介してきたが、今日のビデオに一貫して流れていたテーマはいったい何だったであろう。
そこまで読み取ることができたかな?

答えを述べてしまおう。
姿勢や態度も挨拶も、互いに褒め合うのにも、言葉を掛け合うのにも、イメージングにおいても、すべてからんでくるテーマは「プラス思考」。
そこに君たちは気づけたであろうか。
高妻先生のMTの基本はここにある。

「野球は楽しむもの」
根性論は僕も大好きだし、それを全く否定するわけではないのだが、楽しんでいる間は集中力は確実に増すよね。
面白いテレビやゲームや好きな教科の授業や…。
時間は一瞬で過ぎるはず。
一方でたいして興味もない授業では時間の過ぎるのがなんと遅いことか…。
だから集中力をUPさせるために、野球を楽しもうというのが高妻先生のお考えなのだ。
ただしその楽しみ方をはき違えないことが条件だがね。

ポジティブにものを考えられない人間は姿勢もしゃべり方も暗くなる。
もちろん挨拶も。
そういう選手からいいパフォーマンスは生まれない。
ひとつミスが出た。
もちろんピンチだ。
だがMTの最大の醍醐味って、その逆境をいかに跳ね返せるか…ってことなんだ。

夏の3回戦もそうだったでしょ。
あのまま逃げ切っていたら、勝利に涙する選手はいなかったはず。
完全なる負け試合の展開で勝ちきれた、あの快感。
僕は一切涙はでなかった。
気持ちよくて気持ちよくてたまらなかった。
僕はあの経験を君たちのチームにも味合わせたい。

どれだけピンチを楽しめるかが、僕が君たちに伝えることが実践できているかどうかの指標になる。
個人的な欲望を述べる。
僕がやっていることが間違っていない…
そんなことを君たちのこのチームにも証明してほしいんだな。
昨チームだけが結果を残しても、それはフロックととらえられかねない。
安定したメンタルの力を歴代のチームに発揮していってほしい。