銀ねず圖鑑

短歌と日記と…あとなんだっけ。

10月19日(金)のつぶやき

2012年10月20日 | 日記

【1】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka 新勅撰和歌集、雑歌三。新勅撰集は9番目の勅撰集で、新古今集の次に編まれた。定家独撰にしてその後の和歌の価値観がこの集で定義づけられた。一言で言えば新古今が否定されたのである。


【2】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka 雑歌三は全体が哀傷歌になっていて、ひとびとの死を悼む。慈円の歌は誰か特定の人物を悼むものではなく大僧正らしく死一般に触れ、たけ高い(長高)調べの佳品だと思う。


【3】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka とりべやま(鳥辺山)は古くから墓地・火葬場として知られ、後世『阿弥陀ヶ峰』と呼ばれた。『けぶり』に『思ひ(ひ)』が添うのは当然として、『たび』に『度』と『旅』も掛けられている


【4】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka 慈円は摂関家の生まれながら仏道に入ったひと。ただ自ら進んでというわけではなく母親の身分が低く、さらに父を幼少期に亡くしているため後ろ盾がなく、比叡山に預けられたのである。


【5】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka 慈円は摂関家の生まれながら仏道に入ったひと。ただ自ら進んでというわけではなく母親の身分が低く、さらに父を幼少期に亡くしているため後ろ盾がなく、比叡山に預けられたのである。


【6】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka 慈円は歌を詠むために生まれてきたようなひとで、また時代的にも現役バリバリの人よりも隠者の歌が好まれたので、人生の最初から隠者だった慈円は最強の歌人だったと言える。


【7】とりべやま夜半のけぶりの立つたびにひとの思ひやいとどそふらむ(慈円) #waka #jtanka その歌風は鷹揚で調べがよい。このひとの歌を見ると定家をはじめとする専門歌人の歌がちまちましたものに見えてしまう。定家もおそらくそのギャップが好きだったのだと思う。


あ。4と5がかぶってるね。でもまあ仕方ない。慈円は私と誕生日が同じひと(あちらは旧暦だけど)で、惹かれるのです。まさにドンピシャな時代に生まれて本人は気づいてないという。時代を推進させるひとではないけど、他の人にできないものを持ってる。