私は題詠に苦手意識があって、体調やらでうまく出来る時もあるのだけど大抵は最終的にお題が邪魔になってお題の言葉を削ってしまう…。そして必ず「好きに詠ませろやー、うがー!」と叫ぶ。
前に、いわゆる『いちごつみ』がチャットなどで流行したとき。あれも一種の題詠ではあるのだけど、仲間うちではその場で詠んだ歌はそのまま作品として発表せずに寝かしておくもの、っていう認識があった。誰の歌の、どの一語を使ったか忘れるくらいになってから推敲するっていう。
誰と『いちごつみ』をしたか、みたいなことは、例えば有名歌人とご一緒したりすると歌よりも「誰」の方が重要になってしまいがちで、その記録を公表したいっていう気持ちは分かるつもり。でもそのときの歌も、私はそのまま出したくない。その有名歌人さんもそうだと聞いて安心したりした。
私個人としては、題詠も『いちごつみ』もきっかけでしかなくて、完成品ではないという意識が強い。ほんとに、個人的に。うちの結社の歌会が題詠をやらないっていうのが大きいと思うけど。
題詠には題詠のためのテクニックがあって、それは「題詠歌会の場」において発揮される。お題にされた単語の周辺にしか目が届かないと、やはりそれなりの評価にしかならない。これには普段からの訓練とその場のメンバーや、本人の体調がとても影響する。
@reracise1972 わわわびっくりしました! 興味持ってくださってありがとうございます(あとでこっそりお教えします)。「いちごつみ」は、結社提出用の草稿を稼ぐのに重宝してます。
ただ題詠歌会で評価が高くても、ひとたび歌会の場を離れると歌じたいの評価が微妙になってしまうことがある。お題という評価基準があるせいで、そうなりがち。そこを超越出来るかが、本当のテクニック。
【1】月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平) #waka #jtanka 古今和歌集、恋歌五巻頭。詞書の後半「…またの年の春、梅の花盛りに、月の面白かりける夜、去年を恋ひて、かの西の対に行きて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷きにふせりてよめる」
【2】月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平) #waka #jtanka これも梅の名歌と言ってよいのだけど、梅が入ってないためにむやみに汎用性が高くなった。この歌のおかげで「月とむかし」という組み合わせがやたら使われるようになる。
【3】月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平) #waka #jtanka 『伊勢物語』にも同じ歌が載せられていて、意訳するとこんな感じ。「月は? …違う。春は? …やっぱりあの時と違う。私だけが、あの時のままなのだ」。
【4】月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平) #waka #jtanka ドンファン業平の伝説のひとつとして、関係のあった女性が天皇に入内してしまい、もう会えなくなってしまった。去年(むかし)はまだ会えたのにっていう。
【5】月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身一つはもとの身にして(在原業平) #waka #jtanka 三島由紀夫『春の雪』がそんな感じだったでしょう? たぶん三島はここから持ってきてるはず。とりあえず今は「月むかし」の組み合わせを覚えておいてください。(了)
【1】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka 新古今集、春歌上。「家隆」は『いえたか』で正しいのだけど、ちょっと詳しいひとは『かりゅう』と発音します。定家を『ていか』と読むようなもの。いわゆる有職読み(ゆうそくよみ)。
【2】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka 「月むかし」の本歌取りとして、また家隆の代表作として有名な歌ですが業平の自問自答「月やあらぬ、春や…あらぬ」を梅の香りに問うというアイディアが付け加えられてます。
【3】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka さらに月影(=月光)が袖にうつる、とは何か。これは袖の涙に月が映るのであってね。こういう技巧は新古今歌人の一大特徴。本歌取りといっても言葉を持ってくるんじゃなくて場面を借りる。
【4】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka 新古今集ではこの後も「月むかし」が続きます。→【梅の花たが袖ふれし匂ひとぞ春や昔の月に問はばや(源通具)】【梅の花あかぬ色香も昔にておなじ形見の春の夜の月(俊成卿女)】、また夫婦。
【5】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka さらに「月むかし」は意外なところにも。【さらしなや姨捨山に旅寝して今宵の月を昔見しかな(能因)】【さらしなや昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山(藤原定家)】
【6】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka 月は秋の景物で、さらに秋が王朝人の結婚の季節だったから、「月むかし」は容易に秋へ転用できる。月の歌枕・信濃の姨捨山が使われるのは、都での昔を旅先の月を見て思い出すから。
【7】梅が香にむかしを問へば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる(藤原家隆) #waka #jtanka こういうアイディアを一首の古歌から思いつく底知れなさ。何て言うか、この打ち込み方は狂気そのものなんじゃなかろうか。(了)
たぶん「史上最高(悪)の積雪量」みたいなことでしょう。ニュースになってました。 RT @toh_switch: ジムの更衣室でのおばちゃんの会話。雪が降るかもっていう話で「すごく寒いよね」「なんか史上最悪の…」で急に別の話になった。史上最悪の何だったんだ、気になる・・・