学生の頃から深大寺は蕎麦の名所と言うことになっていた。
しかし、昔の蕎麦はなんだか黒っぽくてあまり旨いと思ったことは無い。
1965年の当時は蕎麦屋といっても3~4軒ほどしか無く
蕎麦を出すかたわらでニジマスを焼いて供していたりした。
それでも何年かは大晦日には除夜の鐘を撞きに通った。
鐘を撞くのが予約制になっていて
12月31日の朝には鐘撞き券が発行されるのであった。
夜の10時頃には蕎麦屋の一軒に友人と陣取って
おでんや焼き魚などを肴に熱燗を飲んで待つ。
そろそろ鐘撞きの番と見計らって鐘楼に赴き
鐘を撞いてからまたぞろ蕎麦屋に戻って飲み直す。
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行列して鐘撞の番を待つのだが前に撞く鐘の音が迫って来て
自分ならこんな風に鐘撞き棒を構えてこんな風な音を立てたいと
一所懸命に考えているのだが
いざ自分の番になるとそんなことをすっかり忘れていて
存外みじめな音しか出なかったことに直後気づくことが多かった。
兎に角鐘を撞く瞬間は頭の中が真っ白になるのが不思議だし面白い。
呑み直した後は自分たちの町に戻って
またぞろコーヒーなどを飲んだりして元旦を迎えたものだった。
無茶なことをしてましたね。
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今の深大寺は一大観光地の雰囲気で人出が凄かった。
蕎麦屋の水車も回りっぱなしであったが
夜になるとこれって止まるんだよな。
モーターで水を流し込んでるんだもん。
ンなこと言うな!って言われるよ。風情を壊すなってさ。
何時からこんなものが出来たのか記憶にないのだが・・・
こんな名前の蕎麦屋さん。
確か、昔はここは池の外れの草やぶだったと思う。
なんだか不気味ではあるけれど
面白いぢゃないかねぇ?
この店の前もひどい人混みだった。
深大寺の名誉のために言っておきますが一帯には湧泉地が沢山あって
自然の水路を流れる水は由緒あるものです。
水路は池を巡っており池を眺められるような位置に
蕎麦屋さんが並んでる。
池の水に紅葉が映えて昔からの風情を失って居なかった。
まぁ50年、半世紀よく保存されていると言えるのでは
なかろうか。
これも東京散策の一部でありました。
某会長を誘ったりして!笑
国分寺崖線の一部ですね
国分寺辺りから、世田谷の等々力辺りまで続いています
小金井に住んでいたころは、はけの道を散策したりしました
井の頭公園のそばに住んでいたころは、深大寺にも行った
でも、蕎麦は、西荻の鞍馬で食べていました
なんの理由か覚えていませんが、小田急じゃなくて京王線で行き
仙川で降りて、ちんたら歩いていった記憶があります。
深大寺も、そのころに一度行ったのですが、近いといえば近い距離でしたよね?
深大寺は仙川より、もう少し先の調布からバスが出ております。中央線の吉祥寺からもバスがありますね。
はい。近いと言えば近い距離ですね。